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感謝!謙遜!天一国創建!

2011-06-21 特別清平ツアー&連結式

18日から20日まで、清平聖地巡礼ツアーに参加しました。

今年3月9日の特別恩赦出発修練会が行われた時に、大母様によって特別解恩された絶対善霊をお迎えするためのツアーでした。

大母様は8日の埼玉大会と時、地域の権力者の霊人を特別解恩され、千葉においては子供を早くなくされ恨をもった有能な女性の霊人を解恩されたのです。100日たって責任者が清平に来て絶対善霊となった方々をお迎えすれば、今後大きな役事がおき伝道が進むというものです。

また、今回のツアーでしたが11年ぶりに元殿(ウォンジョン)(統一教会のご家庭を中心とした墓地)の参拝と統一展望台を見学しました。

元殿では孝進様をはじめとする直系8名の方々の参拝をしました。また、統一展望台は南北分断の悲劇を垣間見る機会となり、より一層祖国光服のために立ち上がらなければならないと決意させられました。


今日は、教会にて大母様恩恵清平連結式及び南萬葉教区1万双祝福伝道出発式を行いました。

参加された食口は感謝と喜びをもって出発することができました。

2011-05-29 公認教会記念礼拝

木更津教会が本部公認教会になりました。

今日は、田中教区長をお迎えして木更津教会が本部公認教会として本格的に出発する記念礼拝となりました。今から22年前、現在使用している建物をイーストポイントヒルズという名称で統一教会の修錬所として出発しました。その後、1993年から木更津教会としてこの建物を使用してきました。そして、ようやく18年が立ち正式に公認教会として新しい出発をすることになりました。これまでの食口の皆様の精誠と霊界の方々の協助があって新しい出発が出来たと思います。

公認教会として出発したことにより、より多くの方々に文鮮明先生の統一原理を紹介し、平和と幸福の根本である祝福運動を広めて行きたいと思います。

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2011-05-24 早稲田・高田馬場聖所巡礼

聖所巡礼ツアー  雨のち曇り

今日は教会メンバー48人で早稲田高田馬場聖所巡礼ツアーに行きました。今年は文鮮明先生の早稲田大学留学70周年の年であり、真の御父母様の御入国に対する意識啓蒙のためにも食口達がこの聖所巡礼に参加した意義は大変大きいと思います。

この聖所巡礼ツアーは「神に対して祈った日本での情が日本の一角に成し得られた感謝の念を抱きたい先生の気持を君たちが代身して、早稲田高田馬場の道を歩いてほしい。そこには先生の涙があることを思っても、それは間違いないでしょう。だから日本を早稲田から救おうか」(1965.10.8)のお父様のみ言葉から出発したものです。

バスで高田馬場についた時は雨が降っていました。本部より歴史編纂委員会の井ノ口部長を迎えて、各所にてみ言葉を受けました。

○回ったコース

JR高田馬場駅前→雄鶏舎→戸塚警察署→三橋家→早稲田大学箱根

高田馬場駅前で1時間ほどみ言葉を頂き歩き始めた時には雨が止みました。各所で受けるみ言葉初めて聞く内容も多く、参加者はお父様がいかに日本を愛しておられたかを深く実感することが出来ました。

また、今回のヨーロッパ巡回時にお父様が抗日学生運動を行っていた事実の記録の本が見つかり、その内容を井ノ口部長からお聞きすることができました。

お父様は「韓国人留学生秘密結社を組織し、中国亡命中の大韓民国臨時政府金九氏と連絡を取りながら地下運動を展開してきました」とあります。

お父様は日本留学時に抗日学生運動に参加して戸塚警察署に何度も連行されたと言います。ヨーロッパ巡回の時、総会長からお父様にその本の紹介と内容について説明があったそうです。

その本は「昭和特高弾圧史8朝鮮人に対する弾圧」という本です。ここに朝鮮人留学生を中心とする民族主義グループの一人として「早大生江本某」の名前が出来ます。文先生の日本での名前は「江本龍明」でありました。

<み言葉>

日本に行けば私が戦うのは日帝であって、日本の民ではありません。神様が戦うのはサタンであって、サタンの指揮下にいる人ではありません。それは確かだと言うのです。日本に行っても、日本人を誰よりも愛しました。日本は神を知らない国でした。本然の主人、父の愛を教えてあげなければならいと考えました。

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2011-05-21 高野山に行く

聖地巡礼  高野山

今日は和歌山県高野山に初めて行きました。高野山平安時代の初め弘法大師空海によって開かれた日本の聖地です。海抜1000mの山上に広がる高野山は、東西約6km、南北約3kmの盆地です。そこには、中学、高校、大学他山上の空中都市のようです。まるで清平の日本版のように感じました。また、高野山は2004年の7月に世界遺産として登録されました。

 高野山に行って一番驚いたのは、そこに歴代天皇24名、豊臣秀吉織田信長武田信玄明智光秀等敵も味方も関係なくあらゆる武将や偉人墓所が無数にここにあったことです。

何故歴代の偉人や武将が分骨で骨の一部だけがここで弔われているかと言うと、高野山浄土に一番近いとされており、迷わず、確実に浄土へ逝けると信じられていたからです。  

そして、空海は弥勒信仰をも持っており、自らの著書で肉体が滅んでも自分は兜率天(弥勒が瞑想している処)で弥勒と共に修行してお前達を見守って56億7千万年後に弥勒がこの世に下生する時に共に降りて来て、弥勒の浄土を手伝うといいます。そこで、とりあえずこの墓に入って弥勒が来たらその力で息を吹き返し、弥勒の浄土を分かち合いたいと後世の人が考えて、無数の墓群となったというのです。

弥勒とは、へブル語のメシアギリシャ語キリストであり、原始仏教にはなかった「キリストが再臨するときに復活する」というキリスト教信仰景教信仰と同じものです。真言宗では、法要の最初に胸の前で十字を切るとか、高野山奥の院御廟前の灯篭に十字架がついている等から景教の影響が見られます。

また、空海は日本で個人として一番伝道した方でもあります。それは密教の教えをそのまま伝えたのではなく、村の人々に分かりやすく密教を伝えました。ですから、あらゆる武将・大名・経済人までもが亡くなったら高野山に納めて欲しいと遺言を残す場所となったのです。

空海は803年、唐の都であった長安に行き真言密教を学びました。

長安では、当時、景教寺院、仏教寺院、ゾロアスター教寺院、道教寺院など多種類の宗教が軒を並べて建っていたといいます。空海が唐で居住した長安の同じ居住区に、大秦寺という景教キリスト教ネストリウス派)の寺があり、空海サンスクリット語の教えを受けた般若三蔵も景教に心酔していたため、空海景教からかなりの知識を得ることができたのではないかと考えます。つまり、空海が学んだのは仏教だけでなく原始キリスト教である景教の教えをかなり深く学んだのです。

空海は、師であった惠果阿闍梨から、潅頂(頭に潅ぐの意で、 キリスト教の洗礼にあたる)を受け、「遍照金剛」という洗礼名を受けました。その意味は、「あなたがたの光を人々の前で輝かせ」という、マタイ5:16の漢語聖書からとったものでした。

また、高野山に行って見たかった一つは、景教碑です。本物は、中国西安市の博物館に保存されている「大秦景教流行中国碑」ですが、高野山のものはレプリカ(複製品)です。  

高野山景教碑のレプリカを建てたのはE.A.ゴルドン夫人という女性です。

1851年英国に生れ、日本の文化を愛し、様々な日本を援助する活動を行いました。 また日本に長期間滞在し、仏教の研究をしました。 ゴルドン夫人は仏教キリスト教も元は一つであるという「仏基一元」の考えが夫人の研究テーマでした。

「大秦景教流行中国碑」の複製を高野山に建てたのも、その研究の一環で、夫人は唐で学んだ弘法大師景教にも関係を持っていたと信じていたようです。ゴルドン夫人の墳墓はこの景教碑の隣に立っています。

高野山の1200年間続く霊剣荒鷹な雰囲気は、多くの悟りと気付きを与えてくれたのでした。

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2011-05-15

高麗神社と代々木聖地祈祷

天基2年4月10日 雨

今日は、八段階聖地祈祷の氏族レベルにあたる高麗神社の祈祷と国家レベルにあたる代々木聖地祈祷に行きました。

お父様のみ言葉には次のようにあります。

■聖地の恵沢

今から聖地は、霊界の吉を地上を連結することによって、サタンが占領できなくなるのです。

それを中心として、すべての道人と先祖たちが一つになり、地上の全ての所有権、国全体に影響を与えることが出来るようにするのです。2001年3月25日 真の父母の日のみ言葉

高麗神社埼玉県日高市にあります。むかしはここを高麗郡(こまぐん)と呼んでいました。高麗郡の置かれた場所は、現在の日高市を中心に飯能市坂戸市を含んだ地域とみられています。

668年、半島では、唐と新羅連合軍高句麗が滅ぼされ、亡命の民が日本列島へ逃れ、関東各地に散らばって暮らすようになりました。高麗郡は、716年、朝廷が関東7ヶ国に居住していた旧高句麗移民1799人を武蔵国に移したことにより設置されました。

高麗神社は、高句麗王族とされる若光が、当時の朝廷によって武蔵国内に新設されたこの高麗郷の首長として就任し、関東各地から呼び集めた高句麗からの移民とともに当時未開だったこの地を開拓した、その偉功をたたえ、若光の没後その御霊を祀った神社です。

聖地祈祷は個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、神に至る場所があります。

個人レベルは仏壇の祈祷、家庭レベルは4家系の墓参り、氏族レベルは家系に関係する神社祈祷

国家レベルは皇居明治神宮代々木聖地等

世界レベルは国立墓地、世界聖地

天宙レベルは、清平

神のレベルは天正宮となります。

この実子の心情圏を復帰するための5段階めの代々木聖地祈祷を行い個人から氏族を連結しました。

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高麗神社の山で天聖経の訓読と祈祷を捧げました。

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その後、代々木の聖地に行き国家レベルの祈祷をしました。

驚いたことに、私たちが代々木の聖地について祈祷を始めようとしたときに、たまたま本部の安局長様が祈祷に来られました。ヨーロッパを巡回されるお父様の様子を聞くことが出来共に祈祷を捧げて下さいました。この導きに感謝!

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