延原時行歌集「命輝く」(第2321回)(ご近所ぶらり散歩)

              
  延原時行歌集「命輝く」(第2321回)

「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(241−9)切れ目なき笑み見事なりの歌、核無知極みされどの歌、変調やありの歌、一切真理の歌、ある日の歌、原爆撥無の歌、御友祈りの歌、ノーちゃんやの歌、復活本御友わざの歌、英文稿嬉しやの歌、校正楽しの歌、暖切らさずやの歌(2016年1月21日)。

    1月29日
          英文稿嬉しの歌四首

 一 英文稿Open Theologyにて閲読位No. 12と聴くや嬉しも
   (備考:My essay “Divine Ecozoics and Whitehead’s Adventure or Resurrection Metaphysics”世界的オンライン神学誌Open Theologyにて地球の学術人士の超人気論文と相成りたる由。ご閲読には、Googleにて「Tokiyuki Nobuhara」をクリック、最初の頁の論文をご閲読あれ:Top 20 Most Downloaded Articles中第12位なり)
 二 我が新著原爆教をそも撥無風が持てくる御友神学
   (備考:『良寛「風の歌」にちなんで――御友神学の省察』なり)
 三 先達やご新著献本頂きぬ回心論のイエス考究
   (備考:八木誠一『回心 イエスが見つけた泉へ』東京・ぷねうむ舎、2016年、なり。八木氏は、滝沢の「神人の接触第一義と第二義」を受け入れ、第一義(インマヌエルの原事実)がイエスの出現以前にキリスト教を超えて万人の許に成立しているものと見たうえにて、第二義すなわちこの原事実の覚ないし信は諸宗教(例えば、仏教とキリスト教)に現れたるものなりとの立場を、画期的な立論となすなり。ただし、八木氏の場合、もともと、統合論の哲学とフロント構造論を展開しているところがユニークなり。このことは、滝沢において、第一義と第二義に間の力動的関係にかんする説得的な立論がなきことと対比して、間を埋める宗教哲学的解法の提示が、新約学的場所論とも相まって、なされたるは特色なり。原事実と史的イエスだけの研究では、滝沢におけるごとく、純粋神人学はイエスにおける史的・具体的なものを一切その本来の内容とせず、という「間の関係」に見極めの欠如を残す所以なり。我が最近の御友神学の省察は、「間の関係」論なり。その点、八木氏のこのたびの「回心 イエスが見つけた泉へ」と軌を一になす如くなり)
 四 朝夢に我妻我と会食の準備励むや人方や笑む
   (備考:この夢、二人三脚の『復活の省察』中巻づくりに向かう意気示せり)

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今朝も上の歌(1月29日)に加えて、先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。

    2月24日
           春来るの歌三首

 一 弥生のや半ばに新著上梓とや聞きて心に春来る
 二 日ノ本や己が歴史の生地をばや良寛に見て出直さんかな
 三 原爆に煽られてぞや憲法か御友とともに法源仰ぐ

           具体的の歌八首

 一 具体的いふ事窮むいのちなりその果てや何滅して不滅
   (備考:これホ氏『過程と実在』末尾認識:"In this way, the insistent craving is justified--the insistent craving that zest for existence be refreshed by the ever-present, unfading importance of our immediate actions, which perish and yet live for evermore." [PR, 351])
 二 その間に風一陣や吹き来たり落ち葉ありけり良寛や詠む
   (備考:これ良寛の境地なり:焚くほどは風が持てくる落ち葉かな)
 三 我妻や絶後笑み増し不思議やも深き低みの底ぞ飛翔す
   (備考:復唱)
 四 岸辺にぞ御友悠然立ち給ふ誠滅して不滅いのちぞ
   (備考:ヨハネ福音書21章4節、熟読参照)
 五 我妻の絶後笑み増す見てや我如何にいのちや永久とぞや知る
 六 いのち永久なるがゆえにぞ「本作る父さんやって」声や響くや
   (備考:2014年2月13日北越病院での信子の言葉、御友の命法「わが羊を飼へ」(ヨハネ福音書21章15,16,17節)を受けしものなりとは、我が認識なり)
 七 日英の拙著拙論大賑わい絶後笑み増す汝なしになし
 八 「本作る父さんやって」言ひし妻誠言の葉実にも実にもや




昨日は76歳の誕生日、ちょっと贅沢にはたごやさんで夕食を・・・。ほろい気分で帰路、見上げると満月のお月さま・・・。


天地一枚、「切れ目のない世界」を延原先生ご夫妻の日々から学びながら、結核で若くして逝った父の病いをそのまま身に受けて小児結核のボクは「数カ月の命」といわれながら、不思議な不思議な年月を重ねて、この道に導かれて、いま76歳・・・。よき友、よき師、よき相方にであい・・・。感謝無限!   


本日の写真は、いつもの市場への行き帰りのぶらり散歩で目に留まった紅白の梅の花や鳥たち・・・





次の黄色い花は何と言うお花でしょう?