自治体法務の備忘録

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古紙盗難 相次ぐ/久喜・宮代

このため久喜市、宮代町は衛生組合の条例を改正して、「資源物の所有権は衛生組合にあり、勝手に収集や運搬をしてはならない」と明記、昨年10月から施行した。これで、不法収集は盗みに当たることになった。
http://mytown.asahi.com/saitama/news01.asp?kiji=6588

 そうか、衛生組合条例だったか。どうりで久喜市や宮代町の例規集を見ても見つからないはずだ。
 昨日の記事(http://d.hatena.ne.jp/kei-zu/20050510#p3)でご紹介した逮捕は、やはり条例に規定された所有権を根拠にするものでありました。というわけで昨日の記事をちょっと修正。
 さて、では、窃盗と認められた所有権について、条例では、どのように書かれているか。

【久喜宮代衛生組合廃棄物の処理及び再利用に関する条例】
(資源物の所有権)
第22条の2 前条の規定により排出された家庭系廃棄物のうち、資源物(再利用することを目的として分別して収集するものをいう。)の所有権は、衛生組合に帰属するものとする。この場合において、衛生組合又は衛生組合が委託する事業者以外の者は、当該資源物を収集し、又は運搬してはならない。
http://www.crt-kuki.miyashiro.saitama.jp/association/reiki/reiki_honbun/u1090097001.html

 「所有権は、衛生組合に帰属する」という規定ですが、所有権は宣言によって認められるものでは無いと思われますので、ここでは、「一般廃棄物処理計画及び管理者が定める方法に従」い分別及び排出された「資源物」は現に市の管理下にあり、上記の規定は確認規定であるということなのでしょう。昨日紹介した記事中でも

 調べでは、2人は同日午前9時ごろ、久喜市吉羽1にある久喜宮代衛生組合が管理するごみ集積所から、資源ごみの古新聞約27・7キロを車に積み込んで盗んだ疑い。
http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/saitama/news/20050510ddlk11040231000c.html

 と「久喜宮代衛生組合が管理するごみ集積所」との記載があります。
 さて、所有権の宣言が確認規定であると解するのであれば、当該規定を有しない自治体においても、集積場における適正な管理が主張できれば、そこに排出された資源物について自らの所有権を主張できそうです。
 ひっくり返して言えば、所有権の主張は、集積場における適正な管理を住民に宣言したものであるといえるでしょう。その場合、収集前日の夜間に出されたゴミや他の地区から越境して排出されたゴミに対して、地域の問題だから、と知らん顔をすることはすまされないかもしれません。

住民基本台帳の閲覧について

 昨日ご紹介した読売新聞の社説(http://d.hatena.ne.jp/kei-zu/20050510#p2)について、id:hirosh1さんがご意見を記載されていました。

 自治体の裁量の範囲というのはどうやって決まるのだろう。自治体と国とのすりあわせの場がこのような検討会として用意されたと言うことだろうか。すりあわせた結果に基づく制度の再設計がなされたときに反対する自治体がいた場合は?
http://d.hatena.ne.jp/hirosh1/20050510/1115744964

 全国の自治体で直面している問題であって、また法定自治事務であるから法の改正をもってこのたびは対処、ということで私は思考が止まっていたな。自治事務であるのだから、確かに自治体の国の関わり合いにこそ注目すべきであったか。我が身の不明を恥じます。
 さて、立法過程において、十分にすりあわせが行われることが望ましいでしょうが、この点について田中孝男助教授は厳しい見解をされてます。

(前略)どうも利用現場(利用者層)と窓口(役場の第一線)における生のやりとりとは乖離したマクロな議論の展開が予想されつつ、また、せいぜい、DV・ストーカー対策程度の、あって省令改正程度の見直しなんだろうなと思いつつ、(後略)
http://legalport.blog.ocn.ne.jp/jititaihoumu/2005/05/post_345d.html

 では、自治体において、法に規定する自治事務にどう対処するべきか。
 住民基本台帳については、全国で問題となっている事項について、それほど相違があるとは想定できませんが、環境分野や開発分野においては、法の示す一線に反対する自治体は存在するでしょう。
 現在における条例論の一つの到達点である

分権改革と条例 (行政法研究双書)

分権改革と条例 (行政法研究双書)

には次のように記載があります。

 現行法の明文規定が、立法原則に則していなくて地域特性に応じた対応ができず、それゆえに、自治体において、法目的の実現をするにあたって支障があると考えられる場合には、解釈で保管することが、必要になる。それは、都道府県知事・市町村長の権限の範囲内でされることもあろうし、解釈の結果が、条例で表現されることもあろう。
(122ページ)

 国会は、法律を制定して自治事務をつくるとともに、その内容についても、一定の規定をおいている。しかし、それは、完結的なものではない。事務の性質にもよるだろうが、地域の特性に応じた対応を個別自治体ができるようなシステムを法律のみによって全国画一的につくりうると考えるのは困難である。したがって、その部分については、条例によって自治体が修正することを国会は当然に予定していると、考えるべきである。法定自治事務の規制は、「必要最低限」と言われることがあるが、国と自治体との適切な役割分担をふまえるのならば、著者には、「必要最小限」と整理すべきではないだろうか。
(140ページ)

 そして、規制基準の強化(上乗せ)のみならず、緩和についても先鋭的な論を展開されます。
 なお、本書では、「政令は内閣という行政機関の法の解釈にすぎない」「条例の制定に係る限界とされる『法令』の解釈は、個別法令のみをとらえるのではなく、憲法第92条、地方自治法第1条の2及び第2条第11項から第13項まで並びに関係法令を含めて解釈するべきである」といった論に、目から鱗がボロボロ落ちます。