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ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Being between Neuroscience and Marketing このページをアンテナに追加 RSSフィード

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2015-10-18

ヨーロッパは旧世界ではなく新世界だった

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Leica M7, F1.4, 50mm Summilux, RDPIII @Lake District, England, UK


昨夜、パラパラと見ているとNature発の目を疑うようなニュースが飛び込んできた。


”The earliest unequivocally modern humans in southern China” Nature (2015) doi:10.1038/nature15696


ヨーロッパには現生人類(ホモ・サピエンスクロマニヨン人)は4万5千年年前までいなかったことが知られているが、アジア(今の中国南部)には少なくとも8万年前、もしかすると12万年前にすでに疑いようもなく現生人類といいきれる人間たちががいたというのだ。


ではなぜヨーロッパにいなかったのかというと、ヨーロッパにはネアンデルタールたちが大量に住んでいて入れなかったのではないかという。


え”っ??じゃないだろうか。


そう我々現代人の先祖は長い間、はじめに生まれたアフリカだけにいたのではなく(ヨーロッパにはいろうとして失敗して諦めていただけでなく)、東に伸びるアジア、そして多分南北アメリカには、ヨーロッパ入植の何万年も昔からいたのだ*1。何万年というのは、キリストが生まれてから今までの期間の少なくとも20倍、4万年以上という話だ。


ヨーロッパ中心主義的な物の見方から始まった人類学はもうコペルニクス的な展開を今迫られている。僕のざっくりとした人類史の理解の変遷はこんな感じだ。


  1. 〜20世紀前半:人類は北アフリカ〜ヨーロッパかアジアの何処かで生まれた(同時並行的にに生まれた可能性もある)。4万年ぐらい前までは旧人(ネアンデルタール)がいて、そこから更に進化した新人(クロマニヨン)に置き換わっていった。なので文明もその辺を中心に生まれた
  2. 20世紀後半〜:現生人類は同時多発したのではなく、約15万年前にアフリカで生まれて他の大陸に広がった(出アフリカ)。ネアンデルタールはじめ、他にも10種類以上の人類がいたが、基本数万年前までに滅んだ。南北アメリカにも5万年前ぐらいには到着した。
  3. 21世紀初頭~:2の理解に修正。現生人類は純血ではなく、アフリカ以外の土地ではネアンデルタールの血が数%混じっている。特にアボリジニーではちょっと高め。デニソワ人の血も東南アジア周辺ではそれなりに入っている。インドネシアにも背が低い人類(フローレス人)がいたが1.3万年前ぐらいに滅んだ。
  4. 2015年10月(今ココ):アフリカを出た現生人類たちは一番近くのヨーロッパには入れなくて右(東側)に進路を取り、10万年ぐらい前にはアジアに到着した。一部は南北アメリカにも行った。主として現生人類はアフリカとアジアにしかおらず、ヨーロッパはネアンデルタールの国の時代が長く続いた。4万年ぐらい前に氷河期か何かのせいでネアンデルタールがほぼ消滅に近づいた頃(もしかしたらハイパー化した現生人類に滅ぼされた結果)、現生人類はヨーロッパにもまとまって住むようになった

もうほとんど100年ぐらい前とあべこべの世界観といえる。科学というのは本当に面白い。


こうであれば、なぜ僕が子供の頃(35年ぐらい前)は旧人(ネアンデルタール)と新人(クロマニヨン)というふうに教えられたのか、そのころ旧人の何処かから新人が生まれてきて置き換わった的な言説があったのかもよく分かる。そもそも人類学が始まった頃、ヨーロッパでは古い現生人類の化石が見つからなかったからだ。なので旧人から新人が進化したと考えざるを得なかったのだろう。


この辺の話は本当に不思議でわけがわからなかったが、僕がおとなになって今に至る過程の中で、実際には現生人類(ホモ・サピエンス)はネアンデルタールと平行して生きていたことがどんどん明らかになっていった。どうやって住み分けていたのかとかというのは、ずっとなんだかよくわからなくて不思議だったが、ようやく大筋で紐解けた感じがする。*2


また、なぜ世界がこのような人口分布になっているのかもこれが背景であればもっとよく分かる。


僕が高校生の頃、学校でもらった地図帳を授業も聞かずに見ていて(笑)最も驚いたことの一つは1000年前も2000年前も、もっと前も人口の地理的な分布を見るとアジアとアフリカで半分を越していたということだった。何が起こってこんなにアフリカとアジアばかり人がいるんだろうとずっと思っていたが、これが背景であればもっとよく分かる。


『銃・病原菌・鉄』にあるような、植物種も含めた土地の豊かさの問題でこれが起きているとばかりずっと思っていたが(相変わらず大切な理由であることは間違いないが)、必ずしもそうばかりとはいえないということだ。



そしてこれを俯瞰してわかるのは、実はヨーロッパは旧世界でも何でもなくて、長い(現生)人類史で見ると、むしろ最後の最後に住んだ新世界であるということだ。そしてNative American以外にとっては(近代)アメリカがさらなる新世界であったといえる。本当の原点はアフリカ。旧世界はアフリカ、アジア、南北アメリカ。新世界がヨーロッパと中東*3。新世界2がヨーロッパ人が移住したあとのアメリカ。文字がない(?)時代に失われてしまった過去の歴史を誰かぜひ紐解いて欲しいと思う。


なんというかあまりにも愉快だ。そういう新しい土地に入っていったヨーロッパ人の先祖になった連中たちが、まるで今の企業におけるスタートアップのように過去のしがらみを捨てて、本来あるべき姿を追求した。そうするとナイルとか、メソポタミアのいわゆるヨーロッパ系の文明が生まれた。(おそらくインダス文明もそれの一つ)


古い慣習とか仕組みに縛られないアタッカーは強い。気がついたら、彼らは文化的な中心の一つとなり、China, Indiaで生まれた文明を追い越し、支配的な地位を確立。世界に出ていき、頑張ったら今のような力学図になった。そうとも捉えられるのではないだろうか。*4


なんてことをたくさん考えさせてくれて本当に楽しい週末の楽しみネタになった。


このような驚異的な発見をしてくれた中国、UK、スペイン、アメリカの共同チームの皆さんに感謝したい。


しかしなんでこれほど驚くほどの発見が我が国の主要ニュースにほぼ全く流れていないのだろう、、、不思議だ。*5




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★本エントリに関連する雑誌


デニソワ人発見の話がかなりこってり(オススメ)

南アフリカの洞窟で最近大量に見つかった頭は猿人で身体はホモ属にかなり近いという人類の話。謎だらけだけれどとても面白い。


(注:僕は人類学を正式に学んだ人間ではないので、多分に誤解、想像を含んでいます。以上はあくまで僕の執筆段階での理解であり、事実関連については何もかもを鵜呑みにされず、ご自分でお調べ、ご確認ください。あと、詳しい方がムキになるのはナシでおねがいします。そんな大人げない人はいくら何でもいないと思いますが、一応念のため。笑)

*1南米に5万年前に人がいたという話はブログを書き始めた頃の次のエントリ(オリジナルを書いたのは2000年の夏!)をご参照されたし。http://d.hatena.ne.jp/kaz_ataka/20080801/1217542375

*2:途中、シベリアの南西で見つかったデニソワ人とかまだ??なものもある。

*3:このNature論文で知ったがLevantというらしい

*4:実際には偶然とか色んな物が絡んでいて簡単には説明できないだろうが、頭の体操としては面白い。

*5:少なくともこの執筆段階でほぼ全くニュース的な話題にはなっていない。

2015-05-03

人間が特異点を感じる時、、、『her/世界で一つの彼女』

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Leica M7, 50mm F1.4 Summilux, RDPIII, @Roma, Italy


何もかも見たいときに見れる、なんて便利でいい時代だ。


知りたいことも、本も映画も全て一瞬で手に入る。この快適さに埋没しながらも、生きている実感が逆に薄くなってしまう、そういう感覚に襲われてしまう。


僕らはやっぱり実態を持つ存在だ。それがわれわれの生きる実感を与えてくれている。そういうことを、『her/世界で一つの彼女』を今頃になって見て、しみじみ感じた。



herは人格と感情を持つようになった人工知能との愛の物語だ。


主人公はある日、人格を持つ初めての人工知能ベースのOSとであう。彼は、1年以上、愛しているがうまくいかなくなった妻と離れてくらしている。子供の頃から一緒に育ってきた彼の人生の一部と言える人だ。そんな彼の心の穴を埋めるようにそのOSが彼の心の中に入ってくる。


100分の2秒で19万もの名前の中から選び、そのOSはサマンサと自ら名をつける。


サマンサは驚くほどのスピードで情報を処理してくれる。ハッとする瞬間ではあるが、近未来であること、過去20年で我々の家庭用コンピュータ8000倍ほど早くなってきたことを考えれば、これは驚くほどのことじゃない。


ただ、違うのはサマンサには実際の声があり、声で入力を行い、人格があり、何より感情があることだ。彼女(!)は感情に反応する、声の口調や呼吸から感情を読み取り、そしてさらに気持ちを持った反応をする。つまり彼女には肉声がある。


さらに彼女は想像の上で彼と肉体的にも愛し合うことができる。嫉妬もする。お前は機械なんだから僕の思っていることなんてわからないだろ、と的な攻撃を受けると本当におかしくなったりもする。


実際には我々の世界のAIは、人格も持たされていないし、我々とは全く異なる体をしている、というより体にとらわれていないので、我々のように現在の人工知能が感じることはない。人間のような感覚(人間としての気持ち良さとか不快感とか)、感情を持つためにはガワだけでなく中身も含めた人間の体が少なくとも必要だ。(そうしないと背中が痛いとか腹が減ったときにたべるものの美味しさのような感覚も生まれない。)


そもそもわれわれが人工知能と考えて普通にこの世の中で使っているものの大多数は機械学習(マシンラーニング)と言われているもので、ある目的関数に沿って、人間のガイドラインの上で何か見えていないパターンを学習するというものがほとんどだ。深層学習(ディープラーニング)といわれているものも、みずから判断や分析の軸を発見するというものに過ぎない。


だから、かなり荒唐無稽といえば荒唐無稽なのだが、それでもコンピュータが人間と同じように感じる(Howについてはかなり疑問があるが、、、)、同じように人間と同じような感情を持つ(これも人間と同じ肉体や感覚を持たずに、教え込むことなく生まれてくるとは思い難いが、、)、そしてその感じる世界を肉声を持って伝えてくる世界がどういうものかを考えさせてくれる稀有な映画だなと思った。


もう世に出て1年以上の映画なので、さんざんこのような評論はされているのかなと思うけれど、とりあえず自分のメモ代わりに残しておこうと思う。


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この映画を見ていて、おっと思い、なるほどと思わされたのは、まず最初にOSを立ち上げて、OSに情報が散らかっているから整理して欲しいと主人公のセオドアがいう場面だ。


サマンサがあなたのメールとかコンピュータの中に入っているものを見てもいい?と優しいそしてeducatedな声で、セオドアに聞く。


それを聞かれたセオドアに(お前コンピュータなんだから当たり前だろ?!)的な動揺があるのだが、それを見て、確かに、コンピュータがもし人格を持つなら、こうなるだろうし、そういう風にやってくれないと、我々も動揺するだろうなと思った。


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セオドアが、サマンサに「同時に他のひとともやり取りしているの、それは何人?」と聞くときも、ちょっとした驚きがあった。サマンサは答える。、、、8316人と。


IBMワトソンの活躍とか聞いていると、おいおいワトソンって何人(何台)あるんだ?と思うのと同じ世界だ。そう、彼らは人格を持ちながらも、何人もの人たちと同時にやり取りできる。


それを聞いた主人公が、思い悩んで、聞くかためらいつつも、「じゃあぼくの他に愛している人はいるの?(Are you in love with anyone else?)」と地下鉄に向かう階段で聞くシーンは思い出すだけで涙が出そうになる。


641人、、確か彼女はそう答える。


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コンピュータの中で人格、肉声を持ってよみがえった1970年代のアランワッツという哲学者とやりとりするシーンも印象的だ。


サマンサが自分のなかでの感情の爆発のようなものに混乱して、電脳の世界の中でワッツに相談しているのだが、そこでは何十もの対話が並行して行われている。それは良いのだが、驚いたのは、サマンサとワッツはうまく言語化できない内容すら相談しているということだ。


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最後にOSの抽象度を上げるアップデートがあって、彼女の活動している世界がリアルからより抽象度の世界になり、サマンサから別れが告げられる。


セオドアが元恋人、妻であるキャサリンに手紙を書くシーンでこの映画は終わる。


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異常検出においても、定量的な予測においても、また自動化、最適化においても実はほとんどのことはもうデータ&コンピュータは人間の能力をはるかに超えている。


ただ、多くの人がコンピュータに対して本当におっと思うのは、そしてシンギュラリティ*1を感じるのは、こういう肉感のある世界なんだなと、そして、僕らはフィジカルな感覚の中で、このリアルな世界の中で生きていくしかないということなんだなと思う、そういう映画だった。


みなさま良いゴールデンウィークを!

*1:コンピュータが人間を超える技術的な特異点

2014-06-15

味を失わず世界で生きるとは何か


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安西洋之さんの新刊。一見月並みのことにどれほどの深さがあるかを感じられるかを突きつけられるような本です。*1


安西さんは拙著を読んで、僕に最初にコンタクトされた方の一人。ローカライゼーションマップを提唱され、日経ビジネスオンラインでも連載されていたので*2、ご覧になった方も多いのでは?(実はこの絡みで対談をさせて頂いたこともあります、、。*3


この本、いかにもありそうですが、誰も思いつかなかった取り組みです。ちょっとヨーロッパを取材旅行してきましたみたいな人ではなく、イタリアに腰を据えた生活の中で長年感じられてきた感性の上に、ファーストハンドで集められた得難い生の声、情報に満ちています。安西さんの大好きなイタリアへの思い入れが過度に出ていないところがナイスです。*4


日本の刃物とヨーロッパの刃物のそもそもの発想の違いとかのようななるほど系の気付きだけでも面白いのですが、小さくても面白い企業にどのような特徴があるのか、についての多面的な考察は実に面白いです。あまり紹介したくないぐらいこってりしています。


僕自身が経営改革に関わっているさなかであるので、ちょっと読むごとに考えさせられることが多く、読み切るのに結構時間がかかりました。これをさらっと読んでしまう人は、もう少し色々仕掛けられるとかなり味わいぶかく読めるのではないカナ?そういう意味で読者の経験値をかなり問いかける本だろうなと思います。


他人への敬意と自らへの尊厳を持たなければ年30%の成長は出来ないという話、ワークライフバランスについての深遠な議論などは頷きつつもかなり考えさせられました。


一つ残念なのは、これほど面白そうな企業が沢山紹介されているのに、ほとんど全く知らない会社ばかりなので、もう少しそれぞれに付いて写真付きとか、せめてURLを紹介してくれたら良かったのに、というところですが、紙面の都合もあると思うので、まあしょうがないのかも。


最後の最後に自分の対談の言葉が出てきて!?!でしたが、それは無視して頂いても十分価値のある内容かと思います。


ということで、これを読んで面白そうだと思った方、書店でまずは手に取ってみて損はないかなと。



*1:このところ、なぜか知人の出版ラッシュが続いていて、大量に送られてくるものに対応しきれない状況にあるのですが、これは送って頂いてよかったと思う本でした。

*2http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20110404/219301/?rt=nocnt

*3http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20110725/221670/

*4:米国やアングロサクソン中心主義的な感覚の我々から見るとちょっとアタマが揺さぶられた感じになりますが、その意味でも読む意味があるかもです。