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ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Being between Neuroscience and Marketing このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

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2008-11-15

ピカソは本当に天才か?

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Leica M7, 50mm Summilux F1.4, Neopan400


今、僕のおしごと生活圏の港区では、ピカソがホットだ。


サントリー美術館でも、国立新美術館でもやっている。タイトルもやたら仰々しく、一つは

「巨匠ピカソ 愛と創造の軌跡」

もう一つは、

「巨匠ピカソ 魂のポートレート」


、、、関西人ではないが、ホント、なんやねんという感じ。(主催の朝日新聞の体質、あるいはクセ?)

やたらめたら大きなポスターが至るところに張ってある。


子供のころは科学者でなければ、絵描きになろうと思っていたぐらいなので、絵はかなり好きなのだが(おそらくその吐き出し口として今も写真を撮っているのではないかと自分では思う)、僕はこれまで一度もピカソの絵からいわゆる「天才」というものを感じたことがない。これは僕だけなのだろうか。


ピカソの晩年のデッサンは好きなものがいくつかあり、いまもレプリカが部屋に一つあったりするのだが、それとこの巨匠、天才論というのは別で、本当のところ、みんなはどう思っているんだろうと、よく思う。


私の敬愛する開高健さんもかつてルーブルプラドを中心に回りめぐっていたころ、ピカソの絵にはなぜか何も引っかかることがないというエッセイを確か書いていたと記憶するが*1、それからかなりの年月がたち、確かに僕も生でいろんな名画と呼ばれるものとか有名な画家の絵を見るようになって、かなり実感を持って同意する。


コネティカットにいたころ、比較的近かったのでMet(メトロポリタン美術館)やMOMA(近代美術館)には、それなりの回数行き、大学も結構な美術館を持っていたので、それもよく行っていた。ボストンのMOFA(Museum of Fine Arts)も初めての渡米時以来何度か行き、いったいどこでどの絵を見たのかはあまり定かではないが、ピカソはそれなりの数を生で見てきた。


で、いつ見ても確かにうまいと思うのだが、僕の心にこれだけみても何も引っかからないのが不思議と気になっている。


ゴッホの空気に満ちた生命を捉えた絵はいつ見ても胸をつかまれる思いがするし、MOFAの誇るサージェントの絵は、まるで自分が10代で「ドルジェル泊の舞踏会」的な危険な恋をしているかのような気持ちにさせてくれる。モジリアーニの悲哀と達観、苦しみと愛が入り混じった絵には、通り過ぎようとしても自分を引き戻す力を感じざるを得ないことが多い。

絵ではないが、ロダンの手はどれを見ても目が離せなくなる。才気走ってはいるがコクトーのなんとも言えず甘いけれども、何か真実を捉えたデッサンも自分を強引な力で捕まえて放さなくなったことが何度かある。


しかし、何点見てもピカソの絵には、そういうものを感じない。通りがかっても、ふうんで終わってしまう。なぜか。


青の時代の絵は(上の展示会のポスターも多くがこれ)、うまいと思うし、時にそのころの彼の気持ちをしみじみ感じるが、でもゆり戻されるような力を感じることはまずない。なぜか。

そしてこれが何か本質的なものを意味している気がしてならない。Artistとしての才能は素晴らしいものがあると思うが、本物の名作に必ずある、凄まじいまでの何か生きること、世の中に対する洞察、衒いのない真剣味がなぜか僕には感じられない。僕はそのような自分だけの世の中の解釈を通じて見える真実を残すことがArtの、Artistの本質なのかなと思うので、なおさらそう思う。


パブロ・ピカソは名前がいい。

娘も有名だ。

いろんな絵も描いた。

人としても面白い。

しかも生存中から超が付くほど有名だった。

、、、こういったことが天才という名声につながっているだけなのかもしれない。そして生存中からして有名であった、名声、マネタイズに成功してしまった、ということが彼の絵の、妙なすっきり感と、読後感のなさを生み出しているのかもしれない。世界で一番絵を描いた人の一人だということも確かどこかで聞いたことがあるが、この辺も効いているのかもしれない。しかしそれにしても若いときの陰鬱さ(「青」)の時代ですらそうだということが僕にはまだ解せない。


ちょっと誰か本当にピカソの絵が心から離れないという人がいるのなら、教えてほしい。それがいったいどんなところの、何なのかを。こんなに僕の心に引っ掛かりがない、心に訴えない絵がどうしてこれほどの名声につながるのだろう?


かつては単に自分の経験が足りないだけなのかもしれないと思っていたが、大半の名声を持つ人の作品の何かが自分の心に何らかの引っかかりを、衝撃を確かに残した今、この歳になって更にしみじみ思う。モネであれ、モンドリアンであれ、自分の心を掴んで離さない絵は必ずといっていいほどあるのだけれど、、、。


そんなことを、毎日ピカソの大きな絵のポスターを街で見かけるたびに思う。


腰が痛いからなのかしら。(笑)


皆さんよい週末を! 僕は腰のMRIをとってもらおうと思います。

そして、もし暇があればどこかでピカソを見て来てもう一度考えたいと思います。でも、人が多そうなので、平日のどこかがいいかナ?(昨日サントリー美術館の方にちょっとだけ寄ろうかと思ったのだけれど、何だか派手な有名人D氏が女の人と入っていったので、急に萎えてしまいました。笑、、、D氏がちょっとO脚気味だったのが、新鮮でした。)



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*1:読んだのがもう20年ほど前なので記憶が若干うつろ。本エントリはそのオマージュでもある。

journalofpersonnepoliejournalofpersonnepolie 2017/06/08 23:48 私はピカソが好きですよ。なぜなら残した作品群からバイタリティが流れ落ちるくらいに溢れていることを感じるからです。それは、人格のリーダーシップ性に近いです。例えばリークアンユーみたいな熱情を絵から感じます。が、おっしゃる通り、1つ1つの作品自体からはあまりなにも感じないですね。大量に見てはじめて思いいたりました。

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