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ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Being between Neuroscience and Marketing このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

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2008-08-03

「個」はどこから発生するのか?脳だけあればその人といえるのか?

quartaさんのディープな投げ込みに対するエントリー2です。:)


個うんぬんについては、僕が北米で研究していた当時、「くちコミの研究」で有名な森俊範氏が来訪され、同様の質問をされ、そのとき、僕の考えを話して盛り上がったことがあります。結論から言うと、僕はあまり深く考えても意味のない考えではないかと思います。


というのは脳というのはもともとパラレルプロセシングで出来上がっており、たとえ片側の脳しかないとしても、その人はその人だし、二つくっつけばそれはそれでその人。(しゃべれなくなったり色々ありますが、その人であることには変わりないという意味で。)どこか脳の一部が壊死することはstrokeなどでよくあることですが、だからといって別の人になったとは誰も考えません。それだけのことだと思っています。たまたま一つの頭蓋骨に入っているものを一セット持ったときに、その現在のその人になったということだと思うわけで、結構これについてはあまり反論というか、それ以上考えてもしょうがないと思っているわけです。ちょっと観念論過ぎる考えが広まりすぎていると思います。


この件については僕はMarvin Minskyの考えにかなり近いです。かれのSociety of Mind、、、つまり「心が集まって脳が出来ている」という考えそのものです。(今たまたまMITの近くにいますが、これもなんらかのsynchronicityかも知れませんね!)


あと、これまでのニューロサイエンスの研究上極めて大切な発見の一つは、つながれていない神経は死ぬというもの。つまり単独の脳は存在として余り意味がない上、完結した存在ですらない。あくまで身体を支えるようにして脳は出来ています。体が大きな動物の脳がおおむね大きいのはまさにその証左。ある程度以上に(入力の基である)皮膚面積が大きい動物は大きな脳を求めるのだと思います。


先ほどのエントリと密接に関係していますが、脳を取り出してその人はその人だ、というのは一見正しいですがあまり正しくない。その入力が体中に張り巡らされた神経から、そのように入ってきて、また筋肉、それこそさまざまな臓器(皮膚なども含め)などにそのような反応するから、その脳はそのような脳なのです。


ですから脳を別の身体に入れ替えたときに、同じ動きや反応をするとは僕は思いませんし(これは素朴にそうでしょう)、その脳はその人の大切な部分だが、その人そのものではないと思います。これは上の脳のどの部分が自分なのか、の議論よりも本質的だと思います。身体や入出力先、情報インターフェースと切り出した形で情報処理、蓄積系である脳を考えてもしょうがないと思うわけです。


いかがでしょうか?


(旅行中で、ブログはあまり見たり書いたりしないつもりなのですが、時差であまり眠れないので、、、。)



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脳は臓器なのか?

これは、先ほど(?)quartaさんより頂いたdeepな投げ込み、ご質問に対してのエントリーです。


僕は脳が臓器かどうかということにはほとんど関心がありませんし考えたこともありません。明らかに独立した特定の機能を持つ一塊の存在があるというだけの理解です。胴体の中にあるものが臓器だと考える人には臓器ではないと思うし、それはそれで好きにしてくださいという感じです。:)


あまりにも素朴に考えすぎなのかもしれませんが、そこに研究の対象とすべき大きな存在がある、ということで十分ではないかと思っています。いかがでしょうか。



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