許容される日本語 このページをアンテナに追加 RSSフィード

*当blogより引用する際は出典を明記してください。

2017-4-25

[]無安打無得点/無安打無失点(ノーヒットノーラン23:22 無安打無得点/無安打無失点(ノーヒットノーラン)を含むブックマーク 無安打無得点/無安打無失点(ノーヒットノーラン)のブックマークコメント

野球用語のクイズで、四死球や失策で出塁を許してしまってもノーヒットノーランは記録されるか、との設問があったりします。

答はイエス

「ラン」は走者でなく得点のことであり、ヒットを打たれずかつ点を与えなければ、フォアボール等で何人ランナーを出そうがノーヒットノーランです。

では、「ノーヒットノーラン」を漢語にすると?*1

「無安打無得点」がふつうです(日本野球機構の公式サイトでも「無安打無得点試合」)が、「無安打無失点」ともいいます。

ただ、論理的には、「無安打無失点」にはいささかひっかかる点があります。

MLB投手成績表では、失点は「R」で示されます。「runs」の略です。英語にも「失点」を表すことば(「run allowed」)はあるものの、日本語ほど「得点」と「失点」を厳密に使い分けないようです。投手の自責点も「earned run」といいます。「earn」は「1〔金銭など〕を働いて得る〈後略〉」(旺文社シニア英和辞典新訂版)ですから、ニュアンスとしては「打者が稼いだ得点」ですね(失策が絡むなどして自責点にならない失点=打者が稼いだわけではない棚ぼたの得点は「unearned run」)。日本語の「投手が自ら責任を負う失点」とは印象が異なります。

日本語の感覚では、同じ点でも、打者の視点では「得点」、投手の視点では「失点」。だったら、投手が達成したノーヒットノーランは「無安打無失点」?

いえ、もうひとつ注意すべきことがあります。「安打」は投手の行為ではないのです。「安打する」のは打者です。論理的に正しく投手の視点で表現するなら、「無被安打無失点」でしょう。

「攻撃側に安打も得点もなかった試合」の意で「無安打無得点(試合)」のほうがすっきりするように思います。

これほど細かい指摘は措くとしても、次の文はみすごしたくないものです。

広島加藤の前に2奪三振2四球と抑え込まれた」(4月8日付日刊スポーツ

この文の主語は東京ヤクルトスワローズ山田哲人選手です。山田選手を主語に受身形にするなら「2三振2四球と抑え込まれた」でなければなりません。「三振」を「奪」ったのは広島東洋カープの加藤拓也投手なのですから。

なお、加藤投手の視点からみれば「2奪三振2与四球と抑え込んだ」となります。*2

このように、文の主語や、述語はだれの視点からみたものか、といったことを常に意識するのは、論理的に破綻のない文章を書くうえでとても有用です。



*1 「ノーヒットノーランは和製英語」といわれるので、「日本語にすると?」とは書けません(和製英語は日本語。なお、漢語は「〈前略〉2 漢字音から成る単語。漢字の熟語〈後略〉」〈新小辞林第二版〉)。ところで、たしかに英語では通常「no-hitter」「no-no」で、そもそもMLBの記録としては失点の有無は問わない(ヒットさえ打たれなければよい)のですが、和英辞典をひくと「no-hit,no-run」。ぐぐると「no-hit no-run game」という表現がなくもないようです。MLBの記録要件とは無関係に「無安打無得点の状況」を表す英語が存在するのでしょうか。「ナイターは和製英語」にも反論がありますし、「和製英語かどうか」の判定はなかなか難しいものですね。

! とはいえ実用的には、英語で話す/書くなら「no-hit,no-run」でなく「no-hitter」を用いましょう。


*2 4打席で2与四球、しかも二つめは唯一の失点の呼び水となったとあれば「抑え込んだ」と表現してよいのか迷いますが、文法上は。




蛇足。

英語で「complete game」は完投のことです。完全試合は「perfect game」、完封は「shutout」です。以前webで、complete game=完全試合との記述を見たので、念のため。

2017-3-27

[]正論 21:23 正論を含むブックマーク 正論のブックマークコメント

SNSが発達し、TV番組に視聴者のツイートが表示されるようになりました。

世界的にポピュリズムが擡頭するなか、「自国第一主義は正論」とのツイートをよくみかけます。公共電波にのせるからには、稀少な意見ではなく、同様の投稿が一定数存在すると思われます。

そこで気になるのが、「正論」とは「道理の正しい議論」(広辞苑第二版補訂版)の意だということです。

「道理」とは「1 物事のそうあるべき理義。すじみち。ことわり。2 人の行うべき正しい道。道義〈後略〉」(同)です。「理義」は「道理と正義と」(同)。

つまり「正論」は、理想や正義や「人の行うべき正しい道」に適う議論であって、悲しいかな、「本音」よりも「建前」である場合が多数を占めます。

今や、自国の利益のためなら国際協調に背を向けるのもやむなし、との姿勢が「人の行うべき正しい道」なのでしょうか。

小説「蜘蛛の糸」や三尺箸の説話など、「自分さえよければ」の「本音」よりも、「建前」ととらえがちな利他主義こそが幸福をもたらすと教えられてきたのですが。近江商人の「三方よし」が世間の話題になったのも、何十年も昔のことではなかったような。








昨年の米国大統領選挙中、ヒラリー・クリントン候補が、ドナルド・トランプ候補の支持者の半数は人種差別主義者などの「嘆かわしい(deplorable)人々」だと発言して激しい反撥を買いました。落選の一因になったともいわれるこの発言は、米国市民の大半にとって人権の尊重は「常識」だと、naiveにも考えてしまったために為されたのかもしれません。

社会に弱者を支援する義務などない。自己責任でやれ。

しばらく前ならとても公言できなかった「本音」の許容度が、かなり高まっているようです。

セイフティネットのない社会は不安定化し、安全、経済公衆衛生社会保障制度等々さまざまな面でリスクが増大する。要支援者を納税者に変えるための資金は費用でなく投資。全員が長い箸で卓の反対側の人に食べさせればみなが幸福。道理を説いても「建前」とはねつけられるでしょうか。

人権や博愛の意義が共有されなくなりつつある現在、十年前、二十年前の「良識」を「常識」とおもいこまず、「本音第一主義者」に届くことばを探す必要がありそうです。

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2017-3-20

[]夫人/婦人 18:54 夫人/婦人を含むブックマーク 夫人/婦人のブックマークコメント

総理もゴフジンも」。

TVニュースで内閣官房副長官の発言が放送されました。この「ゴフジン」は、文脈から内閣総理大臣の妻を指すととれます。その場合、「フジン」の漢字表記は?

【夫人】〈中略〉六 現代は、他人の妻の敬称。

【婦人】一 おんな。女性。二 既婚の女。〈後略〉

新潮国語辞典新装改訂版)

英語でいいかえるなら、「夫人」は「Madam(e)」、「婦人」は「woman」というところ。「お蝶フジン」は「お蝶夫人」であって「お蝶婦人」ではありません。女性の病気を診るのは「夫人科」でなく「婦人科」です。

つまり、冒頭の「フジン」は「夫人」と書くはずです。

*「おんな」を示す場合、今日では、「婦人」でなく「女性」を用いるのが一般的です。


ところで、それ自体が敬称である「夫人」に敬称の「御」をつけてもよいものでしょうか。

他人の夫の敬称として「御主人」を使うことがありますが、「夫」の意で用いる「主人」は自分の夫の謙称であって敬称ではないので、「御夫人」とは異なります。

また、たしかに、「令夫人」とはいいます(「【令】〈中略〉二(接頭)他人の家族のことをいう場合、語の上に付けて敬意を表わす語」〈同〉)。「御芳名」(御+芳名)「御尊父」(御+尊父)なども、敬語の重複であるとされてきたものの、現在では広く許容される敬称です。とはいえ「御夫人」は聞きません。

「御夫人」は、「御芳名」ほど許容された段階にはないと思われます。




「御婦人」は、英語の「lady」「ladies」にあたる古めかしい表現で、「他人の妻」でなく「女性」の敬称です。この音にひきずられて「御夫人」といってしまったのかもしれませんね。

しかし、「御」や「れる/られる」を機械的に添えれば尊敬語になると考えているのであれば、ことばで仕事をする政治家としては、ことばに関する感性に疑問符がつきます。

保守派を任ずるならそれだけ「美しいことば、日本語」もたいせつにしてほしいものです。

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2017-2-19

[]固定概念(固定観念/既成概念) 23:45 固定概念(固定観念/既成概念)を含むブックマーク 固定概念(固定観念/既成概念)のブックマークコメント

18日夜のNHK経済フロントライン」の「未来人のコトバ」コーナーに近畿大学広報部長の世耕石弘氏が登場しました。少子化により大学間の競争が激化するなか、まじめでお堅い大学広報の殻を破るため、斬新なPRに挑んだそうです。「固定概念を、ぶっ壊す。」というキャッチコピーの新聞全面広告は、広告関連の賞をいくつも獲得しました。

ただ、わざわざ「既成概念」でなく「固定概念」とした点は、みすごされた可能性もあります。違和感を生じさせて目にとめてもらう、という手法は、「固定概念」に違和感をもたない場合は奏効しないからです(ページをあっさりめくらせない効力は主に、鮪の頭が地を割って屹立する画像が担ったのでしょうが)。


【概念】一 個々の具体物から共通した内容を取り出し、総合して得た〈中略〉もの〈後略〉(新小辞林第二版)

【観念】〈中略〉3〈中略〉思考の対象となる意識の内容・心的形象の総称〈中略〉4 考え。見解(広辞苑第二版補訂版)

「概念」は事物の本質をとらえたもので、客観的普遍的です。人によって異なったり容易に変化したりしない、つまり、そもそも「固定」されているので、通常は「固定概念」のような使い方はしません。「観念」ならば主観的、個別的で、定まったものというわけではないため、「【固定観念】〈中略〉個人の心を常に占めて離れない考え。固着観念」(新潮国語辞典新装改訂版)の熟語もつくれます。

「概念」に、新味のない、硬直した、といったニュアンスを加える場合は、「【既成】既にでき上がっていること」(同)をつけて「既成概念」とするのがふつうです。


漢語直観的に理解するのが難しいことがあります。キャッチコピーなどでなく意図を伝えるための文章では、語義を把握して正確に用いるのが得策です。あやふやな理解のまま使ってしまうと誤解を招きかねません。

たとえば、「固定観念」と「既成概念」は上記のとおり意味が異なりますので、混同しないようにしましょう。




追記。

AXNミステリーでTVシリーズ「シャーロック・ホームズの冒険」字幕版を放送してて、「六つのナポレオン」に「固定概念」て訳語が出てきました。驚いて正典を繰ってみると「固定観念」(「六個のナポレオン」鈴木幸夫訳)でした。念のため、イマジカBSで放送中の吹替版も確認、やはり「固定観念」。fixされたイデーだからって「固定概念」はへんだよね、うん。

2017-1-31

[]alternative facts(オルタナティブファクト) 22:55 alternative facts(オルタナティブファクト)を含むブックマーク alternative facts(オルタナティブファクト)のブックマークコメント

コンウェイ米国大統領顧問がTV番組で「alternative facts」といったときには驚きました。放送通訳が「代替の事実」と訳したんだったかな? BS1の再放送で英語字幕を凝視して原語を確認し、しばし沈思黙考。


多様な価値観や考え方をうけいれることは、現代民主主義社会の基礎といえましょう。ゆえに、「真実は一つ!」と唯一の解釈に固執せず、主観的真実は人の数だけあることを容認すべきです。そして、おのれの主観的真実に囚われて一面的なものいいをしていないか省みる。真実は一つじゃない、は、独善に陥らないための警め――だと思ってました。

が。

大統領就任式に集った人数は史上最多なのだ。一目瞭然の写真があろうが、最寄駅の乗客数といったデータがあろうが、べつの事実があるのだ。

あなたはあなたの事実を信ずればよい。わたしはわたしの事実を信ずる。以上。


異なる主観的真実が衝突する場合、たがいの「真実」を主張するだけでは解決策をみいだせないため、客観的事実を基に意見をすりあわせ、おとしどころを探る必要があります。その第一歩は、双方が客観的事実に信を置くことです。主観的真実とは異なり、歩み寄りの基礎となる客観的事実は唯一のものでなくてはなりません。それぞれべつのalternative factを信じ続けていてはおりあいのつけようがない。

ただし、いまや、alternative factsに驚愕するほうが少数派なのかも。

民主主義の旗頭を自認する超大国大統領選で、躊躇なく「alternative facts」と公言する選挙対策本部長のいる陣営が当選しちゃうんだもの。

以前から、定期購読紙やよく観るTV局によって価値観などが固定される傾向はありました。しかし現代は、個人個人にカスタマイズされたニュースが届き、感性の似たソーシャルネットワークグループ内で意見が共有される時代です。考えが偏る危険性は増したと思われます。しかも情報過多ですから、いちいち裏をとってはいられない。

主観的真実に合うalternative factsがあれば十分で、だれもが認める客観的事実は不要。


まあ「だれもが認める」は難しいかもしれませんが、測定方法が信頼できて論理的に破綻のない証拠があり、大多数がなっとくする客観的事実なら、認められるんじゃないでしょうか。

たとえば、世界の科学者のほとんどが事実だとする気候変動とか。

犬と猫のどっちが好ましいか、てな部類なら、各々の主観的真実を尊重すればいい。でも気候変動は、放置すればとりかえしがつかず、対処するには世界中の協力が不可欠だから、alternative factsを信じてる人も説得せんとならん。

みんなの意見をまとめないとみんなが困ったことになる問題はほかにもたくさんあって、主観的事実が衝突するばかりでは時間が失われるだけなので、なんとしてもおりあいをつけないといけません。

トランプ米国大統領が当選した際、就任後は過激言動もなくなるとの観方もありました。なんといってもビジネスマンだから、と。優れたビジネスパーソンは、実施に伴う影響を考慮した実現可能な計画を立てて現場にしっかり理解させられると期待されますからね。けどどーもそーではないよーで。正しいのは「わたしの事実」で反論はすべていんちき――そうした姿勢では人々をまとめられず、米国、ひいては世界が混乱に陥っています。

このように、客観的事実を無視して主観的真実しか見ない人が権力の座に就くとマズイわけです。

わけですが、なんだか、世界中でそっちのほうが多数派なのかなぁ。

異なる主観的真実を譲らない「分断の世界」に、客観的事実を基に論理的に伝える報道や出版の出番はあるのかしら。「話せばわかる」幻想はほんとうにもろくはかなくなっていたんだ、と、現実をつきつけられてしまいました。





追記。このところよくコンウェイ顧問の上記発言が日本のTV番組でも放送されるので耳を澄ませてみたら、「fact」は複数形っぽいですね。初回ポストでは「人数は史上最多」という一つの事実、かと思って単数形にしましたが、修正。

1箇所残した単数形はわざとです。

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