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ノボ村長の開拓日誌

2013-11-27

寺田寅彦「団栗」を読んで

 眠れぬ初冬の夜中、寺田寅彦の随筆を読み珠玉の文章にますます目が冴えてしまいました。彼が漱石に勧められて最初に書いた随筆「団栗(どんぐり)」は衝撃的でもありました。

 漱石山房では別格と目されていたらしい文学的科学者寺田寅彦は、漱石『三四郎』の野々宮君、『我が輩は猫である』の寒月君のモデルとしても有名です。

 日本の代表的な物理学者でありましたが、その随筆もまさに文学の珠玉のごときです。

 ブログを書き始めてから、人の書く文章に対して感度がとても上がりました。

 文芸評論家吉田精一氏の批評はまさに私の思いと同じです。

 「いずれも後年の随筆とちがい、評論的な傾向を全然ふくまない、詩情ゆたかな散文詩といってしかるべき作品である。これらの篇の作者としての寅彦はあくまで詩人である。題材が回顧、追憶の甘いベールに包まれているためかもしれない。しかし観照の的確、写生の細緻が、ロマンチックな情緒をたっぷりとたたえながらも、失われていないのはさすがである。」


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 最初の随筆「団栗(どんぐり)」は、彼の最初の妻「夏子」を書いたものです。

 たった4ページほどの短い随筆なのに、これほど淡々と切なく、さらに登場人物に対して様々な疑問を感じさせる文章は読んだことがありません。

 特に最後の一行には強い関心を持ちました。

 「・・・始めと終わりの悲惨であった母の運命だけは、此児に繰り返させ度くないものだと、しみじみさう思ったのである」

 (始めの悲惨とはいったい?)と引き込まれてしまい、あれこれ調べてみたい欲求にかられました。

 同郷(土佐)の故か、やはり彼の伴侶について強い興味を持ち、ライフワークのようにして調査し出版した本がありました。

 山田一郎著『寺田寅彦覚書』と『寺田寅彦 妻たちの歳月』

 一冊は古本となっていましたが、両方手に入れ今読んでいる最中です。

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 寺田寅彦は家庭生活においては薄幸の人であったようです。

 彼自身も58年という短い生涯でしたが三度も結婚しました。

 最初の妻夏子とは寅彦が18歳、彼女が14歳という、当時としてもかなり早すぎる結婚でした。

 なぜこんなにも早い結婚をしなければならなかったのか?

 調べてわかったのですが、夏子は母親とは別な女性の子であったかもしれないのです。

 家柄を重んじる当時、夏子の父と陸軍で元同僚であった寅彦の父との間には暗黙の了解があったようです。

  →寺田寅彦と妻夏子

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 美貌で幼い夏子、しかし彼女の肺は結核にむしばまれていたのです。

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 彼女の容貌について、寅彦の姉はこのように語っていました。

 寅彦は家庭的にはまことに不幸の重なった男でありました。最初の妻、夏子は坂井中将の娘で、寅彦が高等学校にいる頃、父がきめて結婚させました。

 夏子は気の強い、活発な、そして頭のいい、目のくりっとした、背の高い人でした。寅彦は大変気に入っていまして、熊本から土佐へ帰省し、結婚式は自宅で挙げました。

 その頃、夏子のことを私の子供たちは、お夏さんの眼が光るから夜になってもランプはいらぬ、などといってからかったりしました。

(『回想の寺田寅彦』)

 この随筆の白眉は夏子が楽しそうに団栗を拾う場面です。

 まるで夏子が今の中高校生のような、そのような生き生きとしたあどけない可愛らしさを感じさせられます。

 彼女が抱える死の病と、なんという対照でしょうか。。。

 子を身ごもった夏子に結核は容赦なく牙をむき、彼女は喀血します。

 寅彦への感染を怖れた彼の父は夏子を四国のある島へと隔離します。

 父に隠れて長い道のりを歩いて夏子に会う寅彦の姿も山田一郎氏の著書で知りました。

 しかし寅彦も肺尖カタルに罹り、一年休学します。

 その翌年、子を産んで一年後、夏子は他界します。

 その二年後にこの名作『団栗』は書かれました。

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 寅彦は夏子の死から3年後、寛子(ゆたこ)という女性と結婚します。

 4人の子をもうけ、実に平安な家庭生活を営んだようですが、彼女も30代でなくなりました。

 3番目の妻「紳」は、奔放な女性だったようで寅彦の心労は大きかったと言われています。

 しかし『寺田寅彦 妻たちの歳月』では、誰よりも多くこの「紳」にページを割いています。

 実は、これから読むところなのです。

 なにか世間の噂とは違う姿が浮かび上がってくるような予感がしています。

 やはり悪妻と言われた漱石の鏡子夫人の実像が、あれこれ本を読んでいくと、どうも違っていたように。

  →井上ひさしと漱石の娘

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 この『団栗』は漱石はもとより、漱石山房に集まる作家たちにも強い影響を与えたようです。

 鈴木三重吉『千鳥』(今読んでいます)、伊藤左千夫『野菊の墓』(そういえば。。。)、そして漱石『夢十夜』第一話。

 漱石の夢十夜第一話は清楚な女性の幽霊話です。

 このモデルは、漱石の(プラトニックな)恋人「大塚楠緒子」と思っていましたが、前掲の本によれば寅彦最初の妻「夏子」をイメージしていたとしています。

  →夏目漱石の永遠の恋人

 なるほどと思えます。

 漱石は『猫』の中で寅彦をモデルとした寒月くんを多く描いていますが、その中には彼の結婚、自殺未遂?など、その頃の彼の状況、心境を感じさせるものが数多く書かれています。

 寅彦とその妻夏子の悲哀は、寅彦自身だけではなく漱石はじめ彼を取り巻く多くの感性豊かな人々の心で共有されていたに違いありません。

 ずっと後の作家である堀辰雄『風立ちぬ』『菜穂子』も同じように影響を受けていたのではないでしょうか。

  →純文学映画「風立ちぬ」

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 深い悲しみにあった寅彦、英国留学から帰ったばかりの強い神経衰弱であった漱石。

 彼らの心の交流、その心情はこの頃に深まったようです。

 漱石の死後、寅彦はこのような述懐をしています。(この一文をタイプしながら、涙が出てきました。。。)

 ・・・先生からは色々のものを教えられた。

 ・・・人間の心の中の真なるものと偽なるものとを見分け、そうして真なるものを愛し偽なるものを憎むべきことを教えられた。

 ・・・いろいろな不幸の為に心が重くなったときに、先生に会って話をして居ると心の重荷がいつの間にか軽くなっていった。

 (『夏目漱石先生の追憶』)


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 私は寅彦のこの短い随筆『団栗』に、その後の純文学への道を照らすシリウスのような輝きを感じました。

 また、寅彦の文学的科学者の系譜は湯川秀樹氏に引き継がれていったように思えるのです。

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  →本の中の世界より
  →自然は曲線を創り人間は直線を創る