延原時行歌集「命輝く」(第2966回)(神戸二日目の朝)

 延原時行歌集「命輝く」(第2966回)
 「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」

神戸に戻り二日目の朝です。やはり住み慣れた我が家が落ち着きます。お風呂にもゆったりと・・・。上の写真は、ベランダから望む昨日の須磨アルプスに沈む夕陽です。
今朝も先生からの「朝の歌」が届きました。有難うございます。


○(3月25日)

    深き低みの底ぞ飛翔すの御友世界の歌十首

     (* 鳥飼先生 3/24, 2018 21:42)

 一 恩師のや「神表現」の地から天向くためにぞや空神至誠

 二 空に神至誠ありてぞ神人に至誠喚ぶなり逆理の調べ

 三 それを師や「神表現」の基本論述べて熱烈希望満つると

   (備考:滝沢克己『純粋神人学序説』273頁、熟読参照)

 四 ここはぞや「神表現」や急角度深き低みの底飛翔なせ

 五 されどもや恩師の世界「原事実」その底までは言及ぞなし

 六 問題やイエス束縛嫌ひてや「太初」に向かふロゴス論かな

   (備考:『純粋神人学序説』272頁、熟読参照)

 七 「神共」に根差してこそや「太初」にぞ光内住豊かにや喚ぶ

 八 我妻や絶後笑み増し不思議やも深き低みの底ぞ飛翔す

   (備考:復唱)

 九 低みのや底ぞ飛翔す言へてこそ御友世界の慰めや満つ

 十 汝が笑みや生涯の際溢れてや絶後いや増す御友いませば

   (備考:復唱)

IXIA! 延原時行

(* 鳥飼師 3/24, 2018 8:07 PM:「今日も有難うございます。久しぶりの神戸です。家内は午前中、いつもの診察をしていただいてお薬をいただいている診療所へ行って用事を済ませましたが、私はさっそく市場への買い物もかねてぶらり散歩をして写真を撮り、早速今日のブログに収めました。ブログには未掲載の2月末日までの歌を収めさせていただきました。明日は、明日の歌と共に、3月1日から10日までをUPしたいと思います。2月7日から神戸を離れましたので、書類やメール便などがたまり、だいたいの処理をすませたところです。娘の一人暮らしはまだ少々心配でもありますが、電話をかけてきた声を聴く限り大丈夫でしょう。御友に見守られながら娘の日常が戻っていくことを祈っています。やはり自分の仕事場に戻ると私自身もうんと落ち着きます。有難うございます。御礼かたがたご報
告まで。
IXIA!!た 鳥飼慶陽」)


予告しましたように、先生から頂いている3月1日から10日までの未掲載の歌を、ここに纏めて収めさせていただきます。


〇(3月1日)
       やるだけが人生か賢者一案の歌十首 
        (* 鳥飼先生 2/28, 2018 21:33)

 一 春来たる機動的なる行動やとりて外泊リハビリやあり

 二 我もまた学会誌のや査読にて大急ぎのや作業終へたり

 三 それもぞや社会の回転ありてこそ命進むややるほかぞなし

 四 ほかにもや急ぐ仕事のありてこそ急がぬ御方尻たたかねば

 五 かく思ふだけではしかし動かぬや人の心やよく注意せよ

 六 さてもさて如何な結末在らむかな沈思黙考光萌すや

 七 どこかでや線引きなすや仕方なしいや待て暫し賢者一案

 八 此処に在り恩師御書簡書き残し「神表現」の規定麗し

   (備考:拙著『平安ありて平和なる』、158-160頁、参照)

 九 この規定我が至誠心の神学の力動承けて「創作用」と化す

   (備考:滝沢克己『純粋神人学序説』、272-275頁、参照)

 十 「神表現」ホ氏最晩年の「共創」(Co-creation)といかに酷似かげにも燦たる
   (備考:See Dialogues of ANW, 366: “In so far as man partakes of this creative process does he partake of the divine, of God, and that participation is his immortality, reducing the question of whether his individuality survives death of the body to the estate of an irrelevancy.His true destiny as co-creator in the universe is his dignity and his grandeur.” = 滝沢克己『純粋神人学序説』273頁:「純粋に神人学的に考える人間は、したがって、自分自身を一つの存在者として知っている。この存在者は一方では、絶対的に偶然的であり、あらゆる歴史的形態を持った規定から自由であり、他方ではしかし、何よりもまず、そのようなもろもろの規定とは比較にならないほど厳しい、唯一の神の規定、すなわち人間は,まさしくはじめから終りまで、このような偶然的な存在者として自分自身の生涯において生ける神ご自身を表現すべきであるという、唯一の神の規定の下に立っているのである。このようなものとして人間は、たとえ苛酷な歴史的状況にあっても、絶えず希望に満ちている。」)
IXIA! 延原時行

(* 鳥飼師 2/28, 2018 6:00 PM:「今日も有難うございます。今晩は「爆弾低気圧」で名古屋も大荒れの予報が出ていますが、昼間はぽかぽか陽気で、娘のリハビりもしっかり外歩きをしたり昼間のお風呂もあったり、忙しくしていました。週末にははじめての自宅に戻る外泊が予定され、娘からは、病院から自宅までタクシーで帰るのではなく、病院の近くの地下鉄に乗り、途中下車をして昼食をとり、そこから市バスに乗って自宅に帰る、という案を考えているようで・・・本人がそういうことも可能であるというのであれば、それにチャレンジしてみるのもいいのでは・・・などと語り合いました。いよいよ明日から新しい月に進みます。
御礼かたがたご報告まで。
IXIA!! 鳥飼慶陽」)

○(2日)新しき形而上学の時代の歌六
     (* 鳥飼先生 3/1, 2018 21:18)

 一 創作用そも究極事性(さが)成すや無自性なるに大悲事に寄す
   (備考:これ、わが短歌神学の、自分で言ふのも可笑しいが、会心作なり。ホ氏が創作用(Creativity=Creative-activity)、これを、「創造性」と静態的に訳すのは、プロセス学会で通弊になりたるが、我は「創作用」と動態的に訳すなり。その動態的なるCreative-activityは、ホ氏によれば、他方、究極者の事なのだ。これが、ホワイトヘッドの学問、形而上学の驚くべき資質なるなり。この事拙著『平安ありて平和なるー―ホワイトヘッドの平和論、西田哲学、わが短歌神学日記』(新潟・考古堂、2017)軌を一にして討論一致せり。痛快感動なりき。あとがき所収のカブ教授との往復書簡I, II, IIIの「創作用に関する討論」は今世紀におけるプロセス学の最大の成果の一つと言はれおるなり。それに続けて、昨日記したる、我が滝沢教授とホ氏との間の「神表現」と「共創」(Co-creation)の思想的一致は驚くべき思想的成果なる如し。これ、我が近刊『哲学の喜び―ーチェンジの時代に、根底を省察する滝沢語録を読む。』の巻末謝辞を飾る「滝沢哲学の最後の光明――原事実から根源的本質規定のダイナミズムへ、ホワイトヘッドとの協働無限」の結論は、恐らく多大の議論を呼ばむ)

 二 滝沢の「神表現」や「原事実」偶有に隠されたるも至誠論突く

 三 至誠論「空神至誠」神人に「至誠心をぞ惹起なす」とや

 四 この論や滝沢偶有ロゴスをば打てば響きの返り来て鳴る

 五 鳴るやこそ「神表現」の響きなりホ氏の「共創」手を取り合ひて

 六 これやこそ形而上学のや成果社会理論の実践非ず

IXIA! 延原時行

(* 鳥飼師 3/1, 2018 5:48 PM;「春の嵐で停電などありお店なども大変でした。昨年からかかわってきた「賀川豊彦著作選集」全5巻が完結し、今月22日には東京でお祝いの会が開かれることになりました。そこでひとことスピーチを頼まれていますが、今日は、昨年神戸で開催された賀川豊彦学会の公開講演「賀川豊彦と神戸―KAGAWA GALAXY」を軸にして、名古屋での生活を記念した新しい一本を生み出せないかと沈思黙考中です。御礼かたがたご報告まで。
IXIA!! 鳥飼慶陽」)

○(3日)形而上学の朝の歌十首
    (* 鳥飼先生 3/2, 2018 19:54)

 一 問題の結節点や滝沢の哲学内の「原受肉」にぞ

 二 これがぞや見得れば滝沢越えてぞや滝沢見ゆるホ氏共にぞや

 三 「原受肉」原事実のぞ底在りて「規定」発する其処なるやこそ

 四 弛緩する自我いい加減恐るべきこれ締めるはや形而上学

 五 形而上訓練自己に無きままに自我の放縦いかで締めんか

 六 例えばや我が会心の稿にぞや無数の下線入れし者あり

 七 幾日もかけて下線を消去せし我が学やこそ清々し朝

 八 我やしも『哲学喜び』巻末の謝辞書くやこそ全巻の朝

 九 「本作る父さんやって」言ひし妻どうもいよいよ活動期かな

 十 朝来る会心作のなかからも本作りのや態勢も共

IXIA! 延原時行

(* 鳥飼師 3/2, 2018 5:59 PM:「先日来の恐ろしい「雪の嵐」大変でしたでしょう。テレビでは自動車が数多く横転している様子が伝えられていました。当分まだ数日続くようですが、どうぞお大事にお過ごしくださいますように。そして、待っています小野寺先生の玉稿が早く届き、念願の大著の誕生が大きく進展しますようにお祈りしています。今日は午前から少し長めの面会になりましたが、明日は三か月余りぶりに自宅に戻れる日ということで、少々わくわく気分でした。あまり無理をしないで、病院からすぐにタクシーに乗って自宅に帰ることになりました。できれば週末に一泊して戻るようにして少しずつ体を慣らして、今月末ぐらいまで病院でリハビリを継続させてもらうような流れになるようです。後遺症がどの程度までのこるのかまだ正確な診断にはなっていませんが、元の体力を取り戻せるのには、まだまだ時間がかかりそうです。待ちつつ急ぎつつというところです。御礼かたがたご報告まで。
IXIA!! 鳥飼慶陽」)

○(4日)ともどもに一路邁進の歌八首
     (* 鳥飼先生 3/3, 2018 19:31)

 一 おめでとうございますげに生還や真砂さまいざ二度生まれかな

 二 我妻や三度生まれの本作り絶後笑み増し御友と飛翔

 三 命とは「神表現」と恩師言ふ一度二度三度げに無窮なり

 四 一度目や闇雲にぞや走れども倒れてまたも起つや嬉しも

 五 二度目のぞ人生リハビリ再度見る我が家嬉しも餃子囲みて

 六 妻は天我は地上にありとても「本作り」のや二人三脚

 七 朝来る会心作の中からや本作りのや態勢も共

 八 これにてや八十路の著者は妻と共「神表現」ぞ一路邁進

IXIA! 延原時行

(* 鳥飼師 3/3, 2018 6:17 PM:「今日も有難うございます。朝からコートも忘れるほどの日和に恵まれ、娘は午前中たっぷりとリハビりに打ち込んだあと、11時にタクシーに乗り自宅に帰ってきました。少々重いバッグも下げながら自宅の階段も自信ありげに三階まで苦も無く上がり、感謝のうちに大好きな餃子を三人で頂いて、午後は娘の行きつけのスーパーまで歩き、夕食の買い物をしてきて、台所に立って食事の準備をして、ただいまから、感謝の夕餉がはじまります。スーパーでは娘の大好物のイカの刺身もゲットして・・・。ワンルームマンションで三人暮らしは窮屈ですが、むかし六畳一間に家族四人で過ごした「中根アパート」の経験もありますから、「中根荘ごっこ」といった感じもして、なにもかもがありがたくおぼえさせられております。ありがとうございます。御礼かたがたご報告ま
で。
IXIA!! 鳥飼慶陽」)

○(5日)哲悦の極みの歌十首
    (* 鳥飼先生3/4, 2018 21:55)

 一 真砂さま自立の方向見へたるや父さん午睡安心のほど

 二 我やしも深き安心恩師のや御書簡読みてそぞろ笑みつつ

 三 何がどうなりたるや我知らざるも旧著陸続上昇中ぞ

 四 『対話論神学地平』久しぶり『プロセス神学』好事家ありや

   (備考:拙著『対話論神学の地平―ー私の巡礼のなかから』(横浜・春風社、2006年)、カブ=グリフィン著、拙訳『プロセス神学の展望―ー概論的解説』(東京・新教出版社、1978年、1993年)なり)

 五 ともかくも我がテーマのやこの時代生くる様あり有り難きかな

 六 新著のや『哲学喜び』只今や巻末謝辞を書き進む我

 七 恩師のや『神人学』に御書簡の発展知るや一驚喫す

 八 しかもぞや我が至誠学承けて成る「神表現」やホ氏と軌一つ

 九 誠にや学の道にや惚れ惚れと恩師感恩忘れじや我

 十 唯一のや神表現の規定にぞ起ちて希望に満つる師や燦

   (備考:滝沢克己『純粋神人学序説』(福岡・創言社、1988年)、273頁、参照。遂に「インマヌエルの原事実」超ゆる視点や「神表現」なるや! それ故にこそ、我、《原事実の「新しい現在」=「神表現」の産み出し》なり、これぞ哲悦の極みなり、と宣言す。それ正に、ホ氏の生涯最後の言葉に見合ふなり:”His true destiny as co-creator in the universe is his dignity and his grandeur.” [Dialogues of ANW, 366] )

IXIA! 延原時行

(* 鳥飼師 3/4, 2018 5:48 PM:「今日も新しい歌を有難うございます。昨日からの娘の一泊帰宅も無事午後には病院へ戻り、早速今日のリハビリに打ち込んでおりました。今月はあと三回の週末がありますので、今回のような外泊を重ねて日常の生活を取り戻す目標を立てているようです。家では誰よりもよく眠り、知らなかった市場を案内して食材を買い求めたり、今日は市バスを二つ乗り継いで、元気に帰っていきました。私は安心したのか長い午睡をして、夕餉を迎えています。今晩は丹波の娘と鳥取の兄貴に電話で報告しておこうと思っています。御礼かたがたご報告まで。

IXIA!! 鳥飼慶陽」)

○(6日)「神表現」の本番『序説』までの歌十七首
     (* 鳥飼先生 3/5, 2018 20:05)

 一 恐らくや高次脳機能の最たるや「空」「原受肉」含まれれむかな

 二 かくしてや堂々三点原理成す「原事実」「至誠」「神表現」

 三 恩師のや体系内に至誠心原理成すなし二軸や癒着

   (備考:これ滝沢の学問の欠陥なりき:原事実と根源的本質規定癒着したりき。それに痛棒与へしが、我が「至誠心の神学」ならむ)

 四 それをこそ明示せるもの我が原理至誠心のや神学これぞ

 五 空に神至誠なる事仏基のや根源関係解明なるや

 六 滝沢や仏基関係明示せぬ主要な論者我ぞ切り込む

 七 それまでは仏基如何の問題や滝沢解かず原事実基一

   (備考:『仏教とキリスト教』に於いてや久松禅学を取り上げ神人の第一義の接触(=原事実)を一切の宗教の根底と見て、一切の宗教を神人の第二義の接触とせし事による宗教間対話に道を拓きしも、「空と神」の問題解決には、進まざりき。その在り方を我「原事実基一」とは呼ぶなり)

 八 しかれども星野元豊切り込みぬ原事実の底空なるぞやと

   (備考:星野氏滝沢の『著作集7』に収めたる『仏教とキリスト教』(京都・法蔵館、昭和48年刊、460−461頁、参照)の「解説」中で単純なる原事実論を破り、その底に「総てを含む」「絶対無」「絶対空」ともいうべき真如海をもう一つ根柢において指摘なしたり。これ画期的なる業績なり。第一義の接触を「①自分自身の処にも、②そのままに現在する永遠の事実としても」認めつつ、第二義の接触はこの場合、「救済の行としてのイエス」あるいは機法一体[仏凡一体]を考える、と言ふ)

 九 これを承け仏基の問題至誠心神学により我解明す

   (備考:我が至誠心の神学三原理あり:①神空に至誠なり;②空は空自らを空ずるなり;③宇宙に於いて神は我ら被造物に至誠心を喚起なす事の出来、また現に喚起なす唯一の御方なり。③が「根源的本質規定」なる「神表現」に該当する事、重要なり)

 十 恩師はや御書簡にてや至誠学顧慮なさりてや前進す

 十一 「原事実」その絶対性矯めてぞや「神表現」の「規定」出づるや

 十二 かくみれば御書簡予行演習ぞ「神表現」の本番『序説』

   (備考:滝沢克己『純粋神人学序説』(福岡・創言社、1988年)272−275頁、参照)

 十三 人々は一驚せむも滝沢や仏基論にや手抜かりやあり

 十四 「第一義」星野説言ふ深み無し原事実のや底や見へざる

 十五 今やこそ「原受肉」とや我の言ふ「神共」「太初」逆接点ぞ

   (備考:『ヨハネ』1・1・第二項と第一項切り結ぶ点「原受肉」、受肉の前にあるなれど、深くも深し、原事実のや底。『序説』では恩師「原事実」とや「神表現」いとも軽みや二者共語る風!)

 十六 西田言ふ絶対矛盾自己同一正に一なる「神共」「太初」

 十七 この「一」や原事実のぞ底なるや真如海とや言ふべくやそも

IXIA! 延原時行

(* 鳥飼師 3/5, 2018 6:06 PM:「今日も有難うございます。名古屋は久しぶりの雨でしたので、昨日に続いてバスを乗り継いての往復でした。病院ではクモ膜下出血の後遺症のひとつに高次脳機能障害が残る可能性もあることを教えていただいて、早速今日は、名古屋市総合リハビリテーション病院での検査予約の手続きをはじめたりいたしました。順番待ちがずいぶん長いようですが、いっぽいっぽ手順を踏みながら、正確な診断をうけながら、仕事復帰のみちを探ることになります。御礼かたがたご報告まで。

IXIA!! 鳥飼慶陽」)

○(7日)イエスに倣ひての歌十三首
     (* 鳥飼先生 3/6, 2018 20:34)

 一 げに一歩イエスに学ぶ至誠心リハビリや是誠まことに

 二 それにせよ滝沢「神共」一度もや論及せざる何故「太初」のみ

 三 バルトから学びしままのイマヌエル「神人」関係「神言」でなし

 四 イマヌエル元の姿や《pros ton theon》御友神学歴然たるや

   (備考:『ヨハネ』1・1・第二項、熟読参照。これ、イエスの始めし「御友神学」にて御父に学び給ひし道なり:『ヨハネ』15・15「我もはや汝らを僕とは言はず。父から聴きたることなべて告げたれば、友よ、と言ふなり」)

 五 ここで我御友神学いふものや思ひてこそやイマヌエル知る

 六 この点に恩師の学やバルト亜流聖書思想に忠実ならず

 七 汝らの天の父のや全きやかくの如くに至誠なれかし

   (備考:『マタイ』5・48、熟読参照。天=真如海)

 八 主イエスはや天に至誠の父見てや至誠なれやと命じたるなり

   (備考:『マタイ』5・48。我が「至誠心の神学」この主イエスに従ひたるや)

 九 恩師はや御友神学露知らずバルト追随至誠心欠く

 十 かくなれば「神表現」の規定もや「天父の至誠」欠くる如くや

 十一 先ず神に至誠無くばや如何にして我ら至誠を学ぶ機ありや

 十二 かく見ればホ氏の「共創」優れるも「神表現」や神主義過剰

   (備考:神主義過剰とは、「神の神性(真如海)への至誠心」見えぬ故なり)

 十三 もしもぞや「天」の解釈「真如海」以てなせばや如何に至当か

   (備考:これ、滝沢の言ふ「教会の壁の外」の智慧に学ぶ聖書解釈にならむか。『純粋神人学序説』275頁に言ふ、「真にキリスト教的な言葉と直接に美しく共鳴し合う言葉」をここに聴くのではないか。「天」の形而上学的神学的含蓄、普通削いでいまいか。大体、「天」の神学的考察確立しておらぬ如し。「天にまします父」とは、(仏教で言ふ)「真如海に至誠なる父」の事なるべし。かく考へれば、恩師の言ふ「神表現」とは、「真如海に至誠なる父」を表現する「至誠なる人」の事なり。これ、イエスの教へし道なり)

IXIA! 延原時行

(* 鳥飼師 3/6, 2018 5:56 PM:「今日も有難うございます。穏かな日和でした午前中は買い物を兼ねたぶらり散歩で、早咲きの桜を目にしたり、お昼は自転車に乗って病院まで・・・。昨日から連絡を取っていた名古屋市総合リハビリテーション病院での4月の検査予約が可能になり、併せて今月末までの現在のリハビリ病院の退院日も、娘の誕生日が3月19日ですので、その日に合わせて少し退院を早めたいという娘の要望をお伝えしたりいたしました。希望がかなえれましたら、愈々退院して自宅での生活がはじまり、仕事復帰への願いを実現するための新しい日々となります。一歩一歩です。御礼かたがたご報告まで。
IXIA!! 鳥飼慶陽」)

○(8日)《pros》と父子両極の歌十首
      (* 鳥飼 3/7, 2018 23:27)

 一 面会や楽しきことや喫茶店親娘出合いて英気満々

 二 今日ひとつ恩師の追伸じっくりと拝読せんか楽し楽しも

 三 最晩年御書簡追伸主題はや「癒着回避」ぞロゴス論げに

 四 この書簡『平安ありて平和なる』掲載論評貴重なるかな

   (備考:拙著『平安ありて平和なるーーホワイトヘッドの平和論。西田哲学、わが短歌神学日記』(新潟・考古堂、2017年)XXVII(2016年6月23日)再読すの歌十四首の内第一首に御書簡大部なもの(1983年7月1日付)挿入したるに、最後の第13頁落としたるなり:「『将棋の哲学』の中では、「太初の言葉」は、事実存在する一々の駒・すべての駒に平等に直属する根源的普遍的本質規定のやうに述べられてゐますが、駒達の事実存在が、その意味の「言」から出てくるわけではない、両者の不可視のバックに両者を同時に成り立たしめてゐる真実の無的主体の在ることは云ふまでもありません。ヨハネ冒頭に「言が肉となった」といはれる言は、一々の駒の許に在る限りの、真実主体(永遠の御子)のことでせう。その肉のイエスは人間存在の根源的本質規定にtreuですが、それは、後者から前者が出る(後者によって前者が規定し尽される)といふことではないでせう。」)

 五 恩師もや「原事実」とや「神表現」癒着充分注意したるや

 六 それ故に御書簡「追伸」書かれたり「真実無的主体バックに」

 七 ただしかし「太初の言」論ずるの特徴越えて「神共」なくば

 八 「神共」のロゴスを述ぶる時にもや《pros》[共]と両極[父子]区別論要す

 九 絶対無なる主体なす《pros》[共]示すや父子至誠極

   (備考:『ヨハネ』1・1・第二項では、”ho logos een pros ton theon” (the Word was with God)と言ふセンテンスに於いて《pros》[共]が絶対無的主体にして、三位一体的空間=神性なり。その両極父子、神とロゴス、これに至誠なり)

 十 《pros》[共]がぞや父子至誠なる神性ぞ「太初」に入りて原受肉

IXIA! 延原時行

(* 鳥飼師 3/7, 2018 5:17 PM:「おかげさまでこの三か月あまりのあいだ、いちども風邪にもかからずに、元気で過ごすことができていました
が、今朝のぶらり散歩で、少し鼻かぜの気配・・・それで大事をとってしばし横になり、昼食をいただいて、すっかり元気になって・・・・チャリンコに乗って娘の面会に・・・1時間余りの時間をゆっくりと・・・。病院での生活から少しずつ日常の生活に戻っていく大事な時のようです。明日は雨のようですが、引き続いて外出許可をもらって、外歩きと喫茶店を楽しんでみたいと思っています。御礼かたがたご報告まで。

IXIA!! 鳥飼慶陽」)

○(9日)献ぐる歌の歌七首
    (* 鳥飼先生 3/8, 2018 21:48)

 一 さまざまな喜び企画人やあり我に一首の歌あり献ぐ

 二 この歌や喜びの歌我妻に献ぐる歌よ嬉し嬉しも

 三 我妻や絶後笑み増し不思議やも深き低みの底ぞ飛翔す

   (備考:復唱)

 四 あの夜やそっと棺(ひつぎ)を開け見れば口丸めてや我妻称名

   (備考:2014年3月12日熱誠の友鳥飼慶陽師司式の前夜式終へたる夜の出来事なり。妻のからだ死後硬直非ず。称名の丸き口御神誉めつつ笑み限りなし)

 五 人とはや絶後笑み増し御友とも底ぞ飛翔す天父御許へ

 六 御心を天父より受く朝夢や「我信子をぞ甦らせり」

   (備考:2014年5月20日早朝なり)

 七 底こそや恩師み教へ「原事実」下へ超ゆるもげに飛翔の燦

IXIA! 延原時行

(* 鳥飼師 3/8, 2018 5:53 PM:「今日も有難うございます。雨の一日でしたが、面会に傘をさしてゆっくりと安全運転で往復してきました。昨日に続き今日も許可を戴いて近くの喫茶店に外出の予定でしたが雨のため断念し、病院内の喫茶室などでおしゃべりをして元気な姿を見て帰ってきました。このところずっと新著『賀川豊彦と神戸――在家労働牧師の小さな実験』(仮題)の構想を練っていますが、我が家の大蔵省の内諾を得ることが出来ていませんので、今回も賀川関連の「出版助成」の申請を行うべく、いまじっくりと中身の吟味を重ねているところです。最新の論考を軸にこれまでの著書に未収録の論考を加えて一本にする楽しい時ですが、これもゆっくりとすすめていくつもりです。御礼かたがたご報告まで。
IXIA!! 鳥飼慶陽」)

○(10日)二人三脚ご挨拶の歌十首
     (* 鳥飼先生 3/9, 2018 21:20)

 一 記念の書出づることこそ目出度きや御神の愛溢る嬉しや

 二 春とはぞまだ言ひ難き越後のや冷気悔しも祝ひげに致さむ

   (備考:名古屋のご住所お知らせください)

 三 真砂さま発病にぞや我が歌を届けむものと三月や必死

 四 三か月大雪止む事相成らずベランダに積み励みしや我

 五 ご住所をゆっくり訊くはあとの事ままよ歌をと急ぎ作りし

 六 幸ひに我妻のげにせがみたる拙著完成間近きや春

 七 我妻や絶後笑み増し不思議やも深き低みの底ぞ飛翔す

   (備考:復唱)

 八 汝が笑みや生涯の際溢れてや絶後いや増す御友いませば

   (備考:復唱)

 九 「本作る父さんやって」妻の言ふ命の際の願ひ果たさむ

   (備考:2014年2月13日北越病院にて祖父江八紀ドクターの問「何したい」に答へたる妻の遺言なり)

 十 我にぞや天地に別れおるもぞや妻活発に二人三脚

IXIA! 延原時行

(* 鳥飼師 3/9. 2018 5:42 PM:「今日も有難うございます。朝は雷雨、そして一日中強風が続きました。自転車は少々危険を感じましたが、元気いっぱい往復してきました。娘の笑顔を見るのが私たちの一日の仕事になっています。鼻水を止める風邪薬を買ってきたりして、季節の変わり目に気を付けながら・・・新著づくりの方もほぼかたちが見えてきました。1968年春に新しい歩みをはじめて丁度今年は50年の節目になるようですので感謝の記録でもあります。御礼かたがたご報告まで。
IXIA!! 鳥飼慶陽」)