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ノボ村長の開拓日誌

2016-06-08

ゲーテ「他人の言葉を自分の言葉にしてよい」

 「そこにあるのは、私のものだ! 実生活から取ってこようと、書物から取ってこようと、そんなことはどうでもよいのだ、使い方が正しいかどうかということだけが問題なのだ。」とゲーテは語りました。

 「ゲーテの深い言葉」第20話を書きました。

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 過去や現在の偉大な作品からその内容を引用すること、模倣することは全然問題ではない、むしろほめられるべきことだ、とゲーテは語っています。

 今の大学では、多くの学生がネットからコピペ、コピペでレポートやら論文を仕上げているそうです。

 そんな学生が早とちりして喜んでしまいそうなゲーテの言葉ですが、よく読めばまったく異なる話です。

 それは「使い方が正しくない」、つまり自分がない「なりすまし」というものでしょう。

岩波文庫『ゲーテとの対話』上巻p210

1825年1月18日

 (エッカーマン)「バイロン卿はあまり賢くないようです。あなたの『ファウスト』をこまぎれにして、これはここから、あれはあそこからとってきたという意見なのですからね。」

 「私は」とゲーテはいった、「(中略)バイロン卿という人は、詩をつくるときだけは偉大なのだが、反省というようなことになると、たちまち子供にかえってしまう。だから、自分が同じように、同国人の無理解な攻撃をうけたときも、どうしていいものやらわからないのだ。それに対しては、もっと毅然とした態度で所信を表明すべきだったのだよ。

 「そこにあるのは、私のものだ! 実生活から取ってこようと、書物から取ってこようと、そんなことはどうでもよいのだ、使い方が正しいかどうかということだけが問題なのだ! と言うべきだった。(中略)

 私のメフィストーフェレスも、シェークスピアの歌をうたうわけだが、どうしてそれがいけないのか? シェークスピアの歌がちょうどぴったり当てはまり、言おうとすることをずばり言ってのけているのに、どうして私が苦労して自分のものをつくりださなければならないのだろうか? だから、私の『ファウスト』の発端が、『ヨブ記』のそれと多少似ているとしても、これもまた、当然きわまることだ。私は、そのために非難されるには当たらないし、むしろほめられてしかるべきだよ。」

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 ゲーテは、芸術における独創について、このように語っていました。

岩波文庫『ゲーテとの対話』上巻p303

1827年1月4日

 ゲーテはつづけた。「芸術には、すべてを通じて血統というものがある。巨匠をみれば、つねに、その巨匠が先人の長所を利用していて、そのことが彼を偉大にしているのだ、ということがわかる。

 ラファエロのような人たちが土台からすぐ生い育つのじゃない。ちゃんと、古代および、彼ら以前につくられた最上のものの上に立脚しているのだ。

 その時代の長所を利用しなかったら、彼らがたいしたものになるわけがない。」


 自分の作品も、人類文化発展の一段として、だれかに継承され続ければ本望であると考えていたゲーテです。

 文化、芸術を含む世界認識のすべてにおいて「歴史的な蓄積」「普遍的な人間性」「社会全体への寄与」という人類史的視野を持ち続けたゲーテにとって、だれもが過去の遺産を正しく有効に活用することは望ましいことであったに違いありません。

 突拍子もない連想かもしれませんが、私は「リナックス」(だれもが自由に使え、進化させられるコンピュータの基本ソフト)を思い出しました。

 参考→「ゲゲゲのゲーテ」より抜粋
   →ゲーテ「趣味について」
   →ゲーテ「わが悔やまれし人生行路」
   →ゲーテ「嫌な人ともつきあう」
   →ゲーテ「相手を否定しない」
   →ゲーテの本を何ゆえ戦地に?
   →ゲーテ「私の作品は一握りの人たちのためにある」
   →ゲーテ「好機の到来を待つ」
   →ゲーテ「独創性について」
   →ゲーテ「詩人は人間及び市民として祖国を愛する」
   →ゲーテ「若きウェルテルの悩み」より抜き書き
   →ゲーテ「自由とは不思議なものだ」
   →ゲーテ「使い尽くすことのない資本をつくる」
   →「経済人」としてのゲーテ
   →ゲーテ「対象より重要なものがあるかね」
   →ゲーテ「想像力とは空想することではない」
   →ゲーテ「薪が燃えるのは燃える要素を持っているからだ」
   →ゲーテ「人は年をとるほど賢明になっていくわけではない」
   →ゲーテ「自然には人間が近づきえないものがある」
   →ゲーテ「文学作品は知性で理解し難いほどすぐれている」