深夜チャットしながら考えた。
書き取りの一番最初って、文字をなぞることから始める。いや、そのまえに、もじすらなく、番号に従ってなぞったりするわけだ。あれは、集中している部分が文字全体では全くなく、数字とか、点線とか、本当に局所的な部分に集中している。
あれって役に立つのかな、と思っていた。娘達がやっているのを観て思っていた。
一つは成功体験なんだと思う。なぞることはかなりうまくできる。うまくできてぱっと見たときに、いちおう文字になっている。形になっている。全体を見通して行動したわけではないのだけれど、小さい部分をつなげていったら、いつの間にか形になっていた。それってすごいことだ。
で、じゃぁ、次やってみなさい、たとえば あ を書いてみましょう、と空欄がぽつんとあるわけだ。
で、だいたい、???となる。ちらちらみながらかいてみるのだけれど、どうにもこうにもへんてこりん。へんてこりんだと分かるのだけれど、どこがどうへんてこりんか分からない。
で、しかたがないので、何度も何度も書いてみる。でも、まぁ、そうそううまくならない。で、もう一度なぞってみる、、、のくりかえし。
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僕らは学生さんになぞらせていないのではないかなと。いきなり あ を空欄に書かせていないか?そこまでは行かなくても、うすい あ のうえをいきなりなぞらせていないか?と
あほみたいなはなしだけれど、数字をつなげていったら あ になる、という、もう一段したの段階が必要なのじゃないか?と
んなあまいことを、ということは簡単だけれど、限られた時間の中で、どのように学生さんの到達点を上げるか、最大限まで上げるか、ということを考えるときに、立ち上がりはとても大事なわけで。そうであれば、むしろ、歯を食いしばって、1、2、3、4、、、、と点をうってあげることも考えておく必要があるのではないか。
へんてこりん、だ、とわかってもう一度自分でやってみる、というところが大事だと思うのだが、そこに至るまでに準備が必要。感受性、なにかおかしい、とおもう感受性を育てておく必要がある。そこをどうするのか、と。
ま、もちろん、かってに あ とか わー とか書けちゃう人はほっとけばいいのだけれども。