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ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Being between Neuroscience and Marketing このページをアンテナに追加 RSSフィード

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2017-01-26

(書評)『真理の探究 - 仏教と宇宙物理学の対話』

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Leica M7, 1.4/50 Summilux, RDPIII @Flagstaff, AZ



これ以上、ディープなテーマの本を探すのは困難だろうと思われる一冊。世界的な理論物理学者である大栗博司先生と、仏教学の泰斗である佐々木閑(しずか)先生の対話



年末ぐらいから少しずつ読んできて、途中で全く関係のない『サピエンス全史』とか再度読み始めてしまったり*1、全く別のことにハマってしまったりしたためにようやく読了。



『真理の探求』というタイトルがやばすぎて、机の上をふらっと見た人に「遂にその道に、、、(絶句)」的な反応を示されることが多い本でもありました*2。そういう意味で魔除け的な効果があるのがオススメポイントその一です。笑


対話形式なので、双方の先生の質問がまた理解をぐっと深めてくれます。


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比較的冒頭に、双方から突き詰めた結果、どちらの立場からも「人生の目的はあらかじめ与えられているものではなく、そもそも生きることに意味はない」という衝撃的な結果が語られる。

科学の方法が、宇宙に意味がなく、人間にはあらかじめ目的が与えられていないことを明らかにした(p.33)

僕も心の底からそう思うので、全く同感であるが、このことを受け入れられる人はかなり少ないとは思う。とは言うものの、「そんなgivenな意味はないのだから、意味を与えるのは自分だ」と思って生きることは大切で、このことを若くして気づくかどうかで人生の重さは遥かに変わると思う。


いま手元にないので、30年ほど前に読んだ記憶だけで書くが、アウシュビッツを生き延びた心理学者 ヴィクトル・フランクル博士の手記である『夜と霧』のなかでも、「生きる意味がはじめからあるのではなく、生きる意味はお前が与えるようにお前の生命が求めているのだ」「生きる意味はあるのではなく自らが自分の意志で与えるものなのだ」という気づきがあったとおぼろげに記憶しているが(涙を流しながら読んだのにこの程度しか覚えていないのが私の情けないところ)、、これと全く同じ結論だ。



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今やかなりの数のベストセラーを書かれている大栗先生のことを知っているこのブログの読者は多いと思うので簡単に書いておくととにかくすごい人です。どんなハイエンドの物理のことも大栗先生にかかるとまるで絵本のような容易な文章で語られる(大栗先生自ら描かれるイラストがまたすばらしい)。2012年にTEDxUTokyoの一回目が行われた時に一緒にスピーカーとして立たせていただいた時以来のご縁で親しくさせていただいている。これ以上ないほど明晰。明るく、パワフルで元気で、子供のような純粋さを持たれているステキすぎる方です。



間違いなく、世界を代表する理論物理学者の一人。科学の聖地Caltech*3の理論物理のヘッドでもあり、我々のような門外漢への現代最高の物理世界の啓蒙者の一人でもあります。いつもは一テーマで一冊、それでも平易でよくこんなスペースに収められたなと感嘆しますが、この本では各章がもうその一冊分の世界。ちなみに第一部のタイトルは「宇宙の姿はどこまでわかったか」。ホーキング放射と因果律の破綻などシンプルで深い話も盛り沢山。


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佐々木先生は不勉強ながらこの本で知りましたが、なんと京大工学部のご出身(!)。理屈で仏教を突き詰めて仏教徒ではなく仏教を信奉されている(仏教の信奉者)というお立場。このようなバックグラウンドで研究されてきた話が面白くないわけがなく、ヤバイです。


一例を上げると佐々木先生は輪廻なんてないというか信じていないという衝撃的なことがサラリと語られる。

二千五百年前のインドでは当然の社会理念であった輪廻も、現在の日本人にとっては社会通念ではないので、私たちはそれを土台にすることはできません。私自身、輪廻は信じておりませんから。(p.93)

科学的に考えればたしかに物質は体になったり空気になったり石になったりと色々変転しているものの、それらは一旦ばらばらになって別の物体だとか数多くの個体に分かれてしまうわけで、たしかにです。


このあたりから始まり、いまの仏教と日本で信じられているものはそもそもブッダ仏陀)が教えたものとはかけ離れており、我々が仏典のつもりでお経として日本で読んでいるものはブッダその人の教えでもなんでもないこと、大乗仏教はどこから出てきたのか自体が実は謎であること、大乗仏教はかなり一神教に近づいた考えであることなどが読んでいるうちにどんどんわかります。


最後の最後には、大乗仏教の起源まで解明された話が出てきます。(このテーマ自体がハア?それってイシューなの?と思われる人が多いかと思いますが、これ自体がとんでもなく興味深いテーマだということが分かることもこの本の面白さの一つです。)


これまで大栗先生のご本は大部分目を通してきたこともあり、今回驚いた話はかなりが仏教絡みでした。大栗先生がいつもの明晰さでズバリと聞きづらいこともきっちりと切り込まれていくだけにその見え方がより明瞭になっている効果は絶大。

深層心理学とか宗教について色々興味を持って調べたり考えたりした若かった時以来、久しぶりにストレートに向かいあいました。

など面白すぎる話題が盛り沢山。三宝周りの話など面白すぎて、この間、政府系のある委員会でもついこの本でお聞きした話をお話したら委員の皆さんもばかうけ

「意識を失った人」は実は「意識だけがある」人(p.121)

という話も面白すぎますし、これに続く自由意志についてのお二人の対話も実に深妙。

時間とは「刹那」の単位で変化する現象の積み重ね(p.124)

という話を読んだときは、ユクスキュルの名著『生物から見た世界』の話に思いを馳せ、頭がグルングルンともう大興奮。(この本には生物によって時間の流れや世の中のみえ方が全く違うことが具体的な事例から出てきます。)



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人が世の中、生の意味に向かい合うということは何を意味しているのか、そして生きるということについて思い悩むことのくだらなさというか本質についてガツンと向かい合いたい、そんな方は手にとって頂ければかならず何らかの気付きがあると思います。


この本が生まれた瞬間に日本に生きていることを感謝したくなる、そんな本でした。



*1:話はずれますが、先日とある対談でも触れたとおり、これも絶対に読むべき名著です!

*2:僕は全く読んでる本にカバーとかかけないので

*3:California Institute of Technology,カリフォルニア工科大学学部入学生の数は一学年でわずか235人程度。卒業するのはその3分の2。世界で最も賢い人の集まる大学と言われる。世界の大学ランキングでもよくHarvard、Oxfordを抑えて一位になっています。

2016-08-20

不屈の棋士

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Leica M7, 1.4/50 Summilux, RDPIII

Putney, VT


この二年ほど、年中同じ問題について手を変え足を変え尋ねられる。


AIがこれ以上進化してきたら我々の仕事はどうなるのか?」


、、と。これについての僕の答えは常に一貫していて、そんなに心配する必要はない。AIは我々の仕事をまるごと置き換えることは、かなり未来まで当面無い。AIなりデータは我々を劇的にアシストするようになる。これから本当に起きるのはAIと人間の戦いではない。データとアルゴリズム、そしてコンピューティングパワー*1を活用する人と活用しない人の戦いになる。使わなければ、使っている人(あるいは企業)の圧倒的な力に負けるだけであり、使えば、これまでに不可能な付加価値を生み出すことも可能になる。なぜなら、これまで手をかけなければ出来なかったあまりにもtediousなことが可能になってしまうからだ。例えば膨大な映像からの必要な情報の抽出であり、雑草の自動草むしりによる完全な有機栽培の実現であり、ソフトウェアやシステムレベルの脆弱性の発見や修復などだ。


この理解については東大の松尾先生、ソニーCSL所長の北野先生や、千葉工大古田先生、日立の矢野技師長など、多くの第一人者的な方々と話をしてきたが、どの方も異論はない。ただ、不吉なことを騒ぐことが好きな人間の本能がただ騒ぎ立てているように見える。まるで90年代後半のノストラダムスの大予言に騒いでいた人たちに似ている。 :)


これ系の議論の発端は3年前にオックスフォードから出た、「米国では半分近くの仕事がリスクにさらされる」という有名な論文だが(ほとんどこれをなぞったような話が日本の野村総研からも最近発表された)、この後、私の古巣のマッキンゼーが持つシンクタンク機能であるMcKinsey Global Institute (MGI)*2 の精査により、実際にまるごとマシンに置き換えられてしまう仕事は5%程度しかないことが発表された。やはり、である。


ということで冒頭の問題は気持ちはわかるが、ある種愚問と言い切っていい問題だ。


、、大半の人にとっては。


僕がかつてその一員であった科学者経営コンサルタント、あるいは、数学者弁護士医師のような知的プロフェッショナルの世界もかなりのリスクにさらされていると考えられているが、実際には、上と同じ話でそうではなく、劇的な変化から生まれるチャンスを使い倒す人と使わないで滅びる人たちに分かれるだけだ。


昨年Diamondハーバード・ビジネス・レビューにまとめた論考に書いたとおり、

  • 我々の体を使って知覚し、部分的、そして総合的に評価すること
  • 意思、目的意識を持ちゴール設定すること、
  • コンテキストを踏まえ、大胆で解決に値する問いを立てること、
  • 状況や問題を見立て、構造化すること、
  • 意思決定すること、
  • 前例の少ないことや異常値に対応すること、
  • 人の分かる言葉で話し、人を奮い立たせること、

などは、人間の仕事として残る。これらの組み合わせである、デザインすること、日々のプロジェクトマネジメントなどは典型的だ。


しかし、そうとは言っていられない人たちがほんの少し存在する。それがこれまでキカイとは程遠い世界にあり、キカイが使うことが許されないルールの中で戦い、人間の知力の限界を象徴してきた「棋士」と呼ばれる人たちだ。将棋棋士、囲碁棋士である。


彼らの立場は同じ知的産業の中でもサイエンティストのように膨大なコンピューティングパワーやデータ、アルゴリズム・ソフトウェアを酷使して発展してきた世界とは根本的に異なる。遺伝子の組み換えであろうと、神経の信号のレコーディングや解析であろうと、はたまた素粒子実験の解析であろうと、計算力とアルゴリズムの力なしにはもう決して進まないところまで現在の科学は来ている。


囲碁の世界では、AlphaGo魔王とまで言われたイ・セドルの対決、その結果については多くの方がご存知だろう。その隣の世界である将棋棋士の方々が自分たちの職業が置かれている状況をどのように見ており、そしてどのように今後なっていくかと考えることは実に興味深い問題だ。


これをトップ棋士である羽生善治さん、渡辺明さん、森内俊之さん、佐藤康光さんはじめ、電脳戦に於いてソフト(データとキカイ)と対決してきた棋士、深く関わってきた棋士の方々に徹底的にプロの将棋観戦記者である大川慎太郎氏がインタビューした本が出た。『不屈の棋士』だ。



本の帯には、<人工知能に追い詰められた「将棋指し」たちの覚悟と矜持>とある。


この本を読んで、なるほど、と思ったことを幾つか書いておく。

    1. 多かれ少なかれ将棋の局面の展開においてソフトの発達が、これまで人だけの戦いになかった幅を生み出しつつある、、、そういう意味でソフトが将棋そのものを進化させていることは多くの人が認めている
    2. ソフトとトップレベルのプロ棋士の力が並ぶか超えたことはほぼ常識に
    3. ただし羽生さんだけは蓋を開けてみないことにはどうかわからないと多くの人が思っている
    4. その意味で最終的な勝者がソフトの勝者と戦うことになる叡王戦に羽生さんが出場することは衝撃を持って受け止められている(現在順調に羽生さんは勝利 *3
    5. ソフトの棋譜は美しくない、読みごたえがない、人間に馴染みにくいと考えている一流棋士が少なからずいる
    6. ソフトがあることが若手(奨励会など)の訓練では前提になっている、、、結果、通常世界におけるPC世代スマホ世代のようなある種のデジタルデバイドが生まれつつある
    7. ソフトが終盤のよみにおいて圧倒的に強いことは単なる確定事実で、羽生さんですら詰めがあるかどうかの確認にソフトを使っている
    8. プロの棋士が生き残れるかどうかの境は人間がマシンに負けるかどうかではなく、人間のプロ棋士の戦いに人間が興味を持ち続けるかどうかにある

更に具体的な内容については直接読んで頂ければと思うが、これほど直接的にこのテーマに立ち向かった本はついぞ知らない。そこに込められたそれぞれの棋士の方の思いと迷い、覚悟は多かれ少なかれ我々と同じものだ。


この様なタイミングは人類史において二度となく、おそらく歴史的に大切な第一級資料となるだろう。


我々のように、キカイの力を前提として働くことが許されるわけではない世界で戦う人たちが、どのような気持ちでキカイと立ち向かっているのか、それを通じて自分たちの未来をよく考えたい人たちに強くおすすめしたい。


*1:多くの人が漠然とAIと呼んでいるものの本質

*2:私が仕事を始めた頃に大前研一さんのイニシアチブで立ち上がった

*3http://www.eiou.jp/qualifier/

2015-05-03

人間が特異点を感じる時、、、『her/世界で一つの彼女』

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Leica M7, 50mm F1.4 Summilux, RDPIII, @Roma, Italy


何もかも見たいときに見れる、なんて便利でいい時代だ。


知りたいことも、本も映画も全て一瞬で手に入る。この快適さに埋没しながらも、生きている実感が逆に薄くなってしまう、そういう感覚に襲われてしまう。


僕らはやっぱり実態を持つ存在だ。それがわれわれの生きる実感を与えてくれている。そういうことを、『her/世界で一つの彼女』を今頃になって見て、しみじみ感じた。



herは人格と感情を持つようになった人工知能との愛の物語だ。


主人公はある日、人格を持つ初めての人工知能ベースのOSとであう。彼は、1年以上、愛しているがうまくいかなくなった妻と離れてくらしている。子供の頃から一緒に育ってきた彼の人生の一部と言える人だ。そんな彼の心の穴を埋めるようにそのOSが彼の心の中に入ってくる。


100分の2秒で19万もの名前の中から選び、そのOSはサマンサと自ら名をつける。


サマンサは驚くほどのスピードで情報を処理してくれる。ハッとする瞬間ではあるが、近未来であること、過去20年で我々の家庭用コンピュータが8000倍ほど早くなってきたことを考えれば、これは驚くほどのことじゃない。


ただ、違うのはサマンサには実際の声があり、声で入力を行い、人格があり、何より感情があることだ。彼女(!)は感情に反応する、声の口調や呼吸から感情を読み取り、そしてさらに気持ちを持った反応をする。つまり彼女には肉声がある。


さらに彼女は想像の上で彼と肉体的にも愛し合うことができる。嫉妬もする。お前は機械なんだから僕の思っていることなんてわからないだろ、と的な攻撃を受けると本当におかしくなったりもする。


実際には我々の世界のAIは、人格も持たされていないし、我々とは全く異なる体をしている、というより体にとらわれていないので、我々のように現在の人工知能が感じることはない。人間のような感覚(人間としての気持ち良さとか不快感とか)、感情を持つためにはガワだけでなく中身も含めた人間の体が少なくとも必要だ。(そうしないと背中が痛いとか腹が減ったときにたべるものの美味しさのような感覚も生まれない。)


そもそもわれわれが人工知能と考えて普通にこの世の中で使っているものの大多数は機械学習(マシンラーニング)と言われているもので、ある目的関数に沿って、人間のガイドラインの上で何か見えていないパターンを学習するというものがほとんどだ。深層学習(ディープラーニング)といわれているものも、みずから判断や分析の軸を発見するというものに過ぎない。


だから、かなり荒唐無稽といえば荒唐無稽なのだが、それでもコンピュータが人間と同じように感じる(Howについてはかなり疑問があるが、、、)、同じように人間と同じような感情を持つ(これも人間と同じ肉体や感覚を持たずに、教え込むことなく生まれてくるとは思い難いが、、)、そしてその感じる世界を肉声を持って伝えてくる世界がどういうものかを考えさせてくれる稀有な映画だなと思った。


もう世に出て1年以上の映画なので、さんざんこのような評論はされているのかなと思うけれど、とりあえず自分のメモ代わりに残しておこうと思う。


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この映画を見ていて、おっと思い、なるほどと思わされたのは、まず最初にOSを立ち上げて、OSに情報が散らかっているから整理して欲しいと主人公のセオドアがいう場面だ。


サマンサがあなたのメールとかコンピュータの中に入っているものを見てもいい?と優しいそしてeducatedな声で、セオドアに聞く。


それを聞かれたセオドアに(お前コンピュータなんだから当たり前だろ?!)的な動揺があるのだが、それを見て、確かに、コンピュータがもし人格を持つなら、こうなるだろうし、そういう風にやってくれないと、我々も動揺するだろうなと思った。


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セオドアが、サマンサに「同時に他のひとともやり取りしているの、それは何人?」と聞くときも、ちょっとした驚きがあった。サマンサは答える。、、、8316人と。


IBMのワトソンの活躍とか聞いていると、おいおいワトソンって何人(何台)あるんだ?と思うのと同じ世界だ。そう、彼らは人格を持ちながらも、何人もの人たちと同時にやり取りできる。


それを聞いた主人公が、思い悩んで、聞くかためらいつつも、「じゃあぼくの他に愛している人はいるの?(Are you in love with anyone else?)」と地下鉄に向かう階段で聞くシーンは思い出すだけで涙が出そうになる。


641人、、確か彼女はそう答える。


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コンピュータの中で人格、肉声を持ってよみがえった1970年代のアランワッツという哲学者とやりとりするシーンも印象的だ。


サマンサが自分のなかでの感情の爆発のようなものに混乱して、電脳の世界の中でワッツに相談しているのだが、そこでは何十もの対話が並行して行われている。それは良いのだが、驚いたのは、サマンサとワッツはうまく言語化できない内容すら相談しているということだ。


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最後にOSの抽象度を上げるアップデートがあって、彼女の活動している世界がリアルからより抽象度の世界になり、サマンサから別れが告げられる。


セオドアが元恋人、妻であるキャサリンに手紙を書くシーンでこの映画は終わる。


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異常検出においても、定量的な予測においても、また自動化、最適化においても実はほとんどのことはもうデータ&コンピュータは人間の能力をはるかに超えている。


ただ、多くの人がコンピュータに対して本当におっと思うのは、そしてシンギュラリティ*1を感じるのは、こういう肉感のある世界なんだなと、そして、僕らはフィジカルな感覚の中で、このリアルな世界の中で生きていくしかないということなんだなと思う、そういう映画だった。


みなさま良いゴールデンウィークを!

*1:コンピュータが人間を超える技術的な特異点