Hatena::ブログ(Diary)

備忘録の集積

2017-05-29

[]ウザク

 

 なにやらウザク本第二弾が出る予定らしいので、第一弾の感想を遅まきながら、やる。

 

 ウザク第一弾。

 すなわち『麻雀 傑作「何切る」300選』

 

麻雀 傑作「何切る」300選

麻雀 傑作「何切る」300選

 

 中身の雰囲気はグーグルで「ウザク本」で画像検索すれば一発で出てくるはずなので、こちらから説明することはなにもない。

 

 

 

麻雀における牌理の意義

 麻雀で一番重要なのは牌理である。

 そもそもテンパイもしくは好形イーシャンテンをつくれなければ押せる場面などやってこないから、押し引きなど関係ない。

 牌理を鍛えることで好形率も高まる。

 好形率が高まればツモによる打点向上、めくり合いでの勝率向上につながる。そもそも好形ならだいたい押しなので押し引きなど関係ない。

 牌理が鍛えられれば副産物として山読み、他家の手配読み、河読みも鍛えられる。

 回し打ちが有力な場面も分かってくる。

 

 

 

ウザク本の効能

 効能としては、一周する(300問解く)ごとに実力がワンランクあがっていく。

 天鳳の段位でたとえると、ざっくり一段。

 三段のプレイヤーはウザク本を三周すると六段になる。

 周回を重ねるごと効能は目張りするものの、鳳凰卓入りするまでカンストすることはないと思われる。

 

 

 

ウザク本の欠点

 問題点としては説明が簡潔すぎること。

 麻雀本を読みあさっている人にとっては簡潔で喜ばしいばかりだが、戦術書第一冊目として手に取ると困惑するかもしれない。白ネマタ本などでターツ比較の基本が頭に入っている人向け。

 初学者は『基本形80』から購読すればいい。

 

 

 あと、難問が多いことも問題点。

 時には90点の打牌と100点の打牌を問うてくるだけの問題もある。

 300問の正答率を高めるより、基本的な問題を吸収していく方が実力向上につながる。

 

 

 

ウザク本の読み方

 変に正解を意識したり、深く考えたりせず、「実戦なら いつもこのあたりを切っているな」と自分なりの答えを出してから解説を読むこと。

 題意を推察して回答を絞ることは当然できるが、出題者に媚びる必要はない。

「この辺りを切って広く受けるのが正解っぽいけど、自分はいつも端牌切ってタンヤオに走ってるなw」というふうな軽い気持ちで答えを出すべし。

 

 正解ならそれでいい。

 不正解なら、正解のロジックである100点の打牌を踏まえた上で、自分の打牌が何点相当であるかを考える。ロジックが根本から間違っているなら猛反省する。その繰り返し。

 打ち方全体のバランスや打ち手の力量も関係してくるので、最終的にウザク本の打牌を採用しなくても構わない。

 

 

 

 

 

 高打点をばんばんあがって脳内麻薬全開、絶好調、となれば1300円程度の出費を躊躇う必要はない。

 実用性の一点で比較するなら白ネマタ本や押し引き本より頭一つ抜きんでているので、騙されたと思って読んでみて。

 

 

 

 

 

 

 

 以下、個人的に好きな問題を引用する。

 必然的にネタバレになるので未読者は注意。

 

 

 

 

 

 

 

●Q230

 

 

 

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 566m 234p 345p 68p 455s と5ブロックに分けて、

 ヘッドは間違いなく55sだが、では4s切るのかというと、そうではないというところが好き。

 余剰牌は持たないようにスリムに構えたいが、この4sを持っておけば愚形68pを縦引いたときにヘッドを交換して455sを45s両面として使えるようになる。

 この「愚形を縦引いて頭にする」スキルが大好き。うまくはまったときの快感が病みつきになる。

 「麻雀は最終形を決めず柔軟に打て」の法則ともいう。

 「余剰牌を持たずにスリムに打て」の法則と喧嘩になるので巡目や場況による見極めが肝心。

 

 赤ドラを使い切るために6m切って両面固定するのが正解。

 5ブロックそろっていなかったら7m引きによる中ぶくれへの発展を期待して6mは引っ張るけど、「ブロックが揃ったらドラ使い切りの両面固定」てロジックも好き。シンプルで分かりやすい。

 

 

 

 

 

●Q236

 

 

 

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 テンパイだけを考えるなら打3p(6p)だが、それだと半分以上が愚形テンパイでものたりない。

 よって愚形ツモからの平和テンパイの目は残しつつ、ピンズが伸びたときの好形変化の目も残す打7sがオシャレという問題。

 こういう手がくると、打点は全然伴っていないのに、そのオシャレさで自己陶酔できて幸せになれる。*1

 

 平和を目指す雀士の道は自分のみがあがれればよいという修羅の道。全然平和ではない。

 

 こういう技術は二次有効牌というキーワードで語られる。

 受け入れ最大にとらないことでテンパイ速度はさがる。損をしているように感じられるが、実のところ和了巡目は変わらない。

 このロジックをはじめて聞く人は、ちょっと何言ってるか分からないと思う。

 

 テンパイ速度を高めても最終形が愚形ではツモるまでに時間がかかるか、ツモれずに終わる。つまり和了巡目が遅くなる。

 しかし二次有効牌を残し、好形変化を追えば、テンパイまでの速度は落ちる(イーシャンテンでいる時間が長くなる)が、テンパイしてから和了までの時間は愚形テンパイ時より速まる。

 

 麻雀の強さとテンパイ巡目の速さに相関がないのは、このロジックが関係している。

 強者は好形で押し返してくるから速さだけがすべてではない。

 

 

 

 

 

●Q215

 

 最後は、割りとショックを受けた問題。

 元ネタは『麻雀の正解』にある牌姿らしい。

 

 

 

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 7mがドラで親番。

 是が非で和了りたいところ。

 

 

 

 5ブロックに分けると明らかに7pが浮いている。

 これは打7pしかない。

 ウザク本には「亜両面を切ればだいたい正解」の法則が出てくる。

 今回もそのケースだと思った。

 ただ、読み方の項目で示した通り、自分が実戦で何切ってきたかを考えて回答している。

 実戦の場でも7pを切るだろうか。

 1s落としてタンヤオにいきたいのが本音だが、さすがにタンヤオ病のそしりを免れ得ないので、ここは7pくっつきの好形変化の目だけを残して、3m切りあたりを切っちゃいそうかな、と考えた。

 こういういくつかの選択肢がある場合、ウザク本では条件を絞ってくる。

 たいていは「好形変化をみたいが親で、もう九巡目。ここは素直に受け入れ最大にとる」といった説明がなされる。

 問題を確認すると「親」で「9巡目」だった。ウケるw

 笑いながらページをめくると、答えは打3mだった。

 

 

 

 自分の実戦で打つであろう回答と合っていたが、納得がいかない。

 説明文には案の定、「もう9巡目」の記述はあったが、「受け入れ最大に」ではなく「好形の最終形だけを残しイーシャンテンを維持する」とある。

 技術としては先に紹介したQ236と同じなので分からなくないが、Q236は役なしテンパイを避けるためであって、今回はすでにドラ2あるので役はリーチで十分。

 なぜ「親で九巡目、受け入れ最大」の法則が適応されないのだろうか、と。

 

(元ネタの『麻雀の正解』は読んだことはないが、おそらく打7pを正解として説いているのだろう)

 

 ネマタ氏の解説も見てみたが、元ネタでは5巡目であること、そしてその巡目であるならタンヤオを見る打1sでもいいと書かれているだけ。

 

 ウザク本は画期的な何切る本だ。

 自分が親か子か、何巡目かといった情報まで加味したうえで正解を提示している。

 ひとことでいうと実戦的。

 つまりただの平面何切る本ではない。

 平面でありながら、かなり立体何切るに近い。

 そのあたりの価値観が解答にかなり影響しているように思う。

 

 実戦の場ではたいてい端牌が切られているわけで、1sも一枚は河に流れていておかしくはない。

 そうすると最終形はドラと一枚切れの1sのシャボとなるかもしれない。

 アガリ逃したくない高打点の待ちがこれでは心許ない。

 9巡目以降は追っかけリーチも増える。超愚形といってさしつかえない待ちでは好形が見込まれる追っかけリーチにめくり負けそうである。

 というか、むしろ先制をとられるケースを考えねばならない。このシャボでは追いかけられない。でも実際には追いかける。矛盾しているように思われるが、要するに、全ツ確定の手である。それならはじめから好形変化を残したい。

 くっつき牌をひとつ残すだけで早くなるかといえば、そんなことはないが、ピンズの複合系の食い延ばしやドラポンからのタンヤオ移行が機能する牌であるがゆえ打点向上&好形化につながる――ということなのだろう、多分。

 

 結局のところ、場況と相談することになる。

 ……うん?

 じゃあ場況無視の平面何切るなら打7pではないのか!?

 そんなこんなで、なにか釈然としないのであった。

 18回しかないツモで他人より早くテンパイ和了りきれというのが無茶な話で、他人の捨て牌を鳴いて利用していくのが麻雀なのだ、ということか。

 

 

 

 

 

*1:ただのナルシストである。

2017-03-18

[]インコの対立

 唐突だが、我が家で飼っている二羽のインコ、その対立について語りたい。

 まずその二羽を紹介しよう。


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 チョキちゃん。

 セネガルパロット

 和名はネズミガシラハネナガインコで、その名の通り頭部はねずみ色。羽は黄緑色。腹部は黄色で、この部分がV字を描くところからチョキと名付けられた。

 性別不明。多分、雄。*1


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 グリちゃん。

 ウロコインコ。

 目の周りは白い羽毛で囲まれているが、虹彩灰色で瞳孔は黒色*2とどちらも黒っぽく、ひとつの大きな黒い目のように見える。ぐりっとしたおめめをしているということで、グリと名付けられた。

 胸回りに鱗状の美しい模様が描かれるからウロコインコなのだが、ストレスで自分の羽を引っこ抜いてしまうグリちゃんの胸には何の文様もなく、ただ毛羽立っている。

 性別不明。多分、雄。



 この二羽が険悪な仲にあることは以前、記事に書いたが、軽くおさらいしておこう。

 まずチョキちゃん。

 このコは人見知りをするが、ぼくにだけは懐いている。

 一方、グリちゃんは人なつっこく、誰にでも懐いている。遊び相手がぼくしかいないときはぼくに全力で愛想を振りまく。

 チョキちゃんはぼくと遊びたいが、放鳥タイムに入るとグリちゃんが前に出てくるため、アプローチできない。

 両者は互いの羽毛を毛繕いするほど仲が良かったが、ついに対立するようになってしまった。



 前回は書かなかったが、チョキちゃんとグリちゃんはクリッピングされていた。

 クリッピングとは羽の特定の部位を切ることで飛行能力を弱める処置。主に脱走を防止するためであったり、飛行に伴うリスクを解消するために行われる。

 飛べないし、飛ぼうとしないため、ケージの口を開けてもケージから離れることはない。

 ケージの戸を開けると、そこが足場になる。ちょうど跳ね橋を下ろしたような構図である。チョキちゃんのケージの戸口には止まり木もついている。仲が良かった頃、ふたりは同じ止まり木にとまって頭をくちばしでかいたり、かいてもらったりしていた。



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 ▲だいたいチョキちゃんが頭を突き出していってグリちゃんに毛繕いをさせていた。




 グリちゃんのケージも隣接しており、グリちゃんは両足と嘴を器用に使ってケージ側面を伝って移動する。そしてチョキちゃんに構おうとしていたぼくの前に出てくる。ケージから出てこようとしていたチョキちゃんは一旦ケージの中に引っ込む。ケージの奥の止まり木に飛び移って、身体を左右に揺すってアピールする。ケージの中に手を伸ばして遊んでやろうにも、苦しい姿勢を取ることとなるし、チョキちゃんに手が届く前にグリちゃんがぼくの腕をよじ登って肩まで回り込み、「ボクと遊んでくれないと耳にピアス穴あけちゃうよ?」と脅してくる。

 チョキちゃんはぼくへの思いを募らせる。やがてケージの外の足場までやってくるようになった。しかしグリちゃんは足場の最先端にいてぼくへのアピールを欠かさない。チョキちゃんが前まで出て来ようものならつついて追い返してしまう。

 ふたりはバナナが好きで、食べやすい大きさにカットしたものを持っていくとすぐに足場まで出てくる。美味しい?と聞くとチョキちゃんは食べ終えてから、オイシ!と返す。いつものことである。ただ、あるとき、それがグリちゃんの怒りを買うこととなった。グリちゃんがなぜそのときに限って怒ったのか、よく分からない。普段よりオイシ!の声量が大きかったせいかもしれない。ひとり抜け駆けして飼い主に媚びを売り始めたことに苛ついたのかもしれない。食べかけのバナナを投げ捨て、チョキちゃんに猛烈な一突きを浴びせた。哀れ、チョキちゃんは尾に火でもついたかのようにケージの奥に引っ込んでしまった。

 こら、そんなことをしてはいけない、とグリちゃんをしかりつけるが、グリちゃんはたった今の出来事がなかったかのような愛らしい顔で首をかしげる。「ボク可愛いでしょ? ボクと遊んで? ね?」鳥なのに猫を被るとは、これいかに。



 万事、そんな調子だった。



 体格の差からするとチョキちゃんの方が圧倒的に強そうに見えるが、実際のところ、格付けは済んでいた。グリちゃんの天下である。

 セネガルパロットは獰猛な性格をしているらしいが、チョキちゃんは臆病者だ。鳥だけにチキンである。

 一方、グリちゃんはジャイアニズム全開で振る舞う。チョキちゃんのえさを食べ、チョキちゃんの飲み水で水浴び遊びをし、チョキちゃんの止まり木を占領して陽気に身体を揺する。ウロコインコは、ググってもらえば分かるが、仲間と寄り添ってもふもふの塊となり、狂おしいほどの愛らしさを見せつける。そこにはピュアな友愛の情が溢れている。しかし、である。嫌いな者がいればそれが同族であろうとイジメ殺す陰険な側面も持っている。

 グリちゃんのやりくちは陰険ではないが、ストレートに暴君たらんとしていた。

 臆病なチョキちゃんが逆らえるはずもなかった。

 それでも堪忍袋には限界があったらしい。フラストレーションの爆発が起きた。



 その日もグリちゃんは足場の真ん前まで身を乗り出し、絶好調であることを示す上下の伸びの運動を行っていた。チョキちゃんがのそのそとやってきてもまったく気にかけていなかった。ジャイアンのび太が反逆するとは思わない。常になめてかかる。アウト・オブ・眼中とはまさにこのことだった。

 チョキちゃんはケージの中の止まり木からケージ外の足場へのそりと出ると、その後は少しだけ素早かった。いつぞやのお返しとばかり、グリちゃんのケツにくちばしをびしっと叩き込んだ。グリちゃんはたまったものではない。瞬時にUターンしてチョキちゃんのケージの中へ退避した。ケージの内側に張り付き、キツツキのようにケージにくちばしを叩きつけていた。「オレは負けてない! 負けてないぞ! まだやれるんだ! かかってこい! オレはまだやれるぞ!」と、そういっているのだった。無論、あからさまな虚勢だ。自然界で生き抜くためには弱みを見せてはならないとするグリ公の哲学があったのだろう。

 チョキちゃんはグリちゃんを欠片も気にしていなかった。ぼくに撫でてもらおうとアピールに余念がなかった。

 その後、グリちゃんは虚勢を張り続けていた。実際にはダメージがあって動けなかったのだろう。ケージから出てこないし、出そうとして手を伸ばすと噛みついてくる。自分のケージに戻ってくれなければ入り口を閉じられないので難儀した。



 こうして格付けはリセットされた。

 某格闘漫画にこんな台詞がある。

 《たった一度の勝利が、蚊トンボをライオンに変える》

 まさにそれだった。

 臆病だったチョキちゃんはこの勝利で自信をつけた。

 セネガルパロット本来の獰猛な性格を取り戻したのであった。

 しかしグリちゃんもグリちゃんである。一歩も引き下がるつもりはない。

 ふたりの対立はいよいよ本格的なものとなった。

 こうなるとケージが隣り合っていることが裏目に出る。睨み合っては威嚇の雄叫びを上げ、嘴をケージにぶつけてカンカンカンと踏切ではないが音を鳴らす。

 チョキちゃんはケージからぶらさがっているオモチャ*3を振り回してグリちゃんのゲージがある方へとぶつける。木製の塊が振り回されて猛烈な勢いでぶつけられるのである。たとえるならバイクにまたがりコルクバットで学校の窓ガラスを割っていく様であろうか。サイズの比率としてはコルクバットどころかトーテムポールとするのが正しい。

 グリちゃんも負けじと三角ベッドをチョキちゃんのケージの方へとぶつける。このベッド、ググれば一発でアマゾンの該当ページが一番上に出てくるので描写は省くが、柔らかい布地なのでケージにぶつけても音のインパクトに欠ける。だが見た目のインパクトは負けていない。たとえるならプレハブ小屋を体当たりで押し切ってしまう横綱力士であろうか。

 威嚇行動とはいえ喧嘩に道具を使うあたりにふたりの知性がうかがえる。

 ケージを別々の場所に移すのは飼育上、不都合が多いのでケージの間に新聞紙を挟んだり木板を挟んだりして互いの姿が見えないようにしなければならなかった。

 ケージを解放するときも、同時に解放することはできない。ふたりが出会えば喧嘩になる。しかしチョキちゃんだけを解放しても喧嘩になった。ぼくに遊んでもらうよりも先にグリちゃんへの牽制を行う。肉体を膨らませ、羽毛を逆立てると、倍の大きさにふくれあがる。これはドラゴンボールを連想せずにいられない。見たまんま、スーパーサイヤ人だ。漫画では超と書いてスーパーとルビをふるわけだが、それならばチョキちゃんの場合は鳥(ちょう/スーパー)サイヤ鳥といったところか。それも悟空ベジータではなくブロリーである。

 威嚇のための最終形態となってグリちゃんのケージにしがみつき、くちばしを叩きつけて脅す。その姿は東京タワーをよじのぼるキングコングを彷彿とさせるが、ぼくはその様にむしろキングギドラを見る。首こそ一本しかないが、立派な翼があって腕はないフォルムが一致していることと怪物的横顔から自然な連想であると信じている。鳥を飼ったことがある人ならきっと一度は「ああ、こいつは恐竜の子孫だ」と思ったことがあるはずだ。

 チョキちゃんは臆することを知らない。体格差を考えない。撤退のねじが外れている。ケージ越しにチョキちゃんとくちばしの応酬を始める。

 喧嘩を止めようと手を出すとチョキちゃんに噛みつかれるので要注意。ぬいぐるみで脅してケージの中に追い返すといった対処が必要となる。*4

 なお、グリちゃんを解放しても喧嘩にはならない。グリちゃんはそんなことより遊び相手を求めている。



 ふたりの放鳥タイムをずらすようにしてきたが、限度がある。こちらにはこちらのスケジュールがあるので、時間をかけていられないときは同時に解放する。

 面と向かい合うからといって、いつも喧嘩するとは限らない。ケージ越しの喧嘩では安全が担保されていたが、それがない状況では直接対決をためらう。インコもそういった損得勘定を考えるらしい(というか、チョキちゃんはどこまでいってもチキンなのだろう)。

 グリちゃんには余裕があって、時折チョキちゃんの威嚇を無視して遊びに出かける。しかし自分が先に優先権を得たと判断したときは、それを守ろうとし、真っ向から勝負を受ける。

 たとえばグリちゃんが先にぼくの肩にのぼったとき。あとからのぼってくるチョキちゃんを決して受けつけない。縄張りを侵された動物の防衛本能が働く。チョキちゃんも引き下がらない。そこ(ぼくの肩)は一世紀前から自分の縄張りだといわんばかりで、のっしのっしと迫る。



 クリッピングの件にはすでに触れたわけだが、これは前の飼い主の方針だった。二羽を引き継いだ我が家の方針としては、羽を切るなんて、なんとなく残酷で躊躇われるし、特に必要性を感じないといったところ。

 我が家に来てからというもの、ふたりの羽は伸び放題。切り取られていた羽も もとに戻る。

 グリちゃんは飛行能力が戻ったことを生得的に理解できるのだろう。飛ぶための練習なのか、飛び方を思い出そうとしているのか、ケージの屋根に上り、翼を羽ばたかせるようになった。

 チョキちゃんはそのあたりは鈍感だし、積極的ではないのだが、グリちゃんが羽ばたきの練習をし始めるとそれを真似し始めた*5。ふたりが翼を動かすと床に落ちていたチラシが風に煽られて生き物のように床を伝って移動する。

 そして機は熟し、グリちゃんはケージを飛び立つ。チョキちゃんもつられて飛び立つ*6。グリちゃんは器用なのですぐにUターンを覚えてケージに引き返し、ホバリング気味に減速して着地できるようになったが、チョキちゃんは鈍くさいので向かいの壁と一体化している空調に飛びつき、そこから身動きが取れなくなる。Uターンを覚えても減速の仕方が分かっていないのでケージには戻れず、円を描いて飛び回り続けるし、その間加速し続けるので、最後は壁にぶつかるかカーテンにぶつかって止まる。そして生まれたての雛のようなよちよち歩きで近くの人間の救助を待つ。ひとりではケージに帰られないのである。*7

 それでも、最終的には最低限の技術を習得し、ケージからぼくの肩へ飛び移る技能を会得した。これまではチョキちゃんと遊ぶのに飽きたらケージを離れればよかったが、今では飛んで追いかけてくるため、逃げ切れない。



 話を戻そう。

 ふたりの対立が極まったとき、ふたりは空を飛べるようになっていた。

 チョキちゃんはスーパーサイヤ人化している。

 足場が安定していない場所で喧嘩に突入すると、ふたりは空中戦に至る。戦闘機vs戦闘機ドッグファイトとはまったくおもむきが異なる。ドラゴンボールアニメを実写で再現したかのような展開になる。エネルギー弾こそ使わないが、ふっと消えたかと思うと背後に回り込んでいて、目にもとまらぬ熾烈な打撃戦を繰り広げながら、螺旋状に上昇し、三六〇度、上下左右、全方位に位置を変えながら戦い続ける。片方が遠くへ吹き飛んだかと思うと旋回して舞い戻り、続きがはじまる。ケージの中で空中戦になると、もはや何が起きているのか分からない。

 悟空vsブロリー。そうでなければゴジラvsキングギドラか。

 動画に撮ってみたいところだが、突発的にはじまるし、喧嘩を止めないといけないのでカメラを回す余裕はない。意図的に喧嘩させるのは虐待でしかない。

(一応断っておくと、そういう迫力があるというだけであって、実際には乱打戦は起きていない。両者の翼は飛ぶために羽ばたき続けるのであって打撃には使えないし、飛行中にくちばしの攻撃を連打できる鳥はおそらくいない。姿勢の制御で精一杯だから足で繰り出す攻撃も単発になりがち。激しい羽ばたきと気迫が、絶え間ない攻防を幻視させるのである。なお、両者の足が接触して片方が猛片方を捕まえると、ふたりはきりもみしながら落下する。そのまま床にぶつかることもあるし、際どいところで散開することもある)



 空中戦は危険だし、疲れるし、決着がつかないことはふたりとも分かっているのか、地上戦こそが本番だったりする。

 チョキちゃんの選択は常に一つだ。威嚇する。ただそれだけ。鳥サイヤ鳥になるとグリちゃんの三倍はでかく見える。漫画のたとえばかりで申し訳ないが、範馬勇次郎がするのとそっくりの構えをとる。

 グリちゃんの選択肢も一つだ。姿勢を低く構え、最短距離を一気に詰めるタイミングを伺う。レイピアを構えたフェンシングの選手さながらである。

 チョキちゃんは攻撃しない。決して攻撃しない。チキンだからである。威嚇100%で挑む。威嚇だけは何一つ瑕疵がない。多分、明確な隙があればくちばしを見舞うのだろうが、鈍感なので隙を見いだせない。というか、グリちゃんに隙はない。

 鳥同士の決闘にどんなルールがあるのか、ぼくは専門家ではないから分からないが、いきなり急所をえげつなく抉るといった一撃必殺の概念は見受けられない。なにはともあれ、正面からくちばし付近を攻撃する。眉間にクリーンヒットが入れば勝利条件を満たす。少なくともニワトリはそうやって上下関係を定める。

 このレギュレーションでは勝負がつかない。

 仕掛けるのは必ずグリちゃんからで、小さなくちばしがチョキちゃんの大きなくちばしを打つ。

 チョキちゃんは打たれてから、グリちゃんのくちばしを押し返すようにしてくちばしを突き出すが、全然間に合っていない。

 パワーはチョキちゃんが勝るが、スピードはグリちゃんが圧倒している。手数に押し負けたチョキちゃんが上体を反らし気味になり、これ以上は受けられないとなったところで飛翔し、ぼくの肩に避難する。そしてその安全圏から威嚇モーションを続ける。

 グリちゃんが追いかけてきたらやばい。ぼくの肩の上で決闘が始まってしまう。彼らはイライラすると敵対者にではなく近くの誰かに八つ当たりすることがあるので、それも含めて非常に危険な状況となる。手で払いのけようとすると噛みつかれるので上下動で身体を揺すって振り落とすしかない。

 決闘は一旦そこで中断される。が、互いに決着を望んでいるときは場所を移して再開される。ケージの天井、ケージ前の足場、床。そのどれかが決闘の舞台となる。

 チョキちゃんは威嚇の一択。グリちゃんは低く構えて直線的に飛び出す。グリちゃんが先手を取る。チョキちゃんは後の先を狙うが、完全に出遅れ、ただの後手になっている。そして手数で負けて一時撤退。撤退は敗北ではない。決着はついていないので三度決闘が始まる。



 念のため強調しておくが、ぼくはふたりの喧嘩を望んでいないし、喧嘩が起きれば全力でとめている。ただ、この決闘を面白く感じていたのは事実だ。

 グリちゃんが圧倒的に有利に見えた。

 チョキちゃんはいつも撤退してくる。

 しかしぼくの見ていないところでチョキちゃんがまたグリちゃんに一撃見舞ったらしい。

 聞いたところでは、グリちゃんがチョキちゃんの飲み水を使って全身水浴びをしていたとき、チョキちゃんが怒ってつつきにいったのだという。地の利がチョキちゃんにあったこと、ほとんど不意打ちだったことが勝因か。

 こんなことで格付けは決まらないようだが、グリちゃんはやがてこの対立に飽きていった。

 グリちゃんはぼくより好きな人間がふたりもいて、別にぼくがいなくても困らない。チョキちゃんの相手をし続ける動機が十分ではなかった。

 しかしチョキちゃんは違う。臆病者は裏を返せば陰険で、憎しみ深い。蚊とんぼから獅子となったチョキちゃんは、その自信と、憎悪の深さと、臆病さの延長で、グリちゃんへの優位を示し続けなければ気が済まなくなっていた。

 消えない憎しみほどやっかいなものはない。

 グリちゃんはときどき威嚇するチョキちゃんに「まだやってるよ。メンドクサっ」と思っているように見えた。



 チョキちゃんは手段を選ばなくなった。

 正面切っての決闘は分が悪いと踏んだのだろうか?

 グリちゃんが遊んでいるところを狙って滑空するようになった。

 遊んでいるところを強襲されてはたまらない。単なる威嚇とは異なり、ストレスを与える陰険な攻撃だった。

 ぼくが夜勤で不在の時、グリちゃんは他の誰かと遊ぶが、チョキちゃんは人見知りが激しいため遊び相手がいない。楽しそうにしているグリちゃんをねたみ、滑空して脅す行為は日常化した。

 が、これが脅しというのはあくまで人間の解釈であって、チョキちゃんにしてみれば毎回全力で狩りにいっていたのかもしれない。飛行技能が未熟なチョキちゃんは小回りが利かず、超低空飛行も苦手なので、床を歩き回るグリちゃんを仕留めきれずにいたが、下手な鉄砲も数打ちゃ当たる。ついにグリちゃんをとらえた。ケージの真上から斜め四五度に滑空し、体当たり気味に仕掛ける。ネズミを捕獲する鷹や鷲と同じように両足で捕まえるのだ。もう、完全に殺しにかかっていた。

 捕まったグリちゃんに為す術はない。パワーと体重差で、文字通り圧倒されてしまう。ただ、体勢的に捕まえた獲物をくちばしで突き刺せるようには見えないので、殺害まで発展することはなさそうだった*8。しかし、これで格付けは決まった。グリちゃんはチョキちゃんに喧嘩を売るのはいろいろと損でしかないと学習したらしく、これだけは譲れないという最後の一線を越えない限り、決闘することはなくなった*9。ケージの外から威嚇してくるチョキちゃんを面倒くさがって三角ベッドの陰に隠れるグリちゃんからは、ジャイアンの面影は消滅していた。



 格付けが決まったところでふたりの戦争は終わりを告げたらしい。

 仲睦まじかったあの頃には戻れないが、そもそも最初は犬猿の仲だったので、元の鞘に戻ったというべきか。

 今は放置していても決闘には発展しない。しかし時折、チョキちゃんはグリちゃんの頭上を滑空する。そうやって脅しをかけてグリちゃんを騒がせれば、喧嘩の仲裁にぼくがでてくる。ぼくを呼び出せれば遊んでもらえる。――そんなふうに学習してしまったのではないか? 悩ましい限りである。

*1:外見から判別するのは困難。

*2:鳥は人間でいう白目の部分が外見上、存在しない。

*3:積み木を数珠つなぎにしたようなもの。噛みついて壊すことがストレス解消につながる。

*4:自分より大きな者はなんでも怖がる。

*5:グリちゃんがいなければ飛ぼうとしなかったかもしれない。

*6:仲間が飛び立つと、それに置いていかれまいとするのか、外敵が迫っている可能性を考慮するのか、つられて飛び立つ。そういう本能があるらしい。

*7:このとき以外は人の手にのってくれない。普段はぼくの手にすらのってくれない。のってくれるのは発情モード120%に達したときだけだ。

*8:人間が全力で阻止するので続きを見たことはない。

*9:越えたら喧嘩する。グリちゃんの芯はまだ折れていない。

2017-01-08

[][]イメージで打つ大正義マンガン理論

 去年はウザク*1、平澤本1*2、平澤本2*3やカニ本*4、押し引き本*5などを読みあさった。

 どれも良書で、中級者を対象として書かれている。

 どの本からも学ぶところはあるが、言ってしまえば、どの本も書いていることは一緒というか、どこかで読みかじった内容と被っていた。

 そしてこれも仕方のないことだが、まじめな書物になればなるほど書いていることが堅苦しい。麻雀本を手に取ろうとしている時点で意欲十分・適性十分だから内容が難しくても構わないっちゃ構わないが、もっと、なんというか、テキトーなイメージでカンカクを身に付けるふわっとした戦術書があってもいいのではないかなと。

 

 

 

 たとえば。

 テンパイで良形低打点に受けるか、愚形高打点に受けるかを選択できるとき、どうするか?

 セオリーは「打点が1ハン+10符以上あがるなら高打点に受ける」とされている。

 この一文に目を通して「そうだったのか! ヨッシャ、じゃあ次からはこう打つぞ!」と思える麻雀初級者・中級者が果たしているだろうか?

 「これは明日から、いや今日から使えるテクだな!」「いくらでも応用がきくぞ!」とはならない。

 そもそも符計算できない層からすれば10符てなんやねん、となる。

 

 

 

 良形低打点vs愚形高打点。

 この良形ってのは、つまるところピンフピンフのみのこと。

 高打点愚形ってのは、つまるところ三色。愚形で三色のみのこと。

 

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 ▲2mと5m、どちらを切るか?

 

 ピンフのみ。

 ここから何をイメージするだろう?

 「リーチ」して「ピンフ」 出上がり2000点。

 

 じゃあ、愚形の三色のみは?

 「リーチ」して「三色」あって「ツモ」でマンガン

 

 もう説明する必要はないだろう。

 2000点とマンガン、どちらを選ぶのか。

 マンガンに決まってる。

 麻雀マンガンを何回あがるかを競うゲームだとかいう格言もある。

 (違ったっけ? マンガンを二回あがれば、ほぼ勝ち だっけ?)

 

 

 

 ちょっと待て、ピンフは出上がりで、愚形三色の方はツモれる前提とか、比較としておかしいだろ、というツッコミが予想される。

 そんな細かいことはツッコまんでよろしい。

 これは単なるイメージの話だ。

 人には夢が必要だ。都合のいい結果だけを想像していればいい。

 第一マンガンは無理をしてでも作るもの。ツモれる前提でリーチだ。

 

 それにピンフにツモがついたからって、なんなの?

 「リーチ」「ピンフ」「ツモ」で2700点だ。

 ここに裏とか一発とかオプション*6がつけば嬉しい。

 が、ピンフのみをリーチするときにそんな夢を描く人がいるのか?

 だいたいツモっておいて裏は乗らなくて、「裏が乗りやすい牌姿なのにクソが!」て気分になるでしょう?

 「俺のピンフには裏が乗らないんだ……」とかネガティブな気分になるでしょう?

 せっかくツモっておいて!

 出上がり2000点だったら、「ツモ裏まで期待していたのに出ちまったらしゃーねーな」て思うでしょう?

 人間ってのは強欲にできてるもんだ。

 

 つまるところ、人がピンフに抱いているイメージなんて、そんなものだってこと。

 

 

 

 じゃあ、ピンフドラ1だったらどうか?

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 これはもう、話が違ってくる。

 「リーチ」「ピンフ」「ドラ」「ツモ」で5200点だ。

 リーチした時点でツモる気満々になってる。

 出上がりだとしても、「裏」がのれば7700点だ。

 リーチした時点で3900点収入が確定で、そこから5200か? 7700か? 8000か? と夢が膨らむではないか。

 良形だから追っかけられても大丈夫。追っかけても大丈夫。リスキーな場面では黙ればいいだけだ。ダマの出上がりは2000点だから、最悪手を崩してオリるときも、そこまで未練タラタラにはならない。

 なんてメンタルにやさしい手なんでしょう!

 

 

 

 それがピンフドラドラまでいったら?

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 もう鉄リーだ。

 ツモり5200、出上がり7700、オプション次第でハネマンあるかも?

 こんなん押せ押せですわ。

 ある意味、リーチドラ3より素敵。リーチドラ3って、マンガン確定してるかわり、マンガン天井にがっつりかかってハネマンまでのブレイクスルーが期待できない。そこにはロマンがない。あがれなかったら悔しさに身悶えするし。

 麻雀界の出世頭。それがリーチドラドラ。ダマって3900じゃもったいなさすぎる。マンガン、いやそれ以上を目指して空に羽ばたく。めくり合い宇宙(そら)。

 

 

 

 てな具合にマンガンクラスの打点を基準にすると手のイメージが掴みやすい。

 愚形のリーチドラ1も同じこと。

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 リーチした時点では2600点でも、一発ツモでマンガンクラス。

 愚形ニンロクは勝負手って、誰が言い出したんでしょうね、名言だ。

 カンチャンだろうがペンチャンだろうが、マンガンチャンスを逃す手はない。即リーチだ。一巡目だけテンションが異様にあがる。一発消しをされるとしらける。

 愚形なので先制でなければ打ちにくい。特に親に追っかけるのはむつかしい。

 ところがこれがドラ2だったらどうなるか。冒頭で述べた愚形三色と同じ扱い。ツモってマンガンなら問題なくリーチ。

 世に溢れかえっている戦術書のどれを開いても良形テンパイならだいたい押しと書いてある。それなのに、「マンガンテンパイならだいたい押し」という内容は、なぜか別のところにもっと長い文章で記述されている。

 麻雀マンガンで回っている。マンガンあったらだいたいのことは許される。古事記にもそうある*7

 

 

 

 これで頻出のメンゼン手のイメージは網羅した。

 鳴き手もだいたいイメージだ。

 ホンイツ手とか、まちがいなくイメージでいい。ガンガン鳴いてプレッシャーかけていくと相手が対応してくれるので、こちらも対応しやすい。

 鳴き手でもマンガン大正義理論がすべて。

 マンガンになるなら片上がり上等、後付け上等だ。ドラがたくさんあるのにメンゼンではまとめきれない、なんてときはゴリ押しあるのみ。*8

 逆にマンガンないなら、捌き手は捌き手と割り切る。安くて構わない。和了率のみを重視する。他家のマンガンを阻止するという意味でマンガン大正義理論に則っていることに変わりはない。

 

 ただ、鳴き手をイメージでやるには間合い感覚というイメージも必要になってくる。

 鳴き手は相手の懐に飛び込むインファイト。敵が砲台に弾丸を詰め込んでいる最中を狙って竹槍で特攻するようなもの。

 しかし竹槍で装塡済みの長距離ミサイルと戦うのは分が悪い。戦うにしても単独ではなく複数名でかかりたい。

 このへんの感覚は丁寧に説明しはじめると長くなるので割愛。

 

 

 

 上記のイメージを応用すると牌効率も分かってくる。

 愚形三色、ピンフドラ1、リーチドラ1などのイメージから、ドラか役が必須だと分かる。

 

 ネマタ本2*9の29Pから引っ張ってきた牌姿を例に取る。

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 ドラは5pとする。

 平場で一巡目。他家は普通に字牌整理中。何切る。

 

 答えは7s切りとなっている。

 4mか8mが引ければ一気通貫の役が狙えるし、4pにドラがくっつけばピンフドラ1になる。

 現時点では「役」も「ドラ」もないから、それらを求めた。しごく真っ当だ。分かりやすい。

 

 じゃあドラが2sで他の条件は同じ――つまり、ドラをすでに1枚持っていて、メンツに組み込まれているとしたら?

 打9mとして4pと7sのくっつきテンパイを見るのが最速の手順だ。

 半分はピンフドラ1になり、もう半分は愚形2600点になる。

 

 逆に、ドラや役といった大正義マンガン神様を召喚するための鍵がないなら、割り切って安手に甘んじるか、オリる準備を兼ねた手作りをすること。

 

 

 

 防御するときは相手が大正義マンガンテンパイしていると思えばいい。

 自分がマンガン信者であるなら、今の自分の手がマンガンと勝負できる手か、勝負の場に間に合う状態か、分かろうというもの。特に他家の鳴き手がマンガンを狙った仕掛けである場合、ピンとくることが多い。自分と同じ鳴き方だから分かるはず。

 自分のマンガンは原動力となるロマン

 他家のマンガンは切実なリアル。

 リアルは強い。

 

 

 

 こうしてイメージで掴むと、判断が早くなる。

 マンガンというプラスイメージができあがっていれば追っかけリーチも怖くない。

 追っかけられるのも怖くはなくなる。(言い過ぎ)

 めくり合いに負けても戦術にミスがないならメンタルは傷つかない。

 そしてイメージというあやふやなものだからこそ、セオリーが覆る場面で柔軟に対応できる。

 

 でも一番の恩恵は他にある。

 それは自制心がつくこと。

「自分はいつどこからでもマンガンをあがれる」と思えればしめたもの。心に余裕が生まれて無茶はしなくなる。リーチを受けて愚形残りのイーシャンテンで前に出るなんて愚行もしなくなる。全員と8000点あけられていても平場だと見なせれば上々だ。

 

 戦術書を読んでセオリーを覚えても、結局のところセオリーを遵守できるかどうかは人の性格による。

 押してはいけないと知性で分かっていながら、ついつい過剰に押してしまい、覚えた知識を活かせないまま負け、メンタルが崩れる。

 メンタルがやられると、ほんの少しツイていないだけの事象を過剰にネガティブに捉えてしまう。

 ピンフドラ1をテンパイしても「スライドしてタンヤオがつく、スライドして赤ドラを組み込める」といった理由でリーチを見送り、牽制されていない他家の手を自由に進めさせ、結局他家の勝負手と正面衝突することになる。そしてその後の点数移動によっては、「あそこで即リーして3900でいいからあがっていれば、逆転の条件が断然ユルくなっていたのに」と思うこととなる。

 ラス目であることを理由に無茶な押しをして、数理の摂理に従い大敗する。

 メンタルはブレイクし、ドツボにハマる。

 

 戦術書の知識を正しく運用するためには、最終的には意識を切り替えないといけない。

 しかし意識なんて、そうそう変わるものではない。

 バカは死ななきゃなおらないというのは本当だ。他人が諭してくれてもそれを受け入れられない。愚かしいと知りつつも己の感情を優先してしまう。

 イメージはそのバカを化かす特効薬だ。

 イメージは他人の命令ではない。説教でもない。敵でもない。まるで自分が発案したもののように素直に受け止められる。

 それでいて説得力がある。本に書いていたからという理由では実行できなくても、イメージとして捉えている戦術なら実行できる。イメージはまだ実現していないことをあたかもすでに実現したことがあるように感じさせる。

 ジョジョ風にいうなら「頭ではなく心で理解」すること。

 知識は頭に働きかけるが、心に働きかけるのはイメージだ。

 

 

 

 というわけで、キミも大正義マンガン神様を信仰しよう。

 難しい話ではない。ピンフドラ1やピンフドラドラ、愚形ニンロクといった手を迷わずリーチし、日頃の行いを思い返しながらマンガンおいでませと心で呟く。

 それだけだ。

 

 

 

*1:『麻雀 傑作「何切る」300選』 G・ウザク (著), 福地 誠 (編集)

*2:『絶対にラスを引かない麻雀 〜ラス回避35の技術〜』平澤 元気(著)

*3:『よくわかる麻雀の勝ち方 〜牌効率から読みまで極める30の技術〜』平澤 元気(著)

*4:『日本一麻雀が強いサラリーマン必勝法』 かにマジン (著)

*5:『現代麻雀押し引きの教科書』 福地 誠 (著)

*6:偶発役と書いてオプションとルビをふる。ツモ、一発、裏ドラのこと。

*7:ウソである。念のため。

*8:ドラ3で役はハイテイのみとかも。成就したとき自分に酔う。

*9:『もっと勝つための現代麻雀技術論 実戦編』 ネマタ (著), 福地 誠 (編集)

2017-01-01

[]結月ゆかりっていいよね

 

 あけましておめでとうございます。

 

 昨年は結月ゆかりにはまっていました。

 それまでボーカロイドの楽曲なんて興味も引かれなかったし、少し聴いてみても高音がキツすぎて好みに合わなかったり、また、オリジナルテイストが強すぎたり、アマチュア臭が気になったりするのではないかと敬遠していました。

 が、きっかけはもう覚えていないのですが、結月ゆかりすげー、ボカロすげーとなって、よく聴くようになりました。

 

 というわけで、去年から探し始めた結月ゆかりソングの中で「こいつはとびきり自分の好みとマッチした」てな曲を紹介します。

 

 ニコニコ動画マイリス数、再生回数が多いもの、はてなブックマークブクマが多くつけられているものから探しているので掘り出し物はありませんが、新たな結月ゆかりファンの道しるべになればと、書く気がある今のうちに書こうと思います。

 

 

 

●夢魅鳥

 

D

 

 

 azumaさんが作詞作曲した原曲2015年5月1日に公開されました。

 そして神調教師タカオカミズキさんが結月ゆかりを担当し、ハイキックPさんがPVを作製した作品がMMD杯で受賞されました。

 結月ゆかりオリジナルソング筆頭といった立ち位置でしょうか。

 

 

 

●幸せになれる隠しコマンドがあるらしい

 

D

 

 

 うたたPさんのオリジナルソング。

 

 結月ゆかりはボーカロイドだけでなくトークロイドもこなせ、ゲーム実況でも活躍しています。

 そんな喋りに秀でる側面を活用した一曲です。

 トークロイドとしての落ち着いた声でも耳が幸せになれます。

 

 

 

●チュルリラ・チュルリラ・ダッダッダ!

 

D

 

 

 和田たけあき(くらげP)さんの曲。

 癖になる癖のある歌。イラストもばっちりはまってる。

 

 

 

●ベース奏者による嗜好回路

D

 

 

 ヤヅキ激おこPさんの一曲。

 11月11はベースの日なのだとかで、ベースとドラムだけ(+結月ゆかり)という構成で公開されました。

 めちゃくちゃ格好いい。

 

 

 

 

 

 ここからはカバー曲の紹介。

 

 

Spica

 

D

 

 

 海外のボカロPの、 darkninjavn2011さんによるカバ ー 。

 いや原曲聴いたことないんですけど、うますぎて聞き惚れました。

 

 

 

●告 白

 

D

 

 

 supercellのカバー。

 タカオカミズキさんの神調教のせいで他では聴けない結月ゆかりボイスに仕上がっています。

 他にも結月ゆかりとIAで歌うカラフルとか圧倒的な出来映えの作品多数。

 

 

 

●恋する季節

 

D

 

 

 ナオト・インティライミの楽曲をアカペラでカバーしたもの。

 そもそも原曲がいいですし、アカペラ付加価値がつきますし、結月ゆかりという価値まで付加されると逆らえません。

 

 

 

●もう少し…もう少し…

 

D

 

 

 ナチュラルPさんによる美鳥の日々のEDカバー。

 

 素人の自分にとっては、ボカロの癖の追求とかどうでもよくて、こういうのでいいんだよこういうので、といった感じです。

 

 

 

 

 

 他にもいろいろと聴いたのですが、譲れないと思った曲はこれですべてです。

 今年は隠れた名作を発掘できればいいなと。

 

 それでは皆様、今年もよいお年を。

 

 

 

2016-03-06

[]今更、第弐門の感想とか

 『修羅の門 第弐門』の最終刊を年末に読み、本作についていろいろと感慨深く思ったので、ここに綴る。

 その性質上、ネタバレしていくスタンスになる。あしからず。

 

 

 

 

 

 

 『修羅の門』は格闘漫画の古典だ。

 第一部では主人公である陸奥九十九が単身で実戦空手の総本山である神武官に挑み、完全勝利を収める。

 やたらめったら強い主人公が無双する典型的パターンだ。ラスボスの海堂に苦戦を強いられるので無双という語には語弊があるが、類型としては無双ものに数えるのが妥当だろう。

 

 第二部では日本最強をかけたトーナメントが開かれ、様々な流派と立ち会う。

 それぞれの流儀の特性を説きながら、それを上回る陸奥圓明流の強さが証明されていく。

 面白いのはラスボスが分家の不破圓明流である点。ほぼ同じ流儀ゆえに技ではなく人間の強さというか宿業が勝敗を決したという形か。

 

 第三部はボクシングの本場アメリカで、ヘヴィ級のリングに立ち、ボクシングルールの縛りの中で陸奥圓明流の最強を示す。ルールの制約があるだけでも面白いのに、ラスボスである王者アリオスと戦う舞台まで上り詰めるサクセスストーリーまで魅力的。

 アリオスが最終的にボクシングのルールを逸脱したダーティな戦術をとるのに対し、何でもありを信条とする陸奥の方がボクシングの師を気遣ってルールに則り戦う。熱い。

 

 第四部はヴァーリ・トゥード異種格闘技戦である点は第二部と同じだが、日本ではマイナーとされていた流儀が登場する。どのキャラクターも魅力的で、誰が勝つか読めないカードが多い。

 

 

 

 テンプレ的な第一部、異種格闘技戦をやり、なおかつ圓明流対決までやった第二部、ストーリー重視の第三部、キャラ重視の第四部と、格闘漫画の教科書にしたい構造がある。

 そして再開未定の形で連載は休止し、14年もの年月を経て、続編である『第弐門』が連載された。

 

 

 

 休載されていた14年の間に『修羅の門』は多くの人に読まれたはずだ。

 若い世代が格闘漫画に興味を持ち、次々と読んでいくうちに『修羅の門』に辿り着き、なるほどこれは名作だと褒め称えたであろう。

 特に第四部はブラジリアン柔術描写が魅力的だったし、すべての選手がイカしていた。続編にも同じ完成度を期待したことだろう。

 

 こうしてハードルが上げられたうえでの『第弐門』、その評価はといえば、連載されてから長らく「コレジャナイ感」が呟かれていたように記憶している。

 陸奥九十九は前田ケンシンと仕合ったが、死闘であったがゆえに勝敗を記憶していない。陸奥九十九にとって戦うということは己の最強を証明する行為であり、無敗でなければ意味がない。もし前田ケンシンに負けたのであれば、九十九はもう戦う必要がない。記憶喪失の九十九は勝利に執着できず、いっそ強敵にしっかりと敗北して再起したいとネガティブに考えている。それを指して「陸奥九十九は壊れている」といわれてきた。

 しかしこの事実が明かされるのは『第弐門』の終盤にさしかかってからであり、それまで読者にしてみれば九十九が壊れている状態とはつまるところどういうことなのか、まるで分からないままだった。

 物語において謎は原動力になるが、この「陸奥九十九は壊れている」という謎はむしろ読者を当惑させるばかりだった。

 

 『第弐門』のコミックスには毎度、著者のあとがきがあり、作中でどういったことを表現したかったのかがそこに綴られているため、読者が解釈を違えることもない。陸奥圓明流なる古武術は現代格闘技の粋を詰め込んだ総合格闘技の技術といかにして戦うのかといった試みが明記されている。こうなると、もう、逃れようもないくらい、作者の仕掛けの成否に注目が集まる。

 うまい仕掛けだったとはお世辞にも言えない。「やりたいことはわかるが、うーむ……」そんなところだ。

 

 極めつけは「発勁」の登場だ。

 発勁は重心の移動により大きな力を生み出す中国武術技法だ。平たくいえば効率よく体重を乗せる方法であり、実在する技法である。中国拳法の真髄はもっと他のところにあるのであって、発勁それ自体はわりと基礎的な技法とされる。

 しかし作中での発勁の扱いは、明らかに実在のそれとは別物だった。

 修羅の門という漫画は震動を叩き込む無空波かまいたちを利用する龍破といった技が登場するような漫画だから、発勁トンデモ理論に則った作者オリジナルの「発勁とよばれている技」であってもいいといえばいいのである。

 しかし第壱門から第弐門までの14年間の空白がハードルを上げてしまっていた。第四部のブラジリアン柔術描写が現実的だったために、いまさら発勁トンデモ理論で済まされるのは許されない。そんな雰囲気ができあがってしまっていたのである。

 

 このあたりになると惰性で読んでる人しかいなかったのではないかと思われる。

 しかし10巻のジム・ライアン戦辺りから何となくよくなり始め、九十九は壊れている云々の謎も明かされて、14巻で前田ケンシンとの仕合の回想が始まると、一気に持ち直した。トンデモ発勁にも慣れてテンション上がりっぱなし。(むしろこれはこれでいいぞ!)

 これが修羅の門だよ、俺たちはこれが読みたかったんだよ、と皆の顔に生気がみなぎってきたと記憶している。

 いまいち強く見えなかった姜子牙が「あれ? こいつ作中最強じゃね?」と思えるくらいになったところで陸奥が完全復活し、「敗北の二字はない」を、やっという。

 この展開ですべて許せてしまうのは、僕が甘い読者だからだろう。

 少なくとも『第弐門』はこれをやるためにあったのだ。

 

 

 

 その後の海堂晃戦は消化試合感が否めない。

 作者がコミックス巻末でノープランだったことを赤裸々に語っている。

 それ自体はいいと思う。

 ただ片山の株がちょっと落ちた感が、ファンには受けが悪かったんじゃないかなと。

 陸奥九十九の強さに張り合う強さが海堂晃にあると表現するためには、カマセも片山ぐらいのレベルが必要になるのは分かるし、片山当人は強くなるための動機に乏しいので物語的な意味合いで退場しがちになるのは避けられないのだが、ちょっともやもやした。

 

 

 

 なにはともあれ、格闘漫画の古典作品が昨年になってやっと完結したことに感慨深いものを覚える。自分がセコンドに着いていたらタオルを投げずにいられない、そんな状況から逆転勝利を飾る主人公が好きです。時代を超えて偉大なる大馬鹿者を続けた陸奥九十九に感謝したい。

 

 

 

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