上兵は謀を伐つ(ウクライナ)

最近、マレーシアの民間機が落とされたけど、ついつい、孫子の兵法の型に当てはめて考えてしまった。実際のところはどうなのだろう。統制不足で本当に誤って撃ち落としたのなら、かなり長引く戦争になるかもしれない。

上兵は謀を伐つとは孫子の一節だけど、この事件は間違いなく「どちらかが、どちらかの評判を下げるためにやったこと」だと思う。

(上兵は謀を伐つ…うまい戦略とは謀略をすることだ。その次は敵国を孤立させること、その次が野戦をすること、最もやってはならないのは城攻め、現在なら総力戦だ。要は、いかに実際の戦闘をせずに相手に勝つかということが戦争では最も大事である。)

つまり、ウクライナ側からすると、ロシア側の評判を落としたい。そうすればロシアが経済制裁を受けて、ウクライナが有利になるかもしれない。だから、どさくさの中で自分の兵器を使って民間機を落とし、これをロシアのせいにして、ロシアの評判を落とすという「謀略」が有効になる。こちらの損害はミサイル一発だからもちろん上策である。

これは逆もまた然りで、ロシア側としても、悪さをしてウクライナになすりつけたいと思っている。

兵法で考えれば、どちらかの自作自演の可能性もあるということだ。

また、可能性としてはもちろん、「敵機と誤認して」狙撃した可能性もある。しかし、それもどちらかのスパイが「間違えたフリをして」やっただけかもしれない。

「兵とはキ道」(戦争とは騙し合いの道)であるから、私の推測があたっている可能性は十分にある。また、私の考える限りで、このやり方は兵法にはかなっている。直接の戦闘をせずに自国を有利に導くのだから。

けれど、これは兵法の枠内で考えた時の話で、もっと高いレイヤーから考えると、これは上策ではなく、下策中の下策となる。「策士が策に溺れる」とはこのことだろう。

なぜなら、国際世論は、「どちらかが悪い」ではなくて、「戦争自体が悪い」という方向に動いているからだ。もう、「どちらかが悪い」という時代は終わりつつある。こんな謀略をすれば、どちらの評判も同じように下がる。

人類は何度も、「どちらかが悪くなるように仕向けた戦争」をしてきた。その失敗の歴史は無駄ではなかった。無駄な戦争は人類の一般常識を引き上げたのだ。

「自分が正しい」「強いものが正しい」「悪くなさそうな方が正しい」という好悪に準じた善悪の判断は影を潜め、今は「暴力を用いないこと自体が正しい」という、より高いレベルの基準が判断を左右するようになってきている。

だから、結果とすれば「ケンカ両成敗」という風に全てことが動いていく。

策士は所詮策士、感心されることはあっても尊敬されることはない。