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2017-1-31

[]alternative facts(オルタナティブファクト) 22:55 alternative facts(オルタナティブファクト) - 許容される日本語 を含むブックマーク alternative facts(オルタナティブファクト) - 許容される日本語 のブックマークコメント

コンウェイ米国大統領顧問がTV番組で「alternative facts」といったときには驚きました。放送通訳が「代替の事実」と訳したんだったかな? BS1の再放送で英語字幕を凝視して原語を確認し、しばし沈思黙考。


多様な価値観や考え方をうけいれることは、現代民主主義社会の基礎といえましょう。ゆえに、「真実は一つ!」と唯一の解釈に固執せず、主観的真実は人の数だけあることを容認すべきです。そして、おのれの主観的真実に囚われて一面的なものいいをしていないか省みる。真実は一つじゃない、は、独善に陥らないための警め――だと思ってました。

が。

大統領就任式に集った人数は史上最多なのだ。一目瞭然の写真があろうが、最寄駅の乗客数といったデータがあろうが、べつの事実があるのだ。

あなたはあなたの事実を信ずればよい。わたしはわたしの事実を信ずる。以上。


異なる主観的真実が衝突する場合、たがいの「真実」を主張するだけでは解決策をみいだせないため、客観的事実を基に意見をすりあわせ、おとしどころを探る必要があります。その第一歩は、双方が客観的事実に信を置くことです。主観的真実とは異なり、歩み寄りの基礎となる客観的事実は唯一のものでなくてはなりません。それぞれべつのalternative factを信じ続けていてはおりあいのつけようがない。

ただし、いまや、alternative factsに驚愕するほうが少数派なのかも。

民主主義の旗頭を自認する超大国大統領選で、躊躇なく「alternative facts」と公言する選挙対策本部長のいる陣営が当選しちゃうんだもの。

以前から、定期購読紙やよく観るTV局によって価値観などが固定される傾向はありました。しかし現代は、個人個人にカスタマイズされたニュースが届き、感性の似たソーシャルネットワークグループ内で意見が共有される時代です。考えが偏る危険性は増したと思われます。しかも情報過多ですから、いちいち裏をとってはいられない。

主観的真実に合うalternative factsがあれば十分で、だれもが認める客観的事実は不要。


まあ「だれもが認める」は難しいかもしれませんが、測定方法が信頼できて論理的に破綻のない証拠があり、大多数がなっとくする客観的事実なら、認められるんじゃないでしょうか。

たとえば、世界の科学者のほとんどが事実だとする気候変動とか。

犬と猫のどっちが好ましいか、てな部類なら、各々の主観的真実を尊重すればいい。でも気候変動は、放置すればとりかえしがつかず、対処するには世界中の協力が不可欠だから、alternative factsを信じてる人も説得せんとならん。

みんなの意見をまとめないとみんなが困ったことになる問題はほかにもたくさんあって、主観的事実が衝突するばかりでは時間が失われるだけなので、なんとしてもおりあいをつけないといけません。

トランプ米国大統領が当選した際、就任後は過激言動もなくなるとの観方もありました。なんといってもビジネスマンだから、と。優れたビジネスパーソンは、実施に伴う影響を考慮した実現可能な計画を立てて現場にしっかり理解させられると期待されますからね。けどどーもそーではないよーで。正しいのは「わたしの事実」で反論はすべていんちき――そうした姿勢では人々をまとめられず、米国、ひいては世界が混乱に陥っています。

このように、客観的事実を無視して主観的真実しか見ない人が権力の座に就くとマズイわけです。

わけですが、なんだか、世界中でそっちのほうが多数派なのかなぁ。

異なる主観的真実を譲らない「分断の世界」に、客観的事実を基に論理的に伝える報道や出版の出番はあるのかしら。「話せばわかる」幻想はほんとうにもろくはかなくなっていたんだ、と、現実をつきつけられてしまいました。





追記。このところよくコンウェイ顧問の上記発言が日本のTV番組でも放送されるので耳を澄ませてみたら、「fact」は複数形っぽいですね。初回ポストでは「人数は史上最多」という一つの事実、かと思って単数形にしましたが、修正。

1箇所残した単数形はわざとです。

2017-1-2

[]地味にスゴイ!校閲ガール・河野悦子(ネタバレ19:22 地味にスゴイ!校閲ガール・河野悦子(ネタバレ) - 許容される日本語 を含むブックマーク 地味にスゴイ!校閲ガール・河野悦子(ネタバレ) - 許容される日本語 のブックマークコメント

昨秋日本テレビ系列で放送していたドラマ「地味にスゴイ!校閲ガール・河野悦子」を校正者が観た感想、です。


ドラマならびに原作『校閲ガール』シリーズのネタバレを含みますのでご注意ください。



ドラマのあらすじ。

ファッション誌ラッシィ(とカナで書くと『幼年期の終り』のラシャヴェラクになってしまうな。正式表記は『Lassy』)の熱烈な愛読者で、『Lassy』の編集者を夢みて同誌を発行する出版社を大学卒業後も毎年受け続ける「スーパーポジティブ」な若い女性、河野悦子。略してコーエツ。『Lassy』編集部に空席はなく不採用の連続だったが、ずばぬけた観察眼(ファッション関係のみ)と気になったことはとことんまで調べずにいられない性分に校閲部長が校正者の資質を感じ、ついに採用される――校閲部員として。

『Lassy』のバックナンバーなら、各号の特集のみならず、連載コラムの内容まですべて記憶している悦子。しかし、ファッション以外には関心がなく雑誌も本も読まないので、難しい漢字や表現はちんぷんかんぷんだ。それでも、校閲部で実績を挙げて『Lassy』編集部へ異動しようと奮闘する。もともと何に対しても真摯にとりくむ性格で、事実確認のために小説の舞台へ足を運ぶことまでする。

全力投球のあまり騒動をひきおこすこともたびたびなのだが、恋人未満の作家兼モデルの幸人との恋の成就より担当業務を優先してしまうまっすぐな仕事ぶりが、毎回ハッピーエンディングをもたらす。


縁故入社でもない中途採用の未経験者が校閲部に配属される、というのはたしかに現実離れした設定です(原作では新卒採用)。が、「おもしろくするためのドラマのうそ」であって、許容範囲でしょう。あんなはでな校正者はいない!は、客観的根拠を示さないかぎり、明言はできません。「超がつくほど個性的だけど愛すべき主人公」をよく表しており、めくじらをたてる問題ではないと思われます。

まぁ、担当編集者の指示もないのに校正者がかってに事実確認に外出することをくりかえしていたら、問題になりそうですけどね。交通費申請は通らんだろーなー。

ということで、原作のエピソードの再構成がうまいし恋愛ドラマとしてもかわいらしいと、毎週楽しんで観ていたのですが、だんだんひっかかりが多くて楽しめなくなりました。

ひっかかりの例。

・文芸において、用字や表現は作品の重要な要素。使い分けか不統一か判然としない場合にひかえめに疑問出しするならまだしも、一般的な表現じゃないからとエンピツ入れるのはいかがなものか(若者ことばが時代遅れだと指摘するのは、事実確認の範疇)。

・いくら現地の市民だろうが、だれともわからない人の発言を根拠に旅行ガイドのアップデートをするか……現実問題、ないとはいいきれないのだけれど、情報の正確性に自信をもって出版できないのでは。

・実務経験十数年の校正者が、時刻表ミステリで誤った時刻表が使われてるのに指摘しないのは、あり得ない。正しい時刻表では物語が成立しないから指摘できないと悩むって……。そんな回収確実なミス、特大付箋でも付けて指摘し、「ただし、正しい時刻表に基づくと、○○のため、物語に矛盾が生じます」とかなんとか書き添えねばならない。あとは編集者の仕事よ。

こうした、ドラマの本筋とは関係のないところにひっかかるようになっちゃったのは、原作のだいじな台詞が割愛されたあたりから。

人間は外見でなく内面で評価すべしという「常識」を承服しかねる悦子が、ならファッション業界も美容業界もいらない、文章がへたでも内容に誤りがあってもかまわないなら校閲なんていらない(大意)、と独白するんです。で、ああ校閲ってそういうことか、と、腰掛けのはずの仕事を新たな目でみる。第1作の肝腎要の場面です。

おしゃれな服や靴や化粧や髪型は文化。正確な事実の積み重ねを根拠として美しい文章を綴るのも文化。書きたいことを書きなぐる、のは文化じゃない。


紙に印刷されたインクという物品でなく本という作品を上梓するためには、出版社の片隅で黙々と赤ペンと黒鉛筆を走らせ、社外はもちろん、社内でも存在を忘れられがちな人々が必要だ。幸人の新作は、そんな「地味にスゴイ!」仕事人を紹介するノンフィクション。ドラマの後半、小説家としてゆきづまっていた彼は、「地味にスゴイ!」を取材することで作家としての輝きをとりもどします。そこでドラマタイトルが活きてくるわけですよね。なんだけど。

悦子は、こんなスゴイ!本を書く幸人くんてすてき! でも、正式に恋人同士になってしまうと(たぶん彼女の性格上)『Lassy』の編集者になるという夢を追えないから、恋愛はおあずけ、みたいな宣言をする。

あれ?

原作では、『Lassy』別冊編集部で短期間だけ編集者を務めた悦子が、自分は熱愛する『Lassy』にかかわりたい読者であって、雑誌制作がしたい編集者志望者ではないのだと気づきます。校閲部長が彼女に校正者の資質をみてとったのは正しかったのです。

仕事への憧れと適性はかならずしも一致しない、て結論も、お仕事ドラマとしてはアリだと思うんですけどね。「だめ、夢をあきらめちゃ!」じゃないとイカンのか。

で、それまで、細部にまで目のゆきとどく校閲を淡々とめだたずに(校閲がめだつのはミスをみのがしたときなので)こなしてきた先輩校閲部員たちが、地味な殻を破っていきいきと働き始める。……えーと、とつぜん「地味にスゴイ!」がどっかいっちゃったよーな。

「ぼくらは、クロコ/でも、ものづくりってそういうこと」(日本ガイシCMより)的な職人の矜持の話じゃなかったのか〜。

ちょっとあてが外れました。






いつもは大晦日に締のポストをするところ、ばたばたしてて年が明けてしまいました。2015年12月31日23時59分にリセットしたカウンターは、2017年1月2日19時20分には229232になっていました。

旧年中は、ほぼ開店休業blogをご覧くださいましてありがとうございます。

新年はもっと頻繁に記事を書きたく存じます。毎年ことばだけですが。

政治経済社会に山積する問題がすこしでも解決され、新年が佳い一年となりますよう。

2015-12-31

[]価格破壊 00:32 価格破壊 - 許容される日本語 を含むブックマーク 価格破壊 - 許容される日本語 のブックマークコメント

介護離職した友人が、すきま時間に仕事ができればとクラウドソーシングのライター募集要項を見てみたのですが、あまりにも安い報酬(1文字1円だったかな)に応募はやめたそうです。

ふと、とある記事提供業者の記事をおもいだしました。

「光の色は波長の長さで決まるのだが、赤に近づくほど波長が短く、青色に近づくほど長くなる。この青い光が、波長が長いせいであちこちにぶつかって乱反射し」

光の波長については中学生で習うのでは……。この業者がクラウドソーシングを利用していたかどうかは存じませんが、高い原稿料は払わなかったでしょうね。

*念のため附記。波長が短いのは青で長いのは赤です。

とはいえ、雑誌なりwebサイトなりに記事を載せるのは読者に読んでもらうためです。音楽でもまんがでも無料で視聴できる時代、お金を払う価値を記事に認める読者が大多数だとは思えません。それ自体が売りものにならないのなら、記事を安く買えるに越したことはないので、安価で記事を提供する業者を選ぶでしょう。そうしたクライアントが多ければ相場は下がり、ライターに支払う金額も減ってゆくわけです。

たしかに、有料でも読みたいような記事が昨今どれほどあるかというのは大きな問題です。ただし、1文字1円では調査も取材もできないのです。


2014年の12月31日23時59分にリセットしたカウンターは、2015年の12月31日23時59分には245,099件でした。ほとんど更新していないのにご覧いただきありがとうございます。近年すっかり狼少年ですが、来年こそは更新頻度向上を、はい、ぜひ。

よいお年をお迎えください。

2014-12-31

[]コピー&ペースト 01:32 コピー&ペースト - 許容される日本語 を含むブックマーク コピー&ペースト - 許容される日本語 のブックマークコメント

この1年(1月から12月まで)巷間の話題に上ってきた「STAP細胞」は、「なかった」との結論に至ったようですね。じっくりおっかけてたわけではまったくなくてTVニュース等で見聞きした程度ながら、理研がもちあげネイチャーが認めた研究が捏造と判定されたことに、門外漢としては驚いております。

そうなのか、研究者の世界にまでコピペが蔓延してるのか。

何年か前に読書感想文コピペ元ネタサイトが話題になって、夏休みは読書感想文なんか書くよりもっと有意義に使ってほしいってのがサイト作成の動機だったと記憶してますが、読書感想文てのは実は有意義で、論理的な文章の入門篇だと思うのね。本を読んで理解して、それを基に自分なりの感想をもち、文章を筋道の通るように組み立てる。そんな訓練がこどものうちにできてないと、大学生になってもコピペでないとレポートが書けなくなってしまう。

研究者になってもコピペでないと論文が書けず、ライターになってもコピペでないと原稿が書けない……。

もちろんすべてを0から創造することはできないのだけど、多様な情報を読みこんで咀嚼し、身につけた知識を基礎に独自の発想で論を立て、持論を補強するために参考文献を引用するのと、ぐぐってヒットしたサイトのうち上位に表示されたいくつかからコピペした文章をつぎあわせるのとは、質が異なる。

持ち歩ける機械に図書館の蔵書が詰まってる時代、webは情報蒐集の手段として大変有用とはいえ、情報をコピーすることと理解することは同じじゃない。コピーした情報を並べるだけでは論文にも原稿にもならないのでして。

細胞を刺戟するだけで幹細胞ができたらスゴイ!て発想を、破綻のない理論に構築し、他の研究者が再現可能な実験手法を確立して検証する。それにはやっぱり、論理的思考ってのが不可欠でしょう。論理的に考えてさえいれば、マスコミ受けのよさそうな若手研究者を宣伝する前に、研究者としての資質をチェックしてたはずだがな、と、研究組織に注ぎこまれた税金を負担する側は訝しむ。

論理的思考を育むため、コピペしないで文章を書く練習をおすすめします。



2013年の12月31日23時59分にリセットしたカウンターは、2014年の12月31日23時59分には213,032件でした。御高覧を賜りありがとうございます。2015年は更新頻度を増やす(少なくとも2014年よりは!)所存ですので、また覗いていただければ幸いです。

新年がよい年となりますよう。

2014-10-2

[]もしも調査報道が消えたなら 20:39 もしも調査報道が消えたなら - 許容される日本語 を含むブックマーク もしも調査報道が消えたなら - 許容される日本語 のブックマークコメント

先月、朝日新聞社社長がふたつの誤報について謝罪文を発表。もちろん誤報自体イカン(重大問題についての記事だっただけになおさら)のですが、それとは別に、「あ〜あやっちゃったよ……」と嘆息しましたことよ。

長年誤りを指摘されてきた「朝日新聞の」記事がやっぱり誤報だったなんて、「偏向した『マスゴミ』は信用できない」の主張に「揺るがぬ証拠」を与えたわけですからね。

いや、あたくしは、中学生時分からの朝日嫌い、かといって読売・産経の勧誘もお断りの日刊スポーツ定期購読者なので、サヨクもウヨクもどーでもいーんです。けど、調査報道がなくなったらたいへん。


毎日仕事をして家事をして本を読む時間もそんなにとれないとなると、プロが取材し報道してくれるTVや新聞は、社会についての知識(情報にとどまらず)を簡便に得るのに重宝な手段です。まぁ媒体はwebって人もいるでしょうが、記事は報道機関が制作してる。ポータルサイトとかはキュレーター(学芸員じゃなくてweb用語の)であって、もともとの記事がなければwebでニュースを読めないのよ。

でもいまや旧来のTV局や新聞社の経営手法はぐらついてて、今後も持続可能なビジネスモデルは(米国等でいろいろ意欲的な試みがなされていると聞くけれども)確立してない。このままじゃ「報道機関による調査報道」はレッドリストに載るかもだ。それに拍車をかけるのが、世間の報道機関不信。真実はblogやBBSやSNSにしかないと確信する人が増えていったら……。


別の仕事の片手間でなく職業生活の100%を取材やら編集やらにふりむけられる人が、何世代もかけて構築してきたコネクションや蓄積してきた専門知識を活用し、十分な取材を基に自ら反証も行ったうえで制作した記事は、信頼度の面で、どこのだれが書いたかわからないblogには優ります。いくらアサヒが信用できなくても、じゃあBBSの書きこみをアサヒ以上に信ずる根拠があるかつったら、たぶんない。

とはいえ。

上記謝罪文では誤報の原因として「思い込みや記事のチェック不足」「裏付け取材が不十分」と説明してました。きっちり裏をとって偏りのない視点で書いて、デスクだったり外部監修者だったりにしっかりチェックしてもらうのは、基本のキってやつです。が、すべての記事がそうかと問えば、そんなこたないのが実状。

しかも、事実を枉げて(本人には枉げた意識はないとしても)でもおのれの信念に基づく記事を書かれるのもすごーく困るが、そーゆー信念とか偏向とかぜんぜんなく、単に能力や知識や意欲や、なによりプロ意識に欠けることによる取材不足や理解不足の記事が増えてる気がするんですよね。

これはほんとに困った事態で、素人さんのblogが及ぶべくもない信頼度の高い記事を読むにはプロのジャーナリスト(従業員か外部スタッフか寄稿者かを問わず)をそろえた報道機関が必要なのだ、といえなくなってしまう。そして、信頼できる報道機関が絶滅し、ジャーナリストが生計を維持しにくくなって、調査報道が消え、単なる情報だけが氾濫する世界が到来したら、社会のあれこれについて正しい判断を下す根拠を探すのはかなり困難に。

既存の報道機関なしでも信頼度の高い記事が供給され続ける保証がないうちは、報道機関を否定するのでなく、取材や理解の足りない記事に建設的な批判を寄せることで報道機関の健全な発展を促すほうがいいんじゃないかなぁ。



わたしはジャーナリストじゃないけど、文章を書いて口を糊してる以上、今回の記事は自戒をこめて書きました。

で、週ベ9.29号を憶い出したんですけども。

「捕手と走者の激突の裁き、いまだに瞑想中」 <MLBで本塁クロスプレイに関する議論が「迷走」しているという記事の見出

その2ページ前には「若干20歳」 <「弱冠21歳」は誤用だがこれは誤変換

それより「日本唯一の野球週刊誌」としてまずかろう、なのは「四球を受け、両軍がホームベース付近でにらみ合う」 <フォアボールで乱闘してたら試合が終わらんでかんわ

(おまけ。10.13号より。

「当時としては大会史上初」 <タイムマシンにおねがい♪)

たとえスケジュールがタイトでも一字一句おろそかにせず校正しよう。自戒自戒。