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恵文社一乗寺店|店長日記

『本を開いて、あの頃へ』
堀部篤史/ミルブックス刊

ビジュアルブックの楽しみ方を、映画や音楽などのカルチャーとと結びつけながらご紹介した『コーヒーテーブル・ブックス』に続く、当店店長書き下ろし単行本第二弾!今回は村上春樹からポール・オースター、『孤独のグルメ』に藤子不二雄まで、幅広いジャンルの本や雑誌を日々読みながらちょっと寄り道して考えたことを綴った読書エッセイ24本。本を開けばよみがえる、インターネットも携帯電話もなかった頃の記憶。当店店長がこっそり教える、ノスタルジック読書法。ちょっとシュールなカバーイラストや挿絵を手掛けるのは当店でもおなじみ、ひろせべにさん。敷居は低く奥行きは深い、読書愛に満ち満ちた1冊です。

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2010-02-03 『名画で読む ハプスブルグ家12の物語』とソフィア・コッポラ

keibunsha2010-02-03

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京都国立博物館で開催中の「THE ハプスブルグ展」にあわせて『怖い絵』、『名画で読む ハプスブルグ家12の物語』の著者である中野京子先生の講演を聴講してきました。中世、近代はおろか、戦前の芸術、文化にすらめっぽう疎い歴史嫌いの自分でも先生のお話に興味を持てるのは、その著作の全てに共通して、絵画や歴史の背景、ディティールにこそ着眼し、その面白さを説いている所でしょうか。

いつの頃からでしょう、絵画の正しい鑑賞法は、いっさい予備知識なしの白紙状態で作品と向き合い、自分の感性のみを頼りに、色彩、タッチ、雰囲気などを心で味わうこと、と言われるようになりました。知識は、先入観を植え付ける余計なものとされたのです。

結果、多くの人にとって、美術館めぐりは退屈なものになってしまいました。絵を描くのが趣味なら、色や構図や絵筆の使い方に関心も寄せられますが、そうでない人にとっては、感性と好き嫌いのどこが違うのか判然としませんし、そもそも判断基準がそこにしかなければ、第一印象で気に入った作風の絵ばかり見て飽きるのが関の山です。*1

とご自身仰られるように、退屈だった名画が違った見え方をしてくる瞬間の知的スリルは印象批評では味わうことの出来ない楽しみの一つです。拙著でも、ビジュアルブックや小説に対して、ディティールに着眼し、ある程度の資料や知識に基づき、違った角度から作品を眺めることによっていわゆるありきたりな批評を脱却した楽しみ方を提案しようと模索してきました。ここに共感できるからこそ、取り上げる主題は名画であれ、世界史や映画であれその語り口が楽しめるのです。

「ハプスブルグ家12の物語』」にも『怖い絵』にも登場する人物の一人、マリー・アントワネットは非常に象徴的な存在です。女性画家、エリザベート・ヴィジェ=ルブランが彼女とその子どもたちを描いた一見幸福そうに見える肖像画も、その後の歴史を知るからこそ鑑賞の仕方が180度変わるし、目を凝らせば不吉な兆しが絵のあちこちに散見できます。さらに肖像がそのものだけではなく、政略結婚によってルイ十六世に嫁いだ際の彼女のサインの上には不吉なインクの滲みがこびりつき、暗雲立ちこめる様をはっきりと連想させます。絵画や資料の細部に本質を表すようなサインを発見するスリル。もちろんこれは史実を知るわれわれだからこその解釈ですが、歴史とはこのように、ディティールに目を凝らすことや眺める角度によって姿を変えるものなのです。

同じ人物の解釈でも全く角度の違う面白い例があります。ソフィア・コッポラが監督した『マリー・アントワネット』です。放埒で傲慢、歴史上に残るスケープゴートとして悪名高い彼女を、同世代の女性としてシンパシーを持って解釈した場合、世間知らずのまま周囲の思惑によって愛のない結婚をさせられた彼女の孤独はクローズアップされ、舞踏会はクラブ・イベント、享楽的な食は色とりどりでキュートな高級スウィーツ、側に侍り音楽を奏でる芸術家フェニックス!)たちは、さしずめセレブリティたちとの交流として、現代の女性が憧れるとされるライフスタイルそのもののように描かれるのです。社会との断絶、愛されたいが愛されない故の孤独を消費で埋め合わせるその姿は、ソフィア・コッポラの名前に惹かれ映画館に詰めかけるあなたたちとなんらかわらない存在であるという、シニカルでありながら共感の手も差し伸べるアンビヴァレンツこそがあの映画の魅力だったのではないでしょうか。

ともかく、現在開催中の「THE ハプスブルグ展」に出かける際には、ぜひほんの少しの予習を。それだけで鑑賞の仕方が大きく変わるはずです。

*1:「怖い絵」で人間を読む NHK 知る楽テキスト「はじめに」より

2010-01-26 『モテキ』と『バナナブレッドのプディング』

keibunsha2010-01-26

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話題の『モテキ』三巻を読みすすめているうちに、表面的には似ても似つかない少女漫画作品を思い出し、引っ張り出して再読してしまいました。大島弓子の『バナナブレッドのプディング』です。

ストーリーやテーマはもちろん、表面的にも全く異なった二つの作品に共通するものは自己と他者の間に鏡が存在するという関係性です。恋愛とは自己と他人の間に成り立つもの。では、そもそも他人とはなにか。当たり前のことですが、それは自分ではない人の事を指します。「自分でない人」をハッキリと象るためには、自分は何者であるか、が確立されていなければならない。つまり成熟した恋愛関係とはアイデンティティの確立なしには成り立たないのです。

『バナナブレッドのプディング』の主人公、衣良は、自身成熟することを拒み、自己投影していた姉が結婚すること、つまり成熟した女性として変質してしまうことに対してひどく傷つき、自身も恋愛の真似事によって精神の安定を計ります。その対象として求めたのが「自身後ろめたさを感じている男色家」でした。自分の内側にある恋愛感情に対して歪なものを感じ取り、良心に苛まされる存在、つまりそれは衣良自身の鏡像なのです。それを庇護し、見守ることが「ライナスの毛布」と同様の精神安定剤として機能し、彼女自身が成熟する必要性を忘れさせました。

『モテキ』も複雑な鏡面が張り巡らされた作品です。主人公の男性は、その狭量な価値観ゆえに、恋愛で成功したことがないということで自己の確立を自ら否定し、他人という、自分への快、不快をコントロールできない脅威的な存在に対して、スモークを貼った車窓のようにシャットダウンしてしまいます。中を見ようとせずに、自分自身の論理のみで相手を推し量り、関係性を自己完結させてしまう。つまり鏡像を探し求めた衣良とは違い、彼は他人に対して鏡面に映った自分自身だけを見続けてきたわけです。この点が本質的に2作品が異なる点ではありますが、鏡というキーワードがこのような連想をさせたのは間違いありません。

さらに複雑なのは、あとがきにもあるように、これを描いている作者は男性のペンネームを持った女性です。少女漫画を志しながら連載が続かずに、少年漫画の世界で「一円でも多く男どもから金をむしりとりたい」と自嘲気味に綴っています。つまり、男性の振りをすることに後ろめたさを感じる、青年漫画家。だからこそ、ここまで自己完結する未成熟な男性の心理を的確に描き、複雑な鏡の関係を巧みに描ききることが出来たのでしょう。


『モテキ』1~3巻 久保ミツロウ / 講談社

店頭にて販売中です

2010-01-18 VAMPIRE WEEKENDとFutura

keibunsha2010-01-18

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ヴァンパイア・ウィークエンドの新しいアルバムを聴きながらなんとなく歌詞を読んでいると、こんなフレーズが出てきてびっくりしました。

"SHE'D NEVER SEEN THE WORD BOMB

SHE'D NEVER SEEN THE WORD BOMB BLOWN UP

TO 96 POINT FUTURA"


僕の持っているのは輸入盤なので、注釈、解説や正確な歌詞対訳が付いていないためはっきりとしたことはわかりませんが、ここで歌われる"FUTURA"(フーツラ)というのは文脈上、バウハウスで好んで使用されたことでも知られ、今現在も様々な所で目にすることが出来る、定番のフォントのことです。少し前までIKEAがイメージフォントとして広範囲に使用していたといえばイメージが湧くのではないでしょうか。このアルバムや前作のジャケットにも使用されている字間が広くとられたアルバム名やバンド名のフォントもそのフーツラ。アートワークにこだわるバンドなんてどこにでもいますが、まさかアーティストが自身のジャケットに使用されているフォントについて作品の中で言及する例というのは稀といってもいいでしょう。歌詞にするくらいなので、彼らの意思によってこのフォントがアイデンティティのように使用されていることは間違いありません。

フーツラの歴史は古く、その誕生は戦前にまで遡ります。1927年にPaul Rennerというデザイナーによって発明されたそのフォントは、爆発的に普及し、世界中に認識されますが、ナチス政権下ではモダンなフォルムを持ったこの自体は一時迫害され、反ナチの態度を取っていたPaul Rennerは投獄までされたそうです。ところが、この字体について調べているうちに、このようなエピソードとは正反対に、フーツラは「ナチス的字体」として現在ではイスラエルやドイツでの使用はタブー視されているという都市伝説のような噂がまことしやかにここ日本で流布されていたという記事を目にしました。某家電メーカーがビデオデッキをイスラエルに大量出荷した際に、マニュアルにフーツラを使用しているということでクレームが付き、そのまま返品されてしまったという話です。ここからそういった迷信が広がったようなのですが、その出処が日本のタイポグラフィ研究の第一人者であった、というところがまた面白い話です。

日本発祥の都市伝説ということで、さすがにナチスとの関連性を示唆しているわけではないにせよ、上記の歌詞の意味はわからずじまいでした。futuraで綴られた爆弾の意味、どなたかご存じですか?

ちなみに96ポイントのフーツラは以下のような感じです。

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2010-01-11 三好さんとこの日曜日

keibunsha2010-01-11

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昨年末に三好銀の単行本が2冊も刊行されました。そういってもピンとこない方のほうが多いでしょう。なにしろ89年に漫画家としてデビューしてから、今回の出版までに刊行された単著はたったの1冊で、それもすでに版元品切れ。あとは映画をテーマにした共著があるばかりで、作家本人も今回の単行本のあとがきで、もう自分の単著が出版されることがあるとは思わなかったと綴っています。いわば、カルト作家、しかし「熱狂的に」という言葉よりも帯文にある「マイナー・ポエット」のように、静かに愛好されてきたというニュアンスがピッタリくる作家です。

スピリッツ誌上で89年から94年まで不定期連載された『三好さんとこの日曜日』は、著者自身のライフスタイルを投影しつつ、生活の中の些細な奇妙さ、声高にシュールでない、不思議なリリカルさが横溢する随筆漫画です。今回刊行された2冊のうちの1冊『いるのにいない日曜日』は、この作品が単行本化された際に収録しきれなかったその後やアウトテイクをおさめたもので、もう1冊の『海辺へ行く道 夏』はコミックビーム誌上で連載された純粋な新作です。

僕がこの漫画家のことを知ったのは、下鴨のユーゲという不思議なカフェででした。カフェといっても僕はもっぱら水餃子をあてに瓶ビールを呑むばかりで、足を運ぶのは大体仕事帰りの黄昏時。薄暗い店内で間接照明が照らす大仰に飾られた『三好さんとこの日曜日』を手に取ったのが最初です。それからそこに足繁く通ううち、店主とも一言二言、言葉を交わすようになり3年前の古本市の際に作った冊子に原稿を依頼しました。お気に入りの古本を一つのテーマの下4冊紹介して、それらへの思い入れやエピソードを自由に綴ってもらうという企画。出来上がった原稿で取り上げられた古書は4冊とも「三好さん」。彼はささやかながらこの作品の布教活動を行っていたのです。よくみれば店内にある「三好さん」は1冊だけではなく、2冊3冊と転がっています。店主はそれを古書店で見かける度に買い求めてしまうといいます。

さほど熱心ではないにせよ、酒のあてに三好さんを読み進めるうちに、その独特の世界に惹かれゆく自分がいましたが、「ここで読めばいいか」という考えから単行本を探し歩くようなこともありませんでした。しかし、とあるきっかけでダストジャケットの欠けた(本来、帯には大林宣彦の推薦文が掲載されている!)『三好さんとこの日曜日』を入手してしまってから、ユーゲに習い、なんとなく自宅の本棚に面出しにして飾りながら時々は三好銀さんのその後の活動を思いながらぱらぱらとページを開いていました。そこへ今回の出版を知り、一番にユーゲにでかけその朗報を知らせ、店に入荷した2冊を配達したのでした。

そして昨年末から年始にかけての古本市にあわせ編集刊行した古本冊子の第二弾にはユーゲの奥さんにも原稿を依頼しました。やはり出来上がった原稿で選ばれたタイトルは4冊とも「三好さん」。今回の出版も実は彼らの地道な宣伝活動の結果、なのかもしれません。


『いるのにいない日曜日』

『海辺へ行く道 夏』

三好銀 / 共にエンターブレイン刊

こちらと店頭で販売中です

2009-12-29 BOOKS!

keibunsha2009-12-29

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本棚を整理していてふと目にとまった絵本を1冊ご紹介。

「本って何?」というフレーズで始まり、その構造や成り立ち、特徴を子どもたちに語りかけ、「あなたがいま読んでいるこれも本ですよ!」という呼びかけで終わるウィットに富んだ1冊。イラストをプッシュピンスタジオのジョン・アルコーンが手がけており、クラシカルなタイポグラフィーを絵の一部として組み込んだコラージュ感覚が楽しい、ページのどれを切り取っても非常に美しい内容です。

眺めたり、色を塗ったり、書き込んだりできて、何よりも読むもの。インクと紙と糊や紐で出来ていて、持ち運べるもの。あなたの読んでいる本の中には、ペルーやインドやフランスでもあなたがみているのと同じものを他の少年少女たちが読んでいるかもしれません。

この中に、「この世界には、魔法使いやメリーゴーランド、モーツァルトに宇宙船、ブラックビューティーについてやチャーリー・ブラウンその他諸々いろんな種類の本がある」という、かいつまむと大体こんな感じの長い長いフレーズがあって、その単純な羅列がとてもポエティックで心打たれ、昔依頼されて店のTシャツを作る際にこのフレーズを参考にしたことがあります。

子どもたちに向けた平易な語り口ながら、的確に本の特性をとらえた美しい絵本。この本を時々取り出して眺める度に、本の持つ美点や、その強度を再確認することになります。ニュースや雑誌の記事を目にするにつれ、本がなくなるのではないかと不安で夜も眠れない、そんな愛書家諸氏は枕元にこの本を置いて、魔除けのように開いたり閉じたりすることをおすすめします。