司馬遼太郎も言う「必要のない人間が出てくるかもしれない」

ずいぶんと盛り上がった「働かなくても〜」の話題で思い出したことのメモ。

essaさんが

つまり、「生活保護でかなりの贅沢をして暮らせるけど、『働く』為には、ものすごい才能と努力が必要になる社会」である。
http://d.hatena.ne.jp/essa/20070131/p1

と言ったように「働いた」と言えることが難しい時代だと,実は,司馬遼太郎も言っていた。

 昭和二十三年(一九四八)ごろだったと思いますが,京都の烏丸通を歩いていて,十ほども年上の友人と,こんな会話を交わしたことを覚えています。
「われわれが生きている間に,変な時代がくるんだ」
「どういう時代がくるんだ」
「生産をしている人はほんのわずかで,あとは遊んでいる人の時代が来る」
 その友人は,労働組合運動を一所懸命にやっていた,マルクス・ボーイでもありました。
そのとき,私はこうも言いました。
「『資本論』には労働価値説とか,いろいろ難しいことが書いてあるけれど,その理論も役に立たなくなるなる」
 つまり簡単に言いますと,半導体ノーベル賞をもらったのは江崎玲於奈さんですが,半導体のお陰で,大きかった機械が小さくてすむようになった。江崎さんだけではなくて,そういう物を考える非常に優秀な頭脳の持ち主だけが生産力を持つ。あとはオートメーションで機械がやりますから,そうすると,おまえはこの世の中に必要ないんだという人間が出てきそうですね。
 必要がないと言われても困りますから,結局,ヴァイオリンを弾いたり,ギターを弾いたりして,おもしろい役割を果たす人も出てきます。とりとめなくもなく一生を送る人も出てきて,しかしお金だけはどこからともなく回ってくる。そういう世の中になるだろうと,その友人には言ったのですが,どうやらそういう時代が来つつあります。


1984年8月1日 高知県安芸市民会館 安芸市制三十周年記念講演会 主催=安芸市


司馬遼太郎全講演 [2]」 P.248〜249 朝日文庫

司馬遼太郎全講演〈2〉1975‐1984 (朝日文庫)

司馬遼太郎全講演〈2〉1975‐1984 (朝日文庫)


何と,23年前の講演。ここで司馬遼は,フリーターの出現予言すらしている。「お前は一生,何をするんだ」と少年期に教えておかないととりとめのないことになる,とも言う。それを「21世紀にくる経験していない苦労」と呼んだ。

なるほど,どうやら,僕らはそういう時代に生きている。