花見☆乙。。

日本に生まれて、良かった、と思えることのひとつに、この桜の季節がある。。

その理由としては、「絵」になるからだ。

我が国においては、3〜4月の、ちょうど桜の花が咲く頃に「出会いと別れ」の季節を迎える。

いままで親しんだ、自分や周囲に別れを告げ、新たな人生の1ページに足を踏み入れんとする、まさにそのとき、桜が花をつけ、やがて満開となり、そして儚く散る。。

いまや、別れんとする人々の顔が、桜色の花びらの向こうで、静かに微笑んでいる。。

言えなかった言葉、伝え切れなかったそのほのかな想いを抱いて、ふと青空を見上げたとき、一陣の風が吹いて、そこには桜色の花びらが舞い狂う。

なんと、美しい風景であることだろう。。

やがて、日常の忙しさの中に、埋もれてゆくその想いも、また桜の季節の戻る度に、記憶の深部から蘇る。

散る桜の美しさは、ときにひとをして、夢幻の彼方に誘う。。

美しい、ということが、無常である ということと、同義なのだと、散りゆくその姿によって、桜は我々に教えてくれている。


     春風の 花を散らすと見る夢は 覚めても胸の さわぐなりけり



と、西行は、夢で見た桜の散る姿に、起きても心をかき乱される様を詠んだが、これこそ、美しさの本質であって、「美」は、現実世界においても、けっしてとらえることの出来ない、移ろいやすく儚きものである。

であるから我々もまた「桜」に惹かれてゆくのであろう。。

今年もまた、桜の季節がやって来た。。

夢幻の桜の美しさに気をとられて、つい、ぼおっとして、現実の何かにぶつかったり、あるいは車にひかれるといった事態だけはぜひ避けたい。。

なんとなれば、夢幻と異なり、現実は、実際に痛いからだ。。

そんなことにならぬよう、しっかり気をひきしめて、花見にのぞみたいと誓った朝であった。。