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ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Being between Neuroscience and Marketing このページをアンテナに追加 RSSフィード

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2014-12-29

玩物喪志、、、それとも玩物立志?

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α7, 1.5/50 C-Sonnar, RAW


年末ということで、ほぼ日手帳を買いに行った。すると、ウィークリー版の欲しいのが売り切れ。困ったナと思ったが、店頭で調べたところ、ウェブで購入できホッとした。いい時代だ。



で、そのまま店を出たかといえば、生活的には要らないのに、目の前にあった毎日版もなぜかカゴに入れてしまった。その日の気付きを書こう、なんて自分に言い訳をして。笑


モノがとにかく良いとそれを触っているだけで心が落ち着く。ライカと同じだ。


紙質であり、製本でもある。毎ページ、下に書いてあるウィットと含蓄のある言葉もイイ。お気に入りの革製のカバーがまた良く、これをたまに開くだけでちょっとウットリとした気分になる。


モノの本質は機能である前に所有であること、そしてその人の一部になることだ。あくまで、その上での機能だとこの手帳は静かに無言で語っている気がする。


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しばらく使っていなかったローディア(RHODIA)のメモ帳。これもTo Do用と、ちょっとしたメモ帳用に大きさの違うのを二つ購入。


ローディアにはこれまでずいぶん助けてもらった。


僕は何かやるべきものをリストアップしてそれをやり、終わったら、そのことは忘れ、脳を空っぽにして次に向かう。この書いて剥がして捨てるメモはまさに自分にぴったり。あの紫がかった罫線の絶妙のゆらぎのせいなのか、紙質のせいなのか、しっかりしているようでいて適当な、それでいて頑丈な製本のせいなのかよくわからないが、あのページを見ると、本当にシャキッとして頭から何かがほとばしってくる。


書いて、やって、終わったら線を引いて消して、何時間かして、もう何か違うと思えば、前のは捨てて、また書き直す。終わったTo Doのことも、ここで忘れる。


このメモ帳を初めて見たのは10年ぐらい前だったか。六本木のAXISのLiving Motifで出会った気がする。一目惚れだった。当時ほとんど手に入る場所がなくて、見つけると3〜4冊ずつ買いだめしていたナ。


決断力というか判断力をずいぶんこのメモ帳に助けてもらってきた気がする。デジタルに打ち込むのではできない決断がここではできる。


裏紙を半分に切ったものもよく使うが、ローディアは格別だ。


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α7, 1.5/50 C-Sonnar, RAW



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もう一つ忘れてはいけないのがinnovatorの卓上カレンダー。


これと付き合うようになって早20年以上だ。


今年は知り合いからずいぶんオシャレなのをいくつももらったので、それで行こうかと思っていたが、先ほど手帳を買った時に近くの売り場を見ると目の前に。頭で判断する前に手がそれを掴んでいた。


仕事場と家の机用にと自分に言い聞かせて二冊購入。こういう長年付き合ってきたものは、もう生活の中で不可欠な構成要素になっている。それがない暮らしというのはなんというか、生産性のリズムが壊れてしまう気がして変えられない。カレンダーをくれた知人たちには申し訳ないが、これはしょうがない。


ちなみに一度、innovator以外のカレンダーをトライしたことがあるが、一ヶ月ぐらいで音をあげて、ほとんど在庫が枯渇したそれを四方八方に問い合わせ、ようやく手に入れたことがある。あの時ほどあれを買っておけばよかったと後悔したことはないかも。


一度、作り手がいなくなった時もえらく困ったナ。また作ってくれるようになって本当に感謝している。


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α7, 1.5/50 C-Sonnar, RAW


イノベーター 2016 カレンダー 卓上 30073006

イノベーター 2016 カレンダー 卓上 30073006


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モノなんて、役に立てばなんでも同じだということを言う人がいるけれど、僕の場合それはちょっとちがう。自分の手にあったものじゃないと何かが違う。簡単に言えばバリューが出ない。大好きなカメラもそうだし、鉛筆とかペンだってなぜかそう。不思議だ。


「玩物喪志」という言葉があると、開高健さんが以前『生物としての静物』で書かれていた。


生物としての静物 (集英社文庫)

生物としての静物 (集英社文庫)


モノに戯れ、志を失う、と言う意味ということだが、本当にいいものにはそういう魔力があると、僕も思う。しかし、長年愛してきたモンブランを開高さんが「六本目の指」と書いたように、本当のその言葉のポイントは「玩物喪志」ではなく、「玩物立志」にあるのでは、とふと思う。モノが僕らを奮い立たせてくれ、僕らを励まし、先に進めてくれる。


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初めてこの本を読んだ頃、僕はまだ学生だった。開高さんはまだお元気で、開高さんの息づかいを感じながら読んだことを今も覚えている。


開高さんがその文章を書かれた頃の歳に自分が近づきつつあることを考えると感慨深い。モノとその作ってくれた人一人一人に敬意を払いつつ、モノに溺れないように生きてきたつもりだが、そういうのがしみじみとわかる年齢になってきたのかもしれない。


そんな年末。



2014-07-01

書評「静かなる革命へのブループリント」

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α7, 1.5/50 C-Sonnar, RAW


我々の未来は、我々の意思が作り、我々の意思は感性、すなわち我々の現実の感じ方が生み出すことを改めて思い起こさせてくれる一冊。


献本をいただき、目を通したが、久しぶりにワクワク感を感じ、自分の深いところにあるものづくり、商品づくりの欲求がメラメラした。


実は僕は長い間、新商品開発をやってきた、かなりコテコテの商品開発野郎だ。身近な飲み物からハイテク商品までずいぶん幅広く関わってきた。その多くが幸い成功したが、随分力を入れたはずの商品が失敗する姿もかなりの数、これまで見てきた。それってなんだろう、と思ってきたことへの答えの一部がここにあると思った。


優れたマーケターは時代が身体の中に入っていないといけない。しかも、ほんの少し、先への展望がないといけない。それは時代への違和感であり、今起こっている話、話されている論説への違和感でもある。


そういうことをつい忘れてしまいがちなわけだが、それがやはり世の中を変え、新しいものを作るAでありZでもあることをこの本は思い起こさせてくれる。


参加者も豪華だ。トヨタ愛・地球博のi-unitを作った根津孝太さん、東大歴本研出身で現代の魔法使いと言われる落合陽一くん、ITビジネスの原理を書いた尾原和啓さん、クラウドワークス創業者吉田浩一郎さん、加えて一度はお話ししたい猪子寿之さん、門脇耕三さん、駒崎弘樹さん。何よりインタビューアーの宇野常寛さんがやばすぎて相変わらず最高だ。笑


宇野さんには自分との対談でも大変お世話になったが、最後の章の落合くんとの対談は、稲葉ほたてさんとのマッチも抜群で素晴らしい盛り上がり。


トヨタ出身の根津さんの話からはもうなんだか訳の分からないレベルのinspirationを得た。次の一節を読むだけでも、根津さんがどれだけの思索と実践を積み重ねられてきたか容易に感じられる。そしてここにはシンプルでありながら深いJoy of Lifeがある。


その「自分はこう考えるから、こういうものを作った」こそが、文明でなく文化になる。だから、自分がどうあるのかを、僕は厳しく考えています。そしてやはり、僕ら自身がどれだけ楽しんでいきていくかこそがすごく大事だと思っているんです。(pp.23-24)


いつもいろんな世界の後ろで仕掛けまくる尾原さんからは相変わらずあやしすぎる面白さが漂っている。(前職の後輩でもあり、ちょっと身近すぎてあまりうまく評論できない)


人と仕事の関係性を作りなおそうという、吉田さんの話はいつもながらにすごい。問題を真正面から解こうというこの姿勢は、世界を本質的に変えていく人特有のものだ。


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宇野さんの差し込みは私が言うまでもなく、相変わらず激烈で、シャープ。また独特のねじれがオモシロイ。その宇野さんの独自の角度がなければこの対談の面白さは50分の一ぐらいになったことは間違いない。自分なりの視点(上の「感性」)と世界観を持って論を深めることの醍醐味とワイルド感を味わいたい方にはこの本は絶品だ。


私自身は年始に偶然宇野さんと知り合ったのだが、なんとも言えない味付けと芸風にしびれている。対談中何度も、語り手には出来なかったレベルの意味合いの凝縮を宇野さんがして、語り手が息を飲むシーンが出てくるが、言語化困難なものをピンポイントで取りまとめる才能には毎度驚く。


ところどころ出てくる独自の視点も味わい深い。


怒りしか持っていない人は、他人からは絶対に感染してもらえない。一緒に戦ってくれる人を増やすには、やっぱりここに加わると楽しいんだと思ってもらう必要があるし、そのためにはまず自分が楽しくなければ、と僕も思う (p.102)


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年末ぐらいに多分買って、積み上げてあった雑誌を2月ぐらいにパラパラめくっていたら、やたら面白くしかも本質的に80年代の芸能文化風景を俯瞰した記事があった。


これを書いた人は天才だ、と思ってみたら、なんと書き手が宇野さんでびっくりしたということもあった。


そういう宇野節を楽しみつつ、世界をまさに変えるべく色々仕掛けているワイルドな面々の感性に触れたい、そういう方におすすめだ。



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今日ご紹介した本と関連本

ITビジネスの原理

ITビジネスの原理

2013-11-26

ただやりたいことをやろうとするのが本当に幸せか?


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Leica M7, 50mm Summilux F1.4, RDPIII

Cambridge, UK


僕は何だか色々な相談を受けることが多い。


よくある相談の一つが、本当はこういうことをやりたいんだけれど、その辺をやったことがないので踏み込むべきかどうか分からない、というものだ。


これが大学出るかどうかぐらいの人だったら、「まあ深く考えずにやってみたらどうか?」という話になるわけだが、結構ないい歳になっていて、労働人生の何割かを過ぎてしまったような人の場合、これがむずかしい。


なぜだか、こういう相談をしてくる人に限って、そこまでの人生でそれが本当にやりたかったらそういう人生を送って来ていないだろう、という選択をしてきているケースが多い。*1本当にやりたいことがあるのだったら、それなりの経験をし、失敗もしているかもしれないけれど、そういう経験から、それなりのスキルを身につけている、、人に話してもそういうことをやらせてみてもいいと思う、、そういう人生を送っているはずなのに、そうじゃない人、というのが結構多いのだ。*2


代わりにというわけじゃないが、そこまでの10年なり、15年なりの労働人生で身につけてきたスキルとか、比較的意味のある仕事というものがあり、その延長だったら他の人も何か仕事を任せてみてもいいなと思ったりするわけだが、それがどうも心の中の夢なのか、隣の青い芝生なのか分からないが、どうも違うらしく、悶々としているというケースが多い。*3


そういう人に対してどういうアドバイスが出来るか、といえば、「まあ自分の人生だし、後悔しないように好きにするのがいいよ」ではあるものの、本当にその人の幸せにとってどうかということで考えれば、迷う程度の漠然としたことをしたいために、10年とかやってきたこと、これならば人よりうまくできること、を完全に捨てて、何か全く新しいことをいい歳して、新人のように学ぶというのはどうなんだろうと思う。


その場合、何しろ何のバリューも出ないのだから、それこそまたイチから薄給でも耐えて生き抜く覚悟がいる。失敗するリスクもある。自分で選んだ道だから誰も助けてくれない。


本当に覚悟があるのであれば、僕は止めないし、むしろ「思い切ってやったほうがいいよ」と背中を押すが、結局踏み切れないで僕に相談するという人の場合は、覚悟も足りず、自信もないというケースが多い。


そういう人に僕が言うのは、「バリューが出るところで、バリューの出る仕事をするべし」「どこならば食っていけるのか、どこならば一人前、一流になれるのかで考えるべき」だ。


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人の幸せというのは何か、ということを考え出すとアランの幸福論じゃないが、なかなか難しい問題になる。


幸福論 (岩波文庫)

幸福論 (岩波文庫)


ただ、こと仕事ということについて言えば、自分が自分らしい価値を産み出せることをやらないと、認められないし、達成感も生まれない上、当然、成功もしない。そうすると自分がいやになってしまう。


なので相当量の時間、全く異なることに好きであろうと好きじゃなかろうと打ち込んできたのであれば、それをモノにした方が良いと思うのだ。


(もちろん、今までやってきたことに全く適性がないのであれば話は別だ。そのようなときは、さっさと鞍替えするとともに、なんでそれが分かるのにそれほどの時間がかかったのか自体を自分でよくよく内省すべきだ。普通に考えれば半年、一年もすれば分かるはずのことだからだ。)


人は好きなこと、出来たらステキだな、と思うが何の経験もないことをやるのと、好きかどうか分からなくてもバリューが出ることをやるのとどちらが幸せにつながるかといえば、多くの人は後者の場合だと思う。


例えば、僕は音楽や物理の話を聞くのは好きだが、それで食っていけるとは全く思わない。画期的なサービスを作るソフトのエンジニアもかっこいいとは思うが、今からやってモノになるか、というと無理だと思う。


結局、人はいい仕事をして認められれば、そのことに自信を持つし、うれしさも感じる。更に努力もする。スキルも更に伸びる。成功もしやすくなる。気が付いたらその仕事が好きになる。それが生理的に拒絶するようなことであれば別だが、そういうことに長年時間を投下できるような人は普通はいない。


なので、ただこういうのやりたいんだー、と18の青年が思い、そこに飛び込むのは見事な青春で「どんどんやれ」と思うのだが、それなりの歳の人で、それなりの自分の時間を何かに投下してきた人の場合、それが余程、適性のないことじゃない限り、それを生かした方がいいと思うのだ。


これは実は、何が向いているかわからないという若い人に、「与えられた仕事、目先の仕事、ご縁があった仕事にまずは全力を尽くすべし」「やるからには一生その仕事をやる位のつもりでやるべし」というのと本筋で同じ話でもある。


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実際上のようなコメントをすると、多くの人が、自分としてバリューの出る選択をし、結局、そのまま幸せになっている。確かに憧れと、現実は別なんだと、いい歳になって気付く、そういうわけだ。


みなさんどう思われるだろうか?




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*1:もちろん、何かきっかけがあって、突然気付いたというのだったら、ステキなことだが、そういう人はまれだし、そういう場合、相談ではなく、決意を表明されるケースがほとんどだ。

*2:少なくとも、主たる仕事の世界においては、意に添えず別のことをやっていたとしても、隙間の時間とか、それ以外の時間とかはそれに向けて精進したり、色んなところで経験を積んでいたりして、意外と人のつながりが出来ていたり、技を身につけていたりするはず。

*3:一つ意外とありがちで厄介なケースは、大学の時とか交換留学とかしていたり、大学卒業後に少し留学などしていて、ちょっと英語が出来るが、他にこれといって何も出来ないケースだ。親の教育方針か何かかもしれないが、サブスタンスのない英語力などあまり意味がない。英語だけで食べるような通訳などで食べていくということならいいのかもしれないが、それはそれでかなり厳しい道だし、それなりの立場の人の多くが、かなり英語が使えるようになってしまった現在、そのニーズはもはやそれほどなく、先細りの道とも言える。そしてそれはほとんどの場合、もはや、希少性を失った価値なので、余程一流でない限り、そもそもペイしない。