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ノボ村長の開拓日誌

2016-05-12

ゲーテの本を何ゆえ戦地に?

 水木しげるさんはなにゆえ戦地ラバウルへ『ゲーテとの対話』を持って行かれたのでしょう?ゲーテも深いが水木しげるさんも同じく深い方と、あらためて感じます。


 「ゲーテの深い言葉」第5話を書きました。

 今日は「水木さんの人生は80%がゲーテです。」と語る水木しげるさんの最後の著書(対談)『ゲゲゲのゲーテ』より、二人の出会いの時を抜き書きさせていただきます。

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 徴兵され、激戦地ラバウルに向かう水木しげるさんは、いったいなぜ『ゲーテとの対話』を持って行ったのでしょうか?

 亡くなる一ヶ月前の対談で編集者にはこのように話しています。

 「それまでは哲学なんてものとは無縁に生きてきたわけだけど、死の恐怖を克服するために、どうしても読むようななりゆきになったんです。」

 ラバウルでも読んでいたのかと聞かれ、こう答えています。

 「戦場では読んでいられるような余裕はなかったですね。いつ敵が攻めてくるかわからんし、ぼやっとしてたら死ですから。」

 精神的な支えとなる「お守り」みたいな感じだったとも語っています。

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 水木さんが還暦を迎えた年に上梓した『ねぼけ人生』に、『ゲーテとの対話』との出会いが書かれています。

 『ゲゲゲのゲーテ』から引用いたします。

1982年 筑摩書房『ねぼけ人生』より


 昭和十六年十二月八日の朝。

 ラジオがばかにやかましく軍艦マーチを流す。ねむい目をこすりながら母に聞くと、戦争が始まったという。「あっ」と思ったが、僕が開戦を決めるわけではないから、どうにもなるものでもない。この時から僕の灰色の人生が始まることになる。しかし、しばらくは、そういうことはわからなかった。

(中略)

 僕は、子供の頃軍人にあこがれていた。それは、勇ましいからだったが、勇ましいというのは他人がやっているのを鑑賞している時の気分で、自分が参加すると、勇ましいというより恐いものなのだ。自分が、いやでも参加させられる年齢が近づき、しかも、もはや絵描きになるつもりになってしまうと、軍人や戦争や、ましてや戦死なんかはうとましいばかりだった。

 ところが、新聞や雑誌では、文化人や有名人といった連中が、若者は国のために戦争で死ぬのが当たり前で、天皇陛下のために死ぬのは名誉なことだ、というようなことを言って、自分に都合のいい万葉集の歌なんかを引用して力んでいた。

 駅前の人ごみでは、千人針といって、千人の女の人の手によって縫われた腹巻を作り、それでタマヨケになるという不思議な運動をやっていた。そのすぐ後では、歓呼の声に送られて汽車に乗る出征兵士の姿が見られた。

 そうこうしているうちに、僕の好きな菓子が菓子屋から消え、砂糖が配給制になりだした。

 僕は、それまで胃腸も丈夫なズイボ(食いしん坊)で、寝ることも好きで、動きまわったり絵を描いたりして楽しく生きてきた。だから、ここへ来て、死がせまっていることを考えるのは、非常につらいことだった。

 哲学なんていうものも無縁に生きてきたわけだが、どうしても、書物らしい書物も読むようななりゆきになる。哲学史の概説書のようなものを読んで、どんな考えを持っている人がいるかをざっと調べ、面白そうな人の本を買うことにした。

 ニーチェだとかショーペンハウエルだとかがよさそうなので読んでみたが、もっともだと共感することもあるのだけれど、読後少したつと、どうもしっくりしてこない気がした。聖書も読んでみたが、どうも僕には向いていないようだ。ただ、語調がよかったので(当時のは、美しい文語調だった)、新約聖書は何度か読んで、暗記した文章もある。

 そのうち、年齢も二十歳に近づき、戦争もきびしくなってきた。いつ召集になるかもしれない。そんな時、河合栄治郎編「学生と読書」という本に、エッケルマンの「ゲエテとの対話」という本が必読書としてあげられているのを知った。

 岩波文庫のこの本を買って読んでみると、はなはだ親しみやすく、人間とはこういうものであろうという感じがする。これで、ゲエテに関心を持ち、「ファウスト」や「ウィルヘルム・マイステル」や「イタリー紀行」を読んだが、「ファウスト」は何回くりかえしてみてもわからなかった。

 僕には、むしろ、ゲエテ本人が面白く、だから「ゲエテとの対話」が好きなのだ。
この本では、いろいろな人がゲエテ家に出入りし、それについてのゲエテの感想や生活ぶりがまるで劇でも見るようにうかがわれて楽しかった。後に軍隊に入る時も、岩波文庫で上中下三冊を稚嚢(ざつのう)に入れて南方まで持っていった。

 人に「ゲエテをどう読んだか」などときかれてドギマギすることがよくあるが、簡単にいえば、父親がたよりなかったから「代理の父親」みたいな気持ちで愛読したわけだが、もう一つは、僕は、ゲエテのような生活がしてみたかったのである。

 家は四階建てで屋根裏部屋があり、部屋数は多く、美術品がたくさん飾られており、近くには、散歩に適した所があり、ガーデンハウスなぞという別荘がある。宮殿で美しい女性に囲まれ、皇太子の頭をなでてみたりする。近所には、シラーという意見の合う友人がおり、家には、ヨーロッパ中の文化人が訪問してくる。時たま、ナポレオンなんかも戸をたたく。こんな生活を僕は空想して楽しんでいた。

 ゲエテが関心を持ったり体験したりしたことを、僕もできるだけ真似をしてみようと思った。

(中略)

 僕はゲエテがベートーベンと会う話を母に聞かせたが、熱心なのは僕一人で、母はポカンとしていた。おそらくおかしくなったんじゃないかと思っていたのだろう。


 「もう一つは、僕は、ゲエテのような生活がしてみたかったのである。」には、「のんのんばあとオレ」などを思い出してさもありなむと笑ってしまいました。

 地獄のラバウルで生死の境をさまよい、片腕一本と引き換えにこの世に戻された水木しげるさんですが、貧乏暮らしという地獄がまたも待っていました。

 しかしゲーテの御利益か、画風も内容も独創の世界を開拓し、亡くなった今でも私たちに大きな影響を与え続けてくれています。

 あらためてこう思います。

 「たしかにゲーテは偉大だ、しかし水木しげるさんも同じくらい偉大だ」と。

 参考→「ゲゲゲのゲーテ」より抜粋
   →ゲーテ「趣味について」
   →ゲーテ「わが悔やまれし人生行路」
   →ゲーテ「嫌な人ともつきあう」
   →ゲーテ「相手を否定しない」