旅の記録 東ティモール編(3)

旅の記録 09.8.26.−02 東ティモール編(3)


 ホテルに戻り、一休みした後、イザベルにシスター・モニカに電話をしてもらう。電話はすぐつながり、シスター・モニカと直接話をする事が出来た。アグス死後10年になるのでアグスを知る人を訪ねてやってきたこと、何の情報もなくともかくやってきたこと、昨日ミカ・バレトさんに会いシスターの活動について聞いたので、できればお会いしたいことなどを話してみた。午前中にホセ・アントニオ神父からシスター・モニカは山の中にいるだとか海辺にいるだとか聞いたので、今どこにいるのか聞いてみた。そうしたら、先ほどまで展覧会の仕事をしており今は銀行にいるということだった。今すぐなら多少の時間はあるということで、電話を切ってから10分ほどでホテルのロビーまで来てくれた。


 シスター・モニカは60歳くらいの日本人で、2003年から東ティモールで暮らし、活動をしているという。2006年の騒乱の時もディリにとどまり、活動を続けたそうだ。現在、ディリでミカさんたちと行っている展覧会は『東ティモール独立運動と海外勢力との連帯』をテーマにしたものだという。
私たちはアグスに対する思いを話してみた。シスター自身はアグスに会ったことはないそうだが、以前“Black September ”を見て非常に感動したということだった。前日、ミカさんに渡したDVDはかならず会場で上映してみんなでかみしめたいと言ってくださった。


 実は、シスター・モニカは4:30からのミサに出なければならないのでほとんど時間がないはずなのだが、私たちを車に乗せ、展覧会の会場に送り届けてくれた。シスターは、会場が小さく30分もすれば全部見られる程度だと言っていたが、展示内容は非常に充実していた。時期はインドネシアの侵略から独立に至るまで。内容は東ティモール独立運動と独立に向けての海外からの支援。もちろん日本からの支援の展示も多数あった。私たちは現地の青年と話をしながら展示を見た。この青年は展示の内容の細かなところについて私たちの質問に答えてくれた。私たちも日本の支援について彼に説明することができた。


 ここにはロスパロス出身、Lautem出身の青年がいて、二人ともアグスのことを知っていた。Lautemはアグスの虐殺現場、ロスパロスはその近くの町である。東ティモールでのアグス認知度は、特に教会関係者や独立運動関係者の間では、私たちの想像以上に高いのかもしれない。この展覧会場で “Black September”が上映され、さらにアグスへの思いを深めてもらえるなら、日本から持ってきたかいがあったと思う。
 

 この会場で、シスター・モニカに東ティモール関係の書籍の共著者として名前を良く見かけるTさんを紹介される。ご自分の肩書を「吟遊詩人」などとする事のある型破りな人なのだが、現在、日本占領下前後の東ティモールについて研究をまとめているということだ。彼はまた日本で本当に数少ない(もしかしたら彼だけかもしれない)テトゥン語の教師でもある(PARC自由学校)。文献的な資料が少ない難しい研究テーマに挑んでいると思うが、目の付けどころとしてはユニークである。優れた成果が上がることをお祈りする。


 いろいろな出会いにくらくら来ていたが、日が暮れかかっているので、高橋さんにタクシーの交渉をしてもらってホテルに帰る。夕食後、今日も遭遇した印象深い出来事を思い出しながら、脱力感に襲われていたところ、突然、部屋をノックする音が聞こえる。マリオやジトが訪ねてきたのではとびっくりしたが、そうではなくて、従業員が届け物を持って来てくれたのだ。送り主はシスター・モニカ。フロントに手渡しすぐに立ち去ったということだ。中を開けると東ティモールの織物。アグス帰天の地ロスパロスのもの。東ティモールの織物は地方によって柄が違いこれがロスパロスのものだということはこちらの人にはすぐわかるらしい。私たちのアグスに関する宝物が一つ増えた。感激。
 

私たちがこうして感激に浸っていたところ、なんと2階の人たち(どこの人かは不明だが、コーカソイドの人たちだった)が、なんとプレスリーのレコードを大音量でながしながら、宴会を始めたのであった。私たち以外の人たちも迷惑に感じたらしく外で愚痴りあったが、とりあえず11:00くらいまでは様子を見ようかということになった。なんとか11時を少し過ぎたこと所で散会となりホッとしたが、コーランの夜で始まり彼らの大騒ぎで終わる旅行になったと苦笑した。さすがにコーランに対しては文句が言えないがホテルでの酒の勢いの大騒ぎは腹立たしい。

東ティモールを知るための50章 エリア・スタディーズ

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