延原時行歌集「命輝く」(第2617回)(さんさん花壇、そして荒れ模様)

              
  延原時行歌集「命輝く」(第2617回)

  「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」
今朝も先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。

    12月23日

           朝からやの歌七首

 一 朝からや英三日三新春の刊行本を磨きにけりや
   (備考:いずれも目次はしがき確かむや。本文既に幾星霜の完成稿。されど日々推敲稿。途轍もなきやこれからの日々!)
 二 昼からや鰤大根や煮あがりて良き匂いせりさてどれ行くか
 三 昨日やインマヌエルを詠ひしや「共」と「友」との比例中高
   (備考:①「共」=「ロゴスは神と共なりき。」即ち、原初のインマヌエルなりき。『ヨハネ』1・1・第二項、熟読参照; ②これありてこそ、「太初のロゴス=『ヨハネ』1・1・第一項」、恩師言ふ「インマヌエルの原事実」、「共」根底に戴き初めて出現す;③「友」=『ヨハネ』1・1・第三項「ロゴスは神・theos (定冠詞hoの付かぬ神)=つまり、神の代理なりき」。①「共」は、②「原事実」を基点にして、③「友」と比例中項を成すなり。これ「インマヌエル」の全貌なり。恩師の「インマヌエルの原事実」は、比例中項の基点のみ指摘したる論述にして、原初のインマヌエルなる「共」も帰趨ない飛翔のインマヌエルなる「御友」も欠如したる段階の、粗野なるインマヌエルなり)
 四 午後にぞや妻の里から宅配の来たるとかいふ便りありたり
   (備考:げにも有難し)
 五 我やしもこの五月にぞローンのや完済やなる我が家可愛や
 六 なかなかに人方知らる事なきも妻御国にて粛然祝ひ
   (備考:我が哲学詩「創作用そも究極事性(さが)成すや無自性なるも大悲事(じ)に寄す」によって描きし「天地の事[存在者]」としての輝き、粛然なり)
 七 クリスマス我もサンタに成らむ哉ちと友方に笹団子でも


    12月23日―2

           基督者?の歌六

 一 我にとり祈らぬ人が基督者信じられざる虚妄話ぞ
 二 人生の裏側にてや事実のみ真となしつつ表なきとは
 三 今生の事実なるもの一夜にて甦りの日御友変ずや
 四 人生の表なるもの何あらむ御友と父へ祈り往くほか
 五 真の信何事なるや諭さるに人如何に往く道や難しや
 六 人の顔見るだけ見ても御友顔ある事なきやげに如何せん


    12月23日―3

           御友いませばの歌

 一 日に三度友方のため我祈る喜悦滾るや御友いませば
 二 いのちとは切れ目なき事或る日我深く諭さる我妻笑むや
   (備考:復唱)
 三 汝が笑みや生涯の際溢れてや絶後笑み増す御友いませば
   (備考:復唱)
 四 師走のや大火事むごし糸魚川主よ汝が御手を下し給へや





上の写真は、昨日午前中の「さんさん花壇」の美しく咲き続ける花たちです。

午後、そして夜も荒れ模様の風雨が続きました。

昨日の新潟・糸魚川の大火は、21年前の大地震で焼け野原になってしまったあの夜の恐怖と重なりました。

あれほどの大火になると、水不足など消火作業の困難も、あの時と同じです。

糸魚川」は、数年前、自動車に乗って神戸から石巻の仮説に向かう途中、通過した場所でもあって・・・

地震・雷・火事・・・」「事故・病気・・・」「生老病死・・・」昨日は、親しい友人から、ひさしぶりに、近況を記すメール便を頂きました。

そうしたなか、新しい朝毎に届けて頂く延原先生の<歌集「命輝く」:「復活家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」>は、大きな慰めと平安を告げられていて、朝一番の仕事として、このブログUPを続けさせて頂いています。

昨日は、賀川豊彦の最初期の作品(大正二年)恩師マヤス先生に捧げられた労作『基督伝論争史』を読むことができた一日でした。