延原時行歌集「命輝く」(第2182回)(ぶらり散歩ーユリやアガパンサスなど)

                         

        延原時行歌集「命輝く」(第2182回)
「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」(217−1)我が後をの歌、見しの歌、来る日毎の歌、源知るの歌、何とかなるさの歌、誠見事にの歌、英文新稿の歌、我が館復活の家の歌、驚きぬの歌、この頃はの歌、宇宙中心の歌、この時代の歌、良寛やの歌、時や未来の歌、アンセルム麗しの歌、昨晩やの歌、庭の草の歌、喜びやの歌、発見ほのかの歌、中にてのことの歌、かくもぞやの歌(2015年5月21日〜31日)。

    5月21日
              我が後をの歌七首

   「我が後を」良寛短歌思ふうち御友神学通底と知る(備考:5月19日、上越新幹線ときにて悟れり、大歓喜なり。これにてClaremont Conferenceのための新英文ペーパー”Divine Ecozoics and Whitehead’s Adventure or Resurrection Metaphysics in Tandem with Ryokan”の眼目成りたるなり。Divine Ecozoicsさらに一歩進みたり。旧稿"The Problem of the Two Ultimates and the Proposal of an Ecozoics of the Deity: In Dialogue with Thomas Berry and Sallie McFague"と"Vindicating"の内良寛論の所に御友論を繋げて展開すればDivine Ecozoicsの新展開可能と知りたるなり。それホ氏の言うReciprocal Relation Metaphysicsなり。”The great companion—the fellow-sufferer who understands”が宇宙主体なるなり)

   我が後を助け給へと頼む身は天上界に欣求せるなり

   この身がや元の誓ひの姿なる菩薩道へと良寛見しや

   この道や御友御父を見しやままその如く成れ勧めしすがた
(備考:マタイ5:48、熟読参照:「それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者とありなさい。」)

   かく見れば良寛の見し弥陀こそは御友なりけり如何に嬉しき

   米恩師「弥陀ぞ基督」言ひしことEcozoicsのぞや眼目となる
(備考:カブ著拙訳『対話を超えて:キリスト教と仏教の相互変革の天保』京都・行路社、1985年、220−228頁参照)

   かくてこそ交互関係成さしむる御友ヴィジョンや「元の誓ひ」ぞ

             見しの歌三首

   我妻や絶後笑み増し往くや見し我見しやこそ岸辺の御友

   妻や笑む絶後の姿なくば我いかで御友の御姿拝す

   人如何で絶後に笑むや尋ぬれば岸辺に御友ますや理 

             来る日毎の歌三首

   来る日毎見守りの御手在りてこそ成すべきを成す有難きかな

   我妻やたっぷりと夢出で来たり嬉し嬉しの昨日今日明日

   御友のぞ願ひやありて妹背共本作り往く嬉しや嬉し


          ♯               ♯


今朝も上の「5月21日」の歌に加えて、メルマガ「風の便り」の昨日の歌を収めます。このところますます豊かに、私たちにわかりやすく響いてくる「御友神学」の歌が詠われていきます。

            〇(6月23日)御友の歌五首

   人方の御顔に浮かぶ輝きを喜びつ我御友語りぬ
(備考:21日北新潟キリスト教会にての説教「復活のよろこび」喜びて)

   復活や主の御姿の妻笑みに顕れたるや御友歴々   (備考:2014年3月11日―13日延原信子前夜式告別式喜びて)

   生くるとは深き淵より共々に甦ること喜びてこそ   (備考:復唱)

   父よりぞ聴きし事をぞ告げてこそ友と呼びます御友麗し
   (備考:ヨハネ15・15)

   この宇宙御友在りてぞパスカルの「沈黙」実にも喜びや満つ(備考:パスカル「この無限の空間の永遠の沈黙は、私を恐れさせる」と言ひしも)


          〇(6月23日)何縁(よすが)かやの歌

   ここ五年良寛本と復活本二点ずつ我上梓見し何の摂理ぞ(備考:①『あなたにいちばん近い御方は誰ですかーー妻と学ぶ「ラザロとイエスの物語」』(東京・日本基督教団出版部、2011年;②『宇宙時代の良寛―ーエコ神学者トマス・ベリーと共に』(新潟・考古堂、2013年);③『宇宙時代の良寛再説――ホワイトヘッド風神学と共に』(新潟・考古堂、2014年);④『復活の省察 [上巻]ーー妻と歌う:生くるとは深き淵より共々に甦ること喜びてこそ』(新潟・考古堂、2014年)

   我妻の療養とぞや御国往き大事中にて書きに書きたり

   今思ふ仮にもしもや本作りなかリせば我何縁かや

   本出だし妻人生を刻みてや御友称へて我や生き抜く

   過日知る我が著作ぞやありてこそ御言葉語り傍注備ふ

   ことにぞや妻笑み増しの深き意味御友臨在あるや示すや

   本作る父さんやって妻言ひし御友の願ひ受けし嬉しや

   人生や伝ふることに在りとせば妻いのちもて御友称ふよ

   昨日やジュンク堂にや赴きて妻笑み増し本一隅に謝す

   一書をば手に取りて知るアンセルム友愛めでし神学びたる(備考:R. W. サザーン著・矢内義顕訳『カンタベリーのアンセルムスーー風景の中の肖像』東京・知泉書館、2015年、第II部第七章参照、ことに219頁:「友愛の尊厳はつぎの点にある。すなわち、自然界のあらゆる関係の中で、友愛だけが天国においても本質的に変ることのない持続的な存在を有するということである。他の身体的な属性はすべて、天国においてあらゆる地上的な尺度を超えて変化させられる。友愛だけが、本質的な変更をこうむらずに存続する。それは、三位一体の三位格が相互的に愛し合う、神の本性にまで浸入するのである。」)

   友愛や神本性に至るやは間に御友ありてこそなり






昨日は沖縄の慰霊の日でした。高校生の知念君が朗読した平和の詩「みるく世がやゆら」には特別の感銘をうけました。

映像の中に沖縄の美しい海と景色が映し出されて、蝉の声と姿も目に留まりました。もうすぐ神戸にも蝉の声が響き渡ります。

ぶらり散歩で、昨日は綺麗なユリの花たちにであい、ぐんぐん大きくなるイチジクも見つけました。小さな公園の梅の実の熟し具合をながめ、地べたに落ちた梅ひとつポケットに入れて、我が家のテーブルにおいてパチリ・・・。

アガパンサスも日ごとに美しくなってきます。