許容される日本語 このページをアンテナに追加 RSSフィード

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2017-3-27

[]正論 21:23 正論 - 許容される日本語 を含むブックマーク 正論 - 許容される日本語 のブックマークコメント

SNSが発達し、TV番組に視聴者のツイートが表示されるようになりました。

世界的にポピュリズムが擡頭するなか、「自国第一主義は正論」とのツイートをよくみかけます。公共電波にのせるからには、稀少な意見ではなく、同様の投稿が一定数存在すると思われます。

そこで気になるのが、「正論」とは「道理の正しい議論」(広辞苑第二版補訂版)の意だということです。

「道理」とは「1 物事のそうあるべき理義。すじみち。ことわり。2 人の行うべき正しい道。道義〈後略〉」(同)です。「理義」は「道理と正義と」(同)。

つまり「正論」は、理想や正義や「人の行うべき正しい道」に適う議論であって、悲しいかな、「本音」よりも「建前」である場合が多数を占めます。

今や、自国の利益のためなら国際協調に背を向けるのもやむなし、との姿勢が「人の行うべき正しい道」なのでしょうか。

小説「蜘蛛の糸」や三尺箸の説話など、「自分さえよければ」の「本音」よりも、「建前」ととらえがちな利他主義こそが幸福をもたらすと教えられてきたのですが。近江商人の「三方よし」が世間の話題になったのも、何十年も昔のことではなかったような。








昨年の米国大統領選挙中、ヒラリー・クリントン候補が、ドナルド・トランプ候補の支持者の半数は人種差別主義者などの「嘆かわしい(deplorable)人々」だと発言して激しい反撥を買いました。落選の一因になったともいわれるこの発言は、米国市民の大半にとって人権の尊重は「常識」だと、naiveにも考えてしまったために為されたのかもしれません。

社会に弱者を支援する義務などない。自己責任でやれ。

しばらく前ならとても公言できなかった「本音」の許容度が、かなり高まっているようです。

セイフティネットのない社会は不安定化し、安全、経済公衆衛生社会保障制度等々さまざまな面でリスクが増大する。要支援者を納税者に変えるための資金は費用でなく投資。全員が長い箸で卓の反対側の人に食べさせればみなが幸福。道理を説いても「建前」とはねつけられるでしょうか。

人権や博愛の意義が共有されなくなりつつある現在、十年前、二十年前の「良識」を「常識」とおもいこまず、「本音第一主義者」に届くことばを探す必要がありそうです。

2017-1-31

[]alternative facts(オルタナティブファクト) 22:55 alternative facts(オルタナティブファクト) - 許容される日本語 を含むブックマーク alternative facts(オルタナティブファクト) - 許容される日本語 のブックマークコメント

コンウェイ米国大統領顧問がTV番組で「alternative facts」といったときには驚きました。放送通訳が「代替の事実」と訳したんだったかな? BS1の再放送で英語字幕を凝視して原語を確認し、しばし沈思黙考。


多様な価値観や考え方をうけいれることは、現代民主主義社会の基礎といえましょう。ゆえに、「真実は一つ!」と唯一の解釈に固執せず、主観的真実は人の数だけあることを容認すべきです。そして、おのれの主観的真実に囚われて一面的なものいいをしていないか省みる。真実は一つじゃない、は、独善に陥らないための警め――だと思ってました。

が。

大統領就任式に集った人数は史上最多なのだ。一目瞭然の写真があろうが、最寄駅の乗客数といったデータがあろうが、べつの事実があるのだ。

あなたはあなたの事実を信ずればよい。わたしはわたしの事実を信ずる。以上。


異なる主観的真実が衝突する場合、たがいの「真実」を主張するだけでは解決策をみいだせないため、客観的事実を基に意見をすりあわせ、おとしどころを探る必要があります。その第一歩は、双方が客観的事実に信を置くことです。主観的真実とは異なり、歩み寄りの基礎となる客観的事実は唯一のものでなくてはなりません。それぞれべつのalternative factを信じ続けていてはおりあいのつけようがない。

ただし、いまや、alternative factsに驚愕するほうが少数派なのかも。

民主主義の旗頭を自認する超大国大統領選で、躊躇なく「alternative facts」と公言する選挙対策本部長のいる陣営が当選しちゃうんだもの。

以前から、定期購読紙やよく観るTV局によって価値観などが固定される傾向はありました。しかし現代は、個人個人にカスタマイズされたニュースが届き、感性の似たソーシャルネットワークグループ内で意見が共有される時代です。考えが偏る危険性は増したと思われます。しかも情報過多ですから、いちいち裏をとってはいられない。

主観的真実に合うalternative factsがあれば十分で、だれもが認める客観的事実は不要。


まあ「だれもが認める」は難しいかもしれませんが、測定方法が信頼できて論理的に破綻のない証拠があり、大多数がなっとくする客観的事実なら、認められるんじゃないでしょうか。

たとえば、世界の科学者のほとんどが事実だとする気候変動とか。

犬と猫のどっちが好ましいか、てな部類なら、各々の主観的真実を尊重すればいい。でも気候変動は、放置すればとりかえしがつかず、対処するには世界中の協力が不可欠だから、alternative factsを信じてる人も説得せんとならん。

みんなの意見をまとめないとみんなが困ったことになる問題はほかにもたくさんあって、主観的事実が衝突するばかりでは時間が失われるだけなので、なんとしてもおりあいをつけないといけません。

トランプ米国大統領が当選した際、就任後は過激言動もなくなるとの観方もありました。なんといってもビジネスマンだから、と。優れたビジネスパーソンは、実施に伴う影響を考慮した実現可能な計画を立てて現場にしっかり理解させられると期待されますからね。けどどーもそーではないよーで。正しいのは「わたしの事実」で反論はすべていんちき――そうした姿勢では人々をまとめられず、米国、ひいては世界が混乱に陥っています。

このように、客観的事実を無視して主観的真実しか見ない人が権力の座に就くとマズイわけです。

わけですが、なんだか、世界中でそっちのほうが多数派なのかなぁ。

異なる主観的真実を譲らない「分断の世界」に、客観的事実を基に論理的に伝える報道や出版の出番はあるのかしら。「話せばわかる」幻想はほんとうにもろくはかなくなっていたんだ、と、現実をつきつけられてしまいました。





追記。このところよくコンウェイ顧問の上記発言が日本のTV番組でも放送されるので耳を澄ませてみたら、「fact」は複数形っぽいですね。初回ポストでは「人数は史上最多」という一つの事実、かと思って単数形にしましたが、修正。

1箇所残した単数形はわざとです。

2015-5-24

[]ウォーミングアップ/ウォームアップ 15:34 ウォーミングアップ/ウォームアップ - 許容される日本語 を含むブックマーク ウォーミングアップ/ウォームアップ - 許容される日本語 のブックマークコメント

「試合開始前の練習運動。予備運動。ウォーム-アップ」(広辞苑第二版補訂版)の意の「ウォーミングアップ」、「ウォームアップ」の表記も許容のようですが、英語ではどちらが使われるのでしょう。

Webster's Ninth New Collegiate Dictionary1986年版によると下記のとおりです。

warm-up n 1:the act or an instance of warming up;also:a preparatory activity or procedure〈後略〉

warm up vi 1:to engage in exercise or practice esp. before entering a game or contest;broadly:to get ready〈後略〉

「warming-up」の項はありません。「warm-up」の説明にある「warming up」は自動詞「warm up」の動名詞であり、名詞としては「warm-up」なのですね。


上記の辞書は発行年が古いので(広辞苑第二版補訂版は昭和51年第一刷)、最新版の国語辞書と英和辞書をいくつかめくってみました。

国語辞書では、「ウォーミングアップ」を主としながらも「ウォームアップ」の項も立てるか「ウォーミングアップ」の説明のなかに「ウォームアップ」表記もあるものが大半です。

英和辞書ではほとんどに「warming-up」の項はなく、いくつかの辞書で「warm-up」の形容詞としているだけでした。それらも名詞は「warm-up」のみです。2冊だけ見た英英辞書は「warming-up」なし。

日本語(外来語)として「ウォームアップ」を用いることに問題はなさそうですから、とりたてて「ウォーミングアップ」にこだわる理由がなければ、「ウォームアップ」でよいのではないでしょうか。文字数も2文字減らせますし。

2013-12-31

[]つけまわし 10:50 つけまわし - 許容される日本語 を含むブックマーク つけまわし - 許容される日本語 のブックマークコメント

先の臨時国会で、特定秘密保護法案の審議の陰に隠れていつの間にやら成立していた、いわゆる社会保障制度改革のプログラム法。社会保障制度改革の「全体像及び進め方を明らかにする」(持続可能な社会保障制度の確立を図るための改革の推進に関する法律第一条)法律のはずが、全体像というには枝葉末節が並びます。社会保障も安全保障と同じようにだいじなんですけどね。

で、この法案の国会審議の際に担当大臣が、社会保障の国民負担のつけを将来の世代に回す、といったことについて「つけまわす」とか「つけまわし」とか述べてまして、あーまた政治家がみょうちきりんなことばを世に広めて……と思ったら。


動詞「つけまわす」とは「しつこくあとを追いまわす」(goo辞書:デジタル大辞泉)の意。大半の辞書にはこの意味しか載ってません。他人につけを回すといいたいなら「つけ『を』回す」。名詞「つけまわし」は項目を立てない辞書が多数派。

でも、「つけまわす」や「つけまわし」に他人につけを回すの意味も認める辞書がけっこーあったんですよ。三国は動詞も名詞も、大辞林と新選は名詞を、学研現代新国語辞典は動詞を、他人につけを回すの意でも記載してました。

複数の辞書が採用したとなると、一定程度許容された段階とみてよいのでしょう。しかし。

『カネを積まれても使いたくない日本語』(内館牧子著)第一章の章題が「大らかな許容の果てに」でした。「ことばは時代によって変化するもの」だからといっておおらかに許容し続けたあげくが、国会答弁でも就職面接でも顧客対応でも「乱れた日本語」が使われる状況をもたらしたわけで。

親しい友人との気の置けない会話や私的なblogなどではら抜きことばやあいまいことばを用いても、時・場所・場合に応じて「美しい日本語」も使える。そうした人が少なくなってゆけば「美しい日本語」は絶滅してしまうかもしれません。

内館牧子氏をはじめたくさんの作家や学者、それをはるかにしのぐ数の市井の人々が「日本語の乱れ」について書くのは、重箱の隅をつついて悦に入りたいからじゃないのです。個々の指摘にうなずけない点があったとしても、「乱れた日本語」を使うこと自体はかまわないけど「美しい日本語」もちゃんと使いこなせるのを前提に、という切なる願いは理解してほしいなぁ。


来年も、ライターとしてはまっとうな日本語で文章を書く、校正者としては疑問のあることばづかいを指摘する、編集者としては原稿整理の段階で「日本語の乱れ」を除く、てなことを地道に行ってまいります。それと、多忙でないかぎりは、このblogも週イチ更新したいものです。

去年の12月31日23時59分にリセットしたカウンターが145,740件になってました。拙文をお読みくださいましてありがとうございます。今後も閲覧を賜りますれば幸甚に存じます。

みなさまよいお年を。

2013-12-24

[]敷居が高い/ハードルが高い 21:53 敷居が高い/ハードルが高い - 許容される日本語 を含むブックマーク 敷居が高い/ハードルが高い - 許容される日本語 のブックマークコメント

「敷居が高い

不義理や面目のないことがあって、その人の家へ行きにくい。

[補説]文化庁が発表した平成20年度『国語に関する世論調査』では、『あそこは敷居が高い』を、本来の意味である『相手に不義理などをしてしまい、行きにくい』で使う人が42.1パーセント、間違った意味『高級すぎたり、上品すぎたりして、入りにくい』で使う人が45.6パーセントという逆転した結果が出ている」(goo辞書:デジタル大辞泉)


「敷居が高い」の誤用の許容度は、現在、上記調査時点より高まったのではないでしょうか。同調査では50歳代以上の5割以上が本来の意味で使うと答えました(それでも3割以上は「間違った意味」で使うと回答)が、今や中高年層でも「逆転した結果」になったかもしれません。TVや新聞などで「敷居が高いと敬遠せず気軽に体験してみましょう」といった用法を見聞きするのはすでに日常茶飯事です。

別冊「明鏡 問題なことば索引」が売りものの明鏡国語辞典第二版が誤用と断じるなど、新しい用法の辞書への採用例はまだほとんどないものの、「新語に強い三国」こと三省堂国語辞典第七版では、本来の意味に加えて「2 近寄りにくい」「3 気軽に体験できない」を載せ、2は「おそくとも戦前」、3は「一九八〇年代には」使われていたと解説。対義語として「敷居が低い」も掲載しました。三省堂は中学生向けの例解新国語辞典にも新たな用法を記載しています(大辞林・新明解国語辞典では本来の意味のみ)。


以前は語そのものがなかった「敷居が低い」まで認められるかは不明ながら、「敷居が高い」の新しい意味は広く許容される段階に至ったといえるでしょう。その理由の第一は、「高級すぎたり、上品すぎたりして、入りにくい」を表すぴったりしたことばがないことだと思われます。

類似する「ハードルが高い」は、「乗り越えなくてはならない困難が大きいさま」(goo辞書:デジタル大辞泉)であり、難関の資格や高度な業務などには使えても、一流の料亭や高尚な芸術にはしっくりきません。

「分不相応」は、意味のうえではかなり近いものの、「分」(身分)ということばが現代の感覚ではうけいれられない可能性があります。


「敷居が高い」の誤用を許容すべきか否か迷う状況の今、正確な意思疎通のためには、相手の認識が不明な場合は「敷居が高い」を本来の意味で用いることを避ける必要が出てきます。こうしてどんどん使える日本語が少なくなってゆくのも困ったものです。