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ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Being between Neuroscience and Marketing このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

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2016-08-20

不屈の棋士

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Leica M7, 1.4/50 Summilux, RDPIII

Putney, VT


この二年ほど、年中同じ問題について手を変え足を変え尋ねられる。


AIがこれ以上進化してきたら我々の仕事はどうなるのか?」


、、と。これについての僕の答えは常に一貫していて、そんなに心配する必要はない。AIは我々の仕事をまるごと置き換えることは、かなり未来まで当面無い。AIなりデータは我々を劇的にアシストするようになる。これから本当に起きるのはAIと人間の戦いではない。データとアルゴリズム、そしてコンピューティングパワー*1を活用する人と活用しない人の戦いになる。使わなければ、使っている人(あるいは企業)の圧倒的な力に負けるだけであり、使えば、これまでに不可能な付加価値を生み出すことも可能になる。なぜなら、これまで手をかけなければ出来なかったあまりにもtediousなことが可能になってしまうからだ。例えば膨大な映像からの必要な情報の抽出であり、雑草の自動草むしりによる完全な有機栽培の実現であり、ソフトウェアやシステムレベルの脆弱性の発見や修復などだ。


この理解については東大の松尾先生、ソニーCSL所長の北野先生や、千葉工大古田先生、日立の矢野技師長など、多くの第一人者的な方々と話をしてきたが、どの方も異論はない。ただ、不吉なことを騒ぐことが好きな人間の本能がただ騒ぎ立てているように見える。まるで90年代後半のノストラダムスの大予言に騒いでいた人たちに似ている。 :)


これ系の議論の発端は3年前にオックスフォードから出た、「米国では半分近くの仕事がリスクにさらされる」という有名な論文だが(ほとんどこれをなぞったような話が日本の野村総研からも最近発表された)、この後、私の古巣のマッキンゼーが持つシンクタンク機能であるMcKinsey Global Institute (MGI)*2 の精査により、実際にまるごとマシンに置き換えられてしまう仕事は5%程度しかないことが発表された。やはり、である。


ということで冒頭の問題は気持ちはわかるが、ある種愚問と言い切っていい問題だ。


、、大半の人にとっては。


僕がかつてその一員であった科学者経営コンサルタント、あるいは、数学者弁護士医師のような知的プロフェッショナルの世界もかなりのリスクにさらされていると考えられているが、実際には、上と同じ話でそうではなく、劇的な変化から生まれるチャンスを使い倒す人と使わないで滅びる人たちに分かれるだけだ。


昨年Diamondハーバード・ビジネス・レビューにまとめた論考に書いたとおり、

  • 我々の体を使って知覚し、部分的、そして総合的に評価すること
  • 意思、目的意識を持ちゴール設定すること、
  • コンテキストを踏まえ、大胆で解決に値する問いを立てること、
  • 状況や問題を見立て、構造化すること、
  • 意思決定すること、
  • 前例の少ないことや異常値に対応すること、
  • 人の分かる言葉で話し、人を奮い立たせること、

などは、人間の仕事として残る。これらの組み合わせである、デザインすること、日々のプロジェクトマネジメントなどは典型的だ。


しかし、そうとは言っていられない人たちがほんの少し存在する。それがこれまでキカイとは程遠い世界にあり、キカイが使うことが許されないルールの中で戦い、人間の知力の限界を象徴してきた「棋士」と呼ばれる人たちだ。将棋棋士、囲碁棋士である。


彼らの立場は同じ知的産業の中でもサイエンティストのように膨大なコンピューティングパワーやデータ、アルゴリズム・ソフトウェアを酷使して発展してきた世界とは根本的に異なる。遺伝子の組み換えであろうと、神経の信号のレコーディングや解析であろうと、はたまた素粒子実験の解析であろうと、計算力とアルゴリズムの力なしにはもう決して進まないところまで現在の科学は来ている。


囲碁の世界では、AlphaGo魔王とまで言われたイ・セドルの対決、その結果については多くの方がご存知だろう。その隣の世界である将棋棋士の方々が自分たちの職業が置かれている状況をどのように見ており、そしてどのように今後なっていくかと考えることは実に興味深い問題だ。


これをトップ棋士である羽生善治さん、渡辺明さん、森内俊之さん、佐藤康光さんはじめ、電脳戦に於いてソフト(データとキカイ)と対決してきた棋士、深く関わってきた棋士の方々に徹底的にプロの将棋観戦記者である大川慎太郎氏がインタビューした本が出た。『不屈の棋士』だ。



本の帯には、<人工知能に追い詰められた「将棋指し」たちの覚悟と矜持>とある。


この本を読んで、なるほど、と思ったことを幾つか書いておく。

    1. 多かれ少なかれ将棋の局面の展開においてソフトの発達が、これまで人だけの戦いになかった幅を生み出しつつある、、、そういう意味でソフトが将棋そのものを進化させていることは多くの人が認めている
    2. ソフトとトップレベルのプロ棋士の力が並ぶか超えたことはほぼ常識に
    3. ただし羽生さんだけは蓋を開けてみないことにはどうかわからないと多くの人が思っている
    4. その意味で最終的な勝者がソフトの勝者と戦うことになる叡王戦に羽生さんが出場することは衝撃を持って受け止められている(現在順調に羽生さんは勝利 *3
    5. ソフトの棋譜は美しくない、読みごたえがない、人間に馴染みにくいと考えている一流棋士が少なからずいる
    6. ソフトがあることが若手(奨励会など)の訓練では前提になっている、、、結果、通常世界におけるPC世代スマホ世代のようなある種のデジタルデバイドが生まれつつある
    7. ソフトが終盤のよみにおいて圧倒的に強いことは単なる確定事実で、羽生さんですら詰めがあるかどうかの確認にソフトを使っている
    8. プロの棋士が生き残れるかどうかの境は人間がマシンに負けるかどうかではなく、人間のプロ棋士の戦いに人間が興味を持ち続けるかどうかにある

更に具体的な内容については直接読んで頂ければと思うが、これほど直接的にこのテーマに立ち向かった本はついぞ知らない。そこに込められたそれぞれの棋士の方の思いと迷い、覚悟は多かれ少なかれ我々と同じものだ。


この様なタイミングは人類史において二度となく、おそらく歴史的に大切な第一級資料となるだろう。


我々のように、キカイの力を前提として働くことが許されるわけではない世界で戦う人たちが、どのような気持ちでキカイと立ち向かっているのか、それを通じて自分たちの未来をよく考えたい人たちに強くおすすめしたい。


*1:多くの人が漠然とAIと呼んでいるものの本質

*2:私が仕事を始めた頃に大前研一さんのイニシアチブで立ち上がった

*3http://www.eiou.jp/qualifier/

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