よれよれ

村上春樹いじり

村上春樹いじり

2chもいいが、Amazonレビューも楽しい。

「そんなこと求められたって、今、女だって救われたい訳である。・・・性の対象としてのみ扱われながら相手の男を救済するなんて、マグダラのマリア様じゃないんだからできない。できない筈なのに、それができる女が登場するのが、多分私にとっての春樹文学に対する、ものすごい不愉快感の理由なんだ、とはたと気づかされた。」と、おそらく女性によるレビュー。

村上春樹を巡っては、10年以上前にも同世代の複数の女性から同じようなことを立て続けに言われたことがあって、その時は全く理解できなかったのだけど、その後、「精神的な自立」とでも言ってしまえるとカッコいいが、平たく言うと女性を含む他者から救済を得ることを諦めるという方向で自分の考え方も変化する中で徐々に理解が深まって来ているような気がする。(もし並行して「自分が大好き」という核心を失っていたら、逆に理解は遠ざかったかもしれない。未だに自分は大好きである。)それと並行して、Twitterに「音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ」とか「やれやれ」などと書き込んで快楽を得る気力はいよいよ失われて来ており、もはや「よれよれ」と書き込むのが精一杯の境地に至った。

とはいえ、だからといって村上春樹を読まなくなったということはなく、「国境の南、太陽の西」に至っては自分は10回以上読んでいて、移動先で買い足したりした結果、手元に何冊も同じ本があったりする事実は変わらない。ただ、それは、いわゆる<リア充>への憧憬の念の苦しみ(傍点を打ってやりたいぐらいだ)を忘れないための「薪」であり「胆」としての読書であって、ユダヤ教徒が過越祭に種なしパンを食べるのと同じ行為である。<リア充>小説であることが確定していない新作については読む動機は生じ得ない。よれよれ。

ちなみに、種なしパンのことを発音によっては「マッツォ」と呼ぶらしい。


国境の南、太陽の西 (講談社文庫)

国境の南、太陽の西 (講談社文庫)