ワイマール公国で最高の年俸と立派な邸宅を賜っていたゲーテですが、エッカーマンに富貴や華美の無用さを説く日がありました。彼に「自由」というものの本質を教えているのでした。
「ゲーテの深い言葉」第11話を書きました。
『ゲーテとの対話』は3巻ありますが、このブログに何を残そうかと各巻を行きつ戻りつしています。
水木しげるさんの『ゲゲゲのゲーテ』でもそうですが、引用しようとする文章は上巻と中巻に多いことに気づかされます。
実は、上巻と中巻はゲーテが亡くなった4年後1836年に書かれ、下巻はその12年後1848年に書かれているのです。
しかも下巻は中巻で書かれた年月の後のエピソードではなくて、もう一度最初の出会いの頃からの話を追加しています。
記憶が新しいうちに書かれたせいでしょうか、上巻と中巻のほうにエッカーマンの素直で新鮮な感動がよりあふれている気がします。
岩波文庫『ゲーテとの対話』上巻p331
1827年1月18日「自由とは不思議なものだ。足るを知り、分に安んじることを知ってさえいれば、誰だってたやすく十分な自由を手に入れられるのだ。いくら自由がありあまるほどあったところで、使えなければ何の役に立つだろう!
この部屋と隣の部屋をみたまえ。開いたドアの間から私のベッドも見える。どちらも広くはないし、おまけに、いろんな日用品やら、本やら原稿やら、美術品やらが、所せましと置かれている。けれども、私にはこれで十分なのだよ。私は冬の間、この部屋で暮らし、表の方の部屋には、ほとんど足を踏み入れることもない。この広い家をもっていたところで、部屋から部屋を歩きまわる自由をもっていたところで、それを利用する必要がないなら、何の役に立つだろう!」
「誰でも健康に暮せて、自分の職にいそしむだけの自由さえあれば、それで十分なのだ。それだけの自由なら誰だって手に入れるのはたやすいことだよ。それから、われわれは、自分たちが充たさねばならない一定の制約条件のもとでだけ自由だということだ。(中略)
われわれは自分の上にあるものをすべて認めようとしないことで、自由になれるのではなく、自分の上にあるものに敬意を払うことでこそ、自由になるのだ。なぜなら、われわれは、自分の上にあるものを尊敬することで、自分をそこまで高め、上にあるものの価値をみとめることで、自分自身がいっそう高いものを身につけ、それと同じものになる価値があることをはっきりとあらわすからなのだ。
私は旅に出たとき、北ドイツの商人たちによく出逢ったものだが、彼らは食事の際無作法な態度をとることで、私と同等になれると思い込んでいたよ。そんなことをしたからといって、私と同等になれるものではない。けれども、彼らが私を重んじ、応対するすべを心得ていたなら、私と同等になれただろう。」
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後段の語りで、ゲーテは「自由」とは「可能性」が本質であると言っているように思います。
その可能性とは、「未来の自分をより高いものにしうる余地の確保」ということです。
残念ながら、私たちは相手を貶めて自分を価値高いものに見せようとすることを、無意識にやりがちです。
それは相手を自分の(低い)位置まで引きずりおろす「嫉妬」(ジェラシー)というものであり可能性の否定といえることでしょう。
「ジェラシー」に対する言葉として「エロス」があるということを以前何かの本で読んだことがあります。
「エロス」は「希求、あこがれ、向上心」などと同義でしょうが、何よりも連想するのは「(求める)愛の情熱」です。
自分を相手の(高い)位置まで上げようとする衝動です。
ゲーテが恋愛において情熱の人だったことも、克己、自制をよく説いたことも、みかけは異なりますが、自己を高めようとする「エロス」に人間としての自由を見出していたことにおいて同質だったと私は思うのです。
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現代において注意しなければいけないと思うのは、「(人間にとって)高きもの」とは、はたして何なのか?という問いかけだと思います。
似非「高きもの」は、狭量で排外的できっと人間や自然を損ねる結果になるでしょう。
歴史はそれを教えてくれるはずと思います。
本物の「高きもの」を見つけるには、さらに、過去の偉人や賢人とよく対話しなければならないのではないでしょうか?
ですから「本は本にあらず、本は人である」と思って、私は読書しています。
参考→「ゲゲゲのゲーテ」より抜粋
→ゲーテ「趣味について」
→ゲーテ「わが悔やまれし人生行路」
→ゲーテ「嫌な人ともつきあう」
→ゲーテ「相手を否定しない」
→ゲーテの本を何ゆえ戦地に?
→ゲーテ「私の作品は一握りの人たちのためにある」
→ゲーテ「好機の到来を待つ」
→ゲーテ「独創性について」
→ゲーテ「詩人は人間及び市民として祖国を愛する」
→ゲーテ「若きウェルテルの悩み」より抜き書き
→ゲーテ「自由とは不思議なものだ」
→ゲーテ「使い尽くすことのない資本をつくる」
→「経済人」としてのゲーテ
→ゲーテ「対象より重要なものがあるかね」
→ゲーテ「想像力とは空想することではない」
→ゲーテ「薪が燃えるのは燃える要素を持っているからだ」
→ゲーテ「人は年をとるほど賢明になっていくわけではない」
→ゲーテ「自然には人間が近づきえないものがある」
→ゲーテ「文学作品は知性で理解し難いほどすぐれている」
→ゲーテ「他人の言葉を自分の言葉にしてよい」
→ゲーテ「同時代、同業の人から学ぶ必要はない」
→ゲーテ「自分の幸福をまず築かねばならない」
→ゲーテ「個人的自由という幸福」」
→ゲーテ「喜びがあってこそ人は学ぶ」