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ノボ村長の開拓日誌

2016-05-09

ゲーテ 「わが悔やまれし人生行路」

 『ゲーテとの対話』(エッカーマン著)は人間ゲーテを実に身近に感じられる本です。ゲーテが愚痴のように語る箇所はなおさらです。何人も羨むようなゲーテの人生と思いきや。。。


 「ゲーテの深い言葉」第2話を書きました。

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(ゲーテ70歳の肖像)

岩波文庫『ゲーテとの対話』上巻p122

1824年1月27日

 「私は、いつも、みんなからことのほか幸運に恵まれた人間だとほめそやされてきた。私だって愚痴などこぼしたくないし、自分の人生行路にけちをつけるつもりはさらさらない。しかし、実際はそれは苦労と仕事以外の何ものでもなかったのだよ。七十五年の生涯で、一月でも本当に愉快な気持ちで過ごしたたときなどなかったと、いっていい。(中略)内からも外からも、私の仕事に対する要請が、あまりに多すぎたのだよ。」

 「私の本当の幸福は、詩的な瞑想と詩作にあった。だがこれも、私の外面的な地位のおかげでどんなにかき乱され、制限され、妨害されたことだろう!(中略)ある賢者の言葉が、自分にそっくりあてはまることが分かったね。つまり、誰かが世間のためになにかを行うと、世間は、その人が二度とそんなことをしないように配慮するものだ、というわけさ。」

 「名声を博したり、人生で高い地位についたりするのは、悪くはないよ。けれども、私が名声と地位によってなしえたことといえば、他人(ひと)を傷つけないようにと、他人の意見に対して沈黙を守ること、だけだった。おかげで私は他人の考え方を知りながら、他人はわたしの考え方がわからないという点で、私の方が得だからいいようなものの、そうでもなかった日には、じつにひどい、ふざけた話さ。」


 当時七十四歳のゲーテは三十二歳のエッカーマンに、少し愚痴めきながら、自分の人生行路をこのように語って聞かせるのでした。

 ゲーテはワイマール公国(人口は十万程度だったらしい)の賢君カール・アウグスト大公に深く信頼され、二十六歳から政治の中枢におり宰相のような立場にありました。

 本書を読んでいくと、この二人の信頼関係は、まるで三国志の劉備玄徳と諸葛孔明のそれと同じように感じられます。

 その信頼関係ゆえに、ゲーテは政治世界からぬけ出ることを大公になかなか言い出せなかったのかもしれません。

 ゲーテがまれに見る優れた見識を持つ政治家であったことは次の文章で知ることができます。

新潮文庫『若きウェルテルの悩み』解説より

 一八〇四年、ナポレオンがフランス皇帝となった。一八〇六年八月には神聖ローマ帝国が瓦解した。一八〇八年九月にはナポレオンがエルフルトに諸侯を会した。一帝四王、三十四諸侯が来会した。十月二日、ゲーテはナポレオンに閲した。

 「ここに一人の人間がいる」は、このときにナポレオンの口から発せられた言葉である。

 「生粋のドイツ的愛国者」(トーマス・マン)ゲーテは心中深くナポレオンを崇敬していた。


 文人ゲーテと武人ナポレオンとの間には、敵味方の関係を超えた深い人間的共感がありました。

 政治という国粋主義のまっただ中にいながら、それを超える普遍的「人間」という観点を持ち続けた哲人にして詩人のゲーテを尊敬するナポレオン。

 ナポレオンに、ラファエロ、モーツァルト、シェークスピアと同様の「人間努力」の範疇を超えた天才を見るゲーテ。

 この世の舞台は違えども、二人はそれぞれに「突き抜けた何か」を互いに感じ取ったのでしょう。

 お互い「情熱家」であったことは最大の共通点だったことでしょう。

 ゲーテはなんと七十三歳の頃、十七歳の少女に一目惚れし求婚しています。(断られましたが)

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 今日の話は現代政治のあり方についても考えさせてくれます。

 ゲーテ自身にとって、政治の世界それに伴う名声や高い地位はとても迷惑なものでした。

 逆に、それゆえに権力や偏狭さから自由な考えや行動ができたのではないかと思えます。

 ひるがえって現代の政治家を見れば、潜在的に権力志向の人がこの職業を志し、また最初の「想い」がどうであれ、偏狭な党派主義や目先の政策だけにからめとられていく人がほとんどのような気がします。

 私は、政治家になりたい、という人が政治に携わるのではなくて、政治の世界は嫌いだが「賢人」ゆえにその仕事をさせられているという方々が政治を行えば、「長期的に善きもの」をめざせる社会になるのではと考えてしまいました。

 参考→「ゲゲゲのゲーテ」より抜粋
   →ゲーテ「趣味について」