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2010-03-12-Fri
■[徒然][仕事]疲れてる
なんかフラフラするなぁ、と思ったら風邪でした。
で、PMSだったり。
今回はさすがに緊張感が続いてて、メンタルを崩してる暇がない。
離職票はきちんと出してもらえることとなり、妙な書類にはサインをしなくて済むことになりました。
まあ、口頭での約束なんだけど。
後は離職票に何か不適切なことがあれば、印鑑を押さないで粘るだとか、職安の窓口にかけあってもらうだとか。
そういうやり方で切り抜けられます。
でも、お互いにそういう「消耗しあうやり方」は得策ではないし、あちらとしては「もう必要以上に揉めたくない」という意見があり、それは本音だろうと思う。
その証拠というには乏しいけれど、私にサインさせようとした書類は、私が辞めた後に、何か揉めたときに、
「ほら、あなたは契約更新の話があったけど自ら契約更新を望まなかったという書類にサインをしてるじゃないですか」
という風に、トラブル防止のための記載がなされている。
「揉めたくない」という気持ちは、もうその辺りに出ているのだ。
ただそのための書類の示し方を、彼らは間違えていた。その書類内容は、事実と違うからだ。
それは、企業があらゆる方向からの攻撃の防衛のために事前に備える書類であって、私という個人には全く関係のない書類なので、義務はないと思った。むしろ、私が退職後、何か揉めた場合の保身策であるという前提の書類ならば、それは退職者を最初から信頼していないということにもなる。
今までも、同じパターンでやってきたんだろうと思うと、そういうシステム化されて、何かが欠落してしまうのは「大」企業ならではの病気なのだろうか。
こういう事態は、私が働いて「雇い主による満期終了」になった会社では一度も起きたことがなかった。
ちなみに、私のような退職者に対して、職安に対して「自己都合」の離職票を作る企業は増えているらしいのだけど、手口は同じで、「雇用満期修了者」には「辞職願」「退職届」「雇用満期終了の同意書」等の書類等を対象者に書かせようとする。
退職者はつい言われるがままにサインをしそうになるが、満期終了で雇い止めの退職者の場合、こういった場合、なにひとつサインをする義務はない。
ちょっと、ネットで検索すれば、すぐ、それが企業側の常套手段だということに気がつくだろう。
それを書いてしまったことで、「自己都合」にもっていかれるケースが増えている。同じ境遇の方は注意してほしいかな。
サインを急がせるならば、その行為に隠された何かを疑った方がいい。
「会社都合」にした場合、職安にきちんとした説明(事業縮小、経営困難等の納得できる事情)がないと、簡単には雇い止めに出来ないし、やはり「会社都合」は職安からの評価も下がるらしい。
こちらから書くものは無いけれど、会社に請求できるものはある。
こちらから、「退職証明書」をもらう権利を労基法が認めている。ただ、これは会社に発行する義務はないので、労働者から会社に申請しないと、ほとんどもらえない。善意的な会社なら言わなくても、退職者の先々を考えて出してくれるけど、それは稀だ。
だが、気を付けたいのは、会社と揉めていて、その退職理由に全く異なる理由を書かれてしまう危険性。これもまた揉め事が一つ増えてしまうことになる。それもまた面倒なので今、考え中(滅多にないとは思うけれど)。
離職票がでて待機期間がなかったとしても、失業給付金がでるのは、5月以降。
じゃあ、4月は何も収入がないじゃないか。
と、まあ、あちこちアクシデントだらけなので、胃が痛いですが。
調べたら、離職者を守るべく色んな援助制度があるので、そちらを調べて走り回ろうかと画策中です。
メールを書く暇がないので、近況報告ついでにTwitterでつぶやいてたら、
「応援しますからテンション下げて下さい」
と言われたり。
いや、テンションは下がってるんだけどさ。
私が書いてることも、やはり当事者しか解らないのかな。
明日は我が身なのに。
などなど、思うこと色々。
今後落ち着いたら、一度、自分の視点でまとめようとは思うのだけど、果たしてそれはこのブログでやる内容なのかな、という気持ちもある
「最初から話していた、事業主の都合による雇い止めで離職票を」
てな要望でしたが、多くの人が雇い止め撤回や、一度同意した雇用換えを撤回して、元の形に戻してほしいと思ってると思います。
でも、
「もう揉めたくない」
「この運動に関わったら、回りの職場の人から浮いたり、重圧がかかる」
てな理由から動けない現実もあるのだけど。
会社を相手に闘うというのは、正直キツイし、私も半分精神的に危うい状態になりつつやってきたけど。
いつか遠い未来、この案件を振り返ったとき、
「自分の選択や行動に悔いはなかったか」
と自分に問い正した時に、
「精一杯やったから、後悔はないよ」
といえるようでありたいなぁ、と思うのだった。
もちろん、同じ境遇の人にも後悔しない選択をして欲しいと思うかなぁ。
「正義のため」でもなく、ただ「自分の生活やプライドや利権」のためにやりあった。「悪徳な会社にはむかった正義感」ともまた違う。
これは今、戦ってる人達もそうだろうと思うけれど、「自分の生活を脅かすもの」には反抗して当然で、正義のためとか綺麗事を並べるなら、それは偽善だと思う。
話はそれたけど、どちらを選んで、どんな結果がでても、行動を起こすことに意味がある。
今は「結果がでなくちゃ意味が無い」という、妙な意見がでてるけど、やはり私は考えが古いのか。
「何を選択して、どうしてきたかという過程」
のほうが、結果より遥かに重要だと思ってしまう。
色んな人が、色んなことを言ってくるのだけど、巡りめぐって自分が到達したことは、
「自分の真実のために、他者に言い包められないように「疑う」という機能は必要」
ということで。
私の場合でいうのなら、書類のサインを急がせられたり、どこか不明な部分があれば、納得できるまでとことん質問しまくるということだ。
「何故、その期限なのか、その期限を過ぎたらどうなるのか」
「何故、この書類へのサインが必要なのか、そもそもこの書類の使用目的はなんなのか」
相手が答えに詰まる質問なら、そこに何かがあるのかもしれない。
でも、この作業は本当に疲れる。
何にしても、「納得できないこと」は納得できるまで受け入れてはいけないのだなぁ。
と、ふと思った。
今回の施策には、色んな事情があるのだけど、「相手の言い分に納得できないまま、でも仕方なく流されてサインした」という人が圧倒的に多い。
今からでも、そういう状況の人を救おうと動いてる人達がいるので、行動するのなら、今しかないと思う。
でも、その前に、一度、「納得しないけどサインした」ということの危険さに気づいて欲しいと思う。
怒ってるんじゃなくて、これは私の勝手な心配なのだけれど。
あと、会社にも色々、事情や計画があって、こういう施策を持ち出しているのは間違いがない。
もちろん、労働者の救済という素敵な理由をうちだしてきているけれど、本当にそうなのか?
平成22年というこの年に合わせて、こういったことをしてくるのだから、その辺の情報収集は必要だと思うのだ。
色んな情報をもとに、企業が非正規社員の人間に対してどういった扱いをしてくるのか、丁寧に読み取っていかないといけないかな、と思うのだなぁ。
もう、時代は「自分から声をあげて行動する人」しか生き残れなくなってきつつあるし、「企業へ依存する」という雇用形態から、もっと違う「働き方」が私くらいから下の年代から出てきつつあるのを感じてる。
そういった時代の狭間を、なんとか生き延びたいな、と思う毎日。

