延原時行歌集「命輝く」(第2774回)(ぶらり散歩―カラスの巣と花たちと)

              
  延原時行歌集「命輝く」(第2774回)
  「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」

今朝も先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。

    5月29日

            飛翔や解の歌十四首

 一 この度や「何ぞ我を」の問ひこそや原受肉(原栄)ほか答へなき知る
   (備考:この度や=「父聴かる秋(とき)」の歌以来なり。『ヨハネ』17・5、熟読参照:「父よ、世が造られる前に、わたしがみそばで持っていた栄光で、今み前に私を輝かせて下さい。」)

 二 いのちのや変貌ありて新しき認識ぞなる「何ぞ」と「飛翔」
   (備考:「何ぞ」のところから、「飛翔」のところへ、いのち変貌したるなり。これそもそも、『ヨハネ』1・1・第二項「神共」、同第一項「太初」への原受肉(いのちの変貌一)にて用意されたるものなり。いのち変貌一を父より聴きて、なべて「友よ」と告ぐる御友神学御友道、いのち変貌二なり。最後に、絶後に笑み増し「深き低みの底飛翔」に御友と共に与り往く事、これいのち変貌三にして、今日の歌にて解明したるなり。思ふに、いのち今生には非ざるなり。いのちは、「神共」の「原事実」への内住なる「原受肉」の変貌一(ホワイトヘッドの言ふ”in” the world [Dialogues of ANW, 366]; 西田の言ふ「内在的超越」)あり、次に、「原受肉」を父より聴きて、なべて「友よ」と告ぐる「御友神学/御友道」の変貌二、第三に、「深き低みの底飛翔」に御友と共に与る、変貌三に窮まるなり。知るべし。いのち変貌の三相を知らずして、ただ現存の社会・教会に依存する在り方、我社会教と呼ぶなり。そこには今生主義しかなきなり)

 三 「何ぞ」とや訊きて答や飛翔なりいのち変貌かくも動的

 四 「何ぞ」とや訊くところにやなき答深き低みの底飛翔まま

 五 我妻や絶後笑み増し不思議やも深き低みの底ぞ飛翔す
   (備考:復唱)

 六 妻に見し絶後笑み増し原受肉飛翔御友と享けたるやこそ

 七 絶後にや深き低みの底飛翔ありてぞ叫ぶ「何ぞ」と御友

 八 「何ぞ」とや御友叫べる設問ぞ答満々底飛翔燦

 九 十字架の「何ぞ」誠や設問ぞ深き低みの底飛翔「解」

 十 甦り誠しかとぞ答へけり如何な「何ぞ」も笑み溢れつつ

 十一 十字架の底に隠れし原受肉「何ぞ」に答へ飛翔げに燦

 十二 原受肉あらば「何ぞ」と叫べるも御友笑み増し飛翔や解ぞ

 十三 原受肉受けて御友ぞ「友よ」とぞ汝呼びたまふ基教不思議ぞ

 十四 原受肉在るを知らずやイエス教「何ぞ」聴きてや絶望の底






昨日の日曜日は、男ばかりの「だんご三兄弟」の真ん中の兄(4歳年上)が変形膠芽腫のため81年の生涯を終えたという「訃報」を受けました。

故郷の長兄(7歳年上)と電話で連絡をとりながら、わたしはきのういちにち、兄からもらった多くの書簡と写真などに目を通して過ごしました。

高校を卒業後、苦学をしながら弁護士になり、東京のど真ん中で尊い仕事をほぼ50年・・・最近は体調の変化もあって、事務所を自宅に移していました。

ながいあいだ「東京鳥取県人会」のお仲間にも加わり、特に晩年は相方にも恵まれて、満足の一生のようでした。お墓のある東京・観音院でお通夜と葬儀が執り行われるようです。

本日の写真は、昨日午後のぶらり散歩で撮った道端の花たちです。

大きなクスノキに立派なカラスの巣があって、二羽の若鳥が巣立ちの時を迎えていました。