2012年05月17日
■有給休暇が満足に取れない日本人に1円セールは伸びない
LCCの1円セールが売れ残る 日本人の生真面目すぎる性格
http://diamond.jp/articles/-/18621?page=2
1円であれば、たとえ当日行けなくなったとしても、損をするのはたったの1円である。ジェットスター・ジャパンの今回のキャンペーンでは手数料が200円かかったため、キャンセル時の実質的な費用負担は201円になるが、それでも微々たるもの。
ならばとりあえず座席を押さえてしまえばいいものを、生真面目にも期間中の自身の予定などを確認しているうちに、キャンペーン時間が終わってしまったようなのだ。オーストラリア人の感覚からすれば、日本人は馬鹿正直すぎるかもしれない。
確かに日本人はバカ正直なのかも知れない。でも、本質はちょっと違うような気がする。
バカ正直なんじゃなくて、100%絶対確実じゃないから売れなかったんだろう。
仕事を持ってるほとんどの日本人は「休みは自由に取れない」「休む予定だった日ですら仕事で潰される」と感じている。
つまり、高いお金を出してチケットを買い、不退転の決意で万全の準備をし、事前に有給休暇を申請してなお、旅行をキャンセルせざるを得なくなったことは枚挙に暇がない。そんな状況が日常である日本人に突然1円でチケットを売りますなんて言われても、ほぼそのチケットはキャンセルすることになるだろう。そんな分の悪い博打に201円は捨てられないと言うことだ。さらに、キャンセル代は旅費だけではすまない事も忘れてはならない。ホテルの宿泊代などもキャンセル代が請求される可能性がある。こうなるとおいそれとはチケットを買うわけにも行かないだろう。
万難を排し、無事休みが取れたとしても、その1円チケットを利用するまでに、何千円、何万円といったお金がかかるということも見過ごせない事実であろう。さらに、無事旅行に出かけられたとして、帰りはどうする?という問題が立ちはだかる。その辺まで見通して、100%安心安全、リスクゼロじゃないと日本人は飛びつかないのである。
2012年05月12日
■テレビ番組も「小分け」「旬のもの」「栄養価の高いもの」を
フジ12年ぶり昼ワイド「知りたがり!」早くも瀬戸際
http://news.livedoor.com/article/detail/6552549/
打倒「ミヤネ屋」(日本テレビ系)を合言葉に、12年ぶりに昼のワイドショー戦線に殴り込みをかけたが、視聴率は2〜3%台をウロウロ。
テレビ局っていうのはなんで同じ時間に同じような番組をやりたがるんだろうか…
…なんて、いまさらな疑問から入らざるを得ないほど、テレビ放送の環境が変わっているのに、相変わらず、いや、むしろ昔よりただひたすらひたすら守りに入っていくテレビ放送。
私はワイドショーはあまり見ないのだが、扱っている情報やネタに各局や各番組ごとの差はそれほど大きくない事ぐらいは分かっている。
ワイドショーが分かりやすい現象の一つであるというだけで、それ以外の番組もそうだ。テレビ局とテレビ番組がリンクしなくなっている。
芸能界についてはほとんど分からないのだが、一般的に耳にするのが「あの人は数字を持っている」という言い方。要するに、特定の人気芸能人や有名タレントを番組に出演させると視聴率が上がる、と言うことらしい。これもテレビ局とテレビ番組がリンクしなくなっている証拠だ。
つまり、○○テレビで放送する「××」という番組が面白いのではなく、何処のテレビ局で放送しても「××」という番組が面白い、ということ。なんかこう書くとあまりにも当たり前すぎてバカバカしささえ感じるのだが、このことをテレビ局が自覚しているのかな?と疑問に感じたりする。
一般のスーパーだってそうだろう。ヤマザキの食パン、カルビーのポテトチップス、キッコーマンのしょうゆ、ニッポンハムのソーセージなどなど。日本全国津々浦々で売っている。「○○スーパーで売っているヤマザキの食パン」が美味しい、なんていう人はいないだろう。評価の対象になるのはスーパーではなくメーカーである山崎パンだ。また、青森のりんご、千葉の落花生、長野のレタス、愛媛のみかん、広島のカキ、鹿児島のサツマイモなどは産地が評価される。ナショナルブランドの加工食品よりは幾分仕入れによる違いを出せるだろうからわずかではあるがスーパー自体も評価されるが、他店との差別化にはつながりにくい。そこで考えるのがプライベートブランドだ。セブンアンドアイの「セブンプレミアム」やイオンの「トップバリュ」などが挙げられる。こういった取り組みは何も食料品だけではない。衣料や薬、電器など多方面に見られる傾向である。もちろんこれらの業界内同士でも他社で売れたものがあれば、自社でも用意するのは当然のことであり、テレビ局は別だとはいえないだろう。
しかし、テレビ業界とは決定的に違う点がある。他の業界は大抵「後追いの方が良いものである」か「違いを明確にして差別化をはかる」かしているものであるが、テレビ番組に関して言えば「後追いの方が酷い」か「違いを出せずにパクリと言われる」かのどちらかである。そういう意味ではテレビ業界と言うのは他の産業のように「後追い有利」ではなく、情報産業のように「先行者有利」の世界なのかもしれない。
と、なれば、考え方を変える必要があろう。
スーパーの「98円」という価格設定のような「56分」「57分」「58分」始まりの番組に意味はない。よそがすぐに真似をするからだ。しかも、この発想が「他局より早く番組を始めればチャンネルを合わせてくれてその後も番組を見続けてくれるだろう」と、楽観的過ぎだ。さらに「番組枠拡大」とか「3時間スペシャル」とか言っちゃっていかにも豪華風に見せてるけど、時間枠拡大にあわせて内容が薄くなっていることは視聴者誰もが知っている。結局、番組制作にかかる経費削減にしか見えていない。スーパーの商品でも「簡易包装にしました」なんていうものがたくさんあるが、中身を薄めたり減らしたりしているわけではないのが、テレビ番組と違うところだ。
リモコンのボタン一つでチャンネルを切り替えられるようになってウン十年。今はインターネットでありとあらゆる動画が即楽しめる時代にすらなっている。そんな中、番組枠を拡大しちゃうと、次のチャンネル切り替えタイミングが減ってしまうのだ。つまり、視聴者をテレビ番組に呼び戻すチャンスが減ってしまうのだ。ゴールデンタイムに3時間番組なんてやったら、19時に視聴者を逃がしたら、22時まで絶対帰ってこないと思った方がいいということなのだ。
もう一つ、小売店が長らく取り組んでいることの一つに「小分け」がある。昔は家族も多かったし主婦もたくさんいたので、食材も大量に買って大量に消費することが出来た。でも、今は違う。独身の人や独居老人、共稼ぎ世帯が増えて一世帯あたりの人数はどんどん減っている。つまり、ちょっと割高でも小分けにした商品が求められているのだ。コンビニなどで一人分から買えるのもそういう市場が広がっているからなのだ。
これをテレビの世界に当てはめてみるとどうなるか。昔、テレビは一家に一台だった。つまり、一台のテレビをたくさんの人で見ていたことになる。これはスーパーで大量の食材を買って家族みんなで同じものを食べていた時代と同じことである。今はどうか。とっくの昔に一人一台を迎え、今はパソコンや携帯電話などもあるため、一人で複数のモニターを見る時代である。テレビだけに何時間も目を配る訳がないのだ。そんなところに2時間、3時間の大型番組を持ってきても「食べ残し」が発生するだけである。しかも「季節はずれのハウス栽培の野菜」のように内容が薄くなっているから、食べても食べても満足感がないのだ。
だらだらと時間を延ばすのではなく、昭和の頃のように30分や15分程度に「小分け」にし、一話完結にすることで「栄養価を高く」した上で、時節に合った「旬」を大事にしなければならないだろう。
動画を視聴する媒体としての電波とインターネットの違いと言うのは、スーパーやコンビニに対するAmazonや楽天の存在と同じなのだ。コンビニで売れない商品は1週間で姿を消すといわれている。一方、ネット企業は物量と最終消費者へのタイムリーさとダイレクトさで勝負をかける。YouTUBEやニコニコ動画は即時に視聴者の感想が書き込まれ、即時に視聴された数が分かる。さて、テレビ局とテレビ番組はどうか。
2012年05月05日
■性交渉、男性はリスク回避が難しく、女性はリスクゼロまで下げられる
セックスレスは日本の国民病? 明治大学文学部准教授・平山満紀
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120505/wlf12050507000000-n1.htm
性的に嫌な夫を拒めない妻が、意識的無意識的にねじれた表現をしていると推測できる。
これはセックスレスに限った話ではないだろう。
日本人が持つ過剰なまでのリスク回避精神の一つがセックスレスなのだ。
上の例についても、当時の夫婦関係は「離婚は恥ずべきこと」という大きなリスクが存在していたから、如何に離婚せずに夫を拒むかということに意識が傾いていったのであろう。
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120505/wlf12050507000000-n2.htm
女性に性的な主体性を認めない社会は少なくない。アフリカの広い範囲では女性器切除によって女性の感覚を破壊し、多くの社会で女性だけに貞操義務を求めたり活動の制限をするなどだ。これらの社会と比べると、女性が拒むことによるセックスレスが起きるのは、女性の苦痛がなくなっただけ良くなった社会だと言える。
セックスは男女がそれぞれ持つリスクとリターンの交換と言う意味が含まれるとても生々しい行為だ。
女性に性的な主体性を認めない社会が多いのは「女性に主体性を認めると生まれてきた子どもの男親が誰なのかが分からなくなるから」という男性が持つ根源的なリスクに行き着く。それを防ぐために男性は女性には貞淑であることをきつく求め、その代わり経済的リスクは男性が全面的に背負い、両者が負うリスクから回避できないように「離婚は恥ずべきこと」という社会規範で縛ってきたと言う流れがあると考えるのが自然であろう。
もっともその一方で男性は浮気をするものという、男性にとって都合のいい、女性にとって都合の悪い解釈を押し付けてきたことも事実であろう。
しかしこれは「女性に主体性を認めると生まれてきた子どもの男親が誰なのかが分からなくなるから」という男性が持つリスクを回避するための策である。よって、女性に貞淑であることを求める以上は男性も浮気をしてはならない、と言うことになる。
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120505/wlf12050507000000-n2.htm
女性が欲求してきたり、男性の欲求を拒むこともありうる。女性の性的快感は非常に多彩で複雑だが、男性はわかりにくい女性の快感のしくみにつきあわなければならなくなる。うまくやれなければ男性は女性から非難され、傷ついて自信をなくす可能性もある。
ところが、女性の主体性を認めると言うことになると話が変わってくる。
「女性に主体性を認めると生まれてきた子どもの男親が誰なのかが分からなくなるから」という男性が持つリスクを受け入れるばかりでなく、女性自身や生まれてくる子に対して、より良い肉体とより良い経済力を提供してくれる男性を探し続けるため、男性をとっかえひっかえし続けるということが発生する。「女性は選択する性」「女性の恋愛は上書き保存」というのもこのためであろう。かくして、女性の売り手市場が出来上がることになる。理論上、有限の存在である女性は男性を選り好みをすればするほど、女性自らの価値を無限に吊り上げることができるのだからどれだけ選り好みしても「どこかにもっといい人がいるに違いない」と感じ、いつまでたっても満足できないのはこういうことだからだろう。
一方、有限の経済力しか持ち得ない男性はどうなるか。
「女性に主体性を認めると生まれてきた子どもの男親が誰なのかが分からなくなるから」というリスクを受け入れざるを得ないのに、社会のルール上「浮気は禁止」のままだからリスク回避が出来ない。
もっとも、それでも女性は種族繁栄のための最大の生産行動であり、最大のリスクでもある「出産」をすることに変わりはないのであるが。
男性が女性を獲得する制度の一つに一夫一婦制と言うものがある。
本来、一夫一婦制と言う制度は有限の存在である女性の価値をむやみに吊り上げることなく、男性にできるだけ等しく分配するための制度である。これにより女性の「暴騰」とそれに伴う男性同士の争いを未然に防ぐ役割がある。
ところが、昨今の男性の主張はどうか。少子化対策の議論になると必ず出てくる言葉がある。
「一夫多妻制にしたらどうか」「金持ちの男性がたくさんの女性と結婚して子どもを作って育てればよいのではないか」「貧乏な男の遺伝子より金持ちの遺伝子を残すべき」
という意見である。
これは男性を一人の人間としてではなく、経済力に応じて女性を割り当てるべき、という視点に立つ論であり、ある意味合理的である。
「子どもは社会全体で育てていくべきであり、母親一人にその役割を背負わせてはならない」
という声にも適合しやすい制度だろう。
こういった論議は「リスクを背負ってでも子どもを作って育てよう」という、生産や創造に付きまとうリスクを受け入れようという生産性のある視点から語っているのでまだ救いがあるのだ。
ところが、セックスレスは「リスクを背負う位なら子どもなんていらない」というような生産性のない視点から語っているから救いがない。もちろん、セックスは子作りのためだけではないのは百も承知だ。
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120505/wlf12050507000000-n3.htm
他の先進国の多くでは性解放の後、男女は性的主体としてほとんど格闘のようにコミュニケーションを重ねている。自分の性的志向や相手に何を求めるか、語り合い確かめ合う。試行錯誤も多いが、充実した関係を求め続けている。日本では主体性が幸せなセックスを追求することでなく、拒むことにしか使われていないのは残念である。
自分の性的志向や相手に何を求めるか、語り合い確かめ合うことができない。相手の要求を聞き入れ、飲むことはリスクにつながるからだ。それがほんの些細なリスクであって、得られるリスクが多大なものになる可能性があるとしてもだ。
自分の性的志向を語ること。相手に求めたいこと。これを相手にさらすこと自体が男性にとってリスクなのだ。
なぜそうなるか。
女性が主体性を持った以上、女性には主体的にセックスを拒否することが出来るし、受け入れることもできるようになった。セックスと言う行為そのものの主導権を女性が握ったのだから当然である。
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120505/wlf12050507000000-n2.htm
うまくやれなければ男性は女性から非難され、傷ついて自信をなくす可能性もある。男性は射精すれば欲望はひとまず解消するが、女性は続けることができるので、男性はその欲望に応えきれなくなるかもしれない。このような状況を招かないために、男性たちは女性の性的な主体性を奪ってきたといえる。
結果、こうなった。やる前から分かっていた話だ。
セックスを受け入れるか拒否するかの主導権を女性が持っているにもかかわらず、女性が持つ欲望に応えられなかったら悪いのは男性だと言う判定を下される。主導権を握ると言うことは、相手の弱さや不備も受け入れることが必要なのだが、出産と言う最大のリスクを伴う「選択する性」たる女性はリスクを徹底的に回避するのは当然のことなのである。
男性からは「だったら女性から誘え」という声が出てくるのも当然の結果なのだが、せっかく握った主導権を女性が手放すはずがない。主導権を手放すリスクを負うぐらいならセックスなんてしなくて良い、と言うことになるのが女性の判断なのだ。
セックスレスを解消したかったら、主導権は男性に戻すしかないのである。出産と言う最大のリスクを伴わない男性のほうがリスクを背負いやすいのだから。
2012年04月18日
■「流通させない権利」に抗う日本人
「ガラパゴスリモコン」の終焉〜ブルーレイディスクレコーダーはそもそもアメリカで売ってない - 新清士
http://blogos.com/article/36824/
一方で、アメリカのブルーレイディスクレコーダーのボタンはどうなっているのか、気になっている方も多いと思う。実は、ブルーレイディスクに書き出して、自分のものとして保存するという文化そのものがアメリカにはない。そのため、そもそもそうした製品がない。
この手の話は、MOが普及し始まったときも言われたし、CD-Rが普及し始まったときも言われてたし、DVDレコーダーが普及し始まったときも言われてた。こんな話は今に始まった話ではない。
20世紀末にはすでに「日本だけの現象」「文化の違い」なんていう風に言われていた。
MOが売れるのは日本だけ。CD-Rが売れるのは日本だけ。DVDレコーダーが売れるのは日本だけ。
とにかく「記録媒体やレコーダーが売れるのは日本だけ」という話が何度も出ては消えていった。
映像コンテンツにしても、アメリカではケーブルテレビが普及していて、同じコンテンツを何度も何度も放送するから保存して手元においておく文化なんてないのだ、と。
手元に残す文化がないからオンデマンド配信に簡単に進化できた、とも言えるのではないだろうか。
ここにアメリカの合理性が加わり、動画配信はYouTUBE、Huluと普及してきたのではなかろうか。
インターネットラジオや音楽配信、電子書籍など、盛り上がりの差はあれ、かなりのインパクトをもって普及を始めた。
(最近電子書籍はちょっと怪しくなって来てる?)
ユーザーが、いつでもほしい番組を見ることができると保証されることに慣れ、コンテンツを手元に所有する必要性がないと考えるようになると、環境は激変するだろう。
この手の話はいろいろ議論が長引くんだけど、行き着くところはココ。
日本の場合、本にしてもCDにしてもビデオにしても、とにかくすぐに絶版、販売終了になる。
コンテンツ販売をする側に「流通させる権利」があるのは当然の話なのだが、これが「流通させない権利」に転じてしまうと消費者はどうしようもない。再販制度に守られているようなコンテンツまで流通しなくなってしまう現状から考えても「ユーザーが、いつでもほしい番組を見ることができると保証されること」なんて到底起こりえないだろう。
簡単操作で、コンテンツそのものが見ることができればいいや、という人にとっては、何年かで、必ず、ぶっ壊れる運命にあるハードディスクといった物理メディアを後生大事に持っている方がリスクへと変わる。
この感覚は日本人にはなじみにくいだろう。日本人はモノを大事にし、丁寧に扱う事を小さい頃から教わって大人になる。アメリカのなんでも使い捨てる文化には抵抗を感じる人も多いだろう。そしてもう一つ。日本は「わび・さび」の文化がある。古いものを大事にする文化だ。映像だって昔撮った8mmフィルムをVHSに、VHSをDVDに、DVDをブルーレイやHDDに、一生懸命丁寧にコンバートして保管している人も多いだろう。お気に入りの音楽だってレコード盤やテープをCD-Rに記録したり、MP3化したりしているだろう。
今流行のクラウド化だってそうだ。
DropboxやEvernoteは確かに便利だが、放り込んだデータをずっと任せておけると日本人は思うだろうか。クラウドサービスを提供している会社の寿命とブルーレイやDVDなどの媒体の寿命。どっちが長いと考えるだろうか。
インターネット検索の魁となったヤフーや帝国といわれたマイクロソフトですら、全盛期を過ぎた感は否めない。もちろんほとんどの人はこれらの企業の創生期を知る人は少ないだろうし、多くの人が知ることになるのは1995年以降のことだろう。それを考えると、一般的な人の感覚からすると、ヤフーやマイクロソフトはサービス開始してから20年たっていない、と考えてしまうのである。
なーんだ、CDより寿命が短いんだね、と思うだろう。レコードの方が長持ちだね、と思うかもしれないぐらいのものなのだ。
写真はその際たるものだ。
これだけデジカメが普及して、デジタル化の環境が整っているにもかかわらず、撮った写真をクラウドに預けて一安心、と思っている人はどのぐらいいるだろうか。プリントはしないまでもHDDや記録媒体に保存しているのではないだろうか。それもこれも子どもや孫に見せたい、と思える思い出の写真だからこそ手元に置いておきたいと思うのだ。
東日本大震災の津波で何もかも流された被災地でも、アルバムを掘り起こしては持ち主の元に返そうと言う動きが多数見られた。一見すると「こんなことがあるからこそクラウドだ」と思うかもしれない。しかし、これほどの大規模な震災が起こる確率と、クラウドサービスが存続できなくなる確率を考えてみよう。きっとクラウドサービスが存続できなくなる確率の方が高いはずだ。
「流通させない権利」をわざわざ他人にあげちゃうことはない。自分のことは自分でやる。これが日本の文化だと思う。
もっとも、リモコンがどうしようもない位ダメなのはすごく同意できる。おれに設計させろ、といいたくなるぐらい酷い。
2012年03月03日
■労働市場が流動化すると若者の就職離れが起きる
企業が女性を雇わないわけ
http://jyoshige.livedoor.biz/archives/5252336.html
(中略)
要するに、勤続年数に穴の空く女性を排除→出産の機会費用が高騰→少子化促進という流れだ。
これを避けるには、積み上げ式ではない職務給をベースとした流動的な労働市場に移行するしかない。
それなら、企業は女性を排除する理由は無くなるし、一度退職しても再就職のハードルも下がる。
労働環境や労働市場に冠するこの手の主張は基本的に正しいんだろうけど、その条件は「求人数が十分あって労働者の売り手市場になっていること」が前提だろう。求人が十分にないと「誰かが就職した分、誰かが失業する」のだ。求人数が求職者数を下回れば、労働市場はいすとりゲームになる。こうなると就職口と言う一度掴んだ椅子は手放したくないのが心情だ。なぜなら、次回のいすとりゲームは前回より厳しいからだ。かくして、労働市場の流動性は失われていくのだ。
経営層が移民を欲しがるのもこういうことだろう。労働者の売り手市場になると賃金が上がるばかりでなく、会社に定着もしなくなる。経営側はそれでは困るだろう。従業員が低賃金で会社にしがみついてもらわなければならないのだから。
一方、恋愛市場はどうなっているか。もうすでに「職務給をベースとした流動的な市場」になっているのではないだろうか。
若者の恋愛離れはネットやゲームなどの仮想現実の影響と大学教授
http://www.yukawanet.com/archives/4126564.html
森川教授によると最近の若者は恋愛があまりに難しく、いわゆるイケメンや美人しか成功しないのではないかと、勝手に思い込んでしまい、恋愛に対する意欲が薄れているのではないかと述べている。
思いこみもないことはないだろうが、イケメンや美人ではない大多数の一般人は上に書いた「労働市場のいすとりゲーム」と同じ状態に巻き込まれているのだ。
結婚相手に平均、平凡、平穏を求める三平女子や圏外婚が増加
http://www.news-postseven.com/archives/20120303_92336.html
彼女たちが求めているのは、安心と安定でした。平均的な年収で、平凡な外見で、平穏な性格、つまり“三平”の男性がいいという女性が増えているんです。
恋愛市場は求める相手に年齢や年収など一定の枠があるため、カップルが成立すればするほど座れる椅子が減っていく一方の市場である。つまり、求人倍率が1を超える事はほとんどなく、時間が経てば経つほど椅子が減っていく市場なのだ。
冒頭の記事で言っている「積み上げ式ではない職務給をベースとした流動的な労働市場」に現在の雇用情勢のまま移行した場合の事象そのものなのだ。
で、現実にはどうか。
男性の恋愛に対する意欲不足があたかも病気であるかのようなキャッチコピーが出ていますが、これになぞらえれば「皆さんは就職先がありますか?もしないとすればそれは病気です」ということになるだろう。
まぁ、キャッチコピーごときに目くじらを立ててもしょうがないのですが、恋愛に対する意欲不足が病気として見られてしまう事に違和感を感じるのはこういうことでしょう。「就職先がないのは努力不足なのか?いいえ、病気だからです。」で通るわけがない。
http://www.yukawanet.com/archives/4126564.html
挙句の果て、ネットやゲームなどのいわゆる仮想現実の世界に逃避し、現実と区別できなくなってしまっているのではないかと話す。コレは一種の病気ではないかと警鐘を鳴らしている。
区別がついていない奴なんてごくわずかでしょう。ほとんどの人は区別がついている。ガールフレンドがいる男性だってネットやゲームで遊ぶだろう。
でも、恋愛市場と言う現実の世界に椅子は余っていない。仮想の世界なら椅子が無限にあるから、椅子に座っている気分を気楽に味わう事ができる、と言う程度のことだろう。
しかし、現実は労働市場と同じように時が経てば経つほど椅子が減っていく。
一番有利な初回のいすとりゲームに敗れた男性が、2回目、3回目と回を重ねたら勝てるようになるだろうか。
相対基準でなく、絶対基準で採用すべし
http://www.newair.co.jp/services/human/mentore/method.html
優れた会社の多くは、絶対基準による採用を導入しています。未来を託す人材の採用に、決して妥協はしないという一貫した姿勢です。たとえ、採用予定人数に満たなくても、絶対基準に満たない人を採用することはありません。
まさにこれ。
恋愛市場で女性はこの感覚で男性を「採用」しているのです。
失業したり退職したりして稼げなくなった男性が「クビ」になるのもこういうことでしょう。
つまり、労働市場が流動化すると、恋愛市場と同じように就職版「草食男子」が現れるようになり、就職そのものに消極的になる人が増えるのである。そして、それはすでに存在する。ニートってやつだ。
逆に恋愛市場で男性から「処女信仰」「ビッチはダメ」な声が根強く聞こえたり、女性が求める条件提示を「上から目線」と感じる男性が多いのは「流動化」の否定なのだ。
流動化された恋愛市場の強者は、いすとりゲームで複数の椅子をゲットできる反面、弱者はより一層椅子獲得が困難になる。複数の椅子をゲットできた強者は労働市場にありがちな「お前の代わりはいくらでもいる」「嫌ならやめろ」という脅しに恋愛市場でも屈する事がなくなるのだ。これにより「上から目線」を排除し、自分の要求を突きつけることが出来るようになるのだ。でも、ここまで出来る人はほんの一握りだろう。大半の人はそこまで強く出られないだろう。
つまり、若者の恋愛離れ、晩婚化を食いとめようと思ったら「流動性を抑える」のが良いと言うことになる。
http://jyoshige.livedoor.biz/archives/5252336.html
たまに「女性が社会進出したから少子化になったのだ」という女っけの無さげな意見をいう人もいるが、そういうのは40年くらい前の保守派の意見で、女性の能力活用無くして経済成長はあり得ない。そもそも今さら戦前みたいな男尊女卑社会に戻れるわけないだろう。
その極端な例がこういう声だろうし、「処女信仰」「ビッチはダメ」という声につながっていくのだろう。
恋愛市場に関しては過当競争になってしまった結果の「恋愛離れ」であり、恋愛市場での競争を放棄したのが「草食男子」なのだろう。