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ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Being between Neuroscience and Marketing このページをアンテナに追加 RSSフィード

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2017-03-07

シゴトの未来

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Leica M7, 1.4/50 Summilux, RDPIII @Shelburne museum, VT, USA


さすがに人生の半分ぐらいまできたと思われるkaz_atakaです。


表題のテーマでもうこの3年ぐらい食傷するぐらいの数のインタビューや取材を受けてきました。正直、僕の周りでは完全にdone issue(ケリが付いた話)なのですが、今キャズムを超えたと思われる一般メディアから急に色んな話が来るようになっています。


以下は、これでこの話題についてはもう打ち止めにしようと思って受けたリクルートワークス研究所のインタビュー記事です。これほどシゴトというものに正面から向かい合った議論をした記憶があまりないのと、限定版的な冊子で送られてきたこと、ウェブに上がっていないことを踏まえ、ここに手持ち原稿から転記して上げておこうと思います。ウェブ掲載が始まったら下ろす可能性があります。FYI(太字は筆者)


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Q1. 人工知能の進化などにより、仕事がなくなるといわれています。どうご覧になっていますか。


A1. 仕事はなくならないですよ。


データやAIの力を活用して、いろいろな業務自動化されることは幅広く大量に起きますが、それと仕事がまるごと消えることとが混同されています。「あらゆる仕事でデータやAIの持つ力を使わない人と解き放つ人に二極化する」、これが本当のところ起きることです。むしろ自動走行車の利活用やメンテナンスのように、更に新しい仕事が数多く生まれる可能性が高い。AIが仕事を奪うと思っている人はAIとは単にイデアにすぎないこと、どのように作られるのか、その結果起きること、そして我々の仕事の本質をちゃんと理解したほうが良いです。


この変化の第一フェーズ段階にある現在では、データやAIの力を解き放つための能力を持つ人が大きく不足しています。また、目指す人はどこから手を付けたらいいのかわからないのが日本の現状です。ここに一石を投じようと、データサイエンス協会を何人かで立ち上げ、これまで必要なスキルを整理し、発表してきました。


この変化は、多くの方の想定よりも早く進展し、指数関数的に起こります。1900年ニューヨークで撮られた写真には多くの馬車が写っていますが、1913年にはほぼすべて自動車に置き換わっています。1908年にT型フォードが発明されてからわずか5年の間に実際に一気に変わったのです。よく馬車に乗っていた人はどうなったんだという話がありますが、簡単です。クルマに乗ったんです。(笑)そして、人間はそれに対応できてしまうのです。社会は人間が対応できるように変わるので心配はいりません。*1


全体観をいえば、仕事がなくなるのではなく、データやAIの力を使う人と使わない人に二極分化する、それは予想以上のスピードで進むが、人間はそれに対応できる、そういうことです。


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Q2. 想定以上の速さで変化する世界において、我々はどのように仕事をすればよいのでしょうか。


A2. 仕事というのは楽しいものです。世の中を変えること、役に立つことそのものですから。しかもお金をもらえる。人間が生み出した最大の「虚構」は仕事です。普通に生きていれば、少しは仕事したい、つまり世の中で意味のある存在でありたい、と思うでしょうし、仕事の喜びは残り続けると思います。それを追求する中で、データやAIを使い倒すべきです。


仕事の価値を労働時間で測る習慣は是正されるでしょう。肉体労働まで含めても投下時間と生み出す変化量、バリューが合致しない仕事がすでに大半だからです。ここで言っている仕事のバリューとはむかし物理で習った「力×距離」そのものです。力は「質量×加速度」。つまりどれだけ重いものをどれだけ勢い良く変化させたかです。どれだけ頑張ったかではありません。もちろんその場にいること自体が価値がある仕事は時間ベースの仕事として残りますが、経済原理でみて意味をなさないものは淘汰される、それだけです。


AI×データのように技術的な革新による変化は自然とそうなるし、そこでビジネスをするならば、それに合わせざるを得ないのです。変化するかどうかはイシューではないのです。変化は必然なのですから。本当のイシューは、その変化をどうやったら早く起こせるのか、だと思いますね。


Work Model 2030を、2030年の完成形ととらえ、現在起こっていることから推定しようとするのはほとんど無意味です。変化を楽しむ中で、この世の中がどういうフェーズで変わっていくのか、それをどれくらいのスピードで起こせるのかを考えるべきです。


大きな果実をつかもうと思うなら、その変化に先駆けて動き、イノベーションを起こさないといけません。しかし、現行の日本の仕組みは、基本的にホワイトリスト方式です。出てくるものをリスト化して、それぞれに法律で対応する。これでは新しいものは生まれません。前例がないからイノベーションなのですから。(笑)新しいものはルールのないところから生まれてくる。たとえば、検索です。つい最近まで法律的にはかなりグレーな存在でした。


グレーゾーンを突破する力は、ユーザーにあります。ユーザーが価値を見出せば、社会は勝手に変わるのです。社会は適応するように作られた虚構の塊です。現実の前にはルールは変わるのです。例えば、いまそこにゴジラが現れたら我々は対応するじゃないですか。必要に応じてどんどん変わっていくのです。検索の価値は誰にも止められないくらい強くなった。著作権等の問題は山のようにありますが、すべての人が検索に依存するようになったとき、この問題を議論することの価値がなくなったのです。そうやって世の中は変わります。


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Q3. その変化を起こすにはどうすればよいでしょうか。誰が変化を牽引するのでしょうか。


A3. 新しい変革は、明治維新終戦後のときもそうですが、10代と20代、30代前半までの人が起こします。世界の歴史上革命的な変化を40以上の人が引き起こしたり、やり遂げたことはほとんどありません。


年配者のできることは、規制なども含め彼らのじゃまをせず、何か面白いことをしている若者に、信用を与えて、お金を出し、良い人を紹介する、この3つに尽きます。勝海舟みたいな仕事をしてほしいのです。維新後の開国のときや、終戦直後にはそういう人が山のようにいました。新しい変化は年配者が起こせる代物ではないのです。時代の空気を吸った人がやるしかないのです。


この社会がどうやったら生き延びられるかを考えなくてはいけません。どうやって経済を伸ばすか、社会を良くできるか。現在の日本の社会は(略)推進するエンジンを失いつつあるのです。漫然と2030年を迎えるのでは遠すぎるのです。


あらゆることを提言して、仕掛け、考えた人が実行する。こういう取り組みを激増させる必要があります。この中で自然に生き延びた人がまた未来を拓いていきます。どんどんやって、当たったものが巨大進化をするだけなのです。どれが当たるかなんて誰にもわかりません。だからいろんなトライをしたほうがいいのです。


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Q4. テクロノジーの大きな変化に向けて、何をすべきでしょうか。また、変化を起こすときに指針となるものはありますか。


A4. 社会全体としてみれば、データの持つ力を解き放つ、これがまず第一です。そのためにはデータサイエンティスト協会でまとめているとおり、情報科学(データサイエンス)、それを実装し運用する力(データエンジニアリング)、実課題につなげて解決する力(ビジネス力)の3つが必要です。


さらに二つ、一つは、エンジニアリング層のスキルの根本的なリニューアル、具体的には、SIerエンジニアからビッグデータソリューション系エンジニアへの転換、もう一つは、ミドル層・マネジメント層のスキル刷新です。


指針、、、世の中全体の大きな課題をAIやデータの力を使いつつ自分ならではの方法で解決する、あるいは役立てるようなことを考えるのが王道だと思います。幸い現在の社会は問題には事欠きません。温暖化エネルギー不足、少子化、巨額の年金医療費、過疎、時代に即していない教育、グローバル社会の分断などなど。


仕事の選び方としては、みんな、生命の原点に戻ればいいと思います。危ないところから逃げて、自分らしく自分がユニークに生きていけるニッチ生活空間、に行く、この繰り返し。失敗したら滅びる、それが生命の原点ですよね。経済原理ももとを辿れば、自然淘汰の世界です。


人間は生命がかかれば頑張る生き物です。そういう風にできているのです。変化に臆するのではなく、生命の力を信じるのです。人間はいざという時にはできるのです。我々は生命ですから、大丈夫です。


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以上です。


悲観論はどうでもいいので、ぜひ未来を揺り動かしていきましょう!

Let's rock the world together!!


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ps. ご参考までに比較的最近のものを中心に代表的な関連掲載記事(自分が受けたもの)へのリンクを載せておきますね。


“シン・ニホン” AI×データ時代における日本の再⽣と人材育成 (2017/2)

http://www.meti.go.jp/committee/sankoushin/shin_sangyoukouzou/pdf/013_06_00.pdf


AIで仕事はなくならない ―― なぜか過剰被害妄想の日本の本当の危機 (2017/2)

https://www.businessinsider.jp/post-827


経験値だけで飯を食べている人は 人工知能によって出番がなくなる(2017/1)

http://www.dhbr.net/articles/-/4630


ヤフーCSO安宅氏が解説する「AIの正しい理解」(2017/1)

https://industry-co-creation.com/special/8175


「人工知能はビジネスをどう変えるか」(2015/11) > 以下のDHBRの一章


AI×データはビジネスをどう変えるか (2015/10)

http://www.meti.go.jp/committee/sankoushin/shin_sangyoukouzou/pdf/002_06_00.pdf

*1:言うまでもありませんが、同じことをただ続けたい人、文明の恩恵を受けたくない人、たとえば電卓やコンピュータが生まれても使いたくなかったような人の仕事がなくなるのは当然です。

2016-11-16

AIはイデアである

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Leica M7, 1.4/50 Summilux, RDPIII @Putney,VT, USA


ほとんど毎日のようにAIに関する委員会であるとか講演であるとか討論会に出て、繰り返しAIと呼ばれているものの実態について議論してきたがなかなかうまく多くの人に落ちない。


なぜだろうと思ってきたが遂にわかった気がする。


AIなんて具体的に確定したものはないんだ、AIはイデアなんだ、ということが多くの人に理解されていないのだ。AIは「ルビー」と言うような石であるとか、「東京」のようなわかりやすい確定的な実体を伴う概念とは違う。人の心の中にしかない概念だ。技術革新でAI的に実現しようとしてきたものの多くが急に可能になっているということと、確定的な実体を伴うものであるということが混同されているのだ。


AI(Artificial intelligence : キカイやソフトウェアによる知覚や知性の実現。Machine intelligenceとも言う)は人間が目指している一つの目標であり、そこにおける計算機や自然言語処理機械学習、音声処理などのアルゴリズム、それを実現するための膨大なデータは手段である。方法は問わないから、目指す機能を実現しようとしているというのが技術側から見ている実態であり、こちら側(作る側、構想する側、サービスを提供する側)からしてみると自明なことである。


この最も本質的な部分が何度話しても理解されず、そのような実態だということが受け入れられないところに多くの人の理解の困難があるように見受けられる。


今となればクルマ(自動車)というのはほとんど自明的にシャシーがあり、そこにガソリンか電気で動く駆動装置(エンジン、モーターシステム)が乗っていて、そこの上に座席、包み込むアウター(普通に見えるデザイン部分)があるものと多くの人が理解しているが、これとてもつい150年前に遡ればほとんど単なる概念であり、それが何を意味しているのかよくわからなかったのと同じだ。


飛行機もそのとおりであり、コンピュータなんてまさにそうだ。なので米軍機のオスプレイのように飛行機における新しい浮上、離陸のあり方は常に研究され、計算機の世界でも量子コンピュータ、Neural network*1のようなノイマン型ではない情報処理のあり方も常に研究される。


あくまでAIはイデアだということを理解しない限り、日本のこの議論の方向性はおかしなところに行ってしまうと思うのは僕だけだろうか?



(参考文献)

以下の本では松尾先生の論文に加え、AIの限界について整理してしている拙稿も紹介されています。

松尾先生の名著

*1:とは言うものの、現在のところ、実態としてはノイマン型の計算機で動くソフトウェア上で強引にエミュレートしていることはご案内の通り。これを石(半導体)に変えようという研究、開発はかなり熱くされている。

2016-09-04

知らず知らず僕らのエゴと気配りがこの国をbehindにしている

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Leica M7, 1.4/50 Summilux, RDPIII

Shelburne Museum, VT, U.S.A.


アメリカやヨーロッパの街に旅行にいくたびに思うことがある。それは彼の国々の街の多くは美しく、東京や日本の地方の街の多くは見苦しいか、味気がなく、乱雑ということだ。以前話題になった「世界の都市を東京ぽくしたら、、」も引きつりそうな黄色い笑いを生むようなところがあった。今日はそこの深因の一つが、我々の未来にも影響をもたらしているのではないかという話。


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先日、ドローンだとか自動走行についてのブレストを知り合いの某中央省庁の方々としている時にちょっとした気付きがあった。


これらの時代に向けて一体どんな整備が必要かみたいな話をしていたのだが、その時に「なぜ世界に冠たるはずの日本のクルマメーカーの自動走行のロードマップがグローバルの競合メーカーに比べてこんなに足が長いのか?」(つまり完全自動走行になる予定のタイミングがどうしてこんなに遠いのか?)という話がでた。具体的に言えば、だいたいドイツや北米の会社は2018や2020までに実現するといっているのに、日本のメーカーは少し前は2028、いまプッシュしても2025ぐらいだというのだ。


で、僕が言ったのは、「これはちょっと誤解があると思う。日本のメーカーの技術力は高く、独米に並ぶか優っているとしても負けているわけではない。これは前提になっている道が違うんだ」、と。


僕の向かいの方ははじめきょとんとしていたので、次のような話をした。


「トヨタやホンダ、あるいは日産だってアメリカの高速道路をただ自動走行すればいいだけなら、今だっておそらく可能だろう。そしてアメリカの下の道やドイツのアウトバーン、英国のM(高速道路)を走るだけであれば、おそらく独米のメーカーよりも早く実現が可能だろう。でも、こと日本の道を想定すると2025とかになってしまうんだと思う」、と。


あまり知られていないが、自動運転車にはかなり苦手というか今のところ答えがうまく見つかっていないことがある。それは道が狭すぎるようなところでのすれ違いだとか、やり取りの仕方だ。


よく世田谷の方とかに、本来、双方向通行することが物理的に不可能なのに、標識上は双方向可能な道がある。こんな道を向かい合うクルマで通り過ぎるときは、向かいのクルマに乗っている人との表情や身振りによるやり取りで、本来クルマが通ってはいけない人の家の敷地とかに乗り上げたり、場合によっては5メートルとか10メートルバックしたりしてこれまた本来道ではないところ(人の所有地)を活用したりという、かなり難しい譲り合いをしながら通り過ぎる。僕もよくクルマを運転するが、前から来ているクルマのドライバーが肝っ玉母さんみたいな女性とかだと、手であっちに寄れとかと言われて、もうこちらが気迫に負けて、なぜか一方的に頭を下げて道をゆずることはよくある。(笑)


しかし、こういうことは自動運転車にとって極めて難しい。何しろ人の家の敷地を走るというのはそもそも正しくなく、自動運転車は相手の人の表情だとか気迫を読むのもかなり困難だからだ。なので、今のところそういう状況になったら自動運転車は止まってしまう。判断できなくなってしまうのだ。


またアメリカなどでさんざんドライブした旅行から東京に戻ってきて気づくこととしては、東京の道の白線を完全に守ると事故しそうになることが多いことだ。道幅が狭すぎるところに無理してギリギリで線を引いているために、自転車がいたり、いわんや路駐などが行われていたらすぐに機能しなくなるのだ。これも自動運転にたいする潜在的な阻害要因の一つであり、同根の問題といえる。


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ここまで考えると、日本のクルマメーカーのロードマップの足が長いのは、よく考えると当然のことで、これはクルマメーカーの問題では無い。我々の国の道の問題なのだ。そしてこれを更に掘り下げて考えると、その土地の利権者とかがいるというだけの理由で、公共の道なのに非合法な通行をしなければ通れないような道幅の道が多く出来てしまっていることにある。本来、双方向通行を安全に行うために必要な道幅を確保できないのに、住民の声で道を通す。なのに住民は自分の利権は守ろうとする、そして国や自治体はそれに気配りして変な道ができる、、、この繰り返しがこのような道を大量に生み出してきた。


その道を通した頃は自動車があまり走っていなかったからという屁理屈は、道幅に手を入れると価値を失うようなヨーロッパの古い町並みでもない限り通らない。それは世界中そうなのだから。それでも1000年近い歴史を誇る大学町Oxfordのようなところに行ってもそんな細い道は少ない。2000年以上前から続く街のRomaだって、そんな道は少ない。クルマが通るようになったら利権者も本来手放さなければいけない利権があるのだ。そう日本の自動車メーカーの自動運転ロードマップを阻害しているのは実は日本の個人のエゴの集積なのだ。知らず知らず僕らのエゴとそれに対する気配り、対応がこの国をbehindにしている。


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これと同じような話がドローンでもある。


僕の会社のオフィスはたまたま港区の割と中心的な場所にあるが、窓から外を見ると驚くような風景が広がっている。そこは日本で指折りの土地の価値を持つエリアと思われるのだが*1、なんと平屋だとか、わずか数階しか高さがない建物がかなりの数存在し、それ以外の鉄筋の建物も、高さがマチマチで、しかも幾何図形のように変に辺が切り取られた建物が多い。その中で群を抜いて高い建物が時折にょきにょきと立っていたりする。しかもそこら中に電信柱と電線があるという、、。


このような状況の街で自動運転のドローンを飛ばそうとすると、平面地図だけではダメで、少なくともどこまでの高さの建物がそこに立っているのか、どこに人が住んでおり注意を払うべきとかという3D的な地図、実際にはビル風の強さの情報だとか、時間帯による違いを含め、4D、5D的なデジタル情報地図の整備が必要になる。大変だ。


これがパリだと中心部の建物の最上階に上がったことがある人はわかっていただけると思うが、高さがほぼ完全にフラット。エッフェル塔ぐらいしか高い建物がないので、ある所定の高さをドローン用(自動運転版の『魔女の宅急便』のイメージ)に指定して、ただ飛ばせばいいだけだ。ニューヨークのマンハッタンでも、だいたい地域によって高さが揃っているのでこの問題は少ない。でも東京の場合はもうめちゃめちゃなので実に厳しい。これも街の利権者とか、建ぺい率だのみでまちづくり規制がうまくできていない問題だ。もちろん東京も銀座の中央通りのように31mの高さの制限がもともときっちりあってものすごく揃っている場所もあるが、銀座自体が運用がゆるくなっているぐらいで極めて例外的だ。


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Contax T2, negative film, Paris


これらの問題を解決するのはある種、気合の問題であり少々時間はかかるが簡単に思える。もう30〜50年かけて東京を綺麗にするつもりで(2020の次のオリンピックを目指し)高さ制限をきっちりかけてしまうのだ。よほどの商業地区以外、高さ制限は昔の銀座のように基本31メートル(百尺)にするとかで。建て替えは容積率に関係なくその高さまでで行うことにする。以上。笑


道も一方通行なら3メートル、双方向だったら6メートルの幅がなければクルマを通さない、通すときは利権者は土地を吐き出すことにしてしまう。国や自治体は、個別の事情に対して、過度の気配りを止める。これをやれば道の刷新自体が自動運転時代に向けた新しい公共事業にもなる。ついでに雪の時などのために道のヘリに電子的なシグナル源でも埋めておけばいい。


このように過度のおもてなし(慮り、気配り、配慮)が日本の未来を阻害している。個々の人たちのニーズに耳を傾けすぎて美しくなくなってしまった日本に江戸時代級のdisciplineを埋め込むことで、ビシっとすることができれば冒頭のパロディも起きなくなる。


いかがだろうか?


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と、こんなことをこれまた別の集まりで雑談的に話をしていたら、それ笑いごとじゃないですよ、と日本屈指の重電会社の方が僕に言った。聞くとその会社の風力発電の設計はクライアント、案件(!)ごとに個別にこまごま仕様を作っているので、一斉に手を入れたり、メンテをすること、データの取り込みを一気に触ることができないというのだ(?!)。一方、彼らの競合のGEの仕組みだと世界中のどの風力発電の同じ仕様をベースにしており、データの取り込みなども一律で手を入れられるのだと、、。となるとこのように個別の事情に対する気配りのために、共通の枠組みを作れないことは、もう国民性の問題と言える。


戦後、日本はこのように顧客だとかユーザの声をひたすら聞き続けることで発展してきた。ただ、この態度によるover customization、過度のおもてなしが見苦しい街を作り、自動運転やドローンを阻害している。世界標準的に「この街に住むならこれを受け入れよう」というルールを利権ではなく、筋ベースで作り、徹底する時が来ているのではないかなと思うが、みなさまいかがだろうか?




*1:実際に僕の働くビルは50階ぐらいの高さがあり、上層階には海外からの超高級ホテルが入っている。噂では同じ敷地の居住用の建物には有名タレントが多く住んでいるという