Hatena::ブログ(Diary)

あどけない話

2009-07-11

文章の書き方(岩波新書)

私にとっての文章の土台を便宜的に分類するとしたら、3つに分けられるだろう。

一番目は、大学の研究室での訓練。私が所属していた九大の牛島研では「推敲」というソフトを作っており、先輩たちの発表は、どういう文章が曖昧で、それをいかに見つけ出すかという内容が多かった。「父の写真」といった曖昧な文章をこれでもかと見せられるのである。学生時代に、曖昧な文章とは何か、正確な文章を書くにはどうすればいいか、じっくりと考える時間が取れたのは実に幸せだった。また、牛島教授はカタカナの使用にもうるさい人で、この指導にはとても感謝している。

二番目は、UNIX Magazine の連載中に編集長から教えて頂いたこと。たとえば、「山本くんは文章がうまいけど、『非常に』と『行う』という言葉が多いね」と指摘された。今思えば、つまり「文章が下手だ」と優しく諭して頂いた訳だ。それ以来、僕はこの二つの言葉をいっさい使わなくなった。嘘だと思うかもしれないが、本当に使っていない。使わないで文章を書くのはとても窮屈だが、苦しんだ分、語彙が豊かになった。

三番目は、岩波新書の「文章の書き方」。「文章に関する本を一冊だけ紹介して下さい」と言われれば、私は躊躇なくこの本を選ぶ。この本の内容に関して、あれこれ言う必要はないだろう。もし、文章がうまくなりたいと思うなら、この本を読もう。繰り返し、繰り返し、読もう。そして、実践しよう。

文章の書き方 (岩波新書)

文章の書き方 (岩波新書)

自戒の念を込めて、この本で紹介されている川村さんの言葉を引用しておく。

「芸もないのに適当に悪口をいう。そうすると、文章を書いたみたいになれますからね。…今の人に悪口は書けても、いいラブレターは書けない。いいラブレターを書くには、自分を見さだめるのと、対象を見さだめるのと、自分と対象との間に距離があって、その関係がどういう意味を持つかということを把握して、しかもそれに希望的観測をつけ加えるってことをしなくちゃいけない。書けないでしょうね。」

Tomio PetroskyTomio Petrosky 2009/07/13 07:41 「正確な文章の書き方」​http://www.mew.org/~kazu/doc/japanese.html​ を読ませて頂きました。大変に読み易く書かれた文章だと思いました。ただし私も長年文章を書いて来た経験から、「文章をいかに正確に書くか」という表現は、もう一歩掘り下げた表現にするべきだと思いました。私は「文章をいかに正確に書くか」と「自分の考えをどうやったら適切に表現できるか」をはっきりと区別しております。そのことに関してコメントさせて頂きます。その違いを区別するキーワードは「透明さ」です。

私は理論物理学を生業にしている者で、読み易い文章を書くことや分かり易い講義をすることに関して長年考えて来ました。その結果、文章や講義のキーワードは「正確さ」よりも「透明性」に在り、という認識に到達しました。ですから私が自分の学生に文章の書き方を教えるときには、「正確さ」と「透明さ」の違いを認識するようにと教えております。正確さとはもちろん読んで字のごとしです。一方透明な文章とは、読み返さなくても何が言いたいのかが見通しが良くスッキリと頭の中に入って来る文章です。文章を書くときには、学術論文ばかりでなく、日常でも複雑な論理を展開しなくてはならない場合があります。そのような場合、正確さと透明さが両立しない場合がしばしばあります。そんな場合私は、特別に必要でない限り正確さを犠牲にして透明さを優先させなさいと教えております。

この二つが両立しない例は通常の文章にも幾らでもありますが、その本質を抉り出すためにここでは多分山本さんもご存知の数学の極限操作に関するε-δ 論法という極端な例を使って説明してみます。先ず正確な表現は、

(1)任意の正の数 ε に対し、ある適当な正の数 δ が存在して、 0 < |x − 3| < δ を満たす全ての実数 xに対し、 |x^2 − 9| < ε が成り立つ

です。一方透明な表現は、

(2)xが3に近づく極限では、x^2は9に近づく

です。(1)の表現は何が言いたいのか読み直さないと判らない不透明な表現ですね。それでも数学者がε-δ 論法を使う理由は、そのように正確に表現せずに(2)のように表現をしてしまうと間違った答えが出て来てしまうことがあることに気が付いたからです。しかし、(1)のように表現しなくては相手が誤解してしまう状況には、それがたとえ専門家の方でも、ほどんどの方には一生に一度もお目に掛かりません。ですから特別に必要でない限り、正確性を犠牲にしてでも(2)の透明な表現を使って、読者に無駄なエネルギーを使わせずに、いきなり自分の主張の本質に引き込んで行く文章を書くようにと、学生達に教えています。

山本さんも「自分の考えをどうやったら適切に表現できるか」と言う表現を使っておられますので、もちろん私の主張と同じなのだと思います。しかし、「文章をいかに正確に書くか」と言う表現を使ってしまうと、特に初心者が学術論文を書くときには、どうでも良いところでやたらに正確な表現を使ってしまい、その結果、読者が肝心な所に辿り着く前にエネルギーを使い果たして投げ出したくなってしまうことがしばしばあります。

長々と書いてしまいましたが、山本さんの「正確な文章の書き方」は大変教育的に書かれておりますので、「正確さ」に加えて「透明さ」という文章の概念に対するキーワードを考慮に入れた「文章の書き方」に関してもご一考して頂きたく、愚考を紹介させて頂きました。

上で紹介した私のURLは最近ずっとアップデイトしておりませんので悪しからず。

kazu-yamamotokazu-yamamoto 2009/07/13 12:35 Tomio Petrosky さん、こんにちは。コメントありがとうございます。

「正確な文章の書き方」で議論している「正確さ」は、個々の文に対する正確さです。「父の写真」ではなく、「父を映した写真」と表現する方が、より正確だといったことです。

Tomio さんの言う正確さは、内容の構成に関する正確さですね。相手に伝えるための戦術と言ってもいいかもしれません。たとえば、ある定理を知らない人に、直観的なイメージを与えたいのでしたら、枝葉末節の正確さにはこだわらずに、直観的な分かり易さを優先すべきでしょう。逆に、定理の適応範囲に問題ないか、専門家に吟味して欲しい場合は、枝葉末節の正確さが大切でしょう。

何を優先するかは、誰に伝えたいかによるのだと思います。戦術の一例としては、「正確な文章の書き方」の最後に、トップダウン的な説明を挙げています。

「正確な文章の書き方」で議論しているのは、どの戦術を用いる場合にも、個々の文は正確に(的確に)しようということです。

ところで、差し出がましいのですが、「透明性」という言葉はいかにも学者さんの用語のような印象を与え、取っ付きにくくないでしょうか? 「分かり易さ」で十分な気がします。

なお、「正確な文章の書き方」は若いときに勢いで書いた文章で、今読み返すと汗顔の至りです。できれば削除したいのですが、たくさんのところから参照されているようで、消すに消せなくなっています。今のところ、内容を更新していく気持ちはありません。ごめんなさい。(今年の更新は、単に HTML と CSS を今風にしただけで、内容には手を入れていません。)

スパム対策のためのダミーです。もし見えても何も入力しないでください
ゲスト


画像認証

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/kazu-yamamoto/20090711/1247325200