延原時行歌集「命輝く」(第2402回)(住宅の消火訓練など)

              
  延原時行歌集「命輝く」(第2402回)
  「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」
今朝も先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。


お詫び 本日はなぜか当方のメール受信の画面が不具合になっていて、先生の歌が開けていません、回復次第、UPさせていただきます。

追記 ただ今(10時半)不具合が解決して受信メールを開くことが出来ました。早速、まことに重要な「今日の歌」をUPさせていただきます。


    5月16日

           事四つの歌四首

 一 人がただ生くる事より死ぬ事で出来る事ぞや甦る事
 二 宇宙ただ生くる事より死ぬ事で出来る事もや甦る事
 三 それをしもシャルダン書けり『未来人』惑星ごとの復活のうた
   (備考:See Pierre Teilhard de Chardin, The Future of Man (New York & Evanston: Harper & Row, Publishers, 1964))
 四 熊本やまだまだ余震ありしもや復活胎動望めとやこそ


    神人一体(不可分不可同不可逆不思議)の歌十六首

 一 初めのや一体これぞ不可分ぞ神人不可分空の事なり
 二 空ありて神人一体成す事や夢原事実一丸とすな
 三 一丸に非ずして原事実「底」神人不可分即空リアリティ
   (備考:滝沢に取りては、原事実より内奥の次元なきなり。我に取りて、神人の「あいだ」すなわち「一体」神人一体の原事実と滝沢の呼ぶものの内奥なり。それなくしてやここに論ずる一切の発展の動態発動せず。滝沢『純粋神人学序説――物と人と』(福岡・創言者、1988年)、274頁、熟読参照)
 四 リアリティ決して神の属性に非ずしてこそ無自性と言ふ
   (備考:私見によれば、滝沢先生は「インマヌエルの原事実論」なる秀逸なる哲学を発表されしも、最後に「絶対不可逆説」でもって一切を神の属性視されしにより、この日本に出でし大形而上学を台無しになされたりとは、我が無念の観点なり。我が恩師批判は、故に、この無念の思ひに発するなり。我が滝沢修正は、ホ氏の熟読と相まっての努力なり)
 五 無自性に神人共に至誠なりかくて現る空即縁起
   (備考:縁起論、現れがなぜ出づるかの仏教空哲学の生起論なり。我ホ氏の冒険論と対比すべしとの観点有するなり:"In this supreme Adventure, the Reality which the Adventure transmutes into its Unity of Appearance, requires the real occasions of the advancing world each claiming its due share of attention.” [AI, 295] この宇宙冒険論、単純なるキリスト教神学の創造論より、仏教の空即縁起論に即応す、とは我が観点なり)
 六 無自性に否応なくぞ至誠なるこれ原至誠とぞ言ふべきやこそ
 七 かくなれば神人共に原至誠ありてこれにぞ自覚の至誠
   (備考:空への存在論的なる「原至誠」を想定せずして、態度論的自覚的「至誠」を論ずること能はず。神が暴君であらざる所以のものは、いつにかかって「原至誠」にあるべし。キリスト教神学この点我が「至誠心の神学」出づるまで、神が信頼するに足るや否や(whether God is trustworthy or not)の設問に関して不正確なる議論にかまけたるなり。『至誠心の神学――東西融合文明論の試み』(京都・行路社、1997年)、参照。なお、人にも「原至誠」ありとすること、人の不信仰の根拠なき事を言ふ「ロマ書」の記述(2・1、3・4)に徴しても正当至極なり。「弁解なし」(anapologetos)の根拠、我に言はしむれば、「原至誠」にあるなり)
 八 しかれども神至誠をぞ自覚すも人無明にてそこぞ不可同
   (備考:無明とは、原至誠を身に否応なく帯びたる人がそれを自覚せぬことにあるなり。人による自らの尊厳の無視・蔑み、これ無明なり。キリスト教神学の「total depravity/全面的堕落原罪説」より緻密精確なり)
 九 しかれども神無至誠を憐みて至誠なれよと御友や告ぐや
   (備考:マタイ5・48、熟読参照)
 十 御友こそ不可逆愛の御方ぞ神よりなべて見て「友よ」とぞ
   (備考:ヨハネ15・15、熟読参照。恩師「絶対不可逆説」を「一体の神属性視」により提唱されし故、御友神学に想到なさることなきなり。不可逆とは愛の事なり。哲学論の事にあらざるなり)
 十一 至誠なき我らに至誠なれとぞや招きて「友と」呼び給ふなり
 十二 かくしてや天(空)の御国に招じ入れ飛翔の恵み賜ふや嬉し
   (備考:ヨハネ17・24、熟読参照)
 十三 我妻や絶後笑み増し不思議やも深き低みの底ぞ飛翔す
   (備考:復唱。我が復活形而上学は我妻の「絶後笑み増し」「切れ目なき笑み」に触発されしなり。如何に有り難きことぞ!)
 十四 御友はぞ御自らや飛翔して御父御運び神人一体
   (備考:これホ氏”its Unity of Appearance”と言へり。[AI, 295]我「共同復活」と訳したるなり。復活を主イエス・キリストの事としてのみ見做す人は、復活知らぬなり、とは我が観点、またホ氏の観点なり。自らが復活の地に立つ人以外誰が主の復活を見得るものや?)
 十五 かくてぞや神人一体即不可分今ぞ現成一体と化す 
   (備考:これ、キリスト教信仰のみならず、人類史を含む宇宙歴史の意義なり、目的なり。そう取らぬ人は、宇宙的ニヒリズムから逃れ得ることなし)
 十六 御恵みや尊しこそぞ称へよや不可分不可同不可逆不思議
   (備考:ここに詠ひし如く、「不可分不可同不可逆」を恩師のごとく同一の存在論的平面の事態にして「一息」に理解すべき事柄とは認めず、存在論的・態度論的自覚的・恩寵論的なる発展事態と我認識す。かかるものとして人類史を含む宇宙史を包摂するなり)








上の写真は、住宅の花壇に咲く花たちです。 

昨日は、年に一度の消火訓練の日で、集会室で消防局の方のお話や映像をみたあとに、ひろばに出て、みんなで消火訓練をいたしました。

数カ月前に、私たちの団地で火災があり、からだの不自由な方の死亡事故がおこったばかりでした。真剣な訓練でした。ひごろから気をつけねばなりません。



昨日、午後から兵庫県庁前にある神戸栄光教会において、年に一度の教区総会が開かれて、出かけてきました。

すこし早めについたので、県庁の前の庭を、しばらくぶらり散策しましたので、その写真と共に、数枚収めておきます。21年前の神戸の大震災で、神戸のシンボルともいわれるこの教会が倒壊してしまいましたが、いまこうして元の姿によみがえり、市民を慰める場所の一つになっています。