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ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Being between Neuroscience and Marketing このページをアンテナに追加 RSSフィード

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2009-02-22

ある大学院時代の思い出、、、Joy of Life


最近は、前に書いたような状況で、昔、あるいはこれまで書いて下書き箱に入れてあるものを、ただアップしているだけなので(要は休載中)休みの日ぐらいは何か少し書いてみたいと思う。


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f:id:kaz_ataka:20090222111120j:image

Leica M7, 35mm Biogon F2.0 @Monument Valley


僕が日本で学生をやっている頃、日本でも世界規模のグラントを、ということで多分通産省の旗ふりでヒューマンフロンティア(Human Frontier Science Program: HFSP) という大きな研究グラントが出来た。ミリオン単位、億円単位のグラントというのは当時の日本としては非常に例外的で、画期的なプログラムだった。で、割と立ち上げて間もない頃*1、その記念シンポジウムのようなものがあり、行った。僕はマスターの学生だった。X線解析の巨頭、Sir Aaron Klugや、当時、日本のガン関連研究のリーダーであったであった西村先生(当時、国立がんセンター腫瘍研究部部門長*2)などそうそうたる面々が集まるということで面白そうだなと思って行ったのだった。場所は虎ノ門パストラルだった。


Sir Aaron Klugの名前は知らなくとも、彼の業績は、現在の生物物理、分子生物学を学ぶものであれば見たことがあるものが大半だ。タバコモザイクウイルスの美しい形や、遺伝現象のど真ん中にあるDNAとタンパクの複合体こそは、彼の生み出した素晴らしい成果の例である。生命現象の真ん中にある遺伝関連についての研究で1982年ノーベル賞を受賞している。西村先生は、とっくに名をなされた当時も、毎年のようにトップジャーナルに論文を出されており、日本の分子生物学が誇る輝けるスターサイエンティストだった。*3


行ってみてまずびっくりしたのは、僕以外はラボを持っているPIしか来ていなかったということ。日本の研究環境やグラントのあり方を幅広に議論するという場であったのだけれど、結局お金が欲しい人がただ集まっているという感じだった。こんな本物の一流に生で触れることが出来る機会なんて、そんなにないのに、どうして?という感じだった。いくらなんでもこの数時間ぐらい、あける自由はあるだろうに。


最初にその5-6人のゲストスピーカーの間でのパネルディスカッションが行われ、そのあと質疑応答の時間になった。何人かの年寄り達が質問したあとで、僕はかねてからの主張というか問題意識をぶつけようと思って、手を挙げた。


すると、他の人は好きに質問してきたのに、ちょっとした動揺があって、僕だけ、


「ま、まず、所属とお名前を、、、」


と言われた。みんなちゃんとジャケットを着ているような人が集まっている中、よれて、ちょっと色あせた、今ならおしゃれだが、当時としてはただきたないだけの赤いトレーナーを着ている。しかもいかにも、異様に若いのが来ているということがあって、発作的にそういう反応になったようだ。


それで、僕が大学と所属、つまり学科とラボ名を言うと、その場のチェアーも、上述の西村先生も、なんだ、自分たちの後輩、しかもあいつの弟子か、と分かったらしく、発言を許され、マイクを渡された(この辺り自体が非常に日本的で、これだけでエントリが1-2本書けるぐらいだ)。チェアーだった某先生は、僕のいた学科の教授を退任後、当時大阪の方にこれも通産の肝いりで出来たばかりの研究所の初代所長をされていた。西村先生に至っては僕のラボの大先輩だった。なんというか、やんちゃな後輩だが、好きに言わせてやれという感じだった。


で、そこで僕が言ったのは、次のような話。


「僕はかねがね日本の大学院制度というのは、奴隷制度だと思っていまして、、、結局、教授の言いなり、すくなくとも教授に気に入られないと学位をもらえない、あるいは学位をもらうまでは “欲しがりません、勝つまでは” 的にただただひたすら働くという制度になっていると思っています。」


ここで場に異様などよめきが走り、皆さん僕を注視。ちなみに、これが英語圏の先生も含めて、同時通訳で一語一句伝えられている。つまりslavery systemという極めて英語ではひどい響きの言葉になって伝わっていた(苦笑)。続けて、


生活費も家にお金があれば別ですが、普通は自力で稼がないといけないし、かといっても、そんなに働く時間もなく、山のように奨学金という名の借金を背負わされる。学振*4も容易にはもらえない(当時)。すくなくとも僕のいるところのように殆どが博士課程に進む*5たった20数名の学科の学生でも、マスターではもらうことはまずできないし、大変な借金を背負って、たった一人の人のもとで尽くしきらないといけないようになっているからです。」


大学院入学後、当時、もうすでにアメリカでは、学費はおろか生活費すらだしてもらって学位取得に励むのが当然であることを僕は知っていた。またローテーションシステムがあるので、いきなりどこかのラボにコミットする必要がないこともその頃すでに知っていた。インターネットがあれば学部生の時代でも分かったと思うのだが、それはその頃は無理だった。


「このような状況を打破するには、我々学生に直接お金を出して頂けるような仕組みがぜひ必要であり、そのために、いまラボを持たないともらうことの出来ないこのHFSPを、ぜひ学生のためにも直接出せるように検討して頂けないでしょうか」「大学に財源がないことは明らかなので」*6


確か、そう言った。当時の(現在も)私の信念として、科学は日本が先進国であり続けるためのお飾りではないはずであり、であるとすると、これはかなり大切な問題だと思って口に出したのだった。



場が騒然となり、西村先生までが


「a, a, a, atakaくんと言ったかね。君の先生はそう言う感じとはほど遠い人だと思うが、、、」


「もちろんうちの先生が、どうこうという話ではありません。例外的に非常に楽しくやらせて頂いています。ただ、システムとしてそういう閉塞感があると言うことで、、、」


という感じで色々大騒ぎになった。


十分か十五分これだけで議論が続き、時間切れということで、議長の幕引きにより、そのセッションは終わった。まあ、僕としては、こういう問題意識を持つ学生がいることを重鎮達に伝えることが出来れば、それでとりあえず変化は起こせなくとも、楔は打てたのではないかと思って、とりあえず、自分なりの(気分としては学生代表の)ミッションを果たして(誰に頼まれたんだ?笑)、その場は終えた。


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この話には、実はまだ続きがある。


このオープンシンポジウムのあと、近くのホテルオークラの一番上のバーで貸し切りのパーティがあったのだが、さっきの場に来ていた人は自由に行ってよいことになっていたので、おなかもすいていたし、財布はいつもさみしいので行った。(40になった今、当時の清貧が懐かしい。)


するとAaron Klugとかフランスから来ていた偉い学者さんだとか、蛋白研の先生とか色々僕のところにやってきてくれて、「君、こんなこと言って、ラボに帰って大丈夫なのかね」と心配してくれる先生までいた。


「たぶんうちの先生は、(アメリカで正教授をやっていた時代と比べて)いつも日本の教育、研究システムについてかなり問題があると言っているので、むしろ笑って、許してくれると思います」


僕はそう答えていた*7。怖いもの知らずのバカではあるものの、こういうバカがいないと何も起きないというのも事実であり、そのバカであれば喜んでなろうというのが、僕の当時の立場だった。


そうこうしているうちに、今度は鮮やかな緑のジャケットを着て、ものすごーくおしゃれな感じの外人がやってきた。名刺にはAmbassador of Franceと名刺にある。科学担当の、(かなり偉い)外交官らしい。


「日本にこんなことをいう学生がいることを知って驚いた。是非話がしたい」


そう言うことだった。「もちろん、喜んで!」そう言ってかなりひとしきり盛り上がって、一度大使館に遊びにこい、そういって別れた。この番号に電話してくれれば、大丈夫だから。そう言われたが、結局、私の多忙と怠慢のために大使館にいくことは能わなかったが、楽しい思い出である。


で、彼と話をした中で特に印象深いのは次の話。


「我々の国では、Joy of Life (生きる喜び)を何よりも大切にし、それがすべての価値の基準になっている。それを僕らはJoie de vieと言うのだが、それがこの日本に来てからこの国には全くないのではないかと、僕はいぶかしく思ってきた。」「街を歩いている人も、電車の中の人も、生気がなく、何かを楽しんでいるようには到底見えない」「それはどうなんだ、ホントのことを教えてくれ」


というのが、彼の話だった。


それは今も問われている、そんな気がするのは僕だけではあるまい。そしてそれ以来、僕はJoy of Lifeを生きる信条の一つとしている。




関連エントリ

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ps. このエントリに限らず、写真にもスターなど頂けたりするととてもうれしいです。また、よろしければ下のリンクをクリックして頂けると幸いです。


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*1:確か1991年だったのではないかと朧げに記憶する

*2:註:私の記憶

*3:ところで、日本ではこういう過去の偉大な科学者達の系譜であるとか、ヒストリーに対してたいして敬意を払わない傾向がとても強いが、これはどうしてなのだろう?そもそも教科書の作りもレクチャーの仕方自体もおどろくほど違う。人の取り組みの歴史として習うアメリカと、単なる知識の集合体として習う日本。

*4日本学術振興会の特別研究員

*5:これは当時の日本としては実に例外的なプログラム

*6:渡米して知ったが、アメリカでは大学院生が何らかの財団から研究費をもらっていることはザラにある。これはある種のCVに残る実績になることもあり、結構みんなせっせと申請している。問題は市民権、永住権のいずれかを持たないと応募できないのがほとんどであること。

*7:実際どこからもお咎めはなかった。笑

qagmaqagma 2009/02/23 08:50 atakaさんはマスターの頃から非常に行動力のある方だったのですね。その度胸に敬服しながら読ませていただきました。
「奴隷制度」という言葉は今でも研究生活に対して使いますし、私もそれに近いかたちで研究を行っています。

奨学金のことに関しては、まず私たちが応募するのは学振ですが、掲示板を見ると企業からのものや地方自治体からのものがあります。ただそういったものは卒業後その企業に勤めること、その地方に戻ってくることなどの義務があり、申請するのに躊躇してしまいます。話の中にあったアメリカでの奨学金というのもそのような義務があるのでしょうか?少なくとも、日本で実績になるものとしては学振の特別研究員になることしか私は知りません。

qagmaqagma 2009/02/23 09:51 すいません。上で質問したものです。投稿した後にただ質問するだけでは失礼と気づき、調べてみました。

アメリカでは日本でいう統一模試のようなものの成績で、優秀であれば貸与というかたちで支給されるようですね。また財団などの支援団体が多く、ざっと調べただけでも数多くのものがありました。日本育英会のような家の貧しさが選考基準にあるものではなく、個人の能力で勝ち取るものであることに、教育に対する日本との姿勢の違いを考えさせられ、atakaさんの時代から変わらない日本の未熟な教育制度を痛感しました。

peroonperoon 2009/02/23 12:58 道行く会社員の顔が暗いと思っていました。やっぱり外国から見て日本はJoy of Lifeが足りないのですね。

若者が老人達の中に入っていく話を聞いて勇気が出たし、それが必要とされていることもわかりました。ありがとうございました。

jj1bdxjj1bdx 2009/02/23 19:00 たぶん「人生の楽しみ」というのは (la) joie de vivre ですね.

日本は何もかも他人と同じでないと,また「他人も自分と同じでないと」気の済まない人達ばかりですから,人生を楽しむなんて発想はないのだと思います.少なくとも堂々と楽しんではいけない.

もっとも,こんな思い込みも,どんどん崩れて行ってるんでしょうし,崩していって欲しいですが.

kaz_atakakaz_ataka 2009/02/25 00:14 みなさん、おはようございます。

二日あけると沢山の人が来てくれていてびっくりです。非常に楽しい思い出だったのですが、なんだか僕の意図とはかけ離れた増田に引用されていて更にびっくり。そこまで不幸なら行動しないと、ね。悩んでも何も起きないのですから。


qagmaさん、コメントご質問ありがとうございます。(ごめんなさい!スペルが間違っていたので再アップします。)

いつも来て頂いている人がご覧になるのだろうと思って、他のその辺のことを議論しているエントリへのリンクを張ってなかったのですが、いくつか張ったのでそちらをご覧頂ければと思います。

アメリカの名のある大学院では自然科学系の場合、学費と生活費はすべてプログラムが持ちます。アメリカ人については大学が「教育用の」グラントをとり、それと大学そのものの基金や関連するファカルティの持つお金から養われます。多くの場合、コースワークをやっている最初の二年が、プログラム持ち、そこからあとはthesis workをおこなうラボが持ちます。

僕の書いたグラントというのは、それを敢えてもらわずに、自力で(自分の成果として)グラントをとってくる学生がいるということです。優秀な学生が自力で申請できる教育用のグラントはそれなりに存在し、それをもらって学校がわのstipendという生活費はお断りする(額によっては学費のサポートも)ということになります。

大学院改革は、アメリカがスプートニクショック以来そうしてきたように、まず財力とアカデミア、社会の吸収力に見合った学生数の絞り込みと(「ポスドク問題」関連のエントリをご参照ください)、大学院の学生の生活費サポートの構築が第一歩でしょう。現在の状態は途上国にも劣ると思います。(途上国では大学というより、国がエリートをサポートするのが当たり前なので。)


peroonさん、

コメントありがとうございます。

実はこの話はまだ続きがありますので、また余力のあるところでも書きますね。


jj1bdxさん

コメントありがとうございます。フランス語はなんにも分からないので、勉強になりました。が、まあ僕の耳にそう聞こえたということで、そのままにしておきました。(笑)

Let's have fun in our daily life!!

torahikotorahiko 2009/03/06 01:55 今日は良いことがありました。このブログを見つけたことです。

kaz_atakakaz_ataka 2009/03/06 22:15 torahikoさん、とってもうれしくなるコメントをありがとうございました。これからもよろしくお願いします!

y_miyay_miya 2009/10/30 21:38 はじめまして。先ほどブログを見つけさせて頂きました。
10年以上も前にこのような行動をなされた先輩がおられたことが驚きであり、嬉しくもありました。

アメリカでの生活を楽しみたいと思います!

kaz_atakakaz_ataka 2009/11/04 08:01 y_miya-san,

Have fun in US!

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