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ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Being between Neuroscience and Marketing このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

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2009-01-31

ポスドク問題について思う2

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Contax T2, 38mm Sonnar F2.8 @Los Angeles, CA


(これは昨日の呟き編の続きです。ごはんを楽しく食べていたら書くのを忘れてしまってました、、、。昨日のを読まれていない人は、まずそちらをご覧ください。)


wackyhopeさん、いつもコメントありがとうございます。


ふーん、へぇーーーでした。学位を取ろうとする人の集団は、いくら何でも民間企業に働くことを最終目的にした人が主ではないと思うので、あのような検討をしたのですが、まあ要はアカデミアは無理でもやっぱり仕事に就けないということが問題ということで、supply(社会への供給量)とdemand(社会の需要)の問題ということは変わらない訳ですね。


(、、、昨日書いた通り、明らかにアカデミア側のキャパがたりない状況下で、「もし」ですが、自分のトンガリ、売りもないのに、非現実的にアカデミアの道のみを考える人ばかりが大量にいてあぶれていて、それをブツブツ言っているのであれば、それは人としてのimmaturity、空想癖の問題なので、それは人間そのものを大人にしないとどうしようもありません。「自滅」としか言いようがない。)


僕は、Ph.D.、あるいは日本の博士号取得者を労働社会が吸収できるかどうかは、国というより、その社会の、その分野における基礎研究の強さに著しく依存しているので、一般論で議論すること自体にあまり価値はないと思います。たまたまその分野で強ければ沢山吸収できる。


例えば、アメリカの基礎研究の半分ぐらいを占めるlife science(生物系の科学)の場合、民間での最大の吸収先は、当然、アメリカを代表する産業の一つである医薬系ということになります。


ではその規模は、というと次のようなものです。(Wikipediaによる)


2007年度医薬品メーカー売上高ランキング(トップ20)

f:id:kaz_ataka:20090131110053p:image


圧倒的に欧米系、特に米国資本が多く、日本勢はホント悲しいぐらいに小さいことが分かります。このトップ20での事業規模(売上高の総和)は次のようなものです。


アメリカ    196,670 (日本の10.1倍)

ヨーロッパ   204,155 (日本の10.5倍)

日本      19,437

(アメリカとヨーロッパが大体20兆円、日本は2兆円)


おおむねR&Dの規模感というのは事業規模に連動しますので*1、ライフサイエンス系Ph.D.の民間吸収余力の指標としては、かなり適切なものでしょう。アメリカは少なくともこのような分野では、我が国(日本)とは圧倒的に吸収余力が違うのです。


また、ヨーロッパ系の開発拠点は世界に散っているとは言うものの、実際には大半がアメリカを本国並み、あるいはメインの開発拠点にしています*2。ですからこの数字以上に、アメリカは吸収余力が大きいと見てまず間違いありません。


ヘルスケアの世界では90年代初頭からはげしい企業合併が繰り返されてきましたが、その最大のドライブは、販路の拡大でも、生産コストの低減でもなく、十分なR&D力の確保でした。一つの大型新薬の開発に800-1000億、しかも上市まで10年ほどもかかるという非常に統計学的なビジネスであり、開発力にある程度の規模がない限り、事業が安定しない。だから、合併の度に事業規模だけでなく、ということで、R&Dのランキングも発表され議論されてきたのは業界の人であれば(日本のメディアは良く分かりませんが)ご案内の通りです。


同じようにアメリカの基幹的な産業である、IT・ハイテク系、航空系においてはアメリカは世界のどの国の追随も許さないレベルの民間R&D規模があります。が、一方、電気的なエンジニアリング、クルマの新型エンジンの開発などに関しては、日本の方が吸収余力は大きいでしょう。ただ、残念なことに、このような分野ではPh.D.はほとんど要求されません。


つまり日本の場合、もっとも吸収余力を持つ分野に集中して、しかし吸収力を勘案しつつ、Ph.D.の育成(生産)を行うべきだが、実際には、そのような分野は少なく、増産は危険である、ということが言えると思います。


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ということで、やはり国の吸収余力がない分野に対して、日本は不必要に学位取得者を生み出しているということは、ほぼ明らかではないかと思います。根にあるのは雇用の柔軟性というよりむしろ、産業構造の問題であり、国としての産業分野の強さの問題なのです。


それに見合った数しか生み出してはいけないのに、それを越えて生み出せば、あふれるに決まっており、昨日のエントリの話と総合すれば、構造的に二重にまちがった増産が行われていることが分かります。


1.大学の吸収力そのものが低い(具体的に検討していませんが、国立研究所、理化学研究所などもほぼ同じでしょう、、、トップ大学に並ぶポジションですから、大学以上に大きい理由がない)


2.産業的な強さを全く反映せずに生み出されている


大量に学位取得者が生み出されたのだから、産業を強くしろ(そして大量に受け入れろ)というのは、ほとんど言っても詮無いことです。武田だって、別に好んでこの規模なのではないのです。全力を尽くしているのですから。上の二つはどちらも明らかに、産業側ではなく、アカデミア、政府の側、そして単純な算数もせずに行ってしまった*3学生の側の問題です。


無理した増産をすれば起こることは、メーカーの経営と同じで、在庫が積み上がる、そして積み上がれば普通は価値が落ちる。在庫処分をすれば、叩き売り、すなわちインフレになります。アメリカの10分の1のバケツに、同じ量の水を流し込めば、どうなるかは言うまでもありません。


もう一つ厄介なことは、欧米とは異なり、同じ日本の大学院が非常に似たスペックで若干安い人を大量に生み出していることです。すなわち、日本ではterminal degreeとして修士を生み出すプログラムが存在し、それが一般化しているために(註:エンジニアリングはともかく、サイエンスの修士課程は少なくともアメリカではほとんど存在しない。最近のエントリ『専門教育に関して悩まれている人へ贈る言葉』を参照)、大学院卒を採るということはマスターを採ることとほとんど同義語化しており、わざわざ歳をとって学位を取得した人を採る意義をあまり感じないということがあるでしょう。つまり身内に敵 (competitor) がいる。これも上と同じく企業側ではなく、大学、政府側の問題です。本来博士課程を増強するなら、修士課程をつぶすべきでした。*4


という需給バランスを無視した供給が起こっていることが、現状の最も本質的な理由*5であり、とにかく増産、そして上のダブり生産をやめることが即効性の高い打ち手になるでしょう。そして適正な量を分野ごとに見直す。増産部分で余剰状況になっている社会の在庫(かわいそうなポスドクたち、、、100年前の政府にだまされて行ったブラジル移民のようなものです)については、社会のサンクコスト*6にならないように、何らかの社会的な打ち手が必要だと思います。


しかし、こんなに経済の基本のようなことが分からない人が教育行政に携わり、それを大学もあまり考えずにやり、学生もほとんど盲目的に進学しているという総思考停止状態を止めないことには、このようなことは繰り返されるのではないかと思います。


学生の人たちへ、、、自分の人生は自分しか守ってくれません。文句を言っている暇があれば、どうやってこのリスクを回避できるか考えましょう!


ではでは。



参考エントリ:


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*1:実際には大きいほどR&D比率は上昇する

*2:これは、このような良質なPh.D.ホルダー取得の容易さの問題であり、言葉の問題でもあり、また世界最先端の研究を行う優れた大学への近さの問題でもあります。つまりアメリカが生み出すPh.D.のグローバルな「市場価値」は少なくともこの分野では世界のどこよりも高いことがここから分かります。

*3:100歩譲って、「計算したけれど、その数字の持つ意味をいざという時に、都合良く忘れているか、受け入れられない」

*4:これは、ビジネス的にはあまりにも基本的な問題でもあります。大切な新商品を出すときに、カニバル [喰い合う] 可能性がある昔の商品を整理するのは、いかなる商売、マーケティングにおいても基本中の基本ですが、それが出来ていない。2008年モデルを引き上げずに、2009年型の新車を店頭で売ることなんてあり得ないですよね。こんなことをすれば、株主総会IRでボコボコにされるのが落ちです。人類の知の象徴であるはずのアカデミアが、自分のことすらロジカルにモノを考えられないのであれば、もう存在意義があるのか、とすら思います。

*5:昨日書いた、アカデミア以外の道を検討しないという非現実的な行動習性を持つimmatureな人が多いのではないか、という問題は除く

*6:sunk cost: その事業や取り組みをやめても回収できない費用

2009-01-30

ポスドク問題について思う

f:id:kaz_ataka:20081227133411j:image

Leica M7, 50mm Summilux F1.4, RDPIII @Grand Canyon National Park, AZ


休載宣言以来、案の定ほとんど書けていませんが、なんというか日本の学位取得者について考えさせられるメールが来て、ちょっとだけ。


ポスドク*1問題というのが日本ではかなり深刻だという話をたまに聞いたり、見たりするのですが、なんというかちょっと不思議に思っています。


どうも騒がれていることの本質は、学位をとっても研究職、特に大学や公的研究機関に就ける人が少ないということのようです(もし私の理解が間違っていたらごめんなさい。その場合、以下は読む必要ないです)。


しかし、それは本当に問題なのでしょうか。アメリカのトップスクールのようにセレクティブで、どのPh.D.プログラムでも10人ぐらいしかとらないようなところでも(一つのプログラムで学位を取るのはそのうち5-6人/年)*2、最終的に大学のファカルティになるのなんて2割もいるかどうか。それ以外の人は当たり前のように民間に出て行きます。つまりなんでアメリカとは違って、日本ではそれを問題にしているのか、と僕は思う訳です。


まして、日本のように「大量生産」していれば、ファカルティには1割ぐらいしかなれない、適切なポスドク職を探すのも困難なのは当たり前なのではないでしょうか。ほとんどロースクール*3卒業生と同じ問題のように聞こえます。


大量生産、ということについてですが、例えば、アメリカで最大級のPh.D.養成機関の一つであるHarvardで、理系文系など学問分野を問わず生み出されるPh.D.は年間約540人(この資料のp.11)、同じくかなり大きな大学であり、学生一人当たりの運用資金全米一を誇るYaleで360人にすぎません(しかしこれだけ生み出せる大学は数えるほどしかなく、この生み出す数をこの二校は大学の質を証明するアウトプット指標としてとても誇りにしています)。Berkeley, Stanford辺りがPh.D.産出パワーで(笑)ここに並ぶクラスだと思いますが、ほとんどの大学はそれほど大きなプログラムがある訳ではないので、そこまで生み出すことは出来ない。


一方、日本では、東大だけで年間1100人以上米国には事実上存在しない論文博士180人を含めると約1300人)、京大が年500人強、全国ではちょっと古い資料でも年16000人!、妙に数字が多い保健分野を除いても年9000人も生み出されている。そもそも個々の大学の基礎的な実力、体力*4としてこんなに生み出せるはずがないと思うのに加え*5、総数としても人口比アメリカの2.4分の1しかないことを考えれば、「主力になる大学」が生み出す学位の数が、かなり多いことは自明


(註:なお、アメリカにおいても主たる大学におけるファカルティは、[日本とは全く違うロジックの結果ですが] かなり名の通った大学の出身者が殆どですから、ここでの比較はある程度、nearly apple to appleの主力の大学同士の生み出す学位取得者で考えています。地方の末端州立大学ぐらいまで含めれば、学位の総数はさすがにアメリカの方がずっと多いでしょう。むしろここからあとの議論の通り日米では受け入れ余力が全然違うにもかかわらず、同じ人口で生み出す学位数に、日米の差がそれほどなさそう、、、つまり作り過ぎに思われることが問題。*6


しかも、アメリカは世界レベルのアウトプットを出す、それなりの研究を行う有力大学だけで数十はあり、それぞれがかなりのラボの数を持ちますから*7、ポジションははるかに多い。なお、日本のような講座制をとっていないので、一度assistantであろうがprofessorになってしまえば、アメリカでは原則PI(principal investigator:ラボの長)です。それでもPh.D.の大多数は結局ファカルティにはならない訳です。


ちゃんと研究を行う大学の数も、大学辺りのラボも少ない日本でこれだけ博士号を生み出せば、より結果が強烈になるのは当たり前なのに、その程度の算数も出来ない人が、日本では大学院に行くのでしょうか?(そして、自分のとったリスクを棚上げにして、文句を言っているのでしょうか?)しかもいくつかのエントリで考察した通り、英語の問題があって、ドイツ人などヨーロッパの学位取得者のようには、自由に海外の研究職も探せないということであれば、もう吸収先がないのは当たり前。


ということで、もし上で私が書いたことが、本当に騒がれていることの中心であるとすると、まったくもって解せません。当然のことを当然だと思えない、ある種のimmaturity課題がそこにはあるのではないかと思うのですが、これは下衆(げす)の勘ぐりなのでしょうか?


大学に行けば、あるいは大学院に行って学位を取れば関連する仕事があると思っているのは、途上国を除けば、日本人だけなのではないかと僕は思います。そう、それは明治、日清、日露戦争時代のスキームなのです。


暴論でしょうか? 僕は、一歩日本を出れば、これが世界標準の考えに近いと思いますが、、、。



追伸:コメントを拝見し、続きのエントリを書きました。そちらもご関心があればどうぞ。


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*1:postdoctoral fellow/associate: 博士号を取得してその後、独り立ちするまで、更に、多くの場合、別のラボに行って研究している人

*2:ファンディングのリソースの大きさと、ファカルティの数によって大体規模は決まります。僕がいたプログラムが典型的なものの一つだと思いますが、学生は毎年10人しかとっていません

*3法科大学院

*4:金、ファカルティの数、ラボの中の人の数など

*5:例えばなぜ東大はファカルティの層、研究費ともに巨大なあのHarvardの倍以上も生み出せるのだろう?

*6統計上の総数についてはトラックバックを頂いたnext49さんのエントリでかなり詳しく検討されています。refer多謝。誤解を生んでいたら申し訳なし。ただ、本エントリの後半を読んで頂ければ分かる通り、吸収力を無視して、[人口辺りで] アメリカとたいして変わらない程度に生み出していること自体が過剰だと言うことを問題だと思うという筋は変わりません。また同様に、日本の主要大学がかなり際立った数の学位保持者を生み出していることは認めざるを得ないと思います。

*7:私のプログラムの場合、学生年10人に対し、参加するファカルティ(つまり選択可能なラボ数)が90ほど当時ありましたが、ちょっと日本ではなかなか考えがたいことです

2009-01-17

昨日のコメントを受けた追伸、、、若さは才能

f:id:kaz_ataka:20090115235924j:image

Leica M3, 50mm Summicron F2.0, S-800 @お台場東京


昨日のエントリのコメントを見ていて少し追伸。(まだご覧になっていない人は、文脈が理解できないと思うので、そちらをまずご覧ください。)


まず、以下のエントリはかなり密接に関係したトピックなので、初めてこのブログにいらした人はご覧になって頂ければと思います。

ここではそもそも大学院教育の質として日米でどうちがうのかについて考察しています。、、、正直、欧米(特に米国)の先進的なプログラムを体験もせずに日本でも戦える、ノーベル賞も出ただろ、というのは、なんというか戦前、ニューヨークも見ずに*1鬼畜米英と叫んでいたのとあまり変わりません。戦前であっても北里先生であるとか、高峰譲吉先生であるとか、真に世界的な研究者はいました*2。そういう話ではないのです。


少なくともアメリカ1957年10月のスプートニクショック以降(今をさかのぼること51年あまり前)、国を挙げて国力増強のための科学研究、研究者育成の競争力強化、グローバルな人材取り込みに取り組んできました。日本は言語的にハンデがあるだけでなく、人材育成の仕組みもかなり遅れているのはファクトベースで認めないといけない(→学生のファンディングすら出来ていないのに、この認識がほとんどないのがそもそもの問題)。変に最近ノーベル賞が多かったりして、この改革の機運がむしろ下がっているようにすら感じます。


この数十年のノーベル賞の大半が、受賞者の国籍に関係なくアメリカがらみであったことを良く考えてみれば、結果としてのこのあたりの国家的な研究、研究者育成に関する生産性の違いは自明です。在住人口比で見れば、考えられないほどの差が生まれています。終戦から暫くするまでヨーロッパ勢が主たる勢力であったサイエンスは、60年代以降おどろくほど急速にアメリカに中心が移っていきました。


このリストを見て頂ければ分かる通り、アメリカの生み出した309人(!)のノーベル賞受賞者のうち、分野は混交ですが、237人までが1960年以降の受賞です*3。ノーベル賞の単独受賞がほとんどなくなりつつあるとはいえ、この賞が20世紀の開始とともに、1901年に始まっていることを考えれば、戦後、アメリカの生産性が劇的に上がったことはほぼ明らか。本来の出自的には世界の寄せ集めのアメリカとこれだけコンスタントに差がついていることは、かなり何か本質的な「仕組み」の差があると考えるべきでしょう(これが最終的にはスプートニクショックの本質である国力の差につながる)。


その上で次のエントリ

を読んで頂ければ、なぜ欧米で教育を受けた人が何人か日本に帰ってきたぐらいで、教育の仕組みがそう簡単に変わらないのか、ある程度分かって頂けると思います。(私は希望は捨てていませんが、膠 [にかわ] のように固まった『システム』というのは、そう簡単に変わるものではありません。これは日本の大学システムに比べればまだ歴史の浅い、GMの変革の苦労などを見ていれば分かる通りです。)


実際にはチェンジマネジメント(マネジメントの仕組みの変革)にがっぷりと関わった経験がないとこの変革の困難については腑には落ちないと思いますが(正直、自分の過去を振り返っても、特に20代で理解することはかなり難しいと思う)、それに多少関連するのは次のエントリです。それほど浅い話ではありません。

この国の高等教育、研究システムの改革は、十分によい体験を積んだ人の数が高まること、抜本的な変革に向けた危機感が高まること、更にチェンジマネジメントの経験が深い人がある程度そろうこと、の三つがないと恐らく難しい、と僕は踏んでいます。



ということで、才能のある人は、こんな社会システム的な化け物と戦うのはやめて、さっさと利根川先生のように外に出た方が良いのでは、というのが昨日のanonymousなご相談に対するお答えでした。いずれにしても、一本立ちしたときに戦う相手は、そのアメリカを中心とした海外にいるのですから。そしてネットワーク、英語力も含めた研究の基礎体力は若い時ほど身につけやすいことはいうまでもありません。、、、若さは才能ですから。



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*1:今マンハッタンで立っている主たるビルの半分以上は、The Empire State Buildingはもちろん、世界恐慌直後に立ったロックフェラーセンターなども含め戦前から建っている

*2:とは言うものの、この二人とも欧米で研究!

*3:ちなみに日本は同期間中に15人です。実数にして15.8倍。人口差はせいぜい2.4倍なので、人口比6.6倍。

2009-01-16

専門教育に関して悩まれている人へ贈る言葉

f:id:kaz_ataka:20090116000109j:image

Leica M7, 50mm Summilux F1.4, 400VC-3


ブログ、全面再開できる状態にはほど遠いのですが、時たま、読者のかたから進学関連の悩み相談のようなメールを受けることがあり、今週もかなりまじめなものを受け取ったりしたものですからちょっと書いてみたいと思います*1


大体、受けるご相談は、以下の三つのどれかで

  1. 今のまま日本で大学院教育を受け続けるので良いのか
  2. ポスドクになってから外国に行くのでは遅いか
  3. やりたいことがあるが、仕事も忙しく踏ん切りが付かない

こんな感じです。


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これを他人事(ひとごと)として読まれるとなんでそんなことに、と思われる人もいるかもしれませんが、それは毎度大変深刻、あるいは真剣なご相談で、だからこそ僕のような直接あったこともない人にまでご相談が来るのではないかと思うのです。こうやって何人かの人のご相談がやってくるということは、かなりの数の人が実は同様の悩みを持たれているのではないかと思うので、そういう悩みのかたのために、ちょっとだけ書いておけたらと思います。(いつかチャンスがあればもうすこし腰を据えて書いてみたいと思います。)



いずれにおいても、あまり僕としては悩むことはないと実は思っていて、僕の考えは結論から言うとこうです。

  1. サイエンスで生きようと思うのであれば、修士なんか日本でとってる暇があればアメリカ、もしくはヨーロッパの優良大学で学位を取るべき(出来る限り英語圏
  2. 遅いかどうかは分からないがかなりのハンデになりうる
  3. やりたいことがあるのであればやる

これだけでは何が何だか分からないと思うので、暴論に聞こえるかもしれませんが、なぜそう思うのかを書きます。


1について


第一に科学の世界は僕の知りうる限り、本質的に英語がdominateしている世界であり、がたがた言っても英語の論文を書き、英語で話し、英語の研究者の信頼できる友達や教授のネットワークをどれだけ作れるかがかなりの勝負を握ります。従って、出来ることであれば全ての専門教育を英語で受ける方が圧倒的に有利であり、そもそも自分が習う人やそこに学ぶ友人たちと友達を広げること自体が意味がある。


第二に、もし学位(Ph.D.)をアメリカでとるのであれば、日本でやっていたマスターの二年間もそのお金も完全に無駄になる。少なくともアメリカのresearch universityでは、自然科学系の修士課程(マスターをとることを目標としたプログラム)というものは事実上存在していない(要はすべてがPh.D. program)ため、もう一度、アメリカ中の有名大学からピンに近い成績でやってきた新卒たちとゼロからコースワーク(専門の基礎教育)をやり直すことになる。


第三に、マスターを持っていても研究者の世界ではほぼ何の足しにもならないし、たいした尊敬は得られない。これは知る人ぞ知るだと思いますが、アメリカにおけるMSというのは、優秀な学生であれば、実は大学四年間の間に、卒業と一緒にもらう程度のものであり(例えばYaleのようなトップスクールでは、当たり前とはいいませんが、大学卒業と一緒にとる連中は結構ゴロゴロいます)、もしくはPh.D. programを1年程度ちゃんと在学して、ドロップアウトしたときにかわいそうなので学校がくれる学位という位置づけにすぎない。


だから、多くのアメリカ人研究者はマスターを持っていない、もしくはPh.D.授与のときに一応一緒にもらってもそのことはCVのどこにも現れない。この二番目、三番目はほとんど知られていない事実なので、結構衝撃的かもしれません。



2について


これは前に書いた大学院教育のエントリも一緒にご覧頂けたらと思います。日本の大学院教育しか受けないで、日本からアメリカにポスドクに来るとどういうことが起こるのかというのを随分傍目に見ていたのですが、それを見ていた結論としてかなり上のように確信しています。


ポスドクで渡米して来るような人は、TOEFLで満点近いスコアをとり、GREでもかなり高いスコアをとって入ってきたようなinternational graduate studentとは違って*2、大体が英語の基礎体力そのものが弱い。また実は正直、英語圏で研究するとか、いや授業を受けるという段階で、TOEFLがほとんど正解でした程度の英語では付いていけませんし、あまり何だかなぐらいなのです。実は。ですから非常なハンデを背負ってやってくることになります。年齢的にも実験技術以外の基礎的なスキル的にも(前述のエントリ参照)。また年齢的なこと、変なプライドも、下記の誤った行動パタンもあって、英語もあまり伸びないケースが大半。


ということで、結果、何が起こるのかというと多くの場合は、日本人のポスドクの中で群れて、だべり、ラボに戻ると事実上Tech(technitian:実験をただする助手というのがアメリカの多くのラボには1−2名いる)として扱われ、いいように使われて終わる。生産性の高いラボであれば、一緒にペーパーに名前も載るし、2−3年いればいいジャーナルにtop authorで一本ぐらいは出させてもらえるかもしれないが、そこまでsurviveする人は少なく、実はここには全然至らずに帰るケースが多い。特に僕のいたようなmedical schoolでは、日本の大学の医局から金とともに送り込まれているような人が多く、なんというかバケーションのように楽しむだけという感じになるケースも随分見ました。


ということで、本当にサイエンスで飯を食おうという人には全く勧めないオプションです。むしろgrad studentとしていきなり来れない場合、本当は色々なベネフィットの多い、テクニシャンとして潜り込むのがベストなのですが、これは外国人には困難かもしれないです。まあとにかく入ってしまえば、一年がんばればマスターを上述のようにくれるので、最後まで残るのは仮に5割だとしても、後述の通り、お金もかからないし、非常に良いオプションではないかと思うのです。



3について


言うまでもないです。人生は短く、やりたいことは多い。そしてどの一つをやるにしてもかなりの時間がかかる。だからやりたいことが見えている人はそれをまずやるべき。それに尽きます。


忙しいとか金がないとかそう言う言い訳をしない。研究の場合は特にそうです。なぜなら、このキャリアパスを考えた人であればよくご案内の通り、米国のPh.D.プログラムは自然科学系の場合、100%大学が学費と生活費を出してくれるのです*3。すなわち、日本でマスターをとる方がアメリカでPh.D.を取るよりはるかにお金がかかるのです。何しろもらいながら学生をやるのと、払いながら学生をやるのの違いですから。


また、時間がないとかというのはとんでもないいい訳だと思います。僕は恐らく通常の人の基準で言えばかなり逸脱した生活を送るような過酷な仕事をしていましたが、それでも隙間と休みの時間を縫って準備をして、むしろその特異な経験のこともあって、無事なんとか当時、全米で自分の専門分野のトップ5に入っているような学校にadmitしてもらうことが出来ました。むしろ時間がないからこそ工夫するし、がんばるのが人というものではないかと思うのです。


しかももらう学位のパワーがいざ一歩日本を出たときに全く違う(普通欧米の主要大学間では、主たる研究者同士は顔通しが出来ておりレターや一言推薦してもらうことの力が非常に強い。これも学位の力のうち)。僕はマスターを日本でとり、幸い師匠に恵まれいい思いも、素晴らしい経験もしましたが、学位(博士号)を取らなくて本当に良かったと今になって思っています。それはあれ以上の借金を背負う必要がなかったこともそうですし*4、そういう残る経験、残る学位の力もあります。ということで、もし採ってくれるのであればno regretだと思う訳です。


幸い日本の場合、多くの人が日本の大学院に私の若かったときのようにそのまま残ってしまいますから、日本の競争相手は少ないことが多く、ある種、下駄を履く部分もある。通常、international applicant間の競争は、外人に使える教育グラントがほとんどないために100倍をはるかに越える熾烈なものではあるのですが(!)、少なくとも中国ロシアからの留学生よりははるかにまし、、、。彼らの場合、まず第一にアメリカの大学に留学することが大学に入ったときからの目標ですから、ものすごいpeer competitionが働きます。ということで、僕は自分が人生をやり直すなら、大学を卒業した段階で、アメリカに移ることをプランしますね、まず間違いなく。


という感じです。


最後に補足になりますが、アメリカの大学院生活は成績が悪ければ一発で追い出される恐怖がありますが*5、とても楽しいです!これは付け加えておきたい。学生なのでリスクフリーな部分も多いです。社会の違いをまじまじ見るいい機会でもあります。


以上です。かなり若い人、それも男の子ばっかりが読んでいるブログのようなので(ログールデータによると5割が20代、ほぼ100%男性です!)、ご参考になれば幸いです。



もし僕のような年代の人で、日本の大学院に若き日の僕のように行ってしまった人は、ごめんなさい。No offenseです。僕もここまで強い考えをかけらもその頃は持っていませんでした。



Hope above encouraging and inspiring enough, and helpful!


Good luck, guys!!



ps. このエントリのコメントを見て、追伸的なエントリを書いたので、そちらも良かったらご覧ください。



関連エントリ



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*1:原則受けられませんので、今後はご遠慮ください。

*2:ちなみにアメリカ人の同級生はほとんどGRE自体が専門科目も含めて、ほぼ満点で入ってくる

*3:ちゃんとしたresearch universityの場合。タダだと言うと驚く人が妙に多いのですが、ネットですぐに情報が手に入るこの時代に、このぐらい知らなくて関心があったというのはありえない。余談的には、このようなfinancial support自体が、アメリカのgraduate program強化の結果と言える。奨学金と称してローンしか組めない日本との根本的な違いの一つ。

*4:米国では総計20万ドルを越える投資を僕の教育のためにしてもらいました。このことに対して、僕は母校Yaleとアメリカの寛大に本当に感謝しています。

*5:Ph.D.studentは通常オールAかそれに準ずるコースワークの成績を求められるので、外国人学生にとってはかなりの負担です

2009-01-11

出来ちゃった結婚は本当にもう恥ずかしくないのか?

f:id:kaz_ataka:20090111171404j:image

Leica M7, 50mm Summilux F1.4, Fortia SP @Tokyo Disney Land


休載しますとか言っておきながら、自分でもどうかと思うのですが(笑)、wackyhopeさんから非常に興味深い投げ入れがありましたので、それに関して少しだけ。


年始のエントリのひとつの「こわれてしまったかな?」と思う幻想リストの中で「出来ちゃった結婚は恥ずかしいことである」と言うのを入れたのですが、これは本当のところどうなのか、というご質問でした。


この辺の僕の考察は、こんな感じです。


こう僕が思うとした理由は主として三つあって、第一にあまりにも普遍化してしまっていること。第二に、すでに僕の周りの反応が鈍くなっている、あるいは質的に変容してしまっていること。最後に、すでに出来ちゃった結婚とはもうこの辺のベビー、マタニティ業界では呼ばなくなって久しいことです。


第一の話は、現在25歳以下の結婚の7割以上(!!。確か75%以上、、、手元に数字ないですがほぼこんなものです)が出来ちゃった結婚であり(このファクトを出した方が良かったかもしれません)、より上の年齢の結婚でもその比率がかつてでは考えられないほど上がっているということです。


第二の話は、かなりjudgemental(私の主観的な印象)なのですが、周りの友人知人にもかなり多く、まあこんなことは20年前であれば致命的に、10年前の結婚式でもかなり恥ずかしいことであったが、最近は話を聞いたり、結婚式に行っても「良かったね」「長年のお付き合いにケリが付けられてよかった」ぐらいの会話しかしない。むしろ少子化で子供がいないままなんじゃないか、という親とか家族の不安を和らげるという効果をリアルに感じるのです。


第三の話はこんな感じです。実は、この業界のお仕事を何年か前にしたことがあるのですが、そのとき、その業界のリーダー的な人たちから聞いたのは、なんと、その数年前ぐらいから、業界では「出来ちゃった婚」というのは死語になっており、「授かり婚」「授かっちゃった婚」としか言わなくなっていること、を真顔でいわれ、実際、色々話をお聞きしていると、そうであったのです。これはかなり面白く、なかなか衝撃的なお話で、いまも鮮烈に僕の頭に残っています。時代変わっちゃったのね、、、と。(笑)


まあ、こんな感じです。

どうでしょう?



ps. 完全な休載は困難そうなので、現実的な範囲で活動をしぼりつつやっていきたいと思います。:)


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休載のお知らせ

ちょっと大量にモノを考える必要が出てきたので、ちょっと落ち着くまでしばらくお休みします。

とは言ってもまた気晴らし的に何か書くかもしれませんが。:)

三月ぐらいまでにはけりを付けたいですが、ちょっとどうなるか分かりません。

ではしばらくみなさん、ごきげんよう


f:id:kaz_ataka:20081115104325j:image

Leica M7, 50mm Summicron F2.0

2009-01-07

虫の記憶はさなぎを経ても残るのか?

f:id:kaz_ataka:20081031000450j:image

Leica M7, 50mm Planar F2.0 @Meguro


たまにはサイエンスのことを


ちょっとニューロサイエンスカルト化しないようにと思って(笑)しばらく話題を一般的な方に振ってきたのですが、もうそろそろ良いかなと思うので、たまにはニューロした(?!)話題を。


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僕が一つ非常に面白いなと思っているが、恐らく誰も研究していないし、従って、どうやってやったらいいかすら考えていないのではないかと思う問題の一つに、昆虫における生涯の記憶がある。


昆虫は、小学校か中学校のどこかでみなさんも習ったと思いますが、卵から幼虫の形で生まれ、これが何度も変態(metamorphosis)を繰り返して成虫になります。蝶のように途中で蛹(さなぎ)という抜本的な変身過程を経るものと、バッタのようにほとんど親と同じような格好で生まれて脱皮を繰り返しながら、さなぎを経ずに親になるものがいます。(みなさん、覚えていますかー?)


前者がいわゆる完全変態というもので、後者がいわゆる不完全変態です。まあこんな言葉は自然の共通ルールを解き明かすという科学の本質からすればどうでも良いのですが(こういうくだらない言葉ばかり覚えさせるのが、今の科学教育の問題、、、もっと本質的なことを考えさせるべき!)、anyhow(=とにかく)、この蛹を経るタイプの虫に僕は非常に興味を持っています。



というのは、僕も虫の専門家ではないので大雑把にしか知らないのですが、なんとこの幼虫から蛹、そして成体に至る過程において、大量に予定された細胞の死(programmed cell deathと言います)が起こるのですが、芋虫から蝶、あるいはカブトムシというような、身体の形だけでなく、なんと「神経系」に至るまで再構成されると聞いているからです。?!?!


ちょっとかなりWOWじゃないですか?


これが本当のことであれば、うーん成長の一ステップにおいて、自分のこれまでの経験も何もかもが組み込まれた大きな系が再構成されるということで、

  • 何か記憶が残るのであろうか、
  • 残るとしたらいったい何がどうやって残るのか、
  • その際に、記憶の本体である神経のつながり方(association)のパタンはいったいどのように保持されるのか、
  • 残らないとすると、いったいこの幼虫とこの成虫は同じアイデンティティを持つ個体と呼べるものなのか、
  • むしろ虫というのは、一度完全にリセットされるという凄ーいステップを持つものなのか、

などあまりにも興味津々な訳です。


我々、なんというか身体の外に殻(外骨格)を持たない、無変態型の生き物には全く想像もつかない世界がそこにはあるのではないかと思う訳です。そもそも昆虫には複眼と単眼が両方あるとか、足の上に我々で言うところの嗅覚と味覚を足し合わせたいわゆるchemical senseがあるとか、ほとんど感覚的にも想像を絶する世界があるのですが、これが一度本当にリシャッフルされるっていったいなに?と思う。



全然何の糸口もないし、僕がこれまで部分部分で聞いてきた話が間違っていたらそれまでなのですが、仮に変態の過程において、神経系が再構成されているというのが本当だとしたら、少なくとも目の作りなどは幼虫と成虫で全く変わるので、これは実に面白い課題だと思う訳です。


昆虫などは比較的単純な神経系をしているので、いくつかの匂いや化学物質と電気ショック辺りを組み合わせた記憶学習を幼虫のときにさせておいて、その反応がどの程度さなぎのステップを経て残っているのか、どういうタイプの記憶であれば残りやすく、どういうものであればないのか、など簡単に実験できることはいくらでもあり、今の分子生物学的な手法を、電気生理学的な方法と組み合わせて用いれば、それはいったいどの神経群の働きによるものなのか、ぐらいは丁寧に実験すれば分かるのではないかと思うのですが、こういうことに関心を持つ人っていないのでしょうか。


という具合に実に面白い課題だと思うのですが、なんて思っていて、長年の疑問なので、こんなところでちょっとつぶやいてみたりする。


とりあえず昆虫では面白くないのであれば、オタマジャクシとカエル辺りからでも良いのですが、やっぱりここはサナギ過程を経るムシで知りたいです。


だれが取り上げて頂けないでしょうか? 記憶保存の仕組みなどが有りそうであれば、それ自体がそこからの研究の対象としてかなり面白いし*1、いい論文になると思います(結構マジ)。


ではでは!



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*1:うまく作るとneuro-degenerationのグラントぐらいは着想も面白いし取れそう

2009-01-03

「こわれてしまったかな?」と思う幻想リスト

f:id:kaz_ataka:20090103202544j:image

Leica M7, 35mm Biogon F2.0 @Sedona, AZ


昨日あんなことを書いてしまったので、まあ年末年始にちょっと考えていた、かつて日本を覆っていたが(今も?)かなり壊れてしまったと僕が思う幻想リストを載せてみます。(本当にえぐすぎるのは載せていません。)


80年代に成仏

  • 働かざるもの食うべからず
  • 国民的スター(長嶋茂雄ピンクレディーなど)
  • 金持ちも企業も持っているのに応じて、大方の税金を払うものである(=累進課税法人税は有効)
  • 持ち家は可能である(特に都市部)
  • お金以外にも同じかそれ以上に大切なものがある
  • 生活ではなく名目だけ豊かになったという途上国的な気分
  • 大学生の節操(ある種の純潔)

90年代に成仏

  • お金や土地は安全な資産である
  • いわゆる一流企業に、一流大学と呼ばれるところを出て就職すれば、ある程度豊かな生活は保障される
  • 名の通った企業である程度成功すれば、小金持ぐらいにはなれる
  • 働いていればほとんどの医療はただ同然で受けられる
  • 日本にはAIDSのような怪しい病気はこない
  • 水と安全はただ(都市部)
  • スポーツで飯を食うなら野球か相撲
  • 官僚は貧しいが、高い志を持って律儀に国を守っている
  • 中高生の節操(80年代大学生に同じ)

21世紀になって成仏


これからほぼ間違いなく成仏

  • 日本人は日本語だけでこれからも豊かさを享受できる
  • 水と安全はただ(都市部以外でも)
  • がんばって長年働いていれば、働いているときは厳しくても、老後はいくら何でも年金である程度の生活は出来る
  • 昔からある、名の通った会社の勤め人になることでかなり無条件に尊敬される(就社的な価値観)
  • どんな病院でも、並ぶことさえ我慢すれば誰だって見てもらうことが出来る*1

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きりがないのですが、頭出し的には大体こんな感じ。ジャンルとしては、豊かさを生み出す条件、教育の価値、基本的なものの対価、国が提供する価値、医療システム、安全、日本が基本とすべき産業、、ステータスの根っこにあるものまで幅広いかも。


年代は迷いつつ振っているので、かなり適当ですが、、、あくまで皆さんの頭の刺激になれば幸いです。他にもこんなのあるだろ、とかあると思うので、そんな人はどんどんコメントください。


しかしそれにしても見事な壊れっぷり。臨界点は近い、いやもう始まってる?!



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*1国立がんセンターなどの大型病院の場合、付加的な手数料は発生する

2009-01-02

何かが壊れるときは、何かが生まれるとき

新年あけましておめでとうございます!


なんだか非常な不景気な気分の中、年が明けてしまいましたが、何かが壊れるときは、何かが生まれるときでもある。そう意味で、長年膠着してきたある種の停滞感を一気にぶち破るかつてない好機なのではないかと僕はものすごく期待しています。


膠着してしまった社会、膠着してしまった会社、膠着してしまった組織、膠着してしまったシステム、そんなことにうやむやを感じている人、今がチャンスです。一気に膠着を打ち破っていきましょう!どうせ何もしなければじり貧になるだけの状態なのですから、これは何もしないのが一番まずい。何かすべき。


しかも、幕末の混乱のときも、先の大戦後も日本がただ圧倒的に爆死していたという線が強かった訳ですが、今回は世界中みんなそう。これはまれに見る大チャンスです。一発当てるなら今です。


f:id:kaz_ataka:20081209222850j:image

Leica M7, 50mm Summilux F1.4, RDPIII @Grand Canyon. (The oldest lodge in the Grand Canyon national park.)

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ちょっと話は変わるのですが、


ちょうど一年前の年末、私の地元の男の小学校同級生たちは、地元の神社氏子として男の大厄のおはらいを年明けのタイミングで受ける、ということで久しぶりに集まりました。私の育った場所は千年前の枕草子に出てくるような、どえらく古い、もともとは漁村の集落ですから、かなりの昔から引き続く伝統ということでした。そのまま全員が上がる中学校から見ても25年ぶりにみる連中の集まりですから、まあはじめはお互いほとんど顔が認識できないのですが、これはこれでとても良かった。


で、その地元の古い神社でお祓いを受けて出がけに、お宮の名前を書いた額をはじめてまじまじ見てみると、何だか凄い感じ。聞いてみると、勝海舟さん揮毫(きごう)とのこと。(!)


えっ、どうしてまた、こんな田舎に、そのような偉人が?!、、、と聞くと、安田財閥創始者である安田善次郎*1の母君が、この町というか集落のご出身で、そのご縁で書いて頂いたとのこと。


安田善次郎さんそのものが、私の郷土が生んだ英雄だったということをそれで急に思い出したのですが、その若き日の善次郎翁が一発当てたのも、クーデター直前の幕末、そしてクーデター政府が成り立ったばかりの明治の最初期の荒れに荒れた相場であったと言われています。


時を同じくして、幕末、明治維新の英雄たちがどんどん混乱の中で線引きをして、古いシステムに変わる、新しくシステムを作り直していった。この時、水と油が混ざり合っているようなめちゃめちゃになった状態で、西洋から、持って来れるものは持ってきて、足りないものは足し、作り上げてきたのがわずか140年前の近代日本の始まりであり、そのときに数多くの資産家や、社会的、経済的な仕組みがどんどん生み出されていったことを考えれば、今のこの既存のシステムが一斉にある種、動作不全を起こしている時こそ、大きなチャンスではないかと思うわけです。少なくとも自分はまだ若い側だと思う人は、年齢や今の立場に関わらず、ドキドキすべき。


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マーケターなので、僕は割と世の中の意識調査的なものは長期間にわたりよく見ている方だと思いますが、まあこの4〜5年確かに若い人の失望であるとか、期待感の低さというのは目も当てられないようなもので、それは皆さんも肌で感じられていると思います。手元に数字を持っていないので残念ですが、たしか3年ほど前の段階で、20代前半ぐらいの若者とか、高校生の過半数が世の中はこのまま当面今より悪くなると思っていました。各国比較データだったので、世界の中でもかなり異端な数字であったことが僕の目を引いただけでなく、主観的にも20年前、バブル崩壊前に成人した私としてはかなり驚きました。が、調べるまでもなく、今の同世代の人はまず間違いなく、それより悪いでしょう。


でもでも、僕はこれはまだまだ底を打っていないのではないかと思う訳です。人というのは、本当にやばいと思えば、立ち上がる生き物であって、このまま停滞していても、適当に生きていけると思っているから、こんな適当な答えで終わっているのではないかと思うのです。


まあ例えば今はたちの人は、バブル末期に生まれて、いきなり崩壊して、ずっとおかしな状態の社会の中で生きてきて、ちょっとネットバブルはあったけれど、その初期的に名をなした人たちの多くはボコボコに叩かれて*2、一見ひどい時代に生きてきた、けれど社会の蓄積や、まだギリギリ機能してきた社会保障の仕組みなどがあり、路頭に迷うことがなかった。これからもそうなんじゃないかと無意識に思っているから、まあ立ち上がらないというか、人のせいにして、無気力な(ふりになりきる)気分になっているんだろうと思う。


誰も自分を助けてくれることなんてないことはトーゼン分かっているのに、それにはまあこれまでも何とかなったし、的な気分で目をつぶっている。


でも、もうちょっとすると、本当にやばいことが事実になる。そうなると、僕は急に彼らの目の色が変わると思う。お正月、実家に帰って、冷静に考えてみるとこの社会の前提としてきたことはほとんど壊れつつあることに改めて気付いた。あまりエントリが長過ぎるのもどうかと思うので、割愛するけれど、実にひどい。笑いたくなるくらい。



で、それに直面して、そのひどさがしみじみ染みてくる時を僕は期待している。


さすがにエネルギーが湧くと思うんだ。今立ち上がらないと、未来がないことも、本当にノタレ死んでしまうかもしれないことも、確実に数年以内に明らかになる。アメリカの社会のひどいところでもあり、切実なパワーを生み出しているところでもあるのが、社会の四分の一ほどの明らかな破綻者(いわゆるpoverty lineを割っているような人たち)なのだけれど、僕が見たり感じたりしているいくつかの先行指標が正しければ、もう少しすると、あれほどじゃないけれど、この国(日本)も、戦争直後を除けば、戦後類を見ない状況になるのはかなり堅いと思う(僕としては外れてほしいが、かなりそちらに向かっていることは確か)。



そのときが来たら一気にある種活性化するけれど、敵は増える。だから立ち上がるなら今がチャンス。


LET'S GO, YOUNG GENERATION!!


「破壊と創造」なんていうこんなに面白い、若者の特権を年寄りに奪われるな!



ということを新年の開始ということにしたいと思う。


Let's have fun together!!!



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*1:そう、東大時計台、いわゆる安田講堂を寄付した人です!

*2:結局誰も得していないと思うが、これはとりあえず横においておく