「あをつばめ 朴敬元と北村兼子」連載のお知らせ。

『社会新報』(週刊)で、
「あをつばめ 朴敬元と北村兼子」
という隔週連載を始めました。第1回が1月22日号で、1回600字程度で全8回という短いものです。

北村兼子は、1920年代から30年代初に活躍したジャーナリストです。今ではまったく忘れられていますが、とにかく文章が面白い。鋭くも思わず笑ってしまう見事なレトリックとユーモア、それを載せて弾むポップな文体。「文章をヒネってはいけないと叱られても私の文は水道文で、栓が固いからヒネらねば出て来ない。実際私自身でも持て余しているので、停滞なく出て来るホース文を目下修行中である」。こんな感じ。読み始めると止まらない面白さです。本のタイトルも『ひげ』『怪貞操』『恋の潜航』『短い演説の草案及び北村兼子演説集』。

北村はモダニズムの時代に相応しいセンスで、参政権要求を軸にフェミニズムを主張し、鋭い国際情勢分析に立った軍国主義批判を展開しました。満州事変の前には、日中の対立が日米戦争となり、米中の同盟は米軍の日本本土大空襲に帰結すると警告しています。中国と和解せよということです。「尚武国−これが間違ひの出発点だ、資力の伴はぬ尚武ほど危険なものはない、豚に牙をくくりつけて猪だとは笑はせる」。どうですこの気持ちのいい啖呵。今からでも遅くないから、どっかの出版社で『北村兼子アンソロジー』を出したらいいんじゃないかと思う。彼女のモットーは「主義は鋭かれ」。

その北村兼子が、27歳で死ぬ前年に出会ったのが、朴敬元(パク・キョンウォン)。通い始めた立川の飛行学校においてでした。

朴敬元は、朝鮮慶尚南道大邸市に生まれた女性で、1920年代半ばに、飛行士をめざして日本に渡ってきました。当時、世界的に飛行機ブームというものがありました。その背景には、飛行が人間の可能性の拡大につながるというロマンティシズムがあったわけです。その一翼を担ったのは職業進出の時代を迎えていた女性たちでした。今ではぴんときませんが、「飛行機を操縦したい」という女性たちが世界中に大勢現れて、日本とその植民地でも、40数人が実際に免許をとっています。ところが当時、女性は職業的飛行士にはなれないという法的差別がありました。朴敬元はそういう時代に、性差別と植民地支配という二重の抑圧を超えて「想像もできない遥か彼方の空」に向かうことを夢見ていたのです。その最終目標は、アジアで誰もなしえていなかった女性の単独訪欧飛行でした。167センチの大女で、自信家で大の負けず嫌い。でも明るくて親しみやすく、他人を味方につける不思議な魅力がある人だったようです。

この二人が、わずか8ヶ月だけども交錯したというお話を、書いておこうと思っている次第です。二人の出会いはしかし、一瞬で終わり、まもなく日本の侵略が深まるなか、飛行機は飛び立つ夢ではなく飛来する悪夢に、国境を越えて人を結ぶ希望ではなくて国境を越えて侵略し殺戮する道具へとその正体を現していくのです。



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