ナンダロウアヤシゲな日々

◎この日記は、ライター・編集者の南陀楼綾繁が書いています。
◎新刊『一箱古本市の歩きかた』(光文社新書)発売中です。日本全国に広まりつつある「一箱古本市」やその他のブックイベントの状況をまとめた、初めての本です。
◎著書『路上派遊書日記』(右文書院)、『ナンダロウアヤシゲな日々』(無明舎出版)、『老舗の流儀 戦後六十年あの本の新聞広告』(とうこう・あい監修、幻冬舎メディアコンサルティング)、編著『チェコのマッチラベル』(ピエ・ブックス)発売中。買ってね。
◎ご感想・ご連絡は南陀楼綾繁 まで。
◎「不忍ブックストリートの一箱古本市」、次回は2011年秋開催です。
詳細は不忍ブックストリート公式ホームページもしくは、しのばずくん便りおよび秋も一箱古本市 / 青秋部 東奔西走の記をご覧ください。
◎「不忍ブックストリート」の茶話会、だいたい毎月開催です。ご案内はこちら 
◎2010年6月開始の「出版者ワークショップ」、受講者の追加募集中。内容についてはこちらをご覧下さい。
◎「一箱本送り隊」活動中。一箱古本市のネットワークを生かして、被災地の本好きの人たちに本を届けます。詳しくはこちらをご覧下さい。
◎2011年9〜12月の全国ブックイベント一覧を更新中。こちらに情報をお寄せ下さい。
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2012-02-08 賢太もいいが健もいい

昨日も織田作之助を読み進む。講談社全集(全8巻)でいうと、半分ぐらいまで来たかな。青山光二の回想録も再読。あと、久世ドラマの影響で、小林竜雄『久世光彦vs.向田邦子』(朝日新書)を読んだ。《時間ですよ》は、初回から4回まで橋田壽賀子脚本担当しているが、女の裸が出たり、「トリオ・ザ・銭湯」などのアドリブの強い久世の演出が気に入らなかったからだという。モノクロ放映時代の30回までがDVD化されてないのは、そのせいなのだろう。


今日は午前中、〈カフェ・ド・パルク〉で盛岡から来たFさんと会って話す。そのあと神保町へ。書評で取り上げる新書をまとめ買い。〈神保町シアター〉で、吉村公三郎監督《婚期》(1961)。小姑の姉妹若尾文子野添ひとみ)がいる家に嫁に入った京マチ子らの確執を描く。別に暮らしている長女役の高峰三枝子も含め、女優がみな達者。北林谷栄のばあやがぼそりとつぶやく一言面白い宮田重雄タイトル画、池野成の音楽もよし。気持ちよく観られる映画だった。靖国通りとんかつ屋でランチを食べる。650円だがボリュームがある。たまに来ると、次また来なくちゃと思わせる店。


ウチに帰り、赤旗書評原稿。今回は西村健『地の底のヤマ』(講談社)。2段組で860ページもあるので、読むのにまる2日かかった。炭鉱の町・大牟田市での約35年にわたる長大なドラマ山本作兵衛炭鉱画がユネスコ世界記憶遺産に登録され、炭鉱歴史が見直されているいま、いいタイミングで刊行されたが、おそらく大牟田出身の西村が長年温めていたテーマではないだろうか。いま作家で「西村」と云えば、大方の人は「賢太」を思い浮かべるだろうが、ぼくは「健」も好きで、デビュー作の『ビンゴ』などの「オダケンシリーズは読んでいる。ただ、アクションものの人だと決めつけていたので、本作のように、史実を背景に人間ドラマを描ききる筆力があったとは驚きだった。


西村健といえば、オダケンシリーズでは、段落が変わるとき句点「。」も読点「、」も使わずに改行している部分があり、最初誤植かと思った。しかし、全部がそうなのではなくて、どうも意図的にやってるようなのだ。文章の流れを止めたくないためにそうしたのか、よく判らないけど、かえって気になった。しかし、本作では普通に句読点が使われているし、近作の『任侠スタッフサービス』(集英社文庫)も普通だった。ということは、あのシリーズだけのルールだったのか? ご本人にお会いする機会があれば、ちょっと確かめておきたいことではある。

NEGINEGI 2012/02/09 08:38 山田太一脚本、久世光彦演出の「さくらの唄」で、山田が久世演出のアドリブや台詞の改変に我慢がならず、アドリブと台詞の改変をやめるよう申し入れたという話が『さくらの唄』(大和書房)のあとがきに書いてあったと思います。その申し入れにより、アドリブと台詞の改変がなくなったと。

kawasusukawasusu 2012/02/09 14:34 久世へのインタビューが元になっている『「時間ですよ」を作った男』では、『さくらの唄』は山田太一の抗議で久世流の〈寄り道ドラマ〉を封印されたことで、視聴率が振るわなかったとあります。未見なので判断できませんが。

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2012-02-06 《寺内貫太郎一家》と「リリー・マルレーン」

このところ、DVD1970年代TBSドラマ時間ですよ》と《寺内貫太郎一家》を並行して観ている。どちらも、名前だけでまったく観たことがなかったので、いろいろ判って面白い。《寺内〜》は向田邦子原案・脚本の、谷中墓石屋一家を描いたドラマだが、ほとんどのストーリーがセット内で進行する。ときどき出てくる外ロケは、100パーセント上野公園で、谷中霊園や街並みは一切出てこない(まだ1シーズン目の途中だが)。これは演出・プロデュース久世光彦が、セット収録にこだわったかららしいが、少しでも谷根千の街のシーンを残しておいてくれると、よかったんだけど。


以下は、リアルタイム番組を見ていた人や、久世光彦向田邦子好きな人にはよく知られている話かもしれないが、テレビドラマにうといぼくには、はじめて知ったことなので、書きとめておく。


第18話(DVD第4巻)では、冒頭からリリー・マルレーン」のメロディーが流れる。そして、貫太郎(小林亜星)が「昨日読んでた『文藝春秋』知らないか、あのコウモリの表紙の」と云うのだ。その1974年5月号の『文藝春秋』には、鈴木明の「リリー・マルレーンを聴いたことがありますか」という記事が載っている。第二次世界大戦下のアフリカ戦線で、ドイツ軍連合軍ラジオを通じて同じように聴き、口ずさんでいたのが「リリー・マルレーン」という、恋人と別れて戦場にいる兵士の歌だった。《寺内〜》では、この記事の内容を説明しながら、しつこいまでにこの曲を流す。この曲に秘められたストーリーと、長女の静江(梶芽衣子)が子連れの男(藤竜也)と一緒に暮らそうと決意するという重要なシーンが見事に重ね合わされている。梶と藤が二人で歌うシーンがあり、西条秀樹と浅田美代子もいつもの歌を止めてこの曲を日本語で歌う。静江が家族のもとに戻るシーンには涙が出た。ひとつの文章をここまで見事にドラマに取り込んだのは稀有な例だろう。


鈴木明リリー・マルレーンを聴いたことがありますか』(文藝春秋)は文春文庫にもなっており、古本屋でもよく見かける本だが、読んだことはなかった。新刊では在庫がなく、図書館に行くと1988年新装版(装丁平野甲賀)があった。まず、著者のプロフィールを見ると、あの『「南京大虐殺」のまぼろし』を書いた人だった。職業に「TBS勤務」とあり、なんだお仲間かと、ややしらけたが。


著者は、1970年大阪万博でのマレーネ・ディートリッヒのショーで、はじめて「リリー・マルレーン」を聴く。気になって調べはじめると、この曲が戦時中ベオグラードドイツ放送局から流されて、多くの兵士を虜にしたこと(そういえば、クストリッツァの《アンダーグラウンド》でも、この曲が何度となく流れていた)。ドイツで生まれたディートリッヒはアメリカ帰化してから連合軍のための慰問活動を積極的に行ない、そこでこの曲を歌っていたこと。ラジオで知られてから、各国でいろんな歌詞でこの曲が歌われてきたこと。などが判ってくる。そして、取材のため著者はヨーロッパ渡り、この曲が生まれてからヒットするまでの数奇な運命を明らかにする。中古車を買って、ドイツフランスイギリスユーゴスラヴィアと移動し、この曲の作曲者やユーゴ人の「ドウシャン・マカベエフ」(当時パリで活動中)など、さまざまな人と出会う旅が描かれる。ディートリッヒへの興味からはじまった取材が、ララ・アンデルセンという日本では全く知られていない歌手比重が移っていくところが面白い。非常に読みごたえのあるノンフィクションだった。


ついでに、ということで、加藤義彦『「時間ですよ」を作った男 久世光彦ドラマ世界』(双葉社)を読んでみると、この回について触れられていた。それによると、鈴木明の文章を見つけたのは久世光彦で、それを向田邦子に読ませたら、その文章をヒントに1本書いたのだという。『リリー・マルレーンを聴いたことがありますか』のあとがきには、脚本を書くにあたって向田が鈴木を訪問したとある


リリー・マルレーン」は、素人の僕が考えても「寺内貫太郎一家」の雰囲気とはいささかそぐわないのではないかという危惧があったが、向田さんは「こういう日常的なドラマの中に、異色な今日的なテーマを注入することによって、従来からあるパターンに、刺激を与えたい」と、僕に語った。


放送後、この曲は広く知られるようになり、レパートリーに入れる歌手も出てきた。淡谷のり子倍賞千恵子久世光彦歌詞で歌ったそうだ。いつか聴いてみたい。

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2012-02-05 《女の防波堤》と《事件記者》

昨日は〈フィルムセンター〉へ。「よみがえる日本映画 新東宝篇」も今秋で終わり。見損ねた作品が何本か。入口で高崎俊夫さんと会う。小森白監督《女の防波堤》(1958)は、敗戦後、連合軍兵士向けに設立されたRAA特殊慰安施設協会)で働く女たちが主人公。運命に翻弄された女たちを描くという名目の下、煽情的なエロと下世話な興味をたっぷりと盛り込んだ新東宝らしい作品。さんざん主人公(小畑絹子)をもてあそんでおいて、最後にとってつけたようなハッピーエンドで終わる。監督の小森白は、関東大震災後の社会主義者弾圧をこれでもかと云わんばかりにグロテスクに描いた怪作《大虐殺》の監督でもある。実話をもとに話を膨らませるのが得意だったのだろうか。


終わってから東京駅丸の内北口まで歩くと、15分ぐらいかかる。〈オアゾ〉前野バス停で、ちょうどやってきた「江北行」の都バス(東43)に乗り込む。昔、本郷から大手町までこのルートに乗ったことを思い出し、これで帰ることにしたのだ。大手町神田錦町駿河台下→御茶ノ水駅前→本郷三丁目本駒込→動坂下というルート東京の古くからの中心部をぐるっと回る感じ。駿河台下の古本屋街もバスから見下ろすと違った印象で面白い。動坂下で降りて、本駒込図書館で調べ物と読書。そのあと、〈ときわ食堂〉に行くとほぼ満員。チューハイ定食


帰りに〈古書ほうろう〉で、往来座・のむみちさん発行の『名画座かんぺ』2月号を受け取る。日にちごとに、名座座6館のスケジュールがヨコ並びに書かれていて、今日は何を見ようかなという時にすぐチェックできる。観たものをマーカーで塗っておくと、鑑賞記録代わりにもなるので、いつも手帳に挟みこんでいる。


それと、先日ここにも書いた、矢部登『田端抄』をほうろうで販売開始しています。500円(税込)。田端を歩いたことがある人なら、必読。近いうち、田端の〈石英書房〉にも置かれる予定です(石英さん、メールしましたよ)。


今日は昼飯に大鍋にカレーライスをつくる。それから阿佐ヶ谷へ。〈ラピュタ阿佐ヶ谷〉で昨日からスタートした特集「記者物語 ペンに掛ける」は、知らない作品が多く、なるべく観に通いたい。山崎徳次郎監督《事件記者》《事件記者 真昼の恐怖》(1959)は、同名のNHKドラマ映画化。50分前後ひとつの事件をスピーディーに見せる。記者クラブキャップ永井智雄、新米記者が沢本忠雄。ライバル社の新米山田吾一で、コミカルな役柄で笑わせる。


もう一本は、鈴木英夫監督危険英雄》(1957)。石原裕次郎主演かと思えば、なんと石原慎太郎主演。自分原作でもないのに出演してるのは、これ1本じゃないだろうか。役柄は、目的のためなら手段を選ばない若手記者誘拐事件の取材で警察が隠していることをスクープにし、そのために子どもが殺されても反省しない、という鉄面皮キャラ。何が起ころうと「おれは正しいことをやっている」と押し通すところは、後年のご本人そのもの。演技はそう悪くないけれど、あまりにも華がない。裕次郎だったらプライドの高い記者の寂しさも表現できただろうし、ライバル記者仲代達矢を主演にすればクール悪漢になっただろうが、慎太郎には無理。結局、最後地方に飛ばされるが、全然反省してないので、後味が悪い。どう考えても損な役柄だと思うのだが、ナニを考えて受けたんだろう? 脚本は須川栄三だが、どうもさえないのは、長谷川公之の潤色改悪されたのか。芥川也寸志音楽も緊迫したシーンに暢気なメロディーが流れるなど、ミスマッチだった。


「悪い奴ほどよくWる」さんより、西荻盛林堂書房〉内の「古本ナイアガラ」のメンバーがつくるフリーペーパー創刊号古本ナイアガラ 旅のしおり』を送っていただく。どっかでみた書き文字だなあと思ったら、『晶文社スクラップ通信』を編集していたTさんの手になるものだった。特集「私のベスト5」など、ちょっとした読み物が楽しい。こういうモノを見ると、つい「オレも混ぜろ」と云いたくなるのが悪いくせ。


倉敷蟲文庫田中美穂さんからは、丁寧な手紙とともに、新刊『私の小さな古本屋』(洋泉社、本体1400円)をお送りいただく。メルマガ早稲田古本村通信」などに書いた文章をもとにした、18年の古本屋暮らしを綴った本。少しずつ読みたい。


あと、『雲遊天下』の最新号も出ました。特集は二つ。「ブレないふたり 鎌田慧小野民樹」「2011年 私の読書」。後者には平井正也マーガレットズロース)、島田潤一郎(夏葉社)、山下賢二(ガケ書房)、野中モモ近藤ようこ倉地久美夫、ミロコマチコ栗原裕一郎近代ナリコ渡部幻ら注目の書き手が参加。こういうコラム特集はこの雑誌カラーに合ってると思うので、今後もやってほしい。ぼくの連載は「酔狂の向こうに」。往来座瀬戸さんのブログの文章を借りたりしながらの、近況報告みたいな文章になりました。ちょっと暗めの。でも、書き終えてからすぐに、もう楽天的性格に戻っています(それがいけないのでしょうが)。落ち込んだりすることもあるけれど、私は元気です。

2012-02-03 イモヅル式読書と映画

今週は書評原稿が2本と著者インタビューが1件あり、取り上げる本に関連する本を読んでいた。『コンフォルト』には、畑中章宏『柳田国男今和次郎 災害に向き合う民俗学』(平凡社新書)の書評を書いたが、サブタイトル通り、民俗学考現学の創始者が、東北飢饉関東大震災という災害を前に、自分学問をどう鍛えていったかが判る本だった。大学生とき民俗学サークルにいたときに、読んだり考えたりしたことを久しぶりに思い出す機会になった。現在、〈パナソニック汐留ミュージアム〉で開催中の「今和次郎 採集講義」展の図録が、同題で青幻舎から刊行されているが、この図録の編集畑中氏が手掛けている。新書と図録、セットで読むといいだろう。


ついでに、以前小沢信男さんから頂戴していた『今和次郎集』第9巻(ドメス出版)を引っ張り出し、パラパラ読む。第4巻「住居論」の「バラックについて」「震災バラックの思い出」および戦後に書かれた「戦災者の仮住まい」は、東日本大震災の後の仮設住宅のことと思い合わせずには読めない。また、エッセイ集『ジャンパーを着て四十年』(文化出版局)も面白い。冒頭で、今は柳田から考現学とはけしからん」と破門されたと書いている。この破門の件はほかの文章でも見えるが、畑中氏の新書によると、柳田自身は「破門した覚えはない」と云っているそうで、そうなると、今自身がそういう云いかたで柳田民俗学から距離を置いたのではとも思えてくる。


また、今は大学の授業や会議、あるいは冠婚葬祭に至るまで、ジャンパー姿で通した。今は子どものころから学校が嫌いで、中学入学試験には落第した。だから戦後早大工芸美術研究所設立にかかわったときは、入試を行なわずに選考だけにし、しかも「いろんな大学試験をうけて、落第した回数の多い者からとることにしよう」と決めた。教育者としての今和次郎は、型破りながら非常に面倒見がよく、生徒や先輩の先生から愛されたようだ。ぼくもこんな先生に、考現学建築学の授業を受けたかったものだ。


さらに、代表的な著作である日本の民家』(岩波文庫)にも手を伸ばす。以前読みかけたが、中断していたもので、今回は最後まで読みとおしたいもの。また、展覧会を見ていて、今和次郎花森安治立ち位置が似ていると思っていたら、二人が対談していた雑誌記事があった、「建築と服飾」というもので、『花森安治戯文集』1(LLPブックエンド)に収録されている。まあ、そんなこんなで、イモヅル式に読んでおきたい本に並行して目を通しているわけです。


今週観た映画映画の日に、〈上野東急〉でクリント・イーストウッド監督J・エドガー》(2011・米)を。ジョン・エドガー・フーヴァーの伝記映画レオナルド・ディカプリオのなりきりぶりは凄いし、アメリカ民衆管理体制が出来上がっていく様子がリアルに描かれているが、淡々としすぎているので途中やや眠くなる。これがイーストウッド最後監督作品になるのはさびしい。最後スカッと痛快な映画で終わってくれないかな。


なお、冒頭にフーヴァー秘書を連れて、ワシントンの〈Library of Congress〉に行くシーンがあり、この字幕が「国会図書館」になっているが、これは「議会図書館」と訳すのが普通だ。さまざまなコレクションをデジタルした「アメリカンメモリー」をやってるところですね。フーヴァーはこの図書館カードシステム発明したと、秘書に自慢するのだが、これは本当だろうか? 調べてみたい。

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2012-01-29 《もぐら横丁》の幸福

午前中は大谷晃一『織田作之助 生き、愛し、書いた。』(沖積舎)の残りを最後まで。織田作の作品と並行して読むことで、いろいろ判ったコトが多い。


関係ないけど、織田作を読んでいて初めての言葉を知った。『六白金星』に、主人公が「テンプラらしき大学生の男」にカツアゲされるシーンで「鮮やかなヒンブルであった」とある。まだ読んでないけど、長編『夜光虫』には以下の描写がある(青空文庫より引用)。


同じ仲間の「ヒンブルの加代」と異名のあるバラケツであった。

 バラケツとは大阪の人なら知っていよう。不良のことだ。

 しかし、ヒンブルの加代は掏摸はやらない。不器用で掏摸には向かないのだ。

 彼女の専門は、映画館やレヴュー小屋へ出入するおとなしそうな女学生中学生をつかまえて、ゆする一手だ。

 虫も殺さぬ顔をしているが、二の腕刺青があり、それを見れば、どんな中学生もふるえ上ってしまう。女学生は勿論である

 そこをすかさず、金をせびる。俗に「ヒンブルを掛ける」のだ。

 ヒンブルを掛ける、というのが面白いなあ。


3時に出かけて、〈フィルムセンター〉の新東宝特集へ。日曜だからか、作品が珍しいからか、満席に近い入り。清水宏監督《もぐら横丁》(1953)。尾崎一雄原作清水吉村公三郎が脚色。尾崎原作の《愛妻記》(1959)では、主人公の緒方一雄と芳枝夫妻をフランキー堺司葉子が演じていたが、この作品では佐野周二島崎雪子だ。体格も良く血色のよすぎるフランキーより、情けない感じの佐野のほうが適役だ。島崎雪子も明るくとぼけている若妻を好演。そこに、粘着質の大家(日守新一)や勝手佐野名前広告に使う売薬屋(森繁久彌)らのアクのつよいキャラクターからむ。全体的に、尾崎一雄の持ち味を生かそうとした映画になっていて、あくどすぎないユーモアが漂う。場内は冒頭から笑いが絶えなかった。子供出産にかこつけて病院に住みこんだり、そこから追い出され、まだ話の付いてない貸家に入り込んだりする、いまでは考えられない暢気さがよく描かれている。観終わって、ほのぼのと幸せな気分になった。


銀座線上野広小路に出て、〈珍満〉でビールタンメンを食べて帰る。映画の余韻がまだ残っていて、尾崎一雄全集を引っ張り出して、『もぐら横丁』を探す。映画はこの前の時代を描いた『なめくじ横丁』とを合わせ、一つの場所に設定している。映画に出てくる、伴克雄(檀一雄)の家は上落合二丁目で、尾崎曰くの「なめくじ横丁」。そのあとに引っ越し下落合四丁目が「もぐら横丁」だ。映画には友人の文士として、深見喬(浅見淵)、古井松武(古谷綱武)、早瀬稀美子(林芙美子)らが出てくるが、古谷が近所にいたのは「なめくじ」で、林芙美子のほうは「もぐら」である。なお、映画には尾崎志郎、丹羽文雄檀一雄特別出演しているらしいが、どれかは判らなかった。


映画では小事件が次々に起きるが、その大半は原作にあるエピソードを下敷きに、映画らしくつくっている。広告文に勝手名前を出されたのは原作にあり。ラジオがうるさくて仕事にならないのは、原作ではシェパードの鳴き声。林芙美子ラジオをあげると云ってくれたのに、見栄を張って持っていると云ったために古道具屋で買うはめになる件は、ラジオを炬燵に換えれば原作通り。芳枝が赤ん坊の鼻をつまんで乳首を離させたのを、古谷夫妻がまねて遊ぶ場面もほとんどそのまま。もっとも、芥川賞を受賞するのは、映画で描いた時期より3、4年のちのことだ。


尾崎最初映画化である島耕二監督《暢気眼鏡》(1940)については、杉狂児の演技が気に食わないと否定的だったが、本作はどう観たのだろうか? 全集にそういうことを書いた文章がないかとざっと見てみたが、見つからなかった。


ちなみに、萩原朔太郎の妻・稲子は、馬込文士村出会った若い男とできてしまい、離婚、その後、喫茶店ママになるのだが、『もぐら横丁』(小説の方)によれば、中井駅近くの〈ワゴン〉という店だったそうだ。

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