残虐非道 李承晩----⑤

国会議員による間接選挙で初代大統領に選出された李承晩の任期は、1952年8月で満了することになっていた。しかし50年5月30日の国会議員選挙では反李承晩勢力が多数派を占めた上、戦争中の行政の無策に加え不正腐敗が発覚したことで再選は絶望視された。そのため李承晩は大統領の選挙制度を、国民による直接選挙へ改正しようと改憲案を提出したが、52年1月18日の国会採決では賛成19、反対143の圧倒的多数で否決された。

これに対し政府は官製団体による国会解散要求デモを展開し、5月25日臨時首都となっていた釜山一円への戒厳令を宣布し、国会議員を検挙するなど反対派を弾圧した。6月25日には朝鮮戦争記念行事式典で李承晩に対する狙撃未遂事件が発生するなど政局は緊迫状態となった。混乱が続くなか国務総理・張沢相は大統領直選制と国会を従来の一院制から二院制とする妥協案を提示した。

7月4日張沢相は警察官を動員して、身を隠していた野党議員を国会へ連行し、逮捕されていた議員も名目上保釈して国会に軟禁し定足数を確保した。また国会周辺を警察官や暴力団で取囲み抜粋改憲案をほぼ全会一致で可決させた。改正憲法は7月7日に公布され、李承晩は8月5日に行われた大統領直接選挙で圧倒的な支持を得て当選した。この一連の李承晩の独断専行に辟易した米国政府は、朴正煕にクーデターの立案を命じていたことが国務省の極秘文書で明らかになっている。

1953年に入ると、米国では1月20日に大統領にアイゼンハワーが就任し、ソ連では3月5日にスターリンが死去し、東西両陣営の指導者が交代して状況が変化した。7月27日38度線近辺の板門店朝鮮戦争の休戦協定が結ばれた。この協定に署名したのは金日成・中国人民志願軍司令官彭徳懐国際連合軍司令部総司令官M.W.クラークの三人で、北進統一に固執する李承晩は協定を不服として調印式に参加しなかった。従って、韓国は現在もなお休戦協定の当事国ではない。

戦争犯罪金日成が引起した朝鮮戦争は、朝鮮民族全体に歴史上最大の人的・物的・精神的損害を齎し、韓国・北朝鮮をアジアの最貧国にしてしまった。韓国軍の死傷者は99万人で、韓国の民間人犠牲者は143万人にも上る。民間人犠牲者の内訳は、北朝鮮軍に虐殺された者12万、その他の死者25万、負傷者23万、拉致された者8万5千、行方不明者33万、強制徴兵された者40万、警察官の死傷者1万5千である。

一方、北朝鮮軍の死傷者は92万6千人で、民間人犠牲者は200万人と言われている。民間人犠牲者が韓国より多いのは、米軍機の絨毯爆撃と生物兵器の散布が原因である。生物兵器は旧日本軍731部隊石井四郎等の研究成果を発展・応用したもので、コレラ菌・腸チフス菌・パラチフス菌・ペスト菌等を媒介する生きたハエ・ノミ・南京虫・鼠や紙切れを陶磁器に詰込んで雪上に低空投下したのである。そのため北から南に移住した避難民が300万人、離散家族は1千万人に上った。

朴槿恵大統領が「日本を千年恨む」と言っているが、共産主義国ソ連や中国、北朝鮮を創ったロスチャイルド・ロックフェラー・軍産複合体等こそ恨むべきであり、彼等の狙いは有色人種の撲滅にあることを認識すべきである。昨今のエイズやエボラ、各種ワクチンもそのためであり、遺伝子組換えの小麦・トウモロコシ・馬鈴薯は発癌促進策であることを肝に銘じなければならない。


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