106.荀子 現代語訳 君道第十二 二章

二章

 割り印によって契約書を作成するのは、お互いに信用するためである。そうではあるのだけど、上の人が権謀術数を好むのならば、臣下役人のうちの知ったかハッタリの嘘つきは、この契約書の割り印の制度を利用して詐欺を働くようになる。

 くじで物事を決めるのは、公平にするためである。そうではあるのだけど、上の人が自分のために物事を曲げたりえこひいきを好むのならば、臣下役人は、このくじの制度を利用して、自分に物事が有利になるように物事を偏らせてしまう。

 分銅を使って秤を使うのは、誰にでも分かりやすいようにするためである。そうではあるのだけど、上の人が人の足を引っ張るようなことを好むのならば、臣下役人は、この制度を利用して、こみいったわけのわからないことをするようになる。

 升に升欠きを当ててるのは、全てが同じになるようにするためである。そうではあるのだけど、上の人が貪欲に利益ばかりを求めるならば、臣下役人は、この制度を利用して、取る時は多く、与える時は少なくなるようにして、恥知らずにも民衆からかすめ取るようになる。

 こういったわけであるから、機器や算法といったものは、治の流末でしかなく、治の源ではないのだ。そして、君子なる者こそ治の源なのである。役人は機器や算法を守り、君子は源を養うのである。源が清くなれば流れも清くなり、源が濁れば流れも濁る。

 だから、上の人が礼義を好んで、賢者を尊び、能力者を使って、貪欲に利益を求める心がないならば、下の人も辞譲を重んじて真心を致し、臣下としての自分の身分に謹慎しようとするのである。このようになるのであれば、取るに足らない民衆であっても契約書に割り印を使うまでもなくお互いを信用するようになり、くじびきで公平を保つまでもなく公平な判断がされるようになり、分銅で秤にかけるまでもなくわかりやすい分配が行われ、升に升欠きを当てるまでもなく全ての計器が同じ分量を測り出すようになる。

 だから、報償も出ないのに民衆は励み、罰が行われなくても民衆は心服し、裁判官が苦労するまでもなく事が治まっていき、政令は煩雑でないのに習俗は美しくて、百姓は進んで上の方に従うようになり、上の心を察するようになり、上の事業に励むようになり、心から皆が安楽となるのである。

 こういったわけであるから、税金を喜んで支払い、労力を惜しまず事業に参加し、外敵が至れば命を捨ててこれに当たり、城郭も整備するまでもなく城は固くなり、兵は訓練しなくても強く、敵国は遠征するまでもなく屈服して、四海の内の民衆は命令をするまでもなくこちらと一つになるのである。こういったことを至平と言う。詩経 大雅・常武篇に「王たる人の はからいが 誠に満ちる 智恵ならば あちらもそちらも ことごとく こちらの方へ 集まるよ」とはこのことを言ったのである。


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20130104/1357283885


解説及び感想

■日本、いや、世界中で暴利を貪っていると思っている(ボンボン)社長どもに、これを読ませてやりたい。貪っていると思っていると言うのは、ここにあるような、権謀・曲私・傾覆・貪利を行えば、結局それが自分の子孫の存続すら危うくする危険の種となるからである。だから、結局、暴利を貪っていると思っているだけで、結局は、その利益と思われるものをはるかに越えるような、自分自身への不名誉や苦労や子孫の危険の種を、自分自身の行いによってどんどんと拡大していっているのである。現に、私のよく知る会社の社長は、皆から当然のようにすごい馬鹿にされているのだけど、自分では皆から自分が賢いと思われていると思っているようで、それがさらに恥ずかしさを増していて、見ているこっちが恥ずかしくなるくらいなのである。誰も彼のことを、慕ってもいないし、恐れてもいないし、敬ってもいない。これだけでも、彼は既にすごい罰を受けているのである。しかし、仏法の因果の法則によれば、彼は、さらに死んだあと、地獄で苦しみを受け続けなければならないのである。これ以上憐れなことがろうか?