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ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Being between Neuroscience and Marketing このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

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2013-04-27

痛みを知らない人への座学


昨日書いた件について、その新人の子に話したきっかけは、その子にメンターとしてついている少し先輩の子が、僕の本のことを説明して紹介しようとしていたことを知ったからだった。


それはちょっとまだ読まない方がよいかもしれない。


僕は思わずそう言った。むしろ今読むと害があるかもしれないと。


そのとき説明しなかったが、経験値の低い中で、あれを読んで、分かったような気になるというのがそもそも危険だと思うことが第一の理由で、もう一つの理由は、本当の意味を理解できるかかなりのところ疑問があるからだった。結果、本来読むことで得られるはずの栄養は逆に得にくくなる可能性があると思ったのだ。


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Leica M7, Summilux 50/1.4, RDP III @ Pienza, Tuscany, Italy


僕は前の職場も通じて、長い間、新人教育というのをやって来た。この中で、一つ確信を持っていることがある。


それは、痛みを知らない人への座学というのは本当に嫌になるくらい受け手の心に残らない、血肉にはならないということだ。


前職は、しょうがないなと思うぐらいなんでも効果を可視化する文化だった。どんなトレーニングセッションをやった時も、すぐにアンケートをとって、どのぐらい役に立ったのか、何が良くて何が良くなかったのかということをすぐにフィードバックを受けた。で、教え手が誰であろうと五点満点なら五点満点のスケールで何点だったと言う結果が毎回でるのが、ちょっとした恐ろしさであり、ちょっとした面白さだった。


僕のトレーニングは、幸いなことに、前職を卒業する頃は比較的評価が高く、概ね受講者の平均スコアが満点かそれに近いスコアだった。教え手がかなりシニアな人であっても、5点満点で参加者平均が3点台(3.9とか)のセッションもざらにある中では、かなりマシな方だったと思う。


単に一方的な考え方だとかそう言うことだけを伝えてもほとんど何も伝わらないので、多くの場合は何問かの具体的な問題を与えて、一緒に考えてもらい、それを通じて、何かについて理解してもらう。座学とは言っても、それが僕のスタイルだ。


で、「非常に役に立った」「何をどう考えたらいいのか分かりました」とかというコメントがいくつもあったりして、よしよし、今年はちょっとは戦力として期待できるかな、なんてほくそ笑んで戦場であるプロジェクトに戻る。


ちなみに、なぜそこまで、一所懸命に教えるかと言えば、それは彼らがちゃんと育っていなかった場合、痛手を食らうのは、彼らを引き受ける実際の自分らのチームの負担になるからだ。


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で、他のトレーニングも含めて終え、何人か自分のチームに配属されて来た時に自分が教えたことがさぞや残っているのではないかと期待しているわけなのだが、毎回、空けてみて分かることは、彼らの中には文字通り「何も」残っていないということだった。


言っておくが、彼らは一般的なお勉強的な基準でみても、その職場の特殊な基準で見ても相当に優秀な部類であって、活動性、咀嚼能力、自発的な思考力、人間的なチャーム、その他諸々の能力は決して問題のある人たちではない。


その彼らが、頭や心の中になにもかもすっからかんになって、戦場に出てくるのだ。


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そもそも何から考えるべきかも伝わっていない。この局面でのイシュー(今答えを出すべきこと、白黒を付けるべきこと)は何だと思う?と聞いても、イシューとはなんですかと聞き返される始末。*1


確かにイシューというのは分かりにくい概念だし、これを見極める力というのは、本当のところ最後にしかつかず、必要なスキル習得の中でもっとも長い道のりだ *2。それは無理だなとあきらめ、何か分析をやらせてみると、自分が教えたはずの分析の魂について、何ものこっていないというのが普通だ。


たまにそれなりにできる人間がいたとしても、それはほとんどの場合、こてこての理系で、僕が教えたことが残っているからではなくて、単にここまでの人生の中で身につけて来たことを、まるで自転車にのるように理屈ではなく、出来ているケースにすぎないことがほとんどだ。


その証拠に、ちょっとしたことをこづいてみると、しどろもどろになったり、なぜ自分がそう言うことをやっているのか説明できないケースが大半。その答えは何ヶ月か前に僕が教えたことの中にあるにもかかわらず。


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こういう経験を繰り返していると、何かを最初に腰を据えて教えるということ自体の価値をものすごく信じにくくなる。


なので、僕は基本、仕事の経験が殆どない段階で、最初に行なう座学というのは反対派だ。たとえ、どれほど実戦"的"な演習であったとしても、だ。


結局、優秀な人間というのは、本当に価値のあることだけをちゃんと分かっているから優秀なのであって、それ以外のことを無意識にさばいて、どこかにやってしまう力が高いということに他ならない。


習ったことを全て覚えていて、それに縛られるような人間はそもそも優秀ではない。そう言う意味で、僕の教え子たちは確かに優秀なのだ。その何週間、何ヶ月間か、僕が教えたことが本当に大切だという局面に触れなかったため、僕が教えたことを全て忘却したにすぎないのだ。


ということで、相手が優秀であればあるほど、実戦の前の座学の効果は薄くなる。痛い目にあって、いい感じで筋肉痛や、傷がある状態の方が、座学ははるかに効果が高い。これが僕のここまでの、(自分が教えてもらって頂いていた時からも含め)20年以上のこういう経験からの結論だ。


皆さんどう思われるだろうか。


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関連エントリ


拙著に関して以前、糸井重里さんと対談させて頂いた内容はこちら

イシューからはじめよ―知的生産の「シンプルな本質」

イシューからはじめよ―知的生産の「シンプルな本質」


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*1:この辺りの詳しくは拙著をご覧頂ければと。

*2:これはこれでまた別途どこかで書いてみたい

yagizaruyagizaru 2013/04/27 10:42 座学、と言えるかどうかは分かりませんが、先輩や上司に「言われた」こと「教えて頂いた」ことは、10年たって呼び起されている実感です。故に実務の前に習ったことが10年役に立ってないとも言えます。ですが10年を経て、今一度、教われるかと言えばそれも難しい環境であると感じます。
座学とは何か、教育とは何か、職場トレーニングとは何か、をもう少し突き詰め、実際に何を行うのかを整理するべきでしょうし、受講者満足度を測定したところで、「教育されたかどうか」の計測は全くできないと思うのです。特に新人をどのように実務への活用にいざなうのか、は職場の課題でもありますよね。個人的には文字通りコピー取りや電話番などの諸雑務からスタートし、職場や業務を「観察する期間」を設けるというのも一つだと考えます。

そして、本当に優秀な人は本当に価値あることを取捨出来るだけでなく、きちんと保存しておくことも出来る人だと思います。習ったことに縛られるのではなく、自らが得たモノを必要に応じて取り出して(それまで保管し)、加工して、適応する。それこそが優秀だと思うのですが。

「皆さんどう思われるだろうか。」に触発されて考えてみました。ダラダラとコメンとスミマセンでした。如何でしょう。

kya88no8kya88no8 2013/04/27 16:23 はじめまして。人間は心理学的に言って、「自分がちょっと損をしているのではないか」と思うほうが、「自分は価値のあることをしているのじゃないか」と思いこみやすいといわれていますよね。(女性は自分が好きな男性には好かれないのに、なんとも思っていない男性に好かれるのは「気軽に相手に頼みごとをしているから」というのも同じ理屈だそうで)
痛みを覚えてから得た知識は脳が「価値ある情報」として重要視するんじゃないでしょうか。授業でも、自分が昔失敗したことや、いやな思いをしたことほど、しっくり吸収できますし(私自身、低血糖で昏睡状態になり、死にかけた経験があるのですが、血糖値やインスリンのメカニズムの専門的な説明を読んで納得しました)

主観的に「危険」「要注意」と思った出来事、事柄に関して「もう二度と同じことはすまい」と本能的に思うからこそ、吸収がいいのかもしれませんね。でも、ビジネス的に言うと「お客さまに失礼があったら取り返しがつかない」から、予防策として座学が優先されるのは仕方がないですが・・・うまいやり方があるといいんですけどね。

kaz_atakakaz_ataka 2013/04/28 23:49 yagizaruさん、kya88no8さん、コメントありがとうございます。ふとしたつぶやきのようなブログエントリが(しかも非常に久しぶりに書いたもの)が、お二方の考える材料になったようでとてもうれしいです。

yagizaruさんの書かれている「昔習ったこと、特に知恵レベルの内容を、今になってしみじみ分かる」ということは良く分かります。私がこのエントリで書いたトレーニングは即効的に身に付いて欲しいことを願った(狙った)内容なので、そういうwisdom系のものとは確かにちょっと違います。

教育効果は書かれている通り、受講者からのフィードバックでは全く判断できず、本当にその人たちが出来るようになったかどうかで判断しているのでこのエントリがあります。ちょっと誤解を生む書き方だったかもしれません。申し訳ないです。


kya88no8さん、そうなんですよね。なので、実際に私がやっているトレーニングはかなり以前に改革して、最初は本当にミニマムオブミニマムだけにし、実戦に短期間投下してから腰を据えて行なう方式に変えました。

結果、多少はマシになったと思いますが、実際には学ぶということは、身体を動かしてそれをやるようになって、それも何度もやるようになってだんだんと意味が分かってくるようなものなので、多少効果が上がった以上の効果は恐らく生み出せていないというのが私の穿った見立てです。

ギボンの言う通り、教育なんて言うのは、やる必要のない人たちにしか効果がないというのはその通りなのでしょう。

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