Brazil 1:出発

Brazilより続く)

二月某夜、ブラジル行きを決意する。滅菌されきった自然や、芸術的といっていいほど単純なアメリカ料理、無理して強がっているアメリカに疲れ、もっと猥雑で、自分の手と足を使い、地べたの上にちゃんと立って生きている人たちに会いたいと強く願う。人の手により蹂躙され、本来の強さや豊かさ、激しさを失ってしまった森や河ではなく、人の手の入る前の自然の強さと怖さ、そして熱さに揉まれてみようと決意する。スタンダールがかの恋愛論で、本当の恋愛はここにしかないと言い放ち、我がアドヴァイザー(指導教官)のヴィンセントがその血統を誇るイタリアに行こうか、という話もあったのだが、自然という一点から落ちる。

ブラジルは子供のころからのあこがれの国だった。確か、小学校の高学年のころ、初めて読んで以来、開高健氏の「オーパ」は数え切れないほど読んだ。スチール製のワイアですら噛み切ってしまうというピラニア、全長五メートルにも達する世界最大の淡水魚であるピラルクー、黄金色に輝く河の虎ドラド、果てしなく続くジャングル、そして世界最大の河アマゾン、どうしても見たいと思いながら、その思いが果たせないままでいた。存在があまりにも遠く、現実的に考えられなかった。

新年、年明けの挨拶にニュージャージーの山根先生のお宅に行く。先生は、僕が東大の応微研(応用微生物研究所*1)で大学院生をしていたとき以来の縁で、文字通り僕の人生の師である。我が子と同じようにかわいがってもらってすでにもう十年近くになる。

日系ブラジル人である先生は、高校を卒業後、アメリカに渡り、科学の総本山キャルテクで学位を取得後、ベル研に移り、三十年あまり働いたのち、母国ブラジルに戻っている。現在、世界的に有名な自然毒研究所、ブタンタン研究所のディレクターの一人である。先生にどうしてアメリカに渡ったんですかと聞くと、「いやー、オヤジがね、いつも言っていたんですよ。こんな国に三代続けていたら猿になるって。猿になりたくなかったからアメリカに来ました」、なんて笑っていってのける大変愉快な人である。

放浪の科学者である先生は、ある時にはフランスのパスツール(研究所)、ある時はドイツのマックスプランク(研究所)と、籍だけはベルにおきつつ、世界中で研究してきた。そうしてたまたま、親友であり、僕の日本での恩師である大石道夫先生のところで研究をされていたころ、僕が学生として転がり込んだというわけである。

その先生が、そろそろAtaka君、ブラジルに遊びに来て下さい、という。近いんだし、日本に帰ったらなかなか来れないんだから。全くその通りである。先生からはお会いするたびに誘われていて、衝動とこれまでの思いの蓄積、仕事の上でのうやむやなど何もかもが一緒くたになって、ある夜、思いが結晶化した。要は行くことを決めた。とたん毎日がきらきらしてくる。色んな思いが駆けめぐり、血は文字通り踊り、一日一日が過ぎていった。

ブラジル行きを決めた上での唯一の気がかりは、何度となく聞かされた、かの自然が日々加速度的に失われているという話であった。どの都市からも隔絶された荒野のど真ん中に、首都ブラジリアをたった数年で作り出したその空間衝動と、リオのカーニバルの度に死者数百人を出すという破壊的なエネルギーをもってすれば、例えアマゾンのジャングルといえども、不死身とは言えまい。果たして僕の目指すブラジルは未だ残されているのだろうか。



Brazil 2へ続く


若き日の私の心を掻き立てたオーパ

【電子特別版】オーパ! (集英社文庫)

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直筆原稿版 オーパ!

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(July 2000)

*1:応微研は現在改組され、分子細胞生物学研究所(分生研)となっている。ちなみに文中に出てくる大石先生はその初代所長。(http://www.iam.u-tokyo.ac.jp/indexe.html