メモ程度 文明論の概略

今日、福沢諭吉の文明の概略を読んでいたら、

「日本の人民は国事に関せず」とあった。
そうかもな〜と思った。

文脈から行くと、まずは、西洋の歴史が詳しく解説される。詳細としては、西洋では昔から「フリーシティ」があったり、宗教でもキリスト教には新しい宗派があって、それが国政も動かしたり、あるいは十字軍遠征によってアジアの技術に刺激された西洋人が、商売を行ったり発明したりと、「人民」主導で起こることがいろいろあったとなっている。

こうした後に、次は日本の歴史が解説される。詳細としては、日本には、天皇、源平、足利、織田、豊臣、徳川と、支配者は変わるものの、新井白石先生の歴史書にも、住民から何か運動が起こったということは書かれておらず、結局は、支配者が変わっただけで、何も変わっていない。常に、治者と被治者の二つの立場しかない、とある。このいい例として、豊臣秀吉は、確かに百姓出身であるけど、百姓の地位を上げるようなことはなく、ただ百姓という地位を捨てて、治者になっただけで、まったく人民の地位を上げなかった、と言うのだ。さらにダメ押しをするかのように、日本には支配者が代わってそこの住民が抵抗し、何らかの利益を得ようとしたことがない、と書かれている。

確かに、イギリスでは、マグナカルタという取引のもとに、政権が交代したことがあったし、言われてみれば、確かに日本は、治者・被治者という立場そのものがどうかなったことはいかもしれないと思った。ただ、これは福沢がうまく事実を紹介しているからそう思えるだけで、西洋と日本の違いはそこまではなく、若干のもののような気もする。

まあ、でも、この福沢諭吉の理論は間違っていないとは思う。なぜなら、現在の国会であんな誰が聞いても「はぐらかし」の「本音隠し」としか思えないような答弁を安倍首相がしているにも関わらず、現在の内閣支持率がなかなか下がらないからだ。これは「日本の人民は国事に関せず」という二千年近くにわたる日本人の悪弊が原因だと考えれば、確かに分からないでもない。

これは、メディアも悪いし、国民が悪いことも関係はしている。というのも、今現在「あの政治家はいいのか悪いのか」というのは、ほとんどテレビによって判断されるからである。しかも、切り抜きのイメージ報道だ。それに、もし仮に、聖人賢人と言うべき政治家がいたとしても、こういった人は、凡庸な人からすれば、説教臭くて小難しいオッサンでしかないから、何の面白みもなく、当然にメディアに持ち上げられることはない。

その上、「日本の人民は国事に関せず」という悪弊から、国会中継を聴く人は少ないとすると、いろいろと話の辻褄があってくる。

そう考えてくると、一番重要なことは、国民の教育だろうとなる。なぜなら、国会中継を誰も聴かない理由のひとつが「難しくて意味がわからず面白くないから」である。意味が分かれば、聴く人も出てくるだろうが、これにはしっかりした教育が必要である。しかし、このことは、2500年以上前にプラトンが既に言っていることで、「民主主義をやると絶対に人気投票になる、というのも、民衆というのは楽しいことを好んで善いことを嫌うからだ、民主主義の政治は必ず堕落する」ということなのだ。

とはいえ、そのために、文科省にキャリアの優秀なエリートたちが在籍しているはずで、彼らは仕事をしていないのか?という話になってくる。

まあ、プラトンの言うように、民主主義は無理なのかもしれない。

原因が分かった所ですぐにどうにかなる問題では無いので、この辺にしておこう。