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ノボ村長の開拓日誌

2018-01-20

思わぬバーチャル・リアリティー

 白黒写真とカラー写真はまったくの別物であると思えてきました。白黒写真だからこそ伝わるものがあります。さらに白黒のほうが想像力を刺激し、より深い臨場感につながる気がします。往年の名作映画にも通じることですよね〜。

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『詩集ノボノボ』より

思わぬバーチャル・リアリティー

 白黒写真とカラー写真はまったくの別物だ

 写真の本質が宿っているのは白黒写真のほうに違いない

 そう思うようになったのは、ここ2か月くらい前からである

・・・・・・・・

 父が亡くなったのは2か月前

 しかし、もう半年は過ぎている感じがする

 週に数日、主なき実家の仏壇に線香をつけお経をあげる

 ついでに遺品の整理をちょこちょこしている

 几帳面で写真好きで捨てない性格だったせいで

 父の遺品は行くたびに新発見がある

・・・・・・・・

 なかでも写真は様々な場所で見つかる

 その数は合わせて数千枚、三分の二は白黒だ

 白黒写真は色あせず、落ち着きがあって、とても見やすい

 父が小学校の頃や兵隊のころの写真も見つかった

 教師だったので、生徒や同僚先生たちとの写真も多い

 私たち家族の写真は孫、ひ孫にいたるまで

 父の親や親せきの写真もたくさんある。

・・・・・・・・

 はじめてみる写真が多く、その状況は新発見だらけだ

 後悔の念がわいてくる

 いったい俺は、父のことをどれほど知っていたのか。。。

 若き日の精悍で男らしい父の体躯や顔

 やがて頭髪も薄くなり、好々爺の姿に変わっていく

 まるで4,5人の異なる人物が生きていたように思えてくる

・・・・・・・・

 さて、なつかしき白黒写真を大量に見ていると

 脳内にある現象が生じてくる

 複数の写真がひとつの時空間のなかで統合し

 現実のような光景が、私の周りに現れてくるのだ

 父の一生が自分の経験のようになり

 父の生きたそれぞれの時代の中で

 私が父となって生きているように感じてくるのだ

・・・・・・・・

 その時空間は最初白黒のままである

 しかし目を瞑り、しばらくその世界に佇んでいると

 しかるべきところには色が表れてくる

 白黒写真ゆえにかえって想像力が刺激され

 脳内で臨場感が増していくのだろう

 これは脳が生み出す「バーチャル・リアリティー」だ

・・・・・・・・

 一週間前、高校の同期会があった。

 ホームページを管理している私は

 当日の写真をアップし、何回も見た

 さらに46年前の高校卒業アルバムを見た

 白黒の卒業アルバムである

 先生方の知的な面立ち、斜に構えた私たち

 フォークソング全盛時のなつかしき後夜祭・・・

 ここでもバーチャル・リアリティーが生じてきた

 私たちが生きてきた時代が

 奔流のように、脳に押し寄せてきたのだった

 →ノボ村長の「詩集ノボノボ」

2017-11-21

やさしく気骨ある父、ついに逝く。

 昨日は父の初七日でした。享年94歳、いくつになっても親を喪うのはつらいことですが、生前の父を見習いプラス思考で生きていこうと思います。

 画家中川一政が父を亡くしたときの文章を引用いたします。

 棺に入った父を見たとき、火葬の後、私の心もまったく同じでした。

中川一政画文集
「いのち弾ける!」より

私は思った。貧乏なんて生きている間のことだ。死ねば跡形もない。
その古武士のような顔、鍛錬された骨格の立派さに感動した。
このままいつまでも置いておきたい。
私は火葬場から、その骨壷を抱いて車にのった。
まだ熱い骨壷の上に涙がおちた。
私はこの父を愛しているのだ。この父から生まれた事を誇りに思うのだ。


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下の文章は7年前に会社のブログに私が書いたものですが、父への追悼として再掲します。

この写真は、父の肖像写真とともに祭壇に飾っております。

「親父の背中」
2010年5月14日 18:17 

社長をしております川嶋信雄です。

皆様にはいつもお世話になっております。

今日は、今年86歳になる私の親父を紹介します。

毎年5月の連休には父と一緒に金華山へ行くのが恒例です。
今年でもう25年目になります。

金華山からの帰り道、
コバルトラインから太平洋を眺める親父の後ろ姿を撮りました。

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何とも哀愁を感じさせる背中です。
長い人生のあれこれを思い出していたのかもしれません。

親父の青春時代は戦争と4年間のシベリア抑留でした。

その後結核で入院したり、4回もガンの手術をしましたが、
感心するのはそのプラス思考です。

ガンを告知されても「見つけてもらって本当に良かった、
お袋があの世で守ってくれているおかげだ」と心から言うのです。

だから「絶対に治ってみせる」という執念は、
人一倍強いものがありました。

おかげで、今でも足腰は丈夫、歯も全部あって
魚は骨ごと食べたりします。

しかも元気にほがらかに一人暮らしで頑張ってくれています。

私は、お袋(亡くなって10年)似でありますが、
「プラス思考だけは親父ゆずりだぜ」と言いたいものだなーと
つくづく思います。

2017-10-13

孫と老父と日本刀

 時代の縮尺が変わるって新鮮でおもしろいもんですね〜。たまに孫たちに会うといろいろ気づかされます。


『詩集ノボノボ』より

孫と老父と日本刀

 毎週木曜の午後3時から 私は孫守り当番である

 娘に頼まれていた用事があったので

 孫娘と一緒に えらく久しぶりに 

 二階の子供部屋へ入る

・・・・・・・・

 小5の孫ユウキと小2の孫娘ナオ

 まだまだ幼い二人なので

 今のところ 部屋の間仕切りは外されている

 ナオの部屋は 何から何までピンク色

 床続きのユウキの部屋は好対照

 五月の節句からそのまんま

 武者兜と短刀が でんと鎮座し

 野郎っ子くささを出している

・・・・・・・・

 男の遺伝子ゆえなのか 

 私は思わず短刀を抜いてみた

 と、思ったが抜けない刀だった

 子供用の飾り物だもの 当たり前だよな〜

・・・・・・・・

 ナオがすぐに寄ってきて 私に言う

 「じいちゃん ユウキね 本物の刀ほしいんだって

 それでね ユウキがね お母さんに言うの

 小牛田のおじいさんからもらってきてほしいって」

 私は一瞬なんのことかわからなかった

・・・・・・・・

 しばらくして なんとなくわかった

 戦国武将にえらく凝っている小5のユウキ

 きっとこう思ったのに違いない

 92歳の老父は まるで古武士のようだ

 骨董品だらけのあの家になら

 きっとどこかに本物の刀があるはずと

 私は思わず笑ってしまった

・・・・・・・・

 母親はびっくりして

 「何言ってるの、そんなもの置いたら呪われるよ!」

 と言ってたと、ナオが語る

 たしかに物騒で、戦国武将好きも困ったもんだと私も思う

・・・・・・・・

 さて時代というのは 人によって縮尺がマチマチのようだ

 ユウキから見ると 江戸時代はついこの前なのかもしれない

 もしかしたら 私は明治時代を知っているかもとか?

 Audibleで「吾輩は猫である」を聴いてたら

 これまたナオが教えてくれる

 「ユウキが授業でそれ習っているよ」

・・・・・・・・

 私はふと 心の中で苦笑した

 もしかしたら。。。 

 ユウキは私にこう尋ねるのでは

 「じいちゃん、夏目漱石と会ったことある?」

 時代の縮尺が変わるって

 実に新鮮で おもしろいもんだな〜〜〜

・・・・・・・・

 と、妄想していたら 

 「ただいまー」と ユウキがそろばん塾から帰ってきた

 私の当番時間終了である

 →ノボ村長の「詩集ノボノボ」

2016-11-15

ボケはモルヒネ

 まったく関係なさそうで実は似たようなことが発生したここ数日です。


『詩集ノボノボ』より

ボケはモルヒネ

 最近悟ったことがある

 ボケはきっと モルヒネにちがいない

 水木しげるさんは 最晩年に語っていた

 「ボケも手伝って至福の状態にあります」と

・・・・・・・・

 さて 日々モルヒネの効き目が強まるわが老父

 家族は看護師のようなもの

 本人の能天気とはうらはらに

 些細なことに 日々翻弄されている

 今日も今日とて郵便局へ

・・・・・・・・
 
 雲間に一瞬 日が射すように

 突然 モルヒネが何かを見せるらしい

 ようやく通帳印鑑預かって

 オレオレ詐欺やら 紛失やらの心配を

 なくしたはずと 安心していた郵便貯金

 なんと 知らぬ間に

 印鑑変更 通帳再発行をやらかしていた

 郵便局はすぐ隣

 局員さんも 本人には逆らえない

・・・・・・・・

 お金や食い物に苦労した世代だから

 きっと 執着が強いのだろう

 所詮老父の金なので

 なくそうがどうしようが あきらめよう

 と思おうとしても やはり割り切れない

・・・・・・・・

 一晩 悶々としたあげく

 今朝 父に顛末を聞いてみた

 ところが本人は もう何のことやら

 チンプンカンプン

 これ幸いと 父をつれて再々発行手続きをした

 ヤレヤレ。。。

 雲がかかっている間は いいのだけれど

 一瞬の日射しが これからも不安だな〜

・・・・・・・・

 類は類を呼んでしまうのか

 見ていた録画は「レインマン」

 ダスティン・ホフマンとトムクルーズに

 老父とわが身が 少し重なった

・・・・・・・・

 さらに会社では

 大手プロバイダーから 突然お詫びのメール

 法人カードの情報がダダ漏れになりました。

 スミマセンと。

 (それで終わりかい!)

 いやはや。。。

・・・・・・・・

 ということで 愚痴はいったん終わりだが

 実家の周りは ほんとに長生きばっかしだ

 92歳の老父だが ここじゃまだまだ大関クラス

 96,7歳の現役は このへんにざらにいる

・・・・・・・・

 先日はたまげたな〜

 郵便局にしゃんしゃんと 歩いてきたばあさん

 私に向かってなつかしそうに

 「あら、ノボちゃん、元気すか?」

 (えっ、そりゃ逆だろう!)

 たしかこのばあさんは 96歳くらい

 たいしたもんだな〜 この世代は。

・・・・・・・・

 最近はこう思う

 天は 長生きのご褒美に

 モルヒネを与えてくれるんだと

 長生きすればするほど 死ぬのが楽になる

 と何かで読んだが きっとこれだな

 ボケは悲しいことに見えるけど

 本人には天国だ ということに

 今さらながら 気づかせられた

 今日この頃の私です


 →ノボ村長の「詩集ノボノボ」

2015-03-26

父と一緒に定義へドライブ

 きのうは会社を休んで父と一緒に定義へドライブしてきました。昨年末車をようやく手放してくれた父の運転手をつとめています。

 ドライブがとても好きな90歳の父を乗せて、今年初の「定義如来(じょうぎにょらい)」参りをしてきました。

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 初期?認知症の父から車を取り上げるのは実に至難のことでした。

 昨年夏から約半年かけて計画し、東京に住む姉と共謀してようやく老父から愛車を引き離したのは昨年12月でした。

 西部のカウボーイが愛馬を手放すようなものでした。

 私たち家族もこのプロジェクトでとても神経がまいりましたが、なんとか老父に危険な自動車運転をあきらめてもらうことができました。

 先日、仕事関係の集まりで同年齢の父を持つ方と話したんですが、そちらも同じ事情。

 私たちとは違った謀略でなんとか免許証を返上させたということを聞き、二人で深くうなずき合いました。

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 愛馬ならぬ愛車を手放したのはいいが、老カウボーイはやはりストレスに襲われます。

 そこで息子としては、たまに(愛犬の散歩のごとく)一人暮らしの老父をドライブに連れ出して気分転換させねばなりません。

 行き先はこれまた父の好物じゃなかった、父のお気に入りスポットである仙台市は西のはずれにある古刹「定義如来西方寺」です。

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 以前、父はこの「定義如来」へ毎月お参りしていました。

 このブログでも、ここへの旅行記を何回か書きました。

 今日もお気に入りの「かなちゃん」とツーショットでご機嫌です!

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 少し遠くへドライブに連れて行くたび父は嬉しそうにこう言います

 「あ〜〜、自然を見ると気持ちが晴れるな〜」

 実際、いつもドライブ後3,4日は上機嫌です。

 単純でほんとうにありがたいな〜と思います。

 道中、具体化してきた「自然派シェアオフィス」のことなどを話すと、ドライブで頭がシャッキとするせいか、とても好意的な感想を語ってくれます。

 そういえば、学生時代から様々な冒険をやらかし、社会に出てからも様々な職種を遍歴した私を、責めることなくそのつど認めてくれたっけな〜と思い出しました。

 父は学校の先生でしたが、私にとって一番いい先生だったんだな〜と気づいた次第です。

 ま〜こんなふうにして、日々ご飯を作ってあげたり、ドライブに連れて行ったりするのは、私にとって不自由なことが多いにしても実に幸せなことだと思いました。

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 帰り道では、ど田舎にあるカフェレストラン「レーチェ・マリア」でコーヒーとケーキを食べました。

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 胃がんで胃袋がなくなり、大腸がんで大腸が30センチもなくなったのに、この歳になっても毎日変わらぬ父の食欲にたまげてしまいます。
 
 水木しげるさんもそうですが、父の年代の方々のしぶとさ、生への執念には敬服してしまいます。

 水木しげるさんはニューギニアで生死をさまよいましたが、父は北朝鮮出征とシベリア抑留でやはり生死の境を経験しました。

 どちらも楽天的な性格のようですが、その生命力と(秘めたる)精神力は半端ではありません。

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 最近は父の認知症も少し良くなってきたような気がします。

 介護「要支援」レベルに認定されたので、昨年末から若い(といっても三、四十代)の介護ヘルパーさんが週二回一時間ほどきてくれるようになりました。

 私たちの他に買い物や掃除を手伝ってくれているんですが、どうもその影響もあるようです。(若いエキスを無意識に吸い取ったのかもしれません)

・・・・・・・・

 そんな父の脳みそを活性化させようと、車中、四方山話をあれこれ仕掛けます。

 政治の話になると、最近のニュースや新聞を見て感じるところがあるのか、つぶやくようにこう言いました。

 「昔にかえるようだな。。。」

2015-02-25

「戦う」と「闘う」はどう違う

 「戦う」と「闘う」はどちらも同じ読みです。しかし意味は大きく異なります。漢和辞典にはこう書いてありました。

 「戦う」:戦争や試合など具体的な争いの場合

 「闘う」:目に見えないもの、抽象的なものとの争いの場合

 例は、「優勝候補と戦う」「病気と闘う」などです。

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(興味深い書名をネットで見つけました。→本の紹介はこちら

 三年前の二月に私はこんなブログを書きました。

 今、もういちど考えてみなくては。。。。

ノボ・アーカイブス

「戦う」と「闘う

 なぜこんなブログを書こうとしたのかといえば、昨日の個人的な体験からです。

 昨日、88歳(※2012年当時)になる父がちょっとした手術をしました。

 おかげさまでうまくいき、ほっとしたところなんですが、あれこれ感じたことがあります。

 あらかじめ問診表に過去の病歴などを書くのですが、父は歳のせいで日々薄れゆく記憶力。。。

 私が、自分の記憶と、父にあれこれ聞きながら記載しました。

 書ききれないほどの病歴。。。

 成人してからだけでも、シベリアでの狭心症、帰国してからの虫垂炎、3年入院した肺結核、胃がん、メニエル氏症候群、大腸がん、2度の膀胱がん・・・

 それでも、それぞれの病気が回復すると元気になって、今でも歯は全部自分の歯だし、毎日里山歩きを1時間するほどの丈夫な足腰です。

 昨日、父の手術前に服を脱がせて久しぶりに体を見れば、戦争では甲種合格となったほどの立派な体格もすっかり縮み、腹には刀傷ならぬ手術の痕がめだつだけです。。。

 あ〜父の人生とは、「病気との闘い」であったんだな。と、そんな感慨に一瞬ふけりました。

・・・・・・・・・

 私たちは「たたかう」といえば「戦う」だけを想像しがちです。

 政治も映画も恋愛も決めゼリフはこんな言葉です。しかも必ず「守る」がつきものです。

 「国を守るために戦う」「家族を守るために戦う」「君を守るために戦う」

 人はこんな言葉が大好きで、戦い合うどちらも同じことを言いながら殺し合いをはじめます。

 必ず一かゼロかのデスマッチです。

 言葉の勇壮感とは裏腹に、本当の暴力とは実に醜悪なものです。

・・・・・・・・・

 さて、ほんとうに大事な「たたかう」はどっちなのでしょう。

 「戦う」よりも「闘う」のほうが私は大事だと思っています。

 人はだれでもみな「闘っている」のです。

 「病気と闘う」「貧苦と闘う」「理想に向かって闘う」「弱点と闘う」「自分自身と闘う」・・・

 相手を打ち負かすことが目的である「戦う」とは異なり、「闘う」は相対的なものではありません。

 「闘う」は、自分自身が成長することにつながります。

 私には、「闘う」という言葉が、「謙虚」という言葉と大変近しいものに思えます。

・・・・・・・・・

 今の社会に私はこう言いたいと思っているんです。

 私たちは戦争なんかしている暇はない。

 それぞれの「闘い」で精一杯のはずだから。

 もし「戦い」という言葉にあこがれる人がいたらその人を私はこう思います。

 あなたは自分のなすべき「闘い」を見ないふりしたい人に違いない。

 大言壮語が得意だったり、好戦的な言動や行動をする人、それは臆病の裏返しであることにそろそろ私たちは気づかねばなりません。

 「戦う」とは相対的競争のことです。

 こんな能力ばかり上げていこうとしたら、人は自分自身を見つめなおすことができる「闘う」能力をますますなくしてしまうことでしょう。

 教育とは、競争力を上げる「戦う力」より、人を高める「闘う力」を与えることのほうが重要なはずです。

 「戦え!」という単純な言葉しか心に響かない、単純なことしか理解できない、私たちがもしそんな大人だとしたら、私たちの子供や孫がどうなるか、とても怖いことです。

(2012.2.28)

2015-02-24

坂本冬美さんの「岸壁の母」

 坂本冬美さんのコンサートを録画で見ました。彼女が歌うというか語る「岸壁の母」から目と耳をそむけることができませんでした。

 それほどの熱唱でした。

 とてつもなく心が入ってました。

 恩師である二葉百合子さんから受け継いで歌っているのだそうです。

 そしてはっきりと「厭戦」の気持ちを語り、歌い始めたのでした。

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・・・・・・・・

 この歌は切実です。

 なにせ私にとって身近な人々のノンフィクションです。

 私の老父も、すでに亡くなった女房の父、幼なじみの父、高校同級生の父もみな、シベリアから舞鶴港に帰ってきたのです。

・・・・・・・・

 実際に戦争に征ったのは、もう90歳以上の方しかおりません。

 もういちど私たちの父が生きた時代を想像してみなければと思います。

 勇ましき言葉を一旦とめて、もういちど一兵卒であった父たちの悲惨、家族の痛み、悲しみ、絶望を追体験してみなければと思います。

 そこから再び紡がれる言葉や思想は、いったいどんなものになるでしょうか。

 言葉が出発すべき地点は「始まる前」ではなく「終わった後」にあると私は思うのです。

・・・・・・・・

 思っていたとおりの不安が急速に現実になっていくことにびっくりする今日この頃です。

 為政者が「征かす側」であった祖父の思いを受け継ぐように、

 私たちも「征かされる側」であった父の思いを受け継いでいかなくてはと切に思います。


 とてもつらいのですが、このような「厭戦」のブログを書かなければという義務感を、最近痛切に感じるのです。

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(香月泰男 かづきやすお シベリア・シリーズ「点呼」)

ノボ・アーカイブス

『詩集ノボノボ』より

いくさの話

 もう何百回 聞いたことだろう

 父の戦争体験記 シベリア抑留記

 そして帰国後のあれこれ とまどいを


 終戦の前の年 学徒動員やらで

 貨車に 貨物船に 家畜のように積みこまれ

 博多へ そして北朝鮮へと送りつけられた 

 二十歳の初年兵 父

 ロシア軍機 機銃掃射の音 逃げまどう父

 凍ったシベリアで 銃殺される 

 仲間だった 脱走兵


 あまりのひもじさに

 毒セリと知らずに食べて

 もがき死ぬ 捕虜仲間 


 四年後 帰されて 教員となり

 社会科を教えろと言われても

 天皇陛下万歳から

 民主主義の世の中へ 変化が強すぎて

 シベリア帰りじゃ 追いつかない


 そのうちに結核になってしまった

 戦争 シベリア 病棟

 これだけが 父の青春

 生きて帰れただけ 幸せではあったが


 だからかな〜 

 私は とても拒絶反応が強い

 「正義のために戦う」という言葉


 だいたい 変なことだらけ

 どこの国でも いつの時代でも

 「戦え」という人は 「戦えない」老人だけだ

 「戦う」人は 何も言わない

 臆病者と言われたくないしな〜

 そして 死んでいく


 変なことの きわめつけ

 「戦う」に 「負け」は入っていない

 これって 当たり前だろうか?

 半分の確率で

 どちらかは 必ず「負け」のはず


 「いくさ」を肯定する人は

 とっても 無責任じゃないかな〜

 負けたらどうなるかって

 とどの最初から 考えに入れてない


 いっそ こうなればいい

 戦士の年齢は 五十歳以上

 自称愛国者から 前線へ

 女性の愛国者も 前線へ

 もちろん もうあがった人だけ

(2012.10.31)

 →ノボ村長の「詩集ノボノボ」

2014-12-10

人間もアンドロイドも同類だな〜

 高齢の父が夜中タンスにぶつかり脇腹を打撲したので湿布薬を買ってきました。そこで少し悲しいお笑い話が生まれました。

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(映画「ロボジー」より)

『詩集ノボノボ』より

人間もアンドロイドも同類だな〜

 私は現在、股関節の障害で自宅療養中。。。

 具合の悪いことは重なるようで

 数日前に 高齢の父がタンスに衝突

 脇腹を強く打撲した

 なので(私が)整骨院に行った帰り

 父の湿布薬を買ってきた

・・・・・・・

 さらにその日は孫娘まで耳下腺炎

 看護婦役の女房と孫娘

 それに折良く帰省していた東京の姉

 私を含めて4人が一人暮らしの父宅に集まった

・・・・・・・・

 さっそく父に湿布薬を貼ってやった

 脚がヒドイ状態の私が買ってきたことが

 とても印象に残ったのか

 父は姉にこう話したらしい

 「信雄も大変だ

 脚が悪いのに、『薬』を毎日売リ歩いている

 このご時世、どれだけ売れることやら。。。」


・・・・・・・・

 翌日電話で姉は笑いをこらえながら

 この話を私に聞かせた

 最初苦笑した私だが

 「おもしろうて やがて悲しき 老父の妄想」

 という心境におちいった

 認知症がだんだん進んできたなーと

・・・・・・・・

 さてあれこれ認知症を考えていたら

 どうも人間はロボットとそっくりだな〜

 と、私も妄想にとりつかれた

 ロボットじゃ機械的すぎるから

 アンドロイドとそっくりだな〜、か

・・・・・・・・

 人間の素子は 細胞という有機物

 アンドロイドの素子は シリコンという無機物

 違いはあれども 動く原理は大体いっしょ

 どういうわけか 劣化の仕方さえそっくりだ

・・・・・・・・

 アンドロイドの脳みそは 

 コンピュータという人工知能だ

 記憶装置のハードディスクは

 古い記憶でいっぱいになると

 新しい記憶はもう入らない

 直前記憶のメモリーは 

 リセットしないと劣化して

 今今の記憶を保持できない

・・・・・・・・

 アンドロイドも人間も

 それでもなんとか生きていけるのは

 ソフトウェアがあるからだ

 ハヤブサがギリギリのリソースで

 大宇宙から戻ってきたように

・・・・・・・・

 ソフトウェアは三階層

 人間の本能は「バイオス」だ

 人間としてのふるまいは「OS」だ

 そして計算や問題処理が「アプリケーション」だ

 認知症とは「アプリケーション」が

 メモリー不足でハングするようなもの

・・・・・・・・

 お年寄りは 年を経た旧世代のパソコンだ

 若い連中は ハイスペックの最新マシンだ

 図形描画が今は1秒 昔は一昼夜

 そういう新旧世代のパソコンが

 並存している世界が人間社会

・・・・・・・・

 いみじくも コンピュータの祖ノイマンは

 現代コンピューターの原理を生殖にたとえた

 それは「オートマトンと自己増殖」という論文

 オートマトンとは 人工知能のことだ

 コンピューターは自己増殖をしていける

 つまり 人のように出産できるのだ、と

・・・・・・・・

 認知症から飛躍したが

 未来の人類は きっとハイブリッド化するだろう

 何億年、何十億年という時間をかけて

 自然は「生物」という自己増殖機能を生み出した

 それは果てしなき変容の歴史

 人間は「コンピュータ」という自己増殖機能を生み出した

 つまり「人」と「アンドロイド」とは

 自己増殖機能どうし とても近しいのだ

・・・・・・・・

 さて 第二のノイマンはいつ現れることだろう

 人間アンドロイド化の世界なら

 痛みも不自由も 今より少なくなるに違いない

 だけど。。。

 かなり引いてしまうな〜

 たぶん 私の生きる時代には実現しない

 かえってホッとするのはなぜだろう?

 →ノボ村長の「詩集ノボノボ」

2014-11-13

シルバーズ雨の平泉

 いつものシルバーズで平泉へ行ってきました。あいにくの雨でしたが、かえって古刹らしい幽玄な情緒が感じられました。

 わが川嶋家のルーツは奥州「平泉」なのだそうです。

 来月卒寿を迎える父が、30年ほど前にルーツ探しをして知ったそうです。

 その父が久しぶりに行ってみたいというので、いつもの元同僚女先生2名と運転手の私、計4名で昨日行ってきました。

・・・・・・・・

 前日の天気予報では夕方から雨ということだったんですが、午前10時頃からもう本降り。。。

 白鳥の飛来地「伊豆沼」に寄ってから、一路世界遺産平泉は毛越寺(もうつうじ)へと向かいました。

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 華やかな紅葉は見ることができませんでしたが、雨もやにけぶる古刹や老木、池や庭園は、かえって幽玄なジャパネスクの風情でした。

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 時おり強く降る雨の中、しばし以前来た時のことを思い出すシルバーズです。

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 宝物館にも入ってみました。

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 毛越寺から車で10分くらい、次は有名な「中尊寺」です。

 まずは駐車場にあるそば屋さんで昼ご飯。

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 毎年、「能」の関係でここを訪れるきえこ先生の案内で近道を行きます。

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 昨日は雨で傘の始末が面倒くさいせいもあり、何度も見た「金色堂(こんじきどう)」見学はパスしました。

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 菊祭りもしていました。

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 帰りは偶然全員46年ぶりとなる「猊鼻渓(げいびけい)」に行ってみました。

 天気が良ければけっこうな数の観光客がこの渓流を船下りするのですが、この日はあいにくの天気で来たのは私たちだけのようです。

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 私は中学生の時ここに来たことがありますが、ボートに乗ったはいいが櫂の扱いが不慣れで、あやうく小さな滝に落ちそうになったことを今更のように思いだし、ゾクッとしました。

・・・・・・・

 シルバーズ、来月は父の卒寿祝い旅行をしようということになりました。

 認知症が少しづつ進んできて、毎日心配が絶えない父ですが、シルバーズの旅行に行った後の数日はとても元気になり嬉しいことです。

 女先生たち、「つきあってくれてサンキュ♪」です!

・・・・・・・・

 <シルバーズ旅行記>
  シルバーズ紅葉の「蔵王」へ
  ザ・シルバーズ出羽三山へ
  ザ・シルバーズ定義如来へ
  →シルバーズ今年も紅葉へ
  →ザ・シルバーズ鮎川へ
  →ザ・シルバーズ栗駒山へ

2014-10-08

シルバーズ紅葉の「蔵王」へ

 台風一過、とんでもない快晴になった昨日、いつもの80歳以上90間近のザ・シルバーズを乗せて「お釜」で有名な蔵王へ行って来ました。

 御嶽山の噴火はとても痛ましいことでした。。。

 宮城と山形の県境にある最大標高1841メートルの蔵王連峰も活火山です。

 大きな噴火による災害の後でしたのでいくらか気が引けました。

 ですが、かねてより予定していた行事でしたし、天候も上々でしたので出発しました。

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 12月で90歳になる父、80代の元同僚女先生お二人、そして61歳というヤングの私、いつものザ・シルバーズです。

 車中できえ子先生が言います。

 「國雄先生は晴れ男ですね〜。いつも晴れますよね」

 そういえばこのシルバーズの旅行では一度も雨は降りませんでした。

 こんな小さな褒め言葉でも父には嬉しかったようです。

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 さて、高速道路の菅生(すごう)パーキングエリアで休憩。

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 さっそく女先生の手作り料理が振る舞われます。

 今日は「イチジクの甘露煮」と「こなす漬け」

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 どちらもご自分の畑で採れたもので、味付けにも独特の工夫があります。
 
 たとえばイチジクの甘露煮では、できあがる少し前に醤油を足すらしいんです。

 少し焦げめがついたものもありますが、かえって黒糖のような味となって美味しいものでした。

 みんなでバクバク食べました。

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 川崎インターから青根温泉、そして蔵王エコーラインへと進みます。

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 途中「滝見台」という名所があり、遠くに見える大滝二つを鑑賞します。

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 エコーラインは中腹まで木々はまだ緑一色です。

 ところ山頂付近では、うってかわってもう紅葉の盛りでした。

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 さて、お釜に到着。

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 下界は気温20度ですが、ここは気温9度。風も冷たい。

 とも子先生は手袋までしてまるで冬支度です。

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 どんどん一人で進む父に、「その辺でやめっぺし」と声を掛ける私たち。

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 父は昔このお釜の水で顔を洗ったらしい。

 その後ろ姿を見ながら「まだまだ青年のおもかげあるっちゃね〜」と女先生が言います。

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 紅葉は栗駒山や船形山のほうがきれいに感じますが、蔵王はそれらの山よりも一回りスケールが大きく男性的な魅力があります。

 さてお釜付近にある避難小屋兼休憩所で昼食です。

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 甘酒と焼きおにぎりです。

 冷たい風でかじかんだ手と身体に、売店で買った熱〜い甘酒は何よりでした。

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 帰りは「賽の河原」で活火山蔵王の荒涼とした断崖絶壁を見学。

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 この展望台の足もとは数百メートルの断崖です。

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 お尻のあたりがザワザワとしてきて数分も立っていられませんでした。

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 噴火した際に飛ばされた溶岩があちこちに散らばり、御嶽山の噴火ではこんな大きい石が降ってきたのかと思うと、息が詰まりそうでした。

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 小さな子供も犠牲になり何ともつらい思いです。

 なんとか噴火を予測して入山ストップできなかったものか、と皆で語り合いました。。。

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 蔵王は下りの眺望がすばらしいです。宮城県側は太平洋まで見えます。

 ギアをセカンドに入れエンジンブレーキを掛けっぱなしで長い下り坂を走ります。

 帰りは遠刈田温泉の方へ行き、蔵王チーズ工場、売店によりました。

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 ここの「蔵王クリームチーズ」は絶品です。

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 再び青根に戻り川崎インターから帰りの道へ。

 鶴巣サービスエリアで休憩。

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 蔵王チーズの売店でもあんなに食べてきたのに女先生たちの食欲は衰えません。

 今度は分厚い笹かまぼこを渡されましたが、おいしそうにほおばる女先生とは反対に父と私はお土産にさせていただきました。

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 道中、女先生方との尽きぬ話を今回も愉しませていただきましたが、印象に残る話がありました。

 きえ子先生が特殊学級を受け持っていたときの話でしたが、

 「とても学ばせてもらったんですよ。普通、先生は生徒を従えさせる立場なんだけど、この子たちの場合は先生が生徒に従う立場になるんですから」

 そして数十年以上も前の、とても手のかかった生徒たちのことを愛情込めて話すのでした。

 女先生同士、同じ子供のことをよ〜く覚えていてその子の家庭のことや大人になってからのあれこれを思い出深く話すのでした。

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 最高の天気に恵まれた蔵王旅行、日頃することもなく鬱屈気味かつ少々ボケ気味の父もとてもリラックスして喜んでくれたようです。

 帰りの車内で、来月は平泉方面に行こうと父が提案しました。

 それは、どうやらわが家のルーツが平泉にあるとのことなので、久しぶりに行ってみたいのでしょう。

 さっそく女先生が快諾します。

 「その頃『餅祭り』があるはずだから食べてきましょう」と。

2014-08-06

ザ・シルバーズ出羽三山へ

 昨日は真夏の真っ盛り、いつものシルバーズで山形県は出羽三山の羽黒山へ行ってきました。

 先月二週間ほど入院した父ですが、出羽三山へ行きたいと言います。

 父の体調もだいぶ戻ったので、気分転換にいいかな〜と行くことにしました。

 さらにいつもの元同僚女先生二人も誘って行こうといいます。
 
 暑いので断られるかと思いきや、数日前電話したら、みんな大喜び。

 89+86+83+61歳=319歳、平均年齢80歳の4人ユニット「ザ・シルバーズ」。

 朝9時新庄経由で出羽三山へ、往復三〇〇キロの自動車旅行へ出発しました。

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 1時間走り、大崎市岩出山「あら伊達な道の駅」で小休止です。

 いつものとおり女性ホステスさんたちが美味しいものを準備してきてくれました。

 特製アイスコーヒー、メンコチャンゼリーを凍らせたもの、仙台駄菓子・・・

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 さらに1時間半ほど走った最上(もがみ)町の「ヤナ茶屋最上」で二回目の休憩。

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 ここで食べたあゆの塩焼きが絶品!

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 皆で旅の最後まで「旨かったね〜」と語り合いました。

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 今日は今までのシルバーズツアーでは最長距離です。

 羽黒山へあと10キロくらいの距離になってきたら、急にヒンヤリ清々しい気持ちになってきました。

 皆もそう言います。気のせいではありません。

 やはり山岳宗教修験道のメッカ出羽三山の霊気は普通ではありません。

 (霊気が冷気となって。。。な〜んて)

 午後1時20分、目的地の出羽三山は羽黒山へと着きました。

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 樹齢千年もの杉の木立をしばらく歩きます。

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 途中社殿かと見間違うほどおおきい「出羽三山歴史博物館」の前を通ります。

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 ここでトイレを借りたのですが、トイレはこの建物の真後ろ。

 そこにいたのは、なんと巨大なナメクジ?でした。

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 ようやく社殿へ到着。まずは手と口を清めて。

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 山伏のメッカ、羽黒山はさすがにおおきく風格があります。

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 山伏修行のごとき急な階段を上がって社殿へ参拝。

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 十円玉2枚と五円玉1枚を「いつもニコニコ暮らせますように」とお賽銭箱へ投げ入れます。

 私は「父が早く車の運転をあきらめるように」とお祈りしました。

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 ようやくお昼ご飯。

 お店ごとに軒先にお茶を用意しての客引き合戦。

 入ったお店で食べたのは「麦切り(うどん)」

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 おみやげは羽黒山特製「香りの良い線香」でした。

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 帰りもいつものように楽しく話しながら夕方六時に帰ってきました。

 (といっても難聴の父はほとんど景色鑑賞専門でしたが)

 晩飯は、ふるさとの町にある「南部家敷」という和風レストランで、女性陣からうな丼をごちそうになりました。

 ドライバーの私は皆からとても感謝され、恐縮の一語でした。

 やはりお年寄りには(いや誰にも)気分転換や親しい友人との交流が大事だな、と感じました。

 父に付き合ってくれる元同僚先生方にこそ、こちらこそ「付き合ってくれてサンキュ♪」です。

 来月は北上高原に行こうかなんて皆で語り合い、今回のシルバーズツアーは終了です。

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参考
 ザ・シルバーズ定義如来へ
 →シルバーズ今年も紅葉へ
 →ザ・シルバーズ鮎川へ
 →ザ・シルバーズ栗駒山へ

2014-07-23

年寄りの話は終わらない

 年寄りどうしって延々と対話が続けられるんですね〜。それもそのはず同じ話が何度も何度もですから。。。

 週末、お昼ご飯の用意をしようと(ひとり暮らしの)父のところに寄りました。

 玄関に入るとなにやらドデカイ女性の声がします。

 近所に住むこれまたひとり暮らしのおばあさんが来ていました。

 父は89歳、このおばあさんは87歳です。

 母が生きていた頃、よく遊びに来ていた方でした。

 父がしばらく入院していたので、家のシャッターが閉まりっぱなしだったことを心配してくれていたようです。

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 私も混じって三人で会話しましたが、いや〜まいった、まいった!です。

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 このおばあさん、とても元気な声で1時間喋りっぱなしでしたが、その内容はつぎの6種類だけでした。

 1.明日、明後日と親戚の法事があって、義理付き合いも大変だ。

 2.娘が一緒に住もうと言ってくれるが、ひとりは東京、ひとりは遠野、とても行きたくない。

 3.毎夕、数キロ離れたもと居た地区から友人がいろんなおかずを持ってきてくれる。

 4.白内障だが手術はいやなので、友人の目薬をさしている。

 5.自転車で買い物もしんどい。

 6.3年前腎臓で7ヶ月入院した。生きて戻れて嬉しい。


 このネタだけで60分喋ったわけですから、一話1分とすれば同じ話が10回くらいあった計算です。

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 わが父の難聴(&うすらボケ)でさらにお笑い話が続きます。

 そろそろ帰るから、というころ父からこんな質問が。

 10回くらい明日明後日法事に行くという話をしているのに、

 「ところで明日どこにいくのっさ?」

 さらに白内障の話を延々としていたのに、

 「目悪いのすか?」

 なるほど、これなら一日中会話していられます。

 私も毎日父から同じ話をされ、ノイローゼ気味であります。

 年寄りどうしならその心配はなくていいなと、天の配剤?に感心というところです。

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 昼ご飯は父に言われ、近くにあるこれまた老舗の食堂から出前を取ることにしました。

 このおばあさんに昼ご飯とるから一緒に食べましょうと誘いましたが、頑固にことわります。

 それで父の「天ぷらうどん」と私の「冷やし中華」のふたつだけ出前を頼みました。

 出前を頼んだ食堂も、作っているのは80過ぎのばあさんです。

 しばらくして出前が来ました。(配達は息子さん)

 そうしたら、おばあさんこう言うではありませんか。

 「私の分まで取ってくれなくてもよかったのに、どうすっぺや」

 (あれれ。。。)

 つい、私はこう言いました。

 「久しぶりなんだし、せっかく取ったんだから親父と一緒にゆっくり食べていって」

 「私は仕事あって、すぐ出なくちゃなんないから」


 そして気を回されないうちにと、慌てて父の家を出てきました。

 ヤレヤレ。。。

 やっとネバーエンディングストーリーから解放されました。

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(先日退院した日に寄った父の散歩道「いこいの森」)
 

2014-07-10

病院であれこれ物思い

 89歳になる父が急な腹痛、腰痛で緊急入院したのは土曜日の朝でした。昨日から回復に向かいやれやれでした。

 入院したのはわが町にある公立の(小さめな)総合病院です。

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(この病院の売店は町にある授産施設が運営しています)

 病人には申し訳ないが、私もえらく疲れました。。。

 土曜も日曜も休日ゆえ、入院とはいっても点滴と痛み止めの応急処置だけ。

 痛みもあまり引かず、今度は発熱し、背中をマッサージしたりで、付き添いの私もだいぶ疲れてしまいました。

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 入院三日目の月曜日、ようやくCTやら何やらの検査が始まりましたが、結果はまだ教えてもらえず。

 翌四日目はMRI検査、ようやくこの日の夕方正式な病名を教えてもらいました。

 「癒着性腸閉塞」でした。

 思わず「良かった!」と思いました。

 なにせ父は病気のデパートみたいな人でした。

 がんの手術だけでも胃、大腸、膀胱で累計4回、そのほか小さい頃は盲腸、肋膜炎、シベリア抑留時代は狭心症、帰国後は結核、50代にはメニエル氏症候群。

 きっと今度も回復が困難な病気じゃないかと不安に思っていたからです。

 予想していたあれこれの病気に比べれば「腸閉塞」なんて「風邪」みたいなものと思えたのでした。

 MRIでは骨の検査をしたのですが、こちらは申し分なしの品質だそうです。

 (多少弱い方がいい歳頃というのもあるわけで。。。)

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 おかげさまで入院4日目から快方に向かい、食事もできるようになりました。

 女房のほうは孫がまた高熱を出したりで看病に忙しく、夫婦で介護事業をしているようなものです。

 若い頃はすぐに体力も回復したものですが、61歳にもなると(人によって差があるでしょうが)心配事が重なると疲れが日々大きくなっていきます。

 夫婦で疲れて、いがみ合いをするような日が多くなってきました。

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 父は身体は良くなってきましたが、その反動で「万能感」みたいな気分が生じ、また無茶をしそうで心配です。

 無茶というのは「自動車の運転」です。これが今、私の一番の悩みの種です。

 なにせ若い頃から趣味が「ドライブ」で、ここ二十年は10キロほど離れた森に車で行き、散歩をするのが唯一の楽しみなのです。

 ですから、いくら言っても車を手放しません。

 おだやかな反面、気丈でもあり、一人で生活することをなんともしません。

 父も同世代の(故)小野田寛郎さんと通じるところがあります。

 下着は猿股、腹巻き、ステテコ、(一体何十年はいているのやら。。。)生活スタイルは昭和のまんまです。

 しかし最近少しづつ認知症気味になり心配でしょうがありません。

 信頼関係を築かねば言うことを聞いてもらえないと思い、毎夕私が食事を作っています。もう3年になります。

 たまには遠出のドライブにも連れて行ったりしています。

 人身事故など起こす前になんとか、認知症気味の高齢者の免許を許可しない法制度ができないかと強く思っています。

 同じような状況にある同世代の友人もいて、二人で悩みを語り合いますが具体的にはなにもなく。。。

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(数年前、鮎川からの帰り道「太平洋」を眺める父)

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 さて、愚痴話からガラリと変わって、土曜日の朝、救急待合室で痛む父と二人で待っていたとき、突然地震が起こりました。

 思わず不安が!

 「地震が強くて診てもらえなくなったら、この痛みどうしたらいいのだろう」

 そしてあの3.11の日、病院のとてつもない状況を一瞬にして想像させられたのでした。

 人は同じような状況に遭遇しない限り、決してその現実を想像できはしないことを思い知りました。

 地震が大したことなく過ぎたとき、心からの安堵を覚えました。

 さらにもし戦争が起きたとしたら、とも想像しました。

 多数の医者や看護師が戦地に動員され、田舎の病院がなきに等しくなったとしたら、今日の父のような場合どうなるんだろうと想像し恐ろしくなりました。

(未経験ゆえ、その想像にも限界があるはずですが。。。)

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 さて入院に付き添っていると実にいろんな「ありがたさ」を感じます。

 親切な看護師さんたち。身体ふきやら、清掃やら次々といろんな方々が病人の世話や病室のメンテをしてくれます。

 こんな至れり尽くせりの病院ってもしかしたら日本だけなのかな〜なんて思ったりします。

 これじゃ健康保険も大赤字なのはしょうがないな〜とも。

 それと看護師さんは患者に親切に対応せざるを得ない職業ですからストレスも強いことでしょう。

 この病院の総務に勤めている長女が、看護婦さんの離婚が多くて忙しい、と話していたのを思い出しました。

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 それと原発事故以来原子力とか放射線には拒絶反応が生じている私ですが、レントゲンやCTがいかに診断に役立つかを見せつけらました。

 原発の是非とはもちろん問題の中身や程度はちがいます。

 しかし、放射線というものの恩恵を受けてきた自分たちについても思いを致さなければ偏った考え方に陥るかもしれません。

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 この町立病院は赤字と、先生や看護婦の確保難で経営が大変厳しいそうです。

 しかし、24時間365日受付してくれるこの病院は住民の宝だと強く感じました。

 病院がすべて都市部に集中することがないよう祈るばかりです。

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 最後になりますが、私はドンパチだけが戦いや闘いではないと思うんです。

 「だれもが常に戦場で闘っている」と思うんです。

 自分の病気との闘い、家族の介護という闘い、あるいは生活との闘い、そんな戦場にだれしもが生きているわけです。

 他の国と戦争なんかする余裕など、もともとあるはずはないのです。

 「誇り」が「ホコリ」だらけになるのを痛みに感じ「戦い」に惹かれる人もいるでしょう。

 しかし「現実の肉体の痛み」「生活の痛み」はそれどころではないはずです。

 ですから私の政治判断は「名誉」とか「成長」とかではなく、「それは戦争により近づくことかどうか」という距離感覚だけが基準です。

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 父も順調に行けばあと一週間くらいで退院できそうです。

 今日は私の愚痴を聞いていただき本当にありがとうございました。

2014-06-13

Uボートの話

 戦争はそれこそ大嫌いです!でもけっこう戦争映画は好きなんです。特に潜水艦ものとかが。

 なんといっても最高は、ウォルフガング・ペーターゼン監督『U・ボート』ですね〜。

 DVDも買い、今までに4回も観ました。

 艦長役がすばらしい!

 音楽も荘重でとてもいいです。

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 それと1957年のアメリカ映画『眼下の敵』ですね〜。

 これもUボートの話です。

 こちらも3回観ました。

 駆逐艦の艦長ロバート・ミッチャムとUボートの艦長クルト・ユルゲンス。

 戦いは相打ちとなり、救助された二人が甲板で交わす心の交流には何か救われた気がしたものです。

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 どちらの映画も艦長役がしびれるほど魅力的でした。

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 十数年前、ロシアのウラジオストクに父や娘たちと一緒に行きました。

 父が3年半抑留されていた地です。

 そこで第二次世界大戦で使われていた本物の潜水艦を見学しました。

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 入ってびっくりしました!

 こんなにも狭いのか。。。

 想像を絶する劣悪な居住環境でした。

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 若い私がこんなのに乗って戦えと言われたら、一週間ぐらいで気が狂っていたことでしょう。

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 Uボートの映画が何度も見るに堪えるのは、戦争の悲惨さ、愚かさ、極限状況における人間の限界みたいなことを感じさせてくれるからでしょう。

 調べてみるとびっくりです。

wikipediaより

 第二次大戦では、1,131隻が建造され、終戦までに商船約3,000隻、空母2隻、戦艦2隻を撃沈する戦果をあげ、引き換えに849隻のUボートの損失を出した。


 なんと75%の死亡率です!

 「潜水艦に乗れ」ということは「必ず死んでこい」と同義に近かったことでしょう。

 二十歳で招集され、シベリアに抑留された父、同じ歳の自分がもしそうだったらと思うと、「正義」とか「誇り」とかう言葉が私には空疎に響きます。

 臆病者と言われるでしょうが、このような想像力も大事なことではないでしょうか?

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 一週間くらい前になりますが、横浜の中学生が修学旅行の長崎で原爆語り部の方を「死にぞこない」と罵倒した、という事件が報じられました。

 私がシベリア帰りの父を罵倒するようなことと同じです。

 このような険しい風潮にどうしてなってしまったのか、実に悲しいことです。。。

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 以前書いた「いくさの話」を思い出しました。

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(香月泰男 かづきやすお シベリア・シリーズ「点呼」)

『詩集ノボノボ』より

いくさの話

 もう何百回 聞いたことだろう

 父の戦争体験記 シベリア抑留記

 そして帰国後のあれこれ とまどいを


 終戦の前の年 学徒動員やらで

 貨車に 貨物船に 家畜のように積みこまれ

 博多へ そして北朝鮮へと送りつけられた 

 二十歳の初年兵 父

 ロシア軍機 機銃掃射の音 逃げまどう父

 凍ったシベリアで 銃殺される 

 仲間だった 脱走兵


 あまりのひもじさに

 毒セリと知らずに食べて

 もがき死ぬ 捕虜仲間 


 四年後 帰されて 教員となり

 社会科を教えろと言われても

 天皇陛下万歳から

 民主主義の世の中へ 変化が強すぎて

 シベリア帰りじゃ 追いつかない


 そのうちに結核になってしまった

 戦争 シベリア 病棟

 これだけが 父の青春

 生きて帰れただけ 幸せではあったが


 だからかな〜 

 私は とても拒絶反応が強い

 「正義のために戦う」という言葉


 だいたい 変なことだらけ

 どこの国でも いつの時代でも

 「戦え」という人は 「戦えない」老人だけだ

 「戦う」人は 何も言わない

 臆病者と言われたくないしな〜

 そして 死んでいく


 変なことの きわめつけ

 「戦う」に 「負け」は入っていない

 これって 当たり前だろうか?

 半分の確率で

 どちらかは 必ず「負け」のはず


 「いくさ」を肯定する人は

 とっても 無責任じゃないかな〜

 負けたらどうなるかって

 とどの最初から 考えに入れてない


 いっそ こうなればいい

 戦士の年齢は 五十歳以上

 自称愛国者から 前線へ

 女性の愛国者も 前線へ

 もちろん もうあがった人だけ


 →「戦う」と「闘う」

 →ノボ村長の「思い出アルバム」

 →ノボ村長の「詩集ノボノボ」

2014-04-18

ザ・シルバーズ定義如来へ

 89+85+83+60歳=317歳、平均年齢79歳の4人ユニット「ザ・シルバーズ」。うららかな春の昨日、宮城県「定義如来」へドライブに行きました。

 今日は遠くに住む娘や親戚へのブログレターです。

 半年ぶりに、父と元同僚女先生たちと私の4人「ザ・シルバーズ」でドライブに行ってきました。

 行き先は宮城県と山形県の県境に近い、平家の武将をまつる寺社「定義如来」です。

 「定義」は「じょうぎ」とよぶのが正式ですが、一般的には「じょうげ」とよばれています。

 正月に父と二人で来て以来、今年二回目の訪問です。
 
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 いつものように元女先生たちは遠足気分。

 車で10分も走った頃、最初のおやつ「最中」が後ろから渡されます。

 多少危険ながらも片手で口に運びながら運転、ところが最中の皮はパラパラとこぼれやすい。。。

 たまらず、路肩に止めて残りを食べました。

 すかさず今度は「ゆで玉子」がやってきます。

 「遠足の時は必ずゆで玉子だったよね〜」とか解説が入ります。

 道中、私のナビゲーターであり、助手をしてもらっている助手席の父が玉子の殻をむいて私によこします。

 やはり路肩に止めてムシャムシャ食べます。

 (あ〜〜、たしかに遠足ではゆで玉子、バナナ、缶ジュース、新聞紙で包んだおむすびだったよな〜)

 休む間もなく「塩まんじゅう」とポットに入れてきたコーヒーがまわってきます。

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 車がほとんど走らない裏道を走りました。
 
 途中休憩は「七北田ダム」

 私の思い出の山「船形山」を遠くにのぞみ、記念撮影をしました。

  →山の優劣

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 それにしても父はいつも同じ服。。。

 いくら新しい服を買ってあげても無駄ですね〜。

 年寄りというのは貧乏な時代に育ったので「よそ行き」はよっぽどでないと着ないのです。

 かくいう私も家族の記念写真を見ると10年前から同じなので、何をか言わんや、というところですが。

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 10時に出発して2時間、ちょうど12時に「定義如来」到着しました。

 平日なのにけっこう参拝客が多いのにはびっくりしました。

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 昼食はいつもの「スナック食堂・マルカン商店」

 おなじみのカナちゃんが今日も元気で働いています。

 父はこの娘に会うのが毎回楽しみのようです。

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 カナちゃんに(特別)お給仕をしてもらい昼食です。

 皆元気の秘訣は「旺盛な食欲」に違いありません。

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 感心するのは、この方々みんな、どんな料理にも必ず「おいしいね」と言うことです。

 食べ物には決して文句を言いません。

 食べ物に不自由した世代であり、その大切さを身にしみて感じて育ったからなのでしょう。

 私も見習わなければと思います。

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 この後境内のお店を見物、買い物して帰路につきました。

 道中、料理好き、食べるのが趣味の女先生にあれこれ料理のお話を聞きながらの運転です。

 一人暮らしの父の食事を支える(永遠の)「試行錯誤料理人」である私にとっては、ありがたき学びの場でもあります。

 (まともなおかずを食べたい父にとってこそありがたいことでしょうが。。。)

 今回のテーマは、どういうわけか「酒粕」の使い方。

 日本古来の発酵食品、とくに「酒粕」は健康にとてもいいと聞いていましたので参考になりました。

 とはいえ、まだまだ「酒」そのものがいいな〜と思う私でした。

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 帰路、今度もナビのルート案内にだまされて、なんと泉が岳のふもとに行ってしまいました!

 この前は別なところへ案内されたので帰路はいつもキツネに化かされるような気がします。

 (単に方向音痴だろう。。。)

 15時30分無事帰宅。

 みんな今度の旅行が楽しみです。

 でも一番楽しみにしているのは、もしかしてドライバーの私かも。

参考
 →シルバーズ今年も紅葉へ
 →ザ・シルバーズ鮎川へ
 →ザ・シルバーズ栗駒山へ

2013-10-31

マトリョーシカの世界

 ロシアの民族人形「マトリョーシカ」はとっても愛らしくまた役に立つ工芸品です。入れ子の出し入れに幼児はとっても興味を示すんです。知能教材になりますね。

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 2001年に私は父と娘二人と四人でロシアのウラジオストクへ観光旅行に行きました。

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(ウラジオストク駅、シベリア鉄道の起点)

 前年、私の母が脳梗塞で亡くなったのですが、父は母(妻)の仏壇に供えようとマトリョーシカを土産に買ってきました。

 それから12年後の先月、わが長女の旦那が、これまた仕事でロシアに行きまして(カバン持ちらしい)、家族にやっぱりマトリョーシカを買ってきました。

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 さて、父にとってウラジオストクは太平洋戦争シベリア抑留の地であり、ここの収容所で三年半もの間、強制労働の日々を送ったわけです。

 ところがそんな苦しかった思い出の地ではあっても、いや逆にそれだからこそなのか、父は生き生きとして、旅行中その当時覚えた片言のロシア語なんかも口に出てきました。

 外のカフェで休んでいた年配のおじさんに「ダバイ、ダバイ」とかいって片言会話をはじめたくらいです。

 びっくりしたのは当時収容所があった場所を指さして示せたことです。

 それだけこの町は変わっていないということでもありますが。

 野菜中心の料理もおいしく、女性はスーパーモデルみたいな方ばっかしで、町自体はりっぱではなかったのですが、とても良い思い出になった旅行でした。

 草だらけの空港、「○○温泉」とか「○○教育員会」とか日本語看板がついたままの中古マイクロバスだらけの道路、コンビニより小さなデパート。。。

 不思議なことに、とても懐かしい思いがしたものです。

 きっと今では街並みも大きく変わったことでしょう。

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 マトリョーシカはとっても愛くるしく、日本で言えば「こけし」のような工芸品というか玩具です。

 婿どののおみやげ「マトリョーシカ」を見ているうちに、その入れ子構造が「何かと似ているな〜」という思いがしてきました。

 びっくりするかもしれませんが、それは「機動戦士ガンダム」です。

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 強力な鋼鉄製の外皮の中に人間が入り、その外皮と一体化している様子がマトリョーシカの入れ子ととても似ている気がしたのです。

 見かけとはまったく関係のない構造上での連想です。

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 いったいいつからなのでしょうか。

 人間が自らの身体を「鎧(よろい)」で覆い、鎧の強さをわが強さと思うようになったのは。

 「鎧」の延長が、車であり、戦車であり、戦闘機であり、戦艦であり、宇宙船であり、そしてガンダム型ロボットです。

 共通点は「鎧」そのものを自分と同一視しているという点にあります。

 現代ではもっと進化?しました。

 典型は今国連でも問題になっている「無人攻撃機」です。

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 何千キロも離れた快適なデスクで、テレビゲームのように戦闘機の視線と自分の視線を一体化させ、ジョイスティックでミサイルを発射し、破壊殺人後の白煙を見て「Wao!」と快哉を叫びます。

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 何か違うんじゃないか。。。?と気分が悪くなってきます。

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 ガンダムは「目に見える鎧」の延長上にあります。

 しかし「目に見えない鎧」もあって、こちらのほうがより現代の病?を象徴しているかもしれません。

 「目に見えない鎧」のひとつは「国家」でしょう。

 国家の強さに己をゆだねたい、国家という鎧の中でひ弱い自分を強い自分に変えたい、そのような傾向はずいぶん昔からあったこととは思います。

 しかし現代の中でそれがこうじると、「目に見える鎧」と「目に見えない鎧」が一体化してしまう点が昔とは異なります。

 異なる種類の「鎧」が合体して、人間自らが強力な破壊兵器になってしまう危険性が増したのです。

 昔は、国家という「観念的な鎧」を自らのアイデンティーにすりかえる願望を強く持っていたとしても、いざ戦いとなった場合には、己の生の身体でその痛みを引き受けねばなりませんでした。

 しかるに現代という時代では、戦いから肉体性を極力排除し、肉体的痛みがない、あるいはどこまでもその痛みを極小化しようとしています。

 それはブレーキをなくし歯止めの効かない暴走する車、いや機関車を連想させます。

 原爆、原発、際限なく進化凶悪化する電子兵器。。。

 もはや人類、いや地球生命体の滅亡にさえつながる時代に入ってしまったようです。

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 マトリョーシカのかわいらしい外見と、その入れ子構造によく似た人間の「鎧化」。

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 それは「愛する者のために」といって同類を殺戮するというような、人類の「愛」と「残酷」の両面を表しているようです。

 自分たちの弱さを自覚すればするほど、てっとりばやくその弱さを「国家」などの観念で偽装しようとする「自己欺瞞」に私たちは逃避しがちです。

 自らも自己欺瞞の典型であるこわもての政治家はもっと強大な権力を欲して、常にそういう状況を利用してきました。

 強き鎧の誘惑をはねのけるためには深い思索が必要です。「群れない」強い意志力も必要です。

 残念ながら私たちのほとんどは、その能力が十分ではありません。。。

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 ガンダムは日本が誇るアニメ文化の象徴でもあるでしょう。

 しかし、アニメと現実はまったく違うものです。

 何がどう違うのか、どうして違わないといけないのか、鎧へあこがれる心理は何から来るのか、鎧だらけの社会とはどんなものか?

 このような思考を厭わずに継続していくことが「成熟」であり「大人」ということであると私は思うのです。

 「幼稚で強そうな国」ほど危険なものはないことでしょう。

 なぜなら幼稚な人(その国)は、「他人にとって危険なものは自分にも危険である」ということを知らないからです。

 自分を守ろうとして相手も自分も両方破滅させてしまうのです。

 これでは何のための科学か、進歩か、文明か、学問かわかりません。。。

2013-10-30

シルバーズ今年も紅葉へ

 合計年齢315歳を乗せて、今年も栗駒山の紅葉ツアーに出かけてきました。昨日の栗駒山は中腹の紅葉が見頃で、とても癒やされた道中となりました。

 平日なのにけっこう人が多いのにびっくりしました。

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 昨年は11月初旬に出かけたのですが、観光客は私たちぐらいでした。

 観光地も廃れて大変だな〜なんて車中で話したもんですが、実はみんな見頃をよくわきまえていて、10月下旬なら昨日みたいに大賑わいになるんですね。

 もちろん紅葉(もみじ)ナンバーのような年齢の方々がほとんどですけれど。

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 私の愛車アベンシスももう10年、18万キロも乗りました。

 ボディーカラーのシルバーメタリックと同様に、車までシルバー世代になりました。

 ツアーのメンバーはいつもの4人組です。

 89歳の父、84歳、82歳の元同僚女先生二人、そして一番若い還暦運転手の私です。

 前日、泥湯から秋ノ宮に抜ける山道がまだ閉鎖されていないこと、雪が降っていないことを電話で確認しました。

 迎えに行ったら車まで小走りする「きえこ先生」の軽快さにびっくりです。

 身体を各パーツにして売りに出したら、私の骨なら100円、この方の骨なら1万円でしょう。

 さ〜、朝9時半小牛田から栗駒山へと出発です!

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 いつものように花山村「自然薯の館」という道の駅で小休止。

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 ここで買い物です。

 私は一本百円の高原大根を2本、昔懐かしき素朴な甘柿6個入り袋130円、それと缶詰3個買いました。

 何の缶詰かというと、山中なのに石巻「木のや」の「鯨大和煮」です。

 これは一缶1050円!高い(今や鯨は高級品)

 かたや野菜や果物はなんて安いことか。。。

 太くて大きい大根、たぶん卸値は一本50円くらい?だとすると百本売れても利益はたった5千円。

 なにか、かわいそうな気がしてきました。

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 次なる休憩は、栗駒山へ向かう途中の「湯浜峠」です。

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 記念撮影をした後、いつものように女性陣がおやつの準備です。

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 車ですでに、どら焼き、お菓子、かまぼこ、つけもの、みかんを配給され腹に納めたばっかしなのにもう。。。

 ところが峠で移動販売している焼き芋屋のおじさんに「ここはみんな記念撮影するから食い物広げないで」と言われ、「その通り」と赤面し、近くの原っぱに食卓変更です。

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 紅葉は山の中腹付近に下りてきたので、ドライブで紅葉を見学するのには最適です。

 昼食する予定の小安温泉にある蕎麦屋をまちがって通過してしまったので、そのまま「泥湯温泉」方面へ走ります。

 いつも思うんです。宮城県と秋田県の紅葉って、何か微妙に趣が違うな〜〜って。

 小野小町生まれ故郷そばの(秋田県湯沢市付近)の紅葉は、宮城よりも少し瀟洒な感じが。。。

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 泥湯温泉で記念撮影です。

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 近くには川原毛地獄」という沢が煮えくりかえる地獄谷があります。

 真っ赤な紅葉が突然輝きを強めたお日様に照り映えて、この世のものとは思えない華やかさになりました。

 クネクネの狭い道路を走りながら、「ここで落ちたら地獄の炎のような紅葉だね」なんて冗談言いながら走りました。

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 途中の空き地で車中で昼食。

 女性同伴だと車は食堂車になります。

 おにぎり、つけもの、いかのげそ煮。。。

 果物、コーヒー、豆乳。。。

 私はおにぎり3個もいただきました。

 びっくりするのはお年寄りたちの食欲です。

 食べる音をほとんどさせずに、大量に食べ物を摂取します。

 何かこの年齢特有の野性を感じ、たくましき食欲に脱帽してしまいます。

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 道中は野菜作りや「ひ孫」の話、何よりも多いのは食べ物話です。

 一人暮らしなのになんて手をかけて料理してるんだろう、なんて食事を楽しんでいるのだろうと感動してしまいます。

 塩麹も自分でつくってるらしく、帰りも道の駅で麹(こうじ)を買っていきました。

 またも驚くのは(女性の)食欲です。

 昼ご飯を食べてまだ1時間半くらいなのに「麺類でも食べていかない?」と誘われました。(さすがにお断りしましたが)

 午後4時半、ふるさとへ到着。

 シルバー先輩の皆さんにとても感謝されました。

 いえいえ、こちらこそ老父にお付き合いいただいてこの上なく感謝なのですが。

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 家に帰って、買ってきた大根と大根の葉っぱだけを土鍋で(昆布だしだけで)煮ました。

 旨い!

 おみやげにいただいたロイズのチョコレート菓子も美味しい!

 さ〜〜明日は鯨の缶詰を開けましょうか。

 紅葉さん、今年もホントにありがとう!

参考
 →ザ・シルバーズ鮎川へ
 →ザ・シルバーズ栗駒山へ

2013-08-28

小さな縁側

 田中優子さん「家族五人だった私の子どもの頃の生活は、このスペース(長屋)とほとんど同じだった。・・・私の場合、まわりの子供たちも、同じような生活だったから、貧しいとも狭いとも思ったことはないし、不幸でもなかった。大人になってから、さまざまな人に会ったが、やはり同様の、あるいはもっと狭い生活を送っていた(いる)人は案外多いものだ」

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(宮崎駿『トトロの住む家』より)

『詩集ノボノボ』より

小さな縁側

 毎夕、老父の飯つくりに通っている

 晩飯、翌朝の飯をつくるから

 不器用男の私には けっこう大変だ

 いや、大変だった

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 最近は ようやく腕が上がり

 ま〜ま〜残さず食べてくれるものを

 つくれるようになってきた

 大根、人参、菜っ葉をきざむ音も

 タタタタタンと リズミカルになってきた

 毎夕、親孝行ができるのは 

 実に嬉しいことだ

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 一昨日 父が二階から降りてこない

 もしかして?

 と不安に思って 行ってみたら

 二階の座敷に腰掛けをおいて

 車うるさき道路を風景に

 窓を開けて 夕涼みをしていた

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 猫の額ほどの土地に建つ

 小さく古い家なので

 庭も 自然豊かな風景もないのだ

 じ〜〜っと 外を眺めている父は

 何を回想していたのだろう

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 その日帰って 私も夕涼みした

 我が家の座敷の障子を開けて

 蝉の声を聞きながら

 ちょっとした庭を眺めながら

 日本酒をチビチビいただくと

 ノスタルジーの懐かしき匂いが

 涼しき風に運ばれてくる

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 テラスに置いてある小さな縁台

 ふと 思い出した

 小さき頃の実家のことを

 たった24坪の土地に建つ 小さな店と家

 立て替えする前 やはり小さな縁側があった

 長さはたぶん一間半(3メートルくらい)

 幅はたぶん半間ほど(90センチ)

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 信じられないくらい狭かったはずだが

 小さい頃は 狭いと感じたことはない

 縁側は 遊び場、涼み場、いろんな場だった

 縁側で カナリアも飼っていた

 「いためふき」という雑巾がけを

 おふくろから よくさせられたものだ

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 縁の下は 飼い犬チビの部屋だった

 縁側の外には 路地ほどの

 細長い庭みたいなものがあり

 父とそこでキャッチボールさえしたものだ

 鶏も飼っていたな〜

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 一階は 

 六畳ほどの店 三畳ほどの「お勝手」

 四畳半の居間 六畳の寝室

 つまり2Kだ

 二階は
 
 六畳一間

 そこに下宿の学生がふたりいた

 こんな狭い家なのに

 大人が四名 子どもが二名もいたわけだ

 どの家もみんな 似たようなものだった

 自慢といえば

 我が家には風呂があった

 近所の子どもが 湯をもらいにやってきた

・・・・・・・・

 あの頃は 

 どんな小さな家にも縁側があった

 だからかもしれない

 狭かった 暮らしにくかったという

 思い出はあまりないのだ 

 たぶん 同じ世代のだれでもが

 そう感じている

・・・・・・・・

 どんなに小さな庭でも

 そこに縁側があれば

 瀟洒な坪庭になったのだ

 縁側は 住居と外界とが交錯する

 不思議で 魅力的な場所

 「自然」を感じる場所でもあったのだ

・・・・・・・・

 いつからなのだろう

 広さ狭さを 面積で考える習慣となったのは

 魔法瓶のような住まい

 城壁のように閉ざした家を

 ほしがるようになったのは。。。


 →ノボ村長の「思い出アルバム」

 →ノボ村長の「詩集ノボノボ」

2013-08-19

結びのお盆

 ご先祖様はさすがに年の功?。毎年夏にやってきて、縦横斜めいろんな「結び」をつくってくれます。

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(鬼首カブトムシ園で。89歳の父と東京のひ孫りゆちゃん)

『詩集ノボノボ』より

結びのお盆

 毎年恒例 夏の参勤交代が終わった

 たった一週間ほどの とても短い参勤交代

 江戸時代なら 五街道をゆっくり

 「下に〜 下に〜」だが

 今の世は あっという間の韋駄天移動

 地べたは高速道路に新幹線

 空なら飛行機、海ならフェリーで瞬速移動

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 現代の参勤交代は

 将軍様の江戸へ参るんじゃない

 全国津々浦々 わがご先祖様の故郷に参るのだ

 それを称して「お盆」という

・・・・・・・・

 墓から実家へと ご先祖様をお迎えし

 しばらくの間 盆棚で寝泊りしてもらう

 私たちと寝起きをともにして

・・・・・・・・

 ご先祖様がこの世に来るのは 夕方らしいので

 行き先、帰り道 迷わないようにと 

 昔なら迎え火、送り火の目印たいまつ

 今ではとんと見ることはない

 きっとあの世にもナビができたのだろう

・・・・・・・・

 さてさて

 私たちの多くが まだ知らないでいることがある

 ご先祖様が毎夏やってくる その意味だ

 みんな ご先祖様を供養するのだと思っている

 ところが違うと 私は気がついた

・・・・・・・・・

 ご先祖様は 線香の香りや盆棚の供え物に

 誘われてくるんじゃないんだと

 お経で癒やされに来るんじゃないんだと

 ではいったい何をしに?

  ☆

 実は 私たちを「結び」に来るんだな〜

・・・・・・・・

 お盆の花火 村や町の夏祭り

 浴衣を着た若い子や 小さい子らが

 ニコニコしながら祭りに繰り出す

 これぞ ご先祖様の腕の見せどころ

・・・・・・・・

 (いったい この町のどこに若者が

 こんなにもいたんだろう?)

 友達同士で花火見物

 親や祖父母やいとこ同士との 楽しき語らい

 お国なまりが賑やかに飛び交い

 縦横斜め いろんな「結び」ができてくる 

・・・・・・・・

 ご先祖様の演出は心にくい

 自分をネタにしながら その実は

 此岸のわれわれに とても大事なことを

 思い出させにやってくる

・・・・・・・・

 一人一人の命の由来

 だれもが歩みゆく命の終点

 命のはかなさ 切なさ いとおしさ

 なくなった命の追憶 懐かしさ

 そして 

 ふと漂ってくる

 心安らぐ 私たちの「遺伝子の匂い」

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 深層意識は感じていく

 一人一人、たった一つ一つの

 貴重な生命の喜びを

 生命同士がつながる喜びを

 家族や親戚や仲間たちと

 それこそ縦横斜めに 格子のごとく

 結び目でつながる喜びを

・・・・・・・・

 お盆の大移動はとても大変だ

 でも 決して徒労じゃないと思う

 渋滞だったにしても

 列車がぎゅうぎゅう詰めだったにしても

 たった数日の出会いだったにしても

 きっと 多くの「結び」を得たはずだから

・・・・・・・・

 ただし ご先祖様はとても「粋」なので

 決して思わせぶりなことなどしない

 彼らが「結び」を与えたなんて

 ほとんど気づかず 盆が終わる

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 私たちがそれに気づくのは ずっと先

 じいちゃん、ばあちゃんと言われるようになった頃

 実は 気づいた人は内緒で協力しているのだ

 ご先祖様の「粋な結び」のはからいに

 このようにして 去年も、今年も、たぶん来年も

 彼岸と此岸が結ばれていく

 →ノボ村長の「詩集ノボノボ」

 →ノボ村長の「思い出アルバム」

2013-07-18

ザ・シルバーズ鮎川へ

 恒例となったザ・シルバーズツアー三旅目、昨日は宮城県石巻〜女川〜鮎川へと車を走らせました。親父の思い出の地でもあるのです。

 夏だというのに気温20度という涼しさ!長袖、上着を着込んでの道中となりました。

 メンバーは、いつものように89歳の親父、80歳以上の元同僚先生二人、そしてドライバーの私、いつもの四人組です。

 曇り空、涼しい天気はかえって歓迎。特に親父は犬と同じで暑さが大の苦手ですから。

 さあ! ザ・シルバーズツアー、別名「冥土の土産ツアー」の出発です。

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 いつものように女性陣は遠足モード、お菓子やら手作りのナス漬け、キュウリ漬け、飲み物・・・

 出発早々、人間用ガソリンのように食べ物が運転席にまわってきます。

 そして、これまたいつものように元女先生方の途切れぬおしゃべり。

 実は私にはそれが楽しみでもあります。

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 今回の目的地は石巻の奥、牡鹿半島の突端、鯨で有名な「鮎川」。

 鮎川中学校は親父がはじめて教頭になったとき赴任した学校。

 金華山沖鯨漁がさかんな頃、捕鯨船の基地やマルハ太洋漁業の鯨加工工場がありました。

 その頃の鮎川は人口も数万人いてまだ活気が残っていたようです。

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 同じくその頃、我が家は大きな変化が立て続けにありました。

 お袋がその後10年以上も続く重度の鬱病になったり、祖母が二人亡くなったり、ある事情で貧乏になったり。

 さらには金欠状態、家族全員別暮らしの中、私の姉も私も同年に結婚。

 翌年は親父が胃ガンの手術(親父は累計4回ガン手術をしたんですが、よくこんなに長生きしているもんです。。。)

 そんな個人的事情にまつわる思い出もありました。

 さらに3.11以前は30年もかかさず参拝していた金華山、その船が出発する鮎川・・・

 大震災以来初めて、2年半ぶりの再訪です。

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 途中、石巻のはずれにある「サンファンバウティスタ号」の記念館を訪れました。

 伊達政宗の命を受け、支倉常長が木造帆船でメキシコ経由でローマへと往復航海しました。

 その復元船を展示しているのですが、震災後の補修中で休館でした。

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 女川から鮎川への途中、支倉常長らが出港した「月の浦」で記念撮影。

 ここもびっくりです。以前は眼下に月の浦の入り江がはっきりと見えたのに今では木々が繁茂して何も見えません。。。

 しかも、敷地内には仮設住宅が数棟。。。震災の傷跡を強く感じます。

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 40分後到着した「鮎川」。

 唖然としました。。。かつての街も桟橋も何もかもなくなったままでした。。。

 この桟橋から金華山行き大型遊覧船が何隻も出航していたのに。

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 かつて観光会館や多くの売店、食堂があった場所にはもう何もありません。遠くに見える捕鯨船博物館だけが化石のように残っているだけです。

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 高台の「御番所公園」に行きました。

 あれ、前と違う! 円形の展望休憩所も数棟あったバンガローもなにもかもなくなっている!

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 (向こうに見える島が金華山です)

 牡鹿半島の丘陵地帯を車で走ってみれば、道路は寸断、砂利道だらけになっていました。

 コバルトラインも至る所で道路工事中。

 あらためて、復興の遅れを感じました。

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 さ〜お昼だし、どこかで昼食をと探しました。

 鮎川でどこか食堂やっていて、おいしい海鮮丼とか食べられるだろうと、みなで期待していたのですが、とんでもない誤解でした。

 鮎川はおろか女川にも食堂らしきものはないんです。(一軒仮設の食堂はありましたが)

 石巻市内に入る直前のプレハブラーメン店で昼食をとった時は14時半をまわっていました。

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 今回のツアーは楽しさよりも、震災後のまだまだ癒えぬ現実を知る苦く深い思いの旅となりました。

 「やっぱり、来てこの目で見ないとわかんないっちゃにや〜」 

 と、みんなで語り合い、うなずき合い、一日も早い復興を心から祈ったツアーでした。

(参考)
 ザ・シルバーズ栗駒山へ

2013-06-13

ザ・シルバーズ栗駒山へ

 昨日お休みをいただいてシルバー観光旅行の運転手をしてきました。新緑の栗駒山でとてもすがすがしい気分を味わってきました。

 89歳の父、82歳と83歳になる父の元同僚女先生、それに私の4人で新緑の栗駒山へ観光旅行をしてきました。

 同乗の面々を「ザ・シルバーズ」なんて茶化して書いているうちに、あることに気づき「ウワ〜〜!」です。

 還暦を迎えてしまった私めもそのメンバーの一人だった!

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 かくしてザ・シルバーズは栗駒山へと向かいました。

 霧雨のふる朝、秋田県側は晴天という天気予報を信じて出発です。

 ザ・シルバーズは四十五年くらい前、同じ学校で働いた面々なんですが、当時赴任していたカリスマ校長先生のもとに「骨まで愛する会」という親睦組織ができて、4−5年前まで懇親会や旅行をしていました。

 「骨まで愛する会」の名前の由来は、当時城卓也の「骨まで愛して」という歌謡曲が大ヒットしており、それにあやかったようです。

 ところがいくら長寿の面々が多いとはいえ、一人欠け二人欠け。。。今ではメンバーの三分の一も残っていないようで、ほぼ解散状態のようです。

 そんな中での同じ町内に住む生き残り?のわが「ザ・シルバーズ」だけが、私というドライバーを得て現役復活となったわけです。

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 さて、同僚女先生たちの状況はといえば、お二人とも車の免許証は返上、お一人は父と同じ一人暮らし。

 別のお一人は家族と一緒に暮らしています。

 その方は最近足腰が弱って歩行が大変になってきたとのことで旅行を躊躇していましたが、父の「歩かなくてもいいところに行くから」という言葉で一緒に来ることになりました。

 昨年の11月、同じメンバーで遅くなりすぎた紅葉見物に栗駒山へドライブして以来の観光旅行です。

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 女の方々がまじった旅行は実におもしろいです。

 まずは遠足のようにたくさんの食べ物や飲み物持参です。

 それに、お話の途切れないこと途切れないこと。。。

 さすが元先生たちで、聞いててとてもおもしろく参考になるお話(実話)だらけです。

 父は耳が遠く、あまり人とおしゃべりすることは好きではないたちなので、窓の景色を見ながら鳥のさえづりのように話を聞き流しているようです。

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 栗駒山の頂上(付近)は天気予報の通り晴天でした!

 涼しい新緑の薫風をかぎながら、すがすがしい山の初夏を満喫しました。

 さて、頂上付近の須川温泉の食堂で昼食

 80歳以上90歳近くの面々、メニューがきたので麺類のページを広げて見せたら、なんと!

 女先生二人とも、ご注文は「カツ丼」でした。

 元気の源は丈夫な胃袋と食欲にあり。

 私も、負けてはならじ!と同じくカツ丼を注文しました。

 (父は天ぷらうどんでした)

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 帰りは、一関の厳美渓で団子を食べて夕方それぞれの自宅へとお送りしました。

 帰りの車中では、次の予定も組まれました。

 89歳の父は、思い出の場所をあれこれ再訪したいらしく女先生方も喜んでお付き合いしますと言ってくれました。

 女先生方を下ろしてから、私は父に話しました。

 「この年になっても気の合う友達がいて、いっしょに旅ができるというのは最高の財産だっちゃね〜〜」

 父もニコニコしながら「そうだな〜」と深くうなづいていました。

2013-03-18

おだやかなお彼岸

 彼岸の入り日だった昨日はおだやかな、しかし花粉飛び散る春の空でした。くしゃみ鼻水涙目にもめげず、老父と一緒に墓参りをしてきました。

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『詩集ノボノボ』より

おだやかなお彼岸

 お彼岸の入り日は快晴だった

 墓地は色とりどりに お彼岸の花で満ち

 まるで生気を感じるような 大賑わい


 子どもからお年寄りまでのユニットが

 彼岸にそのつど結成されて

 一座が車に乗ってやってくる

 
 ひとつしかない水場は大混雑

 桶やバケツに水を汲み

 雑巾で墓石を丁寧にふきあげる

 ご先祖様のお背中を

 やさしく 流してあげるよに

 
 お茶をあげ お菓子を供えて

 線香をたて 手を合わす

 そして心で あるいは声に出し

 ご先祖様に話しかける

 見守ってくれてありがとう

 そして ちょっぴりのお願いを


 目をつむり 手を合わせれば

 閉じた目の前に 現れる面影 

 懐かしき親や祖父母たち

 あるいは 旅の出発を急ぎ過ぎた家族たち


 私の場合は この墓にただ一人眠る母の

 とても懐かしき おだやかな顔

 目を開けたとき ふと感じる安心感

 なにか 責任を果たし終えたような


 さて カラスが待ち遠しそうだ

 墓のまわりを何度も旋回し

 はやく行け、はやく帰れと せかしている

 そうはいくかい カラス天狗め

 供えたお菓子を 父と私が無理して食べる


 このあと 父が一緒に行こうと誘う

 四十年前に亡くなった 祖母の墓参り

 教員だった父は 米寿を超えて

 金曜日 瑞宝なんとか章を授与された

 その報告もしたいらしい


 大病やら手術やらを何度も繰り返し

 まさかこの父が ここまで長生きするとは

 私も家族も だれも思っていなかった

 ところがだ どんな大病をしたときも

 本人だけは 考えたこともなかったらしい

 あの世への宇宙旅行

 
 今でも なんとか元気に独り暮らし

 本人は いよいよその気らしい

 よし、百近くまで行ってみようかと

 
 墓参りのお付き合いをしながら

 つくづく思う

 あ〜 俺も欲しかったな〜

 父のこの遺伝子が

 楽天的で おだやかで 

 一人ぼっちを苦にしない つよい気持ち


 祖母の墓で手を合わせながら

 ふと思いだした

 そういえば 父のお袋も

 似たところがあったな〜と

 →ノボ村長の「詩集ノボノボ」

 →ノボ村長の「思い出アルバム」

2012-11-15

ばあちゃん食堂

 最近私は、老父のお抱え長距離運転手になっています。先日は塩竃神社と竹駒稲荷に向けてメーターを倒しました。途中懐かしき食堂へ。

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『詩集ノボノボ』より

ばあちゃん食堂

 おととい スタッドレスに交換した

 ずいぶん早いな? わけがある

 あした 私はもみじ号の運転だ

   
 乗客はといえば

 親父に 元親父の同僚女先生二人

 みんな八十以上の一人暮らし

 きっと 若いと言われるな

 あたりまえだが


 栗駒方面を ぐるっと廻って

 紅葉フィナーレ 鑑賞ドライブへ

 山道だから スタッドレス


 タイヤ交換中 ちょうど昼飯どきだった

 大きなラーメンチェーンの隣に

 小さな中華そば屋が

 ひっそり 建っていた

 
 初めて入ったら

 カウンターの中に ばあちゃんがいた

 すっかりちぢんで

 カウンターと同じくらいの背丈だ


 お客さんは みんな なじみのよう

 ばあちゃんと言わず おばちゃんと言う

 心優しき ガテン系の男たち


 ばあちゃんが 運ぶラーメン

 おっとっと〜!

 ハラハラするけど ほんわかする気持ち

 こんな店は どこでも味がいい


 ふと 先日親父と食べた 蕎麦やを思い出した

 塩竃神社の帰り道

 十数年ぶりに入った 小さな蕎麦や

 昔も今も大賑わいだ

 味はいいし 安くて 盛りもいい

 
 以前 ここにも ばあちゃんがいた

 ゆったりと 丼を運んでいたな

 さすがに もういなかった。。。

 かわりに 嫁さんかな 跡を継いでいる


 岩出山の 隠れや的中華そば屋にも

 名物ばあちゃんが 丼運びをしていたな

 あのばあちゃんは元気かな?


 あったかい食い物には

 ぶ厚くて あったかそうな

 ばあちゃんの手が よく似合う

 だれでも おふくろを思い出すよな


 ばあちゃんたちは まちがいなく

 日本が誇る

 世界最高の ウェイトレスだ


『詩集ノボノボ』
 お昼の風景
 いくさの話
 焼き鳥のけむり
 緑の絹をつらぬき通す
 すべり台の子供たち

2012-10-31

いくさの話

 半藤一利著『昭和史』の帯にはこんな文章が書かれています。 上巻には「日本人はなぜ戦争をするのか」、下巻には「日本人はまた戦争をするのか」と。

 さらに「あとがき」には、こう書かれています。

 語り終わっていま考えることは、幅広く語ったつもりでも、歴史とは政治的な主題に終始するもんだな、ということである。人間いかに生くべきかを思うことは、文学的な命題である。政治的とは、人間がいかに動かされるか、動かされたか、を考えることであろう。戦前の昭和史はまさしく政治、いや軍事が人間をいかに強引に動かしたかの物語であった。戦後の昭和はそれから脱却し、いかに私たちが自主的に動こうとしてきたかの物語である。しかし、これからの日本にまた、むりに人間を動かさねば……という時代がくるやもしれない。そんな予感がする。(半藤一利著『昭和史』あとがきより)

 太平洋戦争の兵士は今どれくらい残っているのでしょう。もう90歳ぐらいの方々だけでしょう。戦地に征かなかった人もいますから、さらに少ないはずです。鬼籍に入ったもっと年上の方々は、あまりにむごい体験をしてきたために、多くを話せないで亡くなったようです。

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(香月泰男 かづきやすお シベリア・シリーズ「点呼」)

『詩集ノボノボ』より

いくさの話

 もう何百回 聞いたことだろう

 父の戦争体験記 シベリア抑留記

 そして帰国後のあれこれ とまどいを


 終戦の前の年 学徒動員やらで

 貨車に 貨物船に 家畜のように積みこまれ

 博多へ そして北朝鮮へと送りつけられた 

 二十歳の初年兵 父

 ロシア軍機 機銃掃射の音 逃げまどう父

 凍ったシベリアで 銃殺される 

 仲間だった 脱走兵


 あまりのひもじさに

 毒セリと知らずに食べて

 もがき死ぬ 捕虜仲間 


 四年後 帰されて 教員となり

 社会科を教えろと言われても

 天皇陛下万歳から

 民主主義の世の中へ 変化が強すぎて

 シベリア帰りじゃ 追いつかない


 そのうちに結核になってしまった

 戦争 シベリア 病棟

 これだけが 父の青春

 生きて帰れただけ 幸せではあったが


 だからかな〜 

 私は とても拒絶反応が強い

 「正義のために戦う」という言葉


 だいたい 変なことだらけ

 どこの国でも いつの時代でも

 「戦え」という人は 「戦えない」老人だけだ

 「戦う」人は 何も言わない

 臆病者と言われたくないしな〜

 そして 死んでいく


 変なことの きわめつけ

 「戦う」に 「負け」は入っていない

 これって 当たり前だろうか?

 半分の確率で

 どちらかは 必ず「負け」のはず


 「いくさ」を肯定する人は

 とっても 無責任じゃないかな〜

 負けたらどうなるかって

 とどの最初から 考えに入れてない


 いっそ こうなればいい

 戦士の年齢は 五十歳以上

 自称愛国者から 前線へ

 女性の愛国者も 前線へ

 もちろん もうあがった人だけ


『詩集ノボノボ』
 焼き鳥のけむり
 緑の絹をつらぬき通す
 すべり台の子供たち

2012-09-04

写真はレトロ・タイムマシン

 タイムマシンはすぐそこにあったんです!どんな家にもさりげなく。まさかこれがタイムマシンとは思われずに。それは古い写真です。

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(父のカメラと同じ「Mamiya 6」、今でも持っています。この写真はネットから借用)

 さっき、母の十三回忌に東京から来た姉、姪とその孫たちを駅まで送っていきました。

 わが長女の孫も加わり、とても賑やかな二・三日でした。

 昨日の昼は孫たちの面倒見を一時頼まれて、会社をさぼっておじいさんの家(実家)で孫だましをしていました。

・・・・・・・・

 暑いながらもほんの少し秋の風がとおりはじめた父の寝る二階の六畳間。

 みんなで寝転がっていたら、鴨居の上にはいっぱい、引き伸ばされて額に入った写真が飾られています。

 よく見れば、この孫たちの親がまさにこの孫と同じ年齢のときの写真でした。

 「ほらみんな、上の写真見てごらん。誰だと思う?」

 少しヒントを与えたらすぐに自分の親を見分けて、不思議な顔をしていました。

 「え〜、こんなだったんだ。ここはどこのなの?ばあちゃんはメガネかけていたの?」とか質問攻めです。

 これをきっかけにして、孫たちの親、私たち祖父母、曾祖父母のことなどいろいろ話して聞かせました。

 子供たちは、年寄りも自分たちと同じ年齢の頃があって、自分たちと同じような背格好やしぐさでいたことがとても不思議のようでした。

 しかし、しばらくするとすぐに順応してあれこれ、別な写真やアルバムを探してきます。

 まさに「レトロ・タイムマシン」です。

・・・・・・・・

 夕食後、父から依頼されたある用事で、小さな金庫の中を確かめることになりました。

 大したものなど入っていない金庫、そこに古いA4ぐらいの茶封筒が二つ入っていました。

 封筒の上には、ひとつには私の名前が、もうひとつには姉の名前が筆で書かれています。

 (いったい何が入っているんだろう?)と、開けてみたら何と!

 私たちが幼少の頃の白黒写真が十数枚づつ、それに小学校の通信簿や作文なんかが入っていました。

 写真を見てしばし感慨にふけりました。

 写真の多くには、幼なじみや級友たちがたくさん写っていました。

 その中に、今は亡き同級生が二人、やんちゃな少年の姿で写っていたのです。。。

 一瞬、昔の情景のあれこれや彼らの声などがよみがえり、胸の中を風が吹いていくような懐かしさと寂しさを感じました。

・・・・・・・・

 米寿になる私の父は、とても写真好きで、小さい頃の写真をたくさん撮ってくれていました。

 小さい頃から現像した写真をみんなで眺め、さらにアルバムにして機会あるごとに家族や親類で何度も見返したものです。

 そんなことが、私にはきっと幼少時の記憶を保持していくのに役立ったのだと思います。

 幼少時に関わらず、最近まで父は、皆で旅行したり集まったりしたときの写真を引き伸ばして、実家のいろんな場所にかざっています。

 なにげなく壁を見ればそんな写真がいっぱい。

 それは、意図せずに、見る人を過去に誘ってくれていたのです。

・・・・・・・・

 今はカメラもデジタル化して、昔と比べればはるかに多い枚数を誰でも撮っていることでしょう。

 しかしせっかく撮った写真はメモリーの中にだけ保存され、印画することが減ったために、さりげなく眺める機会はとても少なくなりました。

 それは過去へのタイムトラベルが少なくなるということです。

 過去の思い出が貧しいということは、その人の感性をも貧しくしてしまいます。

 なぜなら、感性とは「記憶」という「種」がないと芽を出せないものだ、と私は思うからです。

 それとも孫たちが大人になる頃には、本当のタイムマシンができて、写真以上にリアルな過去への旅が出来る世界になっているのでしょうかね?

2012-07-31

なるほど!シンプルな「漢方」

 私の住む町、宮城県涌谷町の「涌谷国保病院」には「東洋医学外来」という診療科があります。高齢の父は夏が大の苦手ですが、ここで処方された漢方薬でなんとか身体を維持しています。

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 米寿の父は、老化のせいで年々身体や頭が弱っていきます。

 昨年のお盆明けは、残暑のせいで急に元気がなくなり、とても心配しました。

 そこで、この病院の内科で診てもらったんですが、内科でも漢方を処方してくれまして「八味地黄丸」をもらって帰りました。

 ところがその晩、この漢方薬を一服服用しただけで見違えるようになったのです!

 次の日の朝、今まで具合悪かったことなどケロリと忘れ、まるで「万能感」にひたったような感じになったのです。

 ま〜、一日で劇的な効果は収まってしまいましたが、それでもジワジワと効果を発揮し元気を取りもどしていきました。

・・・・・・・・

 そして今年の夏がまたやって来ました。

 「八味地黄丸」である程度健康は保っているのですが、それでも完全というわけにはいかないようです。

 そこで今年は「内科」から「東洋医学外来」に診療科を替えてみました。

 驚くのは問診票。数十ページにも及ぶのです!

 診察時間もたっぷり。先生は内科の医師でもあり、東北大学で漢方薬の研究もしている先生です。

・・・・・・・・

 私がびっくりしたのは新たに追加処方された薬です。

 「麦門冬湯(バクモントウトウ)」という漢方薬なんです。

 これを調べてみると、父の症状とは直接何の関係もない薬のようなんです。
  
 「のどを潤し、咳をしずめる作用」というんですが、父は咳など出ないんです。

・・・・・・・・

 ところがです!

 それから二週間ほど服用してみたら、これが症状に良く合って、食欲が衰えず元気を回復してきたのです。

 さすが、漢方の専門家は見立てが違います!

 なぜこの処方かというと、父は水分が足りない状態らしく、この漢方薬は保湿クリームのように内臓の粘膜の湿度を保ってくれるそうなんです。

 漢方薬の奥深さの一端をかいま見た思いがしました。

 さらに嬉しいのは先生のこの言葉。

 「飲み続けると、もっともっと調子が良くなってきますよ」

 普通の薬(西洋薬)は飲み続けると悪影響が出ますが、漢方薬はもともと生薬から作られているせいもあり、食品に近い安全性があるんですね。

・・・・・・・・

 さて、先日再診の折、先生から講演会のご案内を受けました。

 「一か月に一回、計7回シリーズで私が講演することになりました。「生薬の魅力」というテーマです。この病院の講堂で明日ありますから、良かったら来てください」

 畑仕事と三度の食事以外、別にすることとてない父を連れて、翌日講演会に行きました。

 会場には百名くらいの参加者。

 第一回のテーマは「気虚体質」についてでした。「気虚」に効く食べ物やツボのお話もあり、とても参考になりました。

 「気」とは「エネルギー」のことで、「虚」とは「欠乏」を意味します。

 ですから「気虚」とは「元気が足りない」という状態を言います。

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 先生のお話でなによりも記憶に残ったのは「漢方の実にシンプルな考え方」でした。

 たった四つだけなんですね!

 「冷えているなら」「温める」
 「熱ければ」「冷やす」
 「足りないなら」「補う」
 「滞っているなら」「巡らす」


 この当たり前の四つについて、様々な漢方薬が長い長い時間をかけて生み出されてきたわけです。

 ちなみに「漢方」とは「日本で育った東洋医学」であり、中国の東洋医学は「中医学」といって、ルーツは同じでも別な医学ということのようです。

  参考→中 医 学 と 日 本 漢 方

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 「漢方」の考え方は「人生」や「経営」についても応用できそうだな〜と思います。

 状況を把握して「不足」「不十分」のものやことを補うこと。

 あらゆることで流れ(伝達)を良くしていくこと。

 
 これらは「無理のない人生」「無理のない経営」につながっていくのではないでしょうか?

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 エネルギーの不足を「国の『気虚』」ととらえればどんな解釈が成り立つでしょう。

 今までの医師(政治・経済界)は「原発」という「猛毒の薬?」で「気虚」を解決しようとしてきました。

 しかし、この薬は大変な危険性があることを皆が知りました。

 優秀な漢方の先生なら、賢明な患者なら、こんな薬で「気虚」を直そう、直してもらおうと考えるでしょうか?

 他の処方を絶対に考えるはずです。望むはずです。

2012-07-23

今年もジャガイモ掘り

 『5年日記』って便利ですよ!どういうわけか毎年同じ頃に同じものを食べたり同じことをしているのがよ〜くわかります。人は自由にしているようで実は無意識の「習慣」に支配されているんですね〜。

 昨年と同じだったのは日曜日の「ジャガイモ掘り」。

 昨年と同じ週の日曜日にやっぱり同じことをしていました。

  →ジャガイモ掘りの日曜日

 前日、88歳になる父から電話で「畑に集合」の指示がありました。

 そして昨日、農業を知らない「あこがれ重農主義者」の私が、年に数回の畑仕事に出動です。

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 おもしろいことに毎年父は同じことを言います。

 「もう体が続かない。。。今年で畑はやめる」と。

 ところが春先になるとそのような話はもう忘れ、こう言います。

 「家の中にばかりいてもしょうがない。今年は何をつくろうか」と。

 それにしても久しぶりの畑はおもしろいものです。

 なにせ父の住む家から8キロも離れた場所(わが家の近くではありますが)にあるため、手入れが行き届かず草ボウボウです。

 そのため、蛙やらいろんな虫やら、土の中には太いミミズやら何やらがいっぱいで、自然界のお仲間たちのことをあれこれ考えさせられます。

 さて、『5年日記』のことも少しだけ書いておきます。

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 今年の12月31日でもう2冊目終了です。

 初めて書き始めたのは、2003年1月3日(1〜2日もこの日に書きました)

 台湾旅行からの帰途、飛行機内で書かされたアンケートに「粥」の字を間違って書いてしまったことに気づいて恥ずかしく思ったからでした。

 パソコンばっかり使ってるから「漢字」を書けなくなってしまった。。。そんな反省からでした。

 ところが。。。約3500日も書き続けた今どうなっているかといえば、サッパリなのです。。。

 なぜかな〜と考えると、その原因は私の「草書体」にありました。

 自分でも読めないようなミミズがのたくったような字ばっかし書いているので、結局正確な漢字を書けないままなのです。

 3冊目からは「楷書体」に挑戦しなければいけません!日本人ですから母国語をまず大事にしないと!

参考
 私たちの親はベンチャーズ

2012-05-01

大笑い!革靴崩壊

 破けたんじゃないんです。崩壊したんです!なんと革靴が。連休に米寿の父親と東京の姉宅へ行きました。その「おのぼりさん道中」で大笑いでした。

 東京の姪がマンションを買ったというのでそのお祝いと、久方ぶりの姉宅訪問を兼ねて、米寿の父、私と妻の三人で「おのぼりさん」をしてきました。

 東京とはいっても姉宅はずっとはずれの瑞穂町。私たちのところより、かえって田舎に来たような感じがしてホットしました。

 さて箱根ヶ崎駅へ到着。(私は25年ぶりですが、駅はずいぶん立派になりました!)

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 車で迎えに来てくれた姉夫婦に乗せられて、小さな町の小さな蕎麦屋で昼食です。

 ここで大爆笑です!

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 わが父は88歳という高齢にも関わらず、どこでいつ買ったのか、けっこういい服やネクタイなんかをもっていて、たまの外出ではそれらが押し入れから出動です。

 朝、父親を迎えに行ったとき私は気づきました。

 「お、今日はピカピカの革靴履いてるじゃね〜か。大切にしまっておいたんだろうな」と。

・・・・・・・・

 さて、場面は東京の蕎麦屋に戻ります。

 向かいに座った私が、ふと足下を見ると、石炭カスみたいな黒いかたまりや粉があちこちに・・・。

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 「おじいさん、なんか落ちてるな?」

 どうも靴から落ちたらしい・・・。

 父が靴を脱いで見てみたら、なんと!
 
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 革靴の底がボロボロに「崩壊」していたのでした!!

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 大爆笑です!!!

 聞けば、物置にしまっていたこの靴、数十年ぶりくらいで履いたらしいのです。

 なんと物持ちのいい父でしょう。そういえば扇風機も私が生まれる前の日付が書かれたものを最近まで使っていましたし。

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 さすがにこの靴はもうはけないので、義兄のサンダルを借りて蕎麦屋をおいとまし、靴屋に直行です。

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 サンダルを履いた父は、「男はつらいよ」の「寅さん」っぽい感じになってしまい、これでまた爆笑です!

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 こんな爆笑で腹もこなれ、姉の家へ寄ってから、今夜の宿へと向かいました。

 東京という大都会なのに、そのはずれにはけっこういい宿があるものなんですね。

 青梅にある「岩蔵温泉」というところでのんびり一泊しました。

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 外には小川が流れ、小鳥の声もにぎやかです。

 この日4月28日は絶好の春日和となったのでなおさら好印象の宿となりました。

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 次の日姪の新居では、父の「靴底崩壊物語」が何よりのお土産になりました。

 ふたたび大笑いに包まれた春の佳き日でした。

2012-04-20

私たちの親はベンチャーズ

 野良にも小さな町にもベンチャーがいました。それは戦後の昭和を生きた私たちの親たちです。その野性を受け継ぐのは、今からでも決して遅くないと思っています。

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 昨日の午後は会社をさぼって、米寿の父と一緒に畑仕事をしました。

 私の自宅のそばに、父は10年以上前から小さな畑を借りて耕しています。

 父の住む隣町にある私の実家から約8キロ、車のトランクに農機具や水のポリタンク、肥料などを積んで通っています。

 私は農業の経験は「0」でして、それだけにあこがれが人一倍強いのです。しかも足が悪いくせになんとかやってみたいものだと日々思っていました。

 そして一念発起、今年から父に畑作を習おうと決心し、その第一回目の授業が昨日の午後でした。

 耕耘機などはないので、スコップやクワで土の天地返しや畝作り、そしてジャガイモの種芋を植えました。

 父は実家が農家でしたし、そこでは家畜も飼っていたので、農業やら飼育やらにとても詳しいのです。

 それにしても「土」とたわむれることは実に愉しいものです。

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 さて、昨日の朝、いつものように新聞を便学していましたらこんな記事が。

2012.4.19朝日新聞より

(私の転機)
「日本の宿 古窯」佐藤幸子さん 井戸を掘ったら出た土器片

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 「一銭のお金も入れないで渡すのは、これが成功してもあなたのせい。失敗してもあなたのせい」

 そう義母(はは)からからっぽの金庫をもらって、7部屋の小さな旅館を開業したのは1951(昭和26)年の秋でした。私は22歳。お金がなくて、客室の布団も私の着物を解いて縫いました。

 困ったのが水でした。水道がないから、山の中腹まで毎日てんびん棒を担いでくみに行きました。敷地のあちこちに井戸を掘りました。でも水は出ない。

 代わりに、焼き物のかけらが次々出てきました。約1200年前の須恵器の窯跡だったんです。うまく焼けなかった皿を捨てていたんですね。57年に県の史跡文化財に指定され、私どもも「古窯(こよう)」に改名しました。

 過去と現代を結びつけようと、すぐに始めたのが楽焼です。素焼きの皿を用意して、お客様に絵や字を描いてもらって焼き上げる。初めのころは1枚だけの日もあって経費面で苦労しましたが、継続は力なり。当館の名物になりました。脚本家の橋田寿賀子先生には「信真新進神心辛身」と書いていただきました。

 70年ごろ、近くの旅館を買い取って規模が大きくなったとき、「各部屋に食事を運ぶのが大変だから辞めたい」と従業員が大合唱したことがありました。

 困り果てて思いついたのが、館内に小さな「料亭」をつくり、そこに食事に来てもらう方法です。従業員の負担は随分減りました。料亭に続く廊下には焼いた皿を並べ、「らくやき画廊」と銘打ちました。

 振り返ると、「困ったこと」に助けられてきたように思います。いいことばかりだとアイデアは出ないんです。困って困って、明日からどうしようと思って、アイデアが浮かんでくる。困るっていいことなんですよ。
     *
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 さとう・さちこ 83歳 「日本の宿 古窯」創始者 1951年に山形県上山市で旅館を開業。82年に東京・銀座に和食店「日本料理古窯」を開店。現在はコンシェルジュとして旅館に立つ。92年のNHK連続テレビ小説「おんなは度胸」のモデル。

 あの有名旅館が!私たちが産まれたあたりの時代にはこんな苦労をしていたのかと。。。

 そして困り果てたことが逆に、オリジナリティーあふれる旅館への道を開くことになった。。。

 びっくりし、おおいに考えさせられました。

・・・・・・・・

 終戦直後からの20年間は、まさに日本が焼け跡から立ち上り復興する「大いなる野性の時代」でした。

 それを担ったのは、高性能・高学歴のエリートだけではありません。

 私たちの父や母たちの多くが、初めてのことに挑戦し、だめならまたも新たなことに挑戦し続けたのです。

 かくいうわが母もそうでした。

 近所を見れば、みな貧乏ながら様々な店を開いたり、また商売替えをしたり。。。

 農家もそうです。稲作だけから養豚、果樹栽培、ハウス園芸、行商・・・

 父の実家では、祖母が一人で稲作、雑穀、畑作、かいこ、豚、牛、羊の飼育、機織り、食品作りとなんでも行っていたんです。

 いわば、すべての人が自分で道を切り開く(それしかなかったので)「ベンチャー」であったと言えるでしょう。

・・・・・・・・
 
 今、私たちがイメージする「ベンチャー」とはどんなものでしょう?

 巨大なバベルの塔でディスプレイを見ながら、マウスをクリックして大金持ち。

 しかし、みんなITがらみの商売で、考えや経営スタイルも似たり寄ったり。

 昔の「ベンチャー」とは全く正反対です。

 私は思うんです。

 昔の「(泥)ベンチャー」のほうがイキイキしてるし、だれでもやれそうだな、と。

 しかし、たったひとつ忘れちゃいけないものがある。

 それは「身体・自然・生活と重なったみずみずしい野性」だと。

 そんな気がして、父を先生として「ジャガイモ植え」から始めようとしたわけです。

 「(もうすぐ)還暦ベンチャー」への第一歩を。

 (実は明日が59回目の誕生日なんです。)

参考
 三丁目の夕日はなぜまぶしい?
 気骨ある親たち
  三丁目の夕日と「今」
 ジャガイモ掘りの日曜日
 

2012-04-16

馬は昔のトラクター

 晴天の昨日、わが町宮城県涌谷町の輓馬(ばんば)大会を見てきました。戦後から続くこの大会、昨年は3.11のため開催できませんでした。恒例の行事が復活すると、やっと暮らしが元に戻ってきたんだ、という気がします。

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 輓馬大会とは馬に重い荷物(最重量級だと1トンも)をひかせ、坂を二つ登らせてタイムを競う競争です。

 馬と、その手綱を握る馬方とが一緒になって走るので、「人馬一体」がこの大会の変わらぬキャッチフレーズです。

 露店もたくさん並ぶので、こちらB級グルメも楽しみの一つです。

 さて、B級グルメのイカ焼き、焼きそばをほおばりながら、土手に座って見物です。

 お年寄りも子どももいっぱい。

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 後ろのお年寄りたちは、こんな会話をしていました。

 「昔はどこの家でも馬がいたから、けっこう涌谷の馬も出場したんだがな。今は一頭も出なくなったな。」

 宮城県でも栗駒町や大郷町などから数頭出場していますが、岩手や青森から来ている馬の方が多いようです。

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 それにしても、出場する馬を見ると感嘆の溜息が出ます。

 実にぶっといその足、はち切れそうな大きい尻、汗が光るつやのある体、そしてやさしい目。。。

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 草だけ食ってるのに、なんでこんな馬力が出るんだろう?

 みなぎる生命力に圧倒されます。

 聞けば、全国の輓馬大会を廻り歩くことを生業としている方々も多いらしいとのことです。

 この生命力あふれる馬たちと一緒に生きることは、きっと何ものにも換えがたい喜びにちがいないと思いました。

・・・・・・・・

 父の戦争話でこんな話を聞いたことがあります。

 父は北朝鮮が先日失敗したミサイル発射基地がある地域に、山砲隊として征かせられたそうです。

 馬数頭に分解した大砲を引かせ、山の上で組み立てて、どかんとぶっ放す戦隊のようです。

 「あの頃は、寒い時期でも人間の体は水、馬はお湯で洗う。人間より馬の方が大事にされてたよ」

 「田舎の農家では、多くの馬が戦地に征かされた。それで畑や田んぼは馬の代わりに牛で耕作したんだ。牛はのろいから効率は悪かったがな」

・・・・・・・・

 まさに、馬はつい最近まで「農家のトラクター」だったわけです。

 私の小さい頃は向かいの酒問屋でも、トラックと馬車が両方使われていました。

 あの、所かまわず落として歩く「馬糞」には子供心に閉口したものです。

 牛の「べっちゃ糞」よりはましでしたがね。

 ふと、スタートラインをみれば、近代的トラクターが数台待機しています。

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 ゴールに残る引き荷のコンクリートを乗せたそりを戻すためです。

 新旧のトラクターを比べて見て感慨にふけりました。

 馬は草があればいい。トラクターには燃料の油がいる。

 馬と作業するのは苦労もあるだろうが、同じ生き物としての共感や生命力を増してくれる。

 トラクターは、いったい何を人間に与えるのだろうか?

 同じ作業をしても、馬とトラクターでは、人の精神の養われ方というものは全く違うんじゃないかな、と。

・・・・・・・・
 
 未来の贅沢とは、たぶんこのような馬や牛とともに耕作する農業もその一つに違いないだろうと夢想しました。

 ふと、馬の方を見れば、親父と一緒に手綱を引く丸坊主の中学生がいました。

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 後ろの爺さんたちの会話が印象に残ります。

 「ほれ、あの坊主もこんなふうにして馬の扱い方覚えていくんだっちゃな。いいっちゃなや。」

2012-04-06

年寄りスナック食堂

 昨日は商売の原点を思い出させていただきました。父と一緒に、定義如来(じょうげにょらい)という寺院に行ってきたんですが、その参道にある食堂でのことでした。

 →定義如来 西方寺

 88歳になるわが父は、神社仏閣巡りが大好きで、この歳になっても自ら車を運転してあっちこっち遠出をします。

 しかし最近はさすがに老いには勝てず、物忘れやら運動神経の衰えなども目立ってきました。

 「年寄りの冷や水」というがごとく、歳をとればとるほど「俺はまだまだ大丈夫」という意識も体の衰えに比例して強まるようです。

 そんな親父が重大な交通事故でも起こして、人様に迷惑をかけたら申し訳ないと私は思いまして、余生はできるかぎり私が運転手をしてあげようと思い「父子道中」となった次第です。

 一人暮らしの父と同行しながら会話をすれば、「ぼけ防止」にもなりますしね。

 さて、仙台市の山形側のはずれにある「定義如来(じょうげにょらい)」は平家の落人をまつった寺でもあり、宮城県ではとても有名な寺院です。

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 ここに、親父は数十年、ほとんど毎月一回通っていました。

 二人でお参りした後、参道にある親父行きつけの売店件食堂に案内されました。

 そうしたら!!

 「じいちゃん、よく来てくれたね!かわりなかった?」と、にこにこ顔で売店の餅焼きおっさんが挨拶してくれます。

 食堂に入ると、こんどは若いお姉さんが、忙しいのに飛んできて微笑みます。

 「じいちゃん。元気そうで嬉しいわ!先月来なかったし、この前来たときは顔色が白くて心配してたよ。。今日はとてもいい顔色で安心したわ」

 「ゆっくりしていってね。ゆっくり食べてね。」

 親父は、にこにこ顔のまんまです。

 私はとてもとても嬉しい気持ちがしました。

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 親父が私を紹介すると、お姉さんは親父の病歴から日々の暮らしぶりまでよくご存じで、ほんとに心が温まりました。

 親父はここでいっぱい買い物をするわけではありません。

 いつも蕎麦を一杯と、家の仏壇にあげる100円のまんじゅうを2個買って終わりです。

 ですから、お姉さんもおっさんも、ものを売るためにこびを売っているわけではないのです。

 毎月来て寄ってくれる、そして元気な顔を又見せてくれる、それだけが嬉しくて温かく歓待してくれるのです。

 仏様の慈悲に、とても近しいことに感じられました。

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 ふと、思いました。。。

 (何かに似ているな?)

 (そうだ!スナックだ!)

 「社長さん、お久しぶり〜〜。お元気そうで何よりですわ〜〜。ゆっくりくつろいでいらっしゃってね♡♡♡」

 (親父たち年寄りにとっては、こんなお店がスナックだったんだ! いくつになっても変わらないな〜おとこってもんは)

 何気なく食堂の横に目を向けるとそこにはこんな表示がされていました。

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 なるほど、やっぱり!

 将来は私が親父の跡を継いで、毎月ここに来てもいいな〜と思いました。

参考
 (親父出演のブログです)
 求む!シルバー・クオリティー
 「戦う」と「闘う」
 気骨ある親たち
 ジャガイモ掘りの日曜日
 千日聴聞行