東京ブックフェアよりも青空文庫のほうがエライ

7時半起き。ようやく普通のサイクルに戻ってきたか。シラスだしを冷奴とご飯にぶっかけて食う。三校のチェック、塩山本の目次案、「しのばずくんトートバッグ」発送作業。トートは最初の10人の方へメール便で発送した。


12時半に旬公と出て、有楽町へ。駅前のビルがもう建っていてビックリ。かろうじて戦後の雰囲気を残す〈中園亭〉でパイコー飯を食べる。この店なくなったら、有楽町駅を使うコトはなくなるだろうな。有楽町線で新木場、りんかい線で国際展示場前。久しぶりに東京ビッグサイトへ。「東京国際ブックフェア」の第3日目。一般公開日なのでヒトが多い。高野マユタン、茂木さんなどにバッタリ会う。


15時、JPICの「活字文化コーナー」でトーク「街に出て本と出会おう」。ブックオカのときとあえて同じタイトルにして、読書や本をめぐる状況の変化について30人ほどの前で話した。隣のブースとまったく仕切りがなく直接音が飛び込んでくるので、自分の声がどのぐらいの大きさか判らず、上ずった調子になる。でもまあ、用意したハナシはなんとか話せた。終わってサイン会。『路上派遊書日記』とトートバッグを買ってくれた方多し。ありがたい。


そのあと一回りし、〈みすず書房〉のブースで荒川洋治『黙読の山』を2割引で買う。〈アノニマ・スタジオ〉のブースはカフェ形式になっており、丹治さんがおいしいコーヒーを淹れてくれる。テーブルには本を読む女の子がいっぱい。たむらしげる『象の思い出』(サイン本)を買うと、アノニマのトートバッグに入れてくれる。コレで元が取れるのか(取れないだろうなあ)と心配だ。河出書房新社は、11月刊行開始の池澤夏樹個人編集『世界文学全集』全24巻の宣伝に力を入れていた。


東京ブックフェアは二年ぶりだが、正直云っていつも新味がないなあ。「グーグル・ブック」(http://books.google.co.jp/)にしても、わざわざブックフェアでデモを見たいとは思わない。全体に、なんであんなにハデなディスプレイで、誰も聴きたくない騒音を垂れ流さないとならないのか。韓国や台湾のブックフェアもけっこうハデだったけど、東京ほど騒々しくはなかったぞ。


旬公と合流し、疲れきって外に出る。日の出桟橋に行く海上バスで帰ろうということになり、船着場に下りる。われわれの前の客は日の出桟橋で乗り換えて浅草に行くチケットを買っていたが、ヨコで券売機をいじっていた職員が「浅草行きはもう終わりだよ」と他人事みたいに云い、券を売った職員があわてて払い戻していた。どの職員もお役所仕事で、「まるで共産圏の店みたい」と旬公が云っていた。水上バスは涼しくて、見晴らしがよくて気持ちよかった。浜松町駅まで歩いて、西日暮里へ戻る。


池之端の〈鴎外荘〉で「青空文庫」の10周年パーティーをやっているので、タクシーで向かう。着いたらもう終わりに近づいている。最後に、野口さんが司会で景品の当たるルーレットが。入場のときにもらったDVDに青空文庫に登録されている作家の名前があり、「Wii」リモコンを使って、画面上でそれらの作家名がランダムに動かし、ストップした作家名を持っているヒトがあたりという趣向。野口さんが気合を込めてつくっている。5、6人賞品が当たり、「最後の賞品は任天堂DSライト」と告げられる。そしてストップした作家名は石川三四郎。なんと旬公が持っている名前だった(ちなみにぼくは渡辺温だった)。受け取りに前に出た旬公にすばやく不忍ブックストリートMAPとしのばずくんトートを渡し、ついでに宣伝してもらう。《情熱大陸》を見たヒトもいたようで、終わるとスグに何人もトートを買いに来てくれる。すいませんねえ。


青空文庫が始まった1997年は、『本とコンピュータ』が始まった年でもあった。ぼくは富田倫生さんが青空文庫のスタートを告げた場である、「本の学校」シンポジウムに同席し、創刊2号にその記事を書いた。それ以来、何度か青空文庫を紹介する記事を書いたし、オンデマンド出版で『青空文庫へようこそ』という本を編集した。工作員ではないが、青空文庫の動きを見守ってきたつもりだ。だから、本コが8年で終わったあとも、非営利運動である青空文庫が続いてきたことを嬉しく思っている。大きなビジネスとして14年も続いてきたが、何も生み出したように見えない「東京国際ブックフェア」よりも、財政的な基盤もなく志だけで10年間続いてきた「青空文庫」のほうが絶対にエライのだ。富田さん、八巻さん、LUNA CATさん、野口さん、そして工作員の皆さんに拍手。


「最後に来ていちばんイイ賞品当てるなんて、運を使い果たしたかなあ」などと云いつつ、歩いてウチまで帰る。ずいぶん歩き回ったし、多くのヒトと会って話したので、ぐったりと疲れました。