FIGURALIA

2016-03-05 ガリカで参照できる19世紀写真雑誌

ガリカで参照できる19世紀写真雑誌

Gallica(仏国立図書館デジタルアーカイヴ)で参照できる19世紀〜20世紀初頭の写真雑誌をまとめておきます。年数は刊行年ではなくデジタル化されているものの期間です(一部に欠番あり)。

La daguerréotype (1848)

http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/cb32895572b/date

La lumière (1851-1867)

http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/cb32809606x/date

Bulletin de la société française de photographie(1855-1898)

http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/cb344457059/date

Le photographe (1855-1856)

http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/cb328395215/date

La photographie (1858-1859)

http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/cb328395304/date

Revue photographique (1860-1865)

http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/cb32861109w/date

Aide-mémoire de photographie (1876-1910)

http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/cb34398193b/date

Photo-gazette (1890-1911)

http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/cb32839484s/date

La science photographique (1890)

http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/cb32865936z/date

Les annales photographiques (1890-1893)

http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/cb326946663/date

Bulletin du Photo-club de Paris (1891-1899)

http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/cb32727736w/date

Gazette du photographe amateur (1893-1905)

http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/cb327811392/date

Les nouveautés photographiques (1893-1913)

http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/cb328258554/date

L'Écho photographique (1896-1914)

http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/cb32763006w/date

Bulletin de la Société d'excursions des amateurs de photographie (1897-1935)

http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/cb32723897d/date.item

Art et photographie (1900-1901)

http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/cb327025748/date

Le petit photographe (1900-1903)

http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/cb32837188v/date

2016-01-15 グリーンバーグの写真論

グリーンバーグの写真論

大学院の演習で読んでいたマイケル・フリードの『なぜ写真はいま、かつてないほど美術として重要なのか』の中で言及されていた、グリーンバーグによる写真論に興味を惹かれたので、やはり大学院の演習で読んでみた。

Why Photography Matters as Art as Never Before

Why Photography Matters as Art as Never Before


正確にはグリーンバーグが『The Nation』誌に寄せた、1946年のMoMAでのエドワード・ウエストン展の展評(Clement Greenberg, "The camera's glass eye: Review of an exhibition of Edward Weston," The Nation, 9 March 1946)で、以下などに再録されている。


冒頭で「写真とは人間が創りだした中でももっとも透明な芸術媒体だ」と述べるグリーンバーグは、それゆえに写真は資料としての機能を担うことになるのは不可避だが、だからといってそれは写真が芸術作品となることを妨げない、と言う。しかしウエストンの写真は残念ながらこの資料性と芸術性の両立に失敗しているとして、グリーンバーグはウエストンをバッサリと切り捨てている。展評でここまでこてんぱんに批判するのか、と驚いた。


批判される理由を要約すれば、ウエストンは絵画を真似てしまったから、ということである。(キャンバスと違って)写真というメディアは「透明」なので、抽象絵画のように平面性を追求することは無意味であり、むしろ被写体に集中しなければならない。ところがウエストンは被写体の個性を奪って抽象的なオブジェにしか見えない写真を撮ることを目指してしまった。


こうした批判の中で「感情(emotion, feeling)」の問題に触れられているのも面白い。写真には感情が込められなくてはならない、とグリーンバーグは言う。それは写真が「透明」であるために、感情が入りにくいからだという。逆に絵筆は感情と直結しているので、(抽象絵画においては)むしろそれを排除しなければならない。より困難な道を目指さなければならない、というモダニスト的ストイック。写真と感情の関係というのは、写真の黎明期から問われ続けていた問いであろうし、なおかつ現代まで、なんとなく曖昧なままに放り置かれている問いであるような気もする。


それぞれのメディアは自分だけができるものを追求すべき、というメディアム・スペシフィシティ的な考え方が写真にも応用されているわけだが、写真が絵画を目指すという、言わば邪道は、「アート」ではなく「アートっぽいもの(artiness)」にしかならないという。メディアム・スペシフィシティを侵犯してしまったところに生じる「アートっぽさ」というのも、今日からすればむしろ興味深い概念に思える。


こうしてウエストンを批判し尽くしたうえで、対照的な写真家として持ち上げられるのが、ウォーカー・エヴァンスである。つまりエヴァンスは資料性と芸術性を両立させているということだが、その芸術性を担うのが感情ということであろう。それはエヴァンスが文学に通じているおかげだ、とやや唐突に文学が持ちだされるのだが、エヴァンスとジェームズ・エイジーのコラボレーションなどが念頭に置かれているのだろう。両者の共著が出版されたのが1941年である。

Let Us Now Praise Famous Men

Let Us Now Praise Famous Men

2016-01-09 初期映画論アンソロジー

初期映画論アンソロジー

フランスで出ている、映画監督や作家、哲学者らの映画にまつわる記事や発言を集めたアンソロジーが、すこぶる便利である。「1895-1920」編と「1920-1960」編の二冊が出ている。

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Le Cinema: L'Art D'Une Civilisation 1920-1960

Le Cinema: L'Art D'Une Civilisation 1920-1960

今学期の演習ではこれらに収録されているグリフィスやチャップリンの書いた記事を、英語の原文で読んだ。それぞれの原文がデジタルアーカイヴで見つけられるのも今日的である。グリフィスの方(“Pictures vs. One-Night Stands,” Independent, December 11, 1916)は学内限定のデジタルアーカイヴを利用したが、チャップリンの方はこちらで参照できる。ちょっと見た限りでは翻訳などはされていないように思う。初出は『アメリカン・マガジン』のようだが、『ストランド・マガジン』に再録されているのを見つけたときは嬉しかった。

The Strand Magazine: An Illustrated Monthly


今月中には出るはずの『NOBODY』44号にはマノエル・デ・オリヴェイラ『アンジェリカの微笑み』のレヴューを書いたのだが、そこで議論の足がかりにした、オリヴェイラが1933年に書いた記事「映画と資本」も、上記の論集に収録されているものです。

『NOBODY』issue44

nobodymag / NOBODY issue44

2016-01-08 写真と文学

写真と文学

文学史上はじめて写真を登場させた作品は何なのだろう。なかなか難しい問いであるが、犯罪の証拠となった写真を描いたのは、ディオン・ブシコー(Dion Boucicault)の1859年の戯曲『The Octoroon』が最も初期のものであることは間違いない。

The octoroon; or, life in Louisiana : a play, in five acts : Boucicault, Dion, 1820-1890 : Free Download, Borrow, and Streaming : Internet Archive


この戯曲の存在を教えてくれたのはトム・ガニングの論文である。

What’s the Point of an Index? or, Faking Photographs | Nordicom


ただガニングは、写真が証拠として突きつけられる、戯曲の終盤の場面にしか言及していないが、先学期の演習でこの戯曲を講読して、問題の写真が撮影される場面の、興味深い記述を見つけることができた。その場面の拙訳はこうである。

「俺が撮影して自分の似顔も撮らにゃならん。だがいったいどうやって? あっちにもこっちにもいることはできない。俺は双子じゃないからな。そうだそうだ。待てよ、見てみろワノーティよ。この布切れが見えるか? じゃあ俺が行けと言ったら、こんなふうに布を持ち上げるんだ、いいな! それからあそこにある松の木まで走って〔中略〕、また戻ってきて、こうやって布を下ろすんだ、いいか?」

ここではポールとワノーティという二人の登場人物が、自分たちの姿を写真に撮ろうとしているのだが、そのうちの一人がカメラから「松の木まで」走って往復することで、自分で自分の自画像を撮ろうとしているのである。露光時間の長さを逆手に取ったトリックだ。だとすれば写真史上初の自画像と言われるイポリット・バヤールの、いわゆる「溺死」写真も、同じようなやり方で撮影されたのではないか? このような写真と自画像の問題は、拙論「三脚写真論」(『photographers' gallery press』 no. 13所収)で少し触れたので、ぜひご参照ください。


なおこのように露光時間の長い写真では、ブシコーの戯曲で描かれるような殺人の現場の決定的写真は撮影できるはずがないのだが、むしろブシコーは、その後の瞬間写真さらには監視カメラ的なものを予見していたと言うべきなのだろう。


バヤールの「溺死」写真はこちらなどで見られます。

Avec Hippolyte Bayard, la photographie devint fiction - Arts et scènes - Télérama.fr

2016-01-07 写真と言葉

写真と言葉

写真と言葉/文字/文学の関係について授業で扱おうと思ってシラバスを書いていたがボツにした。関連文献をメモ代わりに。


写真とキャプションの関係について。

The Spoken Image: Photography and Language

The Spoken Image: Photography and Language

ヴィクトリア朝時代の文学と写真。

Literature and Photography in Transition, 1850-1915

Literature and Photography in Transition, 1850-1915

Exposuresシリーズの教科書的一冊。

Photography and Literature (Exposures)

Photography and Literature (Exposures)

日本語ではこれも忘れてはいけない。

フランス語ではこれ。

Photographie et langage

Photographie et langage

もう一冊忘れていた。「リアリズム」をめぐって写真と文学が取り結んだ関係。

2012-04-22 ピエール・ルジャンドル『同一性の謎』

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訳書が出ました。

同一性の謎: 知ることと主体の闇

同一性の謎: 知ることと主体の闇

2011-07-28

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こんなものがガリカに入っていたとは…。


[Recueil. Service d
[Recueil. Service d'identification judiciaire de la Préfecture de Police à Paris]
Source: Bibliothèque nationale de France


ワタクシの所有する1900年の警察博のカタログもそれなりに貴重なものであるはずだが、これはまだガリカには入っていまい(張り合うわけではありませんが……)。

f:id:kazumichi_h:20110728173923j:image:w360f:id:kazumichi_h:20110728173647j:image:w360f:id:kazumichi_h:20110728173827j:image:w360

2011-07-27

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PG Press no. 10をアマゾンで見つけたが、在庫なしで、妙な値段のついた中古商品が1点出品されているだけ。

出版社の「鍬谷書店」とは?

2011-07-14

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積年の課題であるルジャンドルの訳書(『向こう傷』(仮題))への解説執筆のため、ルジャンドルの著作、とりわけルソン・シリーズ以外の著作に取り組んでいる。現在は『テクストから逃れる詩的なパロール』(1982)。

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ミニュイ社のホームページで告知の出ているディディ=ユベルマンの新刊(10月刊)は、現在はカールスルーエで開催中の『アトラス』展のカタログのフランス語版です。以前『型どり』展のカタログが、ミニュイから再刊されたのと同じ要領です。現在2巻まで出ている「歴史の眼」シリーズの第3巻という位置づけです。図版等はおそらく白黒になり、数も少なくなるはずなので、カタログとあわせて手に入れておくのが理想か。2月末にマドリードで見たときには、英語版はすでに売り切れだったので、スペイン語版のみ購入してきました。

http://leseditionsdeminuit.fr/f/index.php?sp=liv&livre_id=2691

2011-06-16 ゴダールと指紋フェア

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ジュンク堂京都BAL店にて、「ゴダールと指紋フェア」と題したブックフェアを開催中です。『指紋論』や、私の最近の興味に関連する書物を66冊選びました。選書のリストにコメントをつけたブックレットも配布しております。ぜひ覗いてみてください。


ところで最近は「国籍」について少しずついろいろと調査をしているのですが、その関連で知った『国際結婚第一号』(講談社選書メチエ)の著者の小山騰さんが、最近になって『日本の刺青と英国王室』(藤原書店)という本を出しているのを知りました。


『指紋論』にも登場する法医学者アレクサンドル・ラカサーニュは、犯罪者の刺青についても研究していましたが、刺青というテーマは、皮膚や表面性などの観点から身体論的に興味を持っていました。しかし英国王室の人々が明治期の日本でこぞって刺青を入れてもらっていたなどという事実は知らなかったので、この点だけでも非常に興味深い書物です。今回のフェアの選書にも加えるべき著作でした。

日本の刺青と英国王室 〔明治期から第一次世界大戦まで〕

日本の刺青と英国王室 〔明治期から第一次世界大戦まで〕

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