延原時行歌集「命輝く」(第2731回)(ぶらり散歩―「観音山公園」)

              
  延原時行歌集「命輝く」(第2731回)

  「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」
今朝も先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。

    4月16日

         哲学喜びの歌十八首

 一 来る日毎本格的の哲学書『喜び』推敲嬉しや嬉し

 二 ここにはや十七年の哲講義見事再現彼の時や活く

 三 かくほどの共同思索ありてぞや学舎生きたり敬和只中

 四 面白き事はこれなりチャプレンの説教自戒哲学講義
   (備考:敬和学園大学にてや我二重職、チャプレンなしつ哲学教授:1991〜2008)

 五 御言葉を説教なしつ哲学の業や反省自己批判なり

 六 そこに時告ぐるや嬉し壇に立ち教室巡り思索友とす
   (備考:我が哲学講義教室中経廻りつつや友と思索討議す、楽し)

 七 チェンジのや時代根底省察す滝沢語録読む一書佳し
   (備考:『哲学の喜び――チェンジの時代に、根底を省察する滝沢語録を読む。』の中には、十七年の「哲学講義」の濃密なる時間、我が学生たちへの質問、彼らの若やいだ思索感動、そののちの我が学会活動よりの補充思索、なべて集めて一書となりき)

 八 今やこれ上梓せんとす何たるの感動世にぞ伝へんとすや

 九 滝沢の原事実論組み換へぬ「原事実はや『新現在』産む」

 十 これこそや我の創りし新しき哲学原理嬉し嬉しや

 十一 三つのや存在論的証明や我や了解「神」「人」「間」
   (備考:即ち神と人間と「間」の弁証法的関係、の存在論的証明なり)

 十二 而してやデカルト哲学神証明了とぞせしや恩師抗すも

 十三 人に就き実存本質先んずも神に就きては真逆ぞ誠

 十四 此処に在り「ロゴス神とぞ共神性」原受肉せる実存秘義ぞ
   (備考:『ヨハネ』1・1・第二項に記されたる「ロゴス神とぞ共」神性(pros ton theon)、インマヌエルの原義なり。これ、原受肉したる姿や「太初のロゴス」(第一項)なり。太初のロゴス、実存の底なり、この底の底、即ち「インマヌエルの原受肉」なり)

 十五 原受肉実存秘義にあるなれど実存本質先んずや
   (備考:実存面にてや、実存本質に先んずべしなり。されど、神に於いては神性極なる父子に先んずるなり)

 十六 「哲学の喜び」言ふは根底ぞ実存支へ実存価値へ
   (備考:根底ぞ実存支へ、「新しき現在」にて価値創造す。これ我が哲学原理にして、その最先端に「喜び」あるべし)

 十七 在りてぞや考へぬなしそれ故に/げに我思ふ/故に我在り
   (備考:デカルト、初めの五七五省きて、後の七七のみにて人口に膾炙せるも、これ不十分なり。存在して考へる事なき人はなし、これ原初の生のありのままなり。デカルトが「我思ふ」と哲学者として言ふ時、人生の反省の局面を代表なせるなり。この局面にて「我思ふ」と言ふ時、事実の局面「存在して考へる事なき人はなし」に反省遡及せるなり。然る故に、「故に」と言ひつつ、反省遡及の意思を明示しつつ、「我在り」と言へるなり:Cogito, ergo sum.意義これなり。

 十八 デカルトの気付きや凄しこれ在りて考ふが故「我在り」とせり





上は、昨日の「さんさん花壇」と「一番町公園」です。昨日も好天気に誘われて「ぶらり散歩」に・・・・久しぶりに「観音山公園」へ・・・

まずその途中の景色を・・・・

ここからが「観音山公園」です。ほとんど人気のない公園です。「観音山」は小高い丘のような場所で、ここの桜はいくつもの古木が目につきます。歴史を刻んだ桜の満開はまた格別の風情があります。

丘の上の広場から高取山を見上げて・・・ここから見下ろすと長田高校のグランドがあって・・・

散歩から戻れば、熊本の知り合いから宅配便が届きました。この季節になると毎年、朝掘り出されたタケノコが贈られてきます。すぐに頂けるようにしてあって、早速夕餉の食卓へ・・・たけのこご飯も最高です。食後に早速御礼の御電話を・・・

さて、本日は「イースター」! 「復活祭」です! すべてのひとにとって、来る朝毎に毎日がイースターです。このごろ近くの市場でも「イースター」の特売があったりいたします。