Koto-pinion

2006-06-08-Thursday

[]GOSICK5 ベルゼブブの頭蓋(桜庭一樹

やっと追いついてきた、ゴシックです。

「ベルゼブブの頭蓋」と呼ばれる修道院に幽閉されたヴィクトリカ。

それを助けようと、寝台列車で向かう一弥。

二人の前に立ちはだかる謎とは?

世界大戦の、それ以前からの謎が、二人を襲う!

って、とりあえず安っぽい予告風で。

奇妙な客人たちに、幻惑的な奇術。

これで殺人事件が起こらない、という方がおかしいんじゃないか? という雰囲気です。

そしてそこに、世界大戦の時の奇跡に、ヴィクトリカの過去まで絡んでくるんだから、さぁたいへん。


ミステリのトリックというのは、目新しいものを次々と見せなければいけない、というものではなくて、使い古された奇術のように、その見せ方というのを考えていけば、満足できるものなんじゃないかと思ってます。

これのトリックだって、カーっぽいというか、あれだよね? だよね? と思ったり思わなかったりするわけですが、それでも、そこにアレを絡めてくることで、そのトリックを使う意義が出てくるようになってるんじゃないかと。


最近、小説というもののジャンルを、構造の違いから考えるのがマイブームです。

実際のところは、小説と言うよりは、いろいろなもの、と言った方が正しいかもしれないですが。

涼宮ハルヒの憂鬱に関する考察をネットで読んでるうちに、そんなことになりました。

と、そう言うことは最近の日記でつらつらと書いているので、読んでくださってる皆様には先刻承知のことと思われますが。

で、その中で、ミステリは神話的、SF・ライトノベルはボーイミーツガール、と書いてきているわけですが、それでは、ライトノベルでありながらミステリであるゴシックはどうなのか? というわけです。

スイス時計の謎/有栖川有栖でも書いた「ワトソン役」の存在が、やはりミステリとライトノベルという異なったものを繋ぐ架け橋になるんじゃないかと。

ゴシックシリーズで言えば、一般のミステリでの読者視点である探偵役ヴィクトリカから、ワトソン役一弥へと視点を変えることで、ミステリでありながらもライトノベルの形態を取ろうとしています。

ただし、問題はそのワトソン役というやつで、ワトソンは所詮ワトソン。

謎を解くことはできません。

しかし、それでありながらも、ミステリとしては謎を解く手がかりを残さなければいけないために、読者の視点であるワトソンも真相に近づかなければいけません。限りなく真相に近づきつつも、決して謎を解いてはいけない。ワトソンはそうならなければいけないです。

この、真相に近づくという行為は、すなわち、謎を解く存在であるところの探偵に近づく行為と同義ではないかと考えています。

つまり、ワトソン役は探偵役に恋をする。

それが、ミステリとライトノベルの融合の形のひとつなんじゃないかと。

だから一弥はヴィクトリカを大切に思い、文句を言いながらも彼女を迎えに行くんです。

ワトソン役の人格が薄ければ、単純に記述者、窓としての役割しかはたしませんが、それに人格を持たせようとすると、そうなるのかな、と。

……火村とアリスも、そういう関係?


というわけで、アレですね。

ヴィクトリカかわいいよ、ヴィクトリカ。

お菓子もりもりもりもり食べてたりとか、もう、もうっ。

そして、なんだかんだ言って、一弥に弱いとこ見せるって、もう、なんて言って良いのやら。

カラーイラストの表情なんて、アレですね。文句を言ってやりたいけど、ちょっとというかすっごく嬉しいしっていう感じの、何とも言えない表情じゃないですかっ。

って、なんだ、この母娘はっ!

アレだ。傾国?


そんなわけで、ミステリ系サイトなのか萌えライトノベルサイトなのか、はたまたただの戯言書きサイトなのか分からない感想でした。


[Today's tune]Paradigm In Entropy/Bleed The Sky

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