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延原時行著作集ブログ公開分

2016-05-04

ここまでの掲載記事一覧

    ここまでのこのブログにおける掲載記事一覧

1 「滝沢克己 新しい対話的世界」はしがき 2011.7.14
2 鳥飼「部落解放の基調―宗教と部落問題」 2011.7.26−9.10
3 鳥飼「滝沢克己と笠原初二―笠原遺稿集「なぜ親鸞なのか」を読む」 2011.9.11−18
4 滝沢克己先生から鳥飼宛に頂いた43通のお手紙 2011.9.19−21
5 鳥飼「滝沢克己「現代の医療と宗教―心身論をめぐって」について 2011.10.22−23
6 鳥飼「野の花・空の鳥―滝沢克己先生の思い出」への寄稿「しあわせな出合い」 2011.10.24
7 鳥飼「滝沢克己聖書入門―マタイ福音書講義」「月報1」への寄稿「思想の深さ広さ」
  2011.10.27
8 鳥飼「日本のキリスト教とKarl Barth生誕100年を迎えて」への寄稿「新しいバルト研究」
  201110.27
9 鳥飼「ブックレヴュー:浅見洋「西田哲学とキリスト教の対話」(思想のひろば」15号) 
  2011.10.28
10 鳥飼「自著余禄「賀川豊彦再発見―宗教と部落問題」(「思想のひろば」15号) 2011.10.30
11 鳥飼「書評:延原時行著「地球時代の政治神学―滝沢国家学とハタミ「文明の対話」学の
   可能性」2011.10.31
12 鳥飼「坂口博編「滝沢克己著作年譜」(1989年)のこと」 2011.11.1
13 滝沢克己著作の「序文」 2011.11.2−2012.1.12 (67回)
14 延原「滝澤哲学のアンセルムス的省察」 2012.1.13−2.3  (22回)
15 延原「哲学の喜び―チェンジの時代に、根底を示す滝沢語録を読む」 2012.2.4−3.12(38回)
16 延原「復活の省察―生きるとは深き淵よりともどもに甦ることのよろこびなり」2012.3.13
   −4.9(38回)
17 延原「称名キリスト教に向けてー称名は原風景の回想のただなかよりぞ立ちのぼるなり」
   2012.4.11−5.6
18 延原「わがチャップレンシ―論の夢―危機からの神学的省察」 2012.5.7−6.12
19 延原「良寛とトマス・ベリーと共に―今、21世紀の懺悔と回心、エコ生代深々と開幕す。」
   2012.6.13−6.29
20 延原「無→者」のためのプロセス神学ーボブ・メッスリーの「道案内」にちなんで」
   2012.6.30−7.12
21 延原「しるしの誕生とアナロギア神学の新機軸―クリスマスの喜びをめぐって」
   2012.7.13−8.3
22 延原「9・11とプロセス神学ー東西哲学の真実対話を求めて」2012・8・4−
23 延原「在家キリスト教のすすめ」 2012.8.19−9.9
24 延原「受肉の神学―救済論と形成論」 2012.9.25−2013.3.7
25 延原「BAMBINO再来―生活聖書を・生活を祭りに」 2013・3.10−8.18 (33回)
26 延原「キリスト教の批判的読みかえ・序説―暗喩の方法」2013.8.20−28 (9回)
27 延原「雄鹿再来・第一巻・2013・8・28」 2013.8.30
28 延原「雄鹿再来・第二巻・2013・10・16」 2013,10.16
29 延原「雄鹿再来・第三巻・2014・1・11」 2014.1.13−15
30 延原「雄鹿再来・第四巻・2014・1・18」 2014.1.19−23
31 延原「雄鹿再来・第五管・2014・3・28」 2014.3.28−4.1
32 延原「雄鹿再来・第六感・2014・4・15」 2014.4.21−28
33 延原「雄鹿再来・第七巻・2014・11・6」 2014.11.7−11

2014-11-11

延原時行著作集ブログ公開第20巻目『雄鹿再来・第七巻・2014年11月6日』(第5回)

            雄鹿再来:第七巻、2014年11月6日


                 雄鹿再来の歌

        何故に我善き師とぞ汝言ふや神ひとり他善きは無きなり
         (備考:マルコ福音書10章18節参照)

        これはぞやイエス御言葉「善き父に」向かふ方こそ主なる御子とぞ

        向ふ方我妻絶後笑み増しつ岸辺立つ主とまみへ往きたり

        向ふ方在りてこそなり天父への永久の命ぞ妻招きたり

        青年や一切所有に晦ませる主と共にぞや天父往く道

        人にはぞ笑みて「往く方」ありてこそ絶後驚愕妻物とせず
        (備考:「往く方」=往くべき方向、であると同時に、天父へ往く方[ヨハネ
        福音書1章1節第二項「神と共なる(pros ton theon)ロゴス」]、の意)


雄鹿:第七号、1965年11月24日
Deer, Vol. VII, November 24, 1965
  
                   
f:id:keiyousan:20141107113654j:image:medium

目 次:Table of Contents

機ヾ頭メッセージ:The Lead Message(第1回)
 友達づくり:Friends―Making

供\盒:Sermons
1.永遠の生命:Eternal Life(第1回)
2.恥と力:Shame and Power(第1回)
3.一日の苦労:The Day’s Own Truoble(第2回)
4.真理と歓びについて:On Truth and Joy(第2回)

掘,椶の詩たち:My Poems(第2回)
1.≪ああ ある日≫:Ah, One Day  2.≪コトバ≫:Words
3.≪ヒト≫:Humans         4.≪課題≫:Something to Do
5.≪そこから≫:From There     6.≪このごろ≫:These Days
7.≪ワン公≫:Dear Dog       8.≪私≫:Myself
9.≪心よ≫:My Dear Soul     
10.≪エジプト人画家ラガイ・ワニスさんのギャラリで≫:At the Egyptian Painter
Mr. Ragai Wanis’s Gallery
11.≪寸言≫:A Few Sayings      12.≪忘れない≫:I never forget it
13.≪嫌悪する≫:What I dislike   14.≪誘惑≫: Temptation      
15.≪ひとりの人≫: A man
16.≪いいな≫: It’s nice      17.≪かれ≫: He
18.≪車窓より≫: From the window of a train 19.≪畏友≫: My respected friend


検.┘奪札─ 礇ぅ瓠璽犬砲弔い討粒仆顱: (第3回)
Essay: A Memorandum on Images

后]席検バルト神学に於ける祈祷理解(第4回)
Thesis: The Understanding of Prayer in the Theology of Karl Barth
序文
第一章 発端
(一)バルトの祈祷批判
(二)祈祷の弁証法
第二章 祈祷のキリスト論
(一)北森氏のバルト批判
(二)バルト神学からの北森批判
(三)バルトの神観―神の子の従順
(四)祈祷が従順である
(五)聴聞者としての父―永遠の祈祷者としての子 
        

此,曚鵑笋 ハインリッヒ・オット著(第5回)
Translation: Heinrich Ott
「思惟と存在」:Denken und Sein 
マルティン・ハイデッガーの道と神学の道
 まえがき 第一章 緒言

編集後記: Postscript


    VI ほんやく: Translation

    ハインリッヒ・オット著: Heinrich Ott
    『思惟と存在−マルティン・ハイデッガーの道と神学の道』
  Denken und Sein: Der Weg Martin Heideggers und der Weg der Theologie

(前記 ここに訳出紹介するのは、Heinrich Ott, Denken und Sein, Der Weg Martin Heideggers und der Weg der Theologie,Evangelischer Verlag AG.Zollikonである。これは、神学のハイデッガー哲学との対話をこころざしている。
 わが国のようなキリスト教信仰にとっての異郷にあっては、神学者が先ず第一に志すべきことは、様々の土着の思想との対話でなければならない。また、われわれのような分裂した時代にあっては、思想と思想との対話は人間の生存にとって生命的に必要と思われる。
 神学がこの国でそのような努力をしたであろうか。また、しようとして居るであろうか。われわれは内村鑑三の著述と生涯、北森嘉蔵の「神の痛みの神学」などをその事例と見做すことも出来る。しかし、前者は非体系的混沌として今も創造の源としてわれわれに残されているものであり、後者は余りに固定した概念(「痛み」)による思弁的な体系として自ら土着への前進を拒んでいる。具体的な今日的前進が望まれているのである。
 われわれの神学的道が、この国に於ける、またこの時代に於ける「対話」として眼前にあることは、私は意識している。で、対話の仕方が問題となる。それこそ具体的に生きる人間の関心の的である。
 だが、今迄、神学は余りに神学校の牧師づくりの教材ではなかったか。神学教授がたまたま留学して来た彼の地の学が、直ちにこちらの講壇を征服するという図が一般ではなかったか。私はそれを嫌悪する。それは神学的ハシカを惹起しても、まじめで地道な思惟活動を生活のなかで促すことはなかった。
 ハシカでないまじめな神学的思惟活動はかえって神学にはシロウトの人たちがやって来たというのが真実のところなのである。それらはその人たちのやむにやまれぬ信仰の生命的な内的衝迫によるものである。滝沢克己『仏教徒キリスト教』、小田切信夫「キリスト論・ドイツへの旅」がそれである。
 たまたま行った留学先の学ではなく、こちらが主体的に選ぶのである――西欧の声も、私は、そこで、わが国とこの時代からの必要事として対話を志しているものを選ぼうと思う。そしてこの選ぶこと自体がすでに西欧の精神との一つの対話の始まりであることを願うのである。
 私はここに、オットの「思惟と存在」だけではなく、他に対話をこころざすものとして、クルト・リュティ「神と悪」(Kurt Luthi;Gott und das Bose,Zwingli Verlag Zurich)及び「近代絵画」(kurt Luth;Moderne Malere;Flamberg Verlag Zurich/Stuttgard,1965)を手許にしている。前者は、バルト神学とシェリング哲学の対話をこころざすものであって、大学時代に購入した。後者は、神学と芸術との対話をこころざしものであって、私はこれをドマムート先生に頂いて恐縮しまた感謝している。著者は先生の友人で、直接先生にこれを贈られたのであった。追って翻訳紹介し度い。
 私はこれらを読みながら、日本でのまた時代にあっての仕事を考えて行くのである。1965年11月20日)


    まえがき

 この書物は思惟者マルティン・ハイデッガーとの対話であろうとする。このようなことがわれわれの時代において神学にとり有益であること、然りむしろ必然的であることは、わたしには既に以前から明らかであった。従って当時わたしは、ルードルフ・ブルトマンの歴史概念についてのわたしの著書(1)の最後で書いたのであった。
(1) Geschichte und Heilsgeschichte in der Theologie Rudolf Bultmanns, Mohr/Siebeck,Tubingen 1955.
  ≪われわれの探索は生産的なブルトマン批判のための原野を拓こうとしたのだ。ここからさらに考え継がれるべき(思惟の)線は、多分、内在的批判についての既述の論究の道程によって下書きされていよう。つまり、ブルトマンに関して問わるべきことは、一、ブルトマン的分離に打ち勝っている総合的な、「有意義性」と「現世性Leiblichkeit」、「歴史」と「自然」を同時に包括するところの、歴史的に刻印されている現実概念について、二、ブルトマン的解釈学の限界を跳び越えてより包括的に、理解と歴史的存在の現在化aktulisierungとして解釈する解釈について、三、歴史的今の顕著な意味と同様、そのものとしての過去と未来のリアリティを量るところの、総合的な時間概念について、四、言語Spracheの元初的な本質について、である。ところで第四の点は、こうした存在論的意識が教会的実践から離れてではなく近接して在ることを示している。何故ならば実際ここでは、聖書と信仰告白、釈義と教義学、説教と祈祷に於いてすべての教会的=神学的実践の要素であるコトバが問題となっているからである。この第四の線を考えつめることが、特に新しいハイデッガーの仕事を何かその具体的な出発点へとつくりなしているのではないかと思われる。この思惟者は、人も知る如く、ブルトマンをその神学的思惟に於いて霊感したのであるが、しかし反面、われわれがたびたび確定することの出来るように、時には正にブルトマンの限界を打つ筈の人なのである。彼の仕事は、神学的に重大なパースペクチブのほとんど汲みつくし得ない充溢を含んでいる≫(202頁)。

 あの時ハイデッガーに関連して目論んだ意味をさらに考えつづけ、わたしの仕事の今迄の結果をこれに添えて提示するように、ここでは試みたのである。≪思惟≫、≪コトバ≫、≪世界≫についてのこの書物の三つの最後の組織的な節(パラグラフ)は、つきすすめればあの四つのプログラム的線の三つに相応するものである。時間の問題については、後期ハイデッガーの当該の詳細なテキストがないため、まだ意見を述べないで置こうと思う。

 勿論のことながらわたしはここでハイデッガーひとりにかかりきりになっていて、あの時のブルトマンとの対決折衝については、明白かつ論題的(テーマティッシュ)に遂行している訳ではない。何故というに、ブルトマンの歴史概念へのわたしのあの批判をザッハリッヒには撤回しようとは思わないとはいえ、(あるものはまだまだ厳密に言い表さねばならぬ)、その間に、わたしの尊敬する先生ブルトマンは、わたしがあの時試みたような批判の仕方でもってしては達せられるべくもない方だということを、洞察するを得たからである。あの時わたしは、歴史性というブルトマン的思惟箇条の生産的内在的批判によって≪非神話化≫の現存する結果を越えて出て来ようと目論んだのだった。つまり、補充と≪敷衍≫によって、ブルトマンに於いて用立てられた存在論的図式主義(シューマティズム)の≪改築≫を、である。この課題は今後共に残されている。何故ならば、歴史性の思惟=箇条をめぐって、今日、神学は展開していないからである。しかも尚、ブルトマンのもっとも固有の位置はこういった存在論的=形式的批判では達せられないのである。というのは、それは、究極的な、全ゆる形式的なるものを超越する思惟的=宗教的原=決断に依拠するからであって、それは終末論的=逆説的二元論として表記され得るのであり、疑いもなく律法と福音の二元論にその終局の根拠を有するものなのである。この原=決断はただ承認され得るだけであり、その還元不可能性に於いて評価され得る。人が自分自身を、ブルトマンと共に同じコムーニオー・サンクトールム(聖徒の交わり)にありながらも、ちがった委託(シゴト)から考えるにしても、である。人はブルトマンをハイデッガーからも反駁し得ない。せいぜい、ブルトマンはただ非常に限定された範囲に於いて合法的にハイデッガーに依存しているということが、指摘せられ得るのである。この指摘は、以下に於いて提出されなばならぬとわたしは信じる。けれどもこのことは、ブルトマンの神学的道(方法)の内的一貫性、価値、模範的純粋性の何事をも変えるものではない。

 ブルトマンが学派を形成し、彼自身つねに≪存在と時≫だけを引き合いに出している間に、今日多くのブルトマン神学の門下たちは、ハイデッガーのさらに新しい文献に親しみ、ブルトマンの神学をハイデッガーの意味に於ける≪反・形而上学≫神学として振り出そうとしている。しかし、ハイデッガーと共に≪形而上学の超克≫につき語り度いものがあるならば、彼はこの議論がハイデッガーによってなされているザッハリッヒな文脈をも見なければならない。わたしは以下に於いて、もしハイデッガーをほんとうに追い度いのなら、ハイデッガーの洞察力を自分たちの神学(すること)のためのより確かな背面掩護として確かめ度いとばかり思っている多くの者が承認せんとしているのとは、まったく(toto coele)異なった風に決定的な事柄が神学にとってうきたたしめられようということを、示し得たのではないかと望む次第である。

 この書物は、1957年から58年にかけての冬と1958年の夏にバーゼル大学の神学部でした講義から出て来たものである。わたしのその時のやり方に従ってここでもテーマは同じように二つのスタートを走り切ることになった、ひとつは歴史的な者(2章〜4章)を、もうひとつは組織的なもの(5章〜8章)を。或る種の繰り返し、同一のものに繰り返し立ち戻って来ることは、その際、避けられてはいない。このことはまた、ハイデッガーの思惟がいつも同一のものをめぐって循環することに依って、テーマそのものの本質に内在する。こうした理由から、仕事の一部だけを読んで、しかもどうにかこうにか全体の正確な像を獲ようなどということは、それ程可能だとも思えないのである。すべてがここでは互いに縺れている。だからわたしは親愛なる読者諸賢に対して必ずや全体を読んでいただくよう期待しなければならないのである。

 ハイデッガーと対話に入るためには、彼が本来、その全体に於いて意欲していることを見なければならない。彼の方法と著作の全体的解釈が必要なのである。(しかもわれわれはハイデッガーに於いては著しい度合いで唯一の方法と唯一の著作(シゴト)を提示されているのである!)もしわたしが包括的全体的にして同時に一般的或は広く承認されている(それは、明証であるから)ハイデッガー理解に簡単によりかかることが出来たなら、確かに課題ははるかにやさしいものであったろう。しかし、事情はそうではなかった。従ってわたしは、自身全体的解釈をこころみる以外、仕方がなかったのである。

 もっとも、マックス・ミュラーとヴァルター・シュルツによる卓越した寄与があることはある。彼らのうち後者(シュルツ)はハイデッガーの著作を観念論の伝統から、前者はこれに反して偉大な西欧の形而上学、特にスコラ学かた≪仕立て直し≫しようとこころみている。シュルツにとってハイデッガーの思惟は観念論的主観(体)性の絶頂であり包括である。ミュラーは≪存在論的差異≫というハイデッガー的概念に特別の重点を置き、その背後に、より水準の低い哲学(すること)によっていつもあまりにも軽々しく忘れられ、塞がれて来た、全ての偉大な形而上学の根本経験を認識するのである。−−という訳であるから、従ってハイデッガーと西洋の偉大な形而上学とは究極に於いては決して矛盾せず、ハイデッガー形而上学をその頽廃からその根源的な根本経験にまでもどすことに依って、もっとも美わしく修補されることになる訳である。−−こうして、どんなに多くのことがハイデッガーに関して言われても、シュルツとミュラーによって言われたよりも首尾よくまた的確に言われることはほとんどあるまい。それにもかかわらずわたしは、両方の解釈のうちのどちらか一方に簡単に同化したり、その上にまったく寄りかかったり、何か一方を他方に対して弁護してみたりすることに、心を決めかねるのである。ミュラーとシュルツの両者は、彼らが西欧の哲学史から抽出して来る一定の哲学的文脈(コンテクスト)の中でハイデッガーを解釈している。生産的な対話に至るため、わたしが予示し度いところの文脈――そして解釈の補助手段としてそのような文脈は確かに要用(いりよう)である。――とは、神学である。それも歴史的現象としてではなくキリスト教会の不断の課題と機能として理解された神学である。こうした関連に於いていまやわたしにはひとつの定まった形の解釈が特に有効であるように思われる。そしてわたしはミュラーとシュルツの試みに――この二人の博学な人物に多大の尊敬をはらいつつも――≪思惟の思惟≫についてのわたしの解釈様式を以てさらにつきすすめた試みを加えてみ度いのである。その様式自体は必ずしもまったく新しいものではない。わたしはそれをシュルツにも見出した。彼は折に触れて書いていた――ハイデッガーヘルダーリンに固着する、何故ならばハイデッガーヘルダーリンのなかに≪詩人詩人≫を見出したからである。一方ハイデッガーは≪思想家の思想家≫を証人として引き合いに出せない、何故ならばハイデッガーの前にはそれは未だ存在しないからである、と((2)Schulz,a,a,O.,S.218)。わたしはいまやこの様式(それは、ところで、ハイデッガーにもヘーゲルと彼自身に関して書いているところに見出されるのである。≪同一性と差異)38頁以下参照)を全体的解釈の重要点としたのであり、ハイデッガーをまったく思惟の≪運命性Geschickhaftigkeit≫から理解しようと試みたというのは、わたしにはこれは神学の特別な(不動にして現前(アクチュアル)の状況に関して特別に多望のものであると思えるからである。たまたまマックス・ミュラーは彼の解釈の主眼を≪存在Sein≫の概念に置いたのであるが、わたしは≪思惟Denken≫の概念で以て同じことをこころみる。その際≪思惟≫と≪存在≫がハイデッガーに於いては互いに切り離されるべきものでないということは、ハイデッガーをワン・ストロークだけ先へと実際追い上げているという事実にもかかわらず、依然争う余地のないところである。−−つまり、ここに提示せられた解釈の試みは、シュルツによるそれにもみゅらーによるそれにも≪矛盾≫しようとするものではない。実際のところ解釈というものは硬直した理論ではなく生きた対話の生起なのだから、種々様々の解釈が互いに並列して場所を持ち、お互いを諒解し合うことが出来るのである(このことは因みに聖書の釈義にもあてはまるのである!)。アクセントの置き方がちがうだけで、全体の眺望が時折もう一つあるのである。――

 かくてそれ故、わたしが彼らに神学者としてその縄張りに踏み込むということで、別段≪本職の≫哲学者たちが一般的に言ってわたしに対して悪感情を持たれるものではないであろう! わたしの情況(=神学)についてもちがった風ではない。−−他方、わたしがひとりの哲学的思想家の哲学的解釈に書物の大部分を差し向け、それに関連して持ちあがってくる神学的問い(すべての問いではなく、唯二三のものであるが)を正にそれに関連して初めて取り扱ったということを、神学者たちが悪く取られようとは思わない。わたしは、われわれ神学者が平常哲学者に対してしばしば好んでするように、その著作を簡単にカタログ化する代わりに、ひとつの定まった思想家に一度一途に傾聴し、わたしのなし得る限り共に・考え(ミット・デンケン)ながら彼を追跡することに骨を折ってみた、それというのも骨折に値すると思ったからである。その際、次のことがわたしにとって警告であった――つまり、神学者として、全く親密となり、また或は分明となってしまって、哲学者と余り掛かり合うことはするな、と。ハイデッガーの場合、彼が≪思惟の思惟者≫である以上、多分事情は実際のところいささか異なる。ともかく、わたしは、神学者のうちで、上述の意味に於いて普遍的になりがちの批判をする傾向のある人々には、ハイデッガーにかかわっている時、神学にとってどこで枷がはめられ乃至は実体的なものが喪われて行くのか、個々に亘って再検討していただくようにと、ただ単純に懇望し得るだけである。わたし自身としては、これに反して、≪思惟の思惟者≫にたずさわっている時、神学にひとつのレントゲン撮影が与えられ、それによって神学は枷から解放せられそして自己の実体の一部を新しい更に明るい光のなかで見るに至るということを、思い浮かべることができるのである。

 以上に於いて差し出されているハイデッガーの全体的解釈は彼の著作についての全体的展望ではない。だからして、ハイデッガーの重要文献が全部明確に斟酌されているのではなく、ただ二三の、解釈の展開のためのテキスト原料として特に有効であるとわたしに思われるものだけを選択したのである。ハイデッガーヘルダーリンとの対話は遺憾ながらただ触れられ得ただけである。((3)それについてはBeda Allemannの詳細且徹底的な労作≪Hoelderlin und Heidegger≫,Zurich 1955がある。)二次的文献については二三の例外はあるが(ディーム、レーヴィッド、ミュラー、シュルツ)、渉猟されていない。また解釈そのものも著作のすべての領域に亘っている訳ではない。わたしは、ハイデッガーの思想の多くをまだそのどの部分にまでも追跡することが出来ていないことを、はっきりと白状しなければならぬ(それには、例えば、≪聖なるものDas Heilige≫や≪差異Differenz≫のむずかしい概念が属する)。このことはまた、ハイデッガー途上にあり、またすべてを言ってしまったのではなく、また実際すべてを言うことがまだ出来ないということに依ることもあろう。

 大抵のハイデッガー描写とは反対に≪存在と時≫という書物はここではただ相対的に短く取り扱われる、即ちただ全体の著作に於けるその方法と位置とを顧慮することのなかで。そのことは、≪存在と時≫を過渡的段階として見る全体的解釈と連関している。こう言ったからとて、勿論、≪存在と時≫の実存論的分析もまたそれだけのために取上げられた時、多くの神学にとって本質的なパースペクティヴを含んでいるということに、異論を唱えるものではない。だが、これはひとつの特別の書物のテーマであろう。

 最後に。わたしはハイデッガーの紛らわしさのない語法を真似はしなかった。多分わたしは、多くの事柄を、≪ひとが≫、≪ハイデッガーに倣って≫いかにも本来≪言わなければならなかった≫のとはまったくちがって語った、ということのために、多くの非常に熱心なハイデッガーの熟練者(錬金術師)たちから非難されよう。でも、わたしはこの点に於いてハイデッガー自身がわたしの側につかれるものと希望している。彼はその最新の文献の最後のところで説明した――≪この、言語Spracheに由来する困難を見透す時、それは、言われたことを考え抜くというどんな努力も払わないで、いまの今試みられた思惟の言語がはやくもひとつの術語Terminologieに改鋳され、次の日には既に「隠居分」(austrag)にしてしまおうと語られるようになることからわれわれを護るのである。≫(Identitaet und Differenz,S.72)。

 さて、わたしは、ハイデッガー自身がここに神学から差し出された対話を対話として承認されることが出来るようにと、望むのみである。この対話ということには、彼自身が対話について次のように語ったことが相応しいであろう。≪友好的意識のある時、空は晴れる。これは反対意見を思い直させようとしないし、さればといって追従的な同意に甘んじるものでもない。思惟は事柄(ザッヘ)の風に対して詰開きのままhart am wind der Sache(強風を横に受けての航行――訳者)なのである。≫(Aus der Erfahrung des Denkens,S.11)。――

 終りに妻に感謝し度い。彼女は文献用意の際、また校正の際、助けて呉れた。そしてとりわけマルティン・ハイデッガーその人に感謝し度い。その思惟はほとんどここ10年わたしを息せかして来たのである。
              レマン湖畔プロイにて
                 1959年7月
                             ハインリヒ・オット



     第一章 緒言

       神学と哲学の出会いの枠内に於ける
       ハイデッガー的思惟の根本特徴

     A 対話

 神学と哲学とは、歴史が示す如く、単に不断のものであるばかりか必然的な対話に中に立っている。この永続的対話の枠内にこそ、同時代の思惟者マルティン・ハイデッガーを追=考するという、われわれの試みは属する。

 歴史的に見るとき、確かに本来のキリスト教神学一般は(成程その志向と即事的(ザッハリッヒ)必然性に従えばそうではないが、事実的には)キリスト教信仰がこの世の智慧と出会うということから生じている。

 こういうことが生起したのであるから、神学と哲学の関係を考察する際に、誤った単純化は自戒しなければならぬ。この関係の許し難い単純化としてとりわけ二領域の厳格すぎる分離が問題である。それは、先ずこれらを二つのまったく隔絶したものとしておき、それから初めてお互いを関係させようとする。キリスト教的なものがヨーロッパ人の意識のなかに入り込んでいる以上、また、キリスト教信仰の決裁、例えば、世界創造者としての神の概念とか、無からの創造creatio ex nihiloとしての世界の概念とかが、哲学的思惟の枠内に於いても真面目な思惟可能性として充分見做されるべきである以上、分離は事態に即さないものになっている。あの分離は、すくなくとも原則的には、一般的にいってもはや鋭くなされ得るものではない。

 意識的にまた厳密にキリストに於ける神の啓示に対する信仰に始まっている、古くして永遠的な哲学的諸問題へのひとつの考察が、他のどんな萌芽的な哲学的思惟も持っているのと同じ権利を以て哲学、つまり智慧への愛、≪この世の智慧≫という名を要求するのには相当しないなどということは、これもまたその理由を理解し得ないところである。

 だから神学と哲学の間の出会いは、神学の対象がひとつの可能的に哲学的な思惟内容であるのであるから、両方の側より見て不可避的なものになっている。つまり、もし神学者が哲学者に対して原則的に弁明を免れ得るものと考えているのならば、神学者は彼の事柄(ザッヘ)に誠実ではないのであり、同じことが、わたしの考えでは、哲学者にとっても神学者に対するその関係について言えるのである。一体このようなことは機械の相対的運転さながら、神学者の人格のなかで神学と哲学の一定の人格的合一にたびたび至るものである。その際、神学者は哲学者である自己自身にその神学的行為に関して弁明をするのである。

 この不可避的な出会いは、とりわけ、その由来のために時には哲学的問題性の深みへとつれ戻す哲学的概念を、神学者も自分の仕事のなかで使っているということに、顕われている。無論このことは、神学にとって一定の哲学的概念を使うことが本質必然的で義務的である、ということではない。−−確かに神学的思惟の厳密さ、学問性、基礎付け及び体系の連関はそのような概念を使うことを不可避的にしているように見えるとはいえ。にもかかわらず、哲学的概念の使用を終始一貫して断念して、例えば概念はすべて聖書そのものから取って来た、というような厳密な神学でさえ充分考えられはするのである。しかし、それでさえも事柄(ザッヘ)が今やはっきりと示しているように、一定の或はすべての哲学的概念からの自由というものは、対決折衝を顕現的にすることによってだけ、従って、哲学的討論に自分で首を突っ込んでみて、良かれあしかれ一定の仕方で自分で哲学をやってみることによってだけ、手にすることが出来るのである。

 さらに、このこととまったく一致することであるが、ひとつの重要な観点がフリードリヒ・ゴーガルテンによって定式化されている。人間の思惟努力としての神学はなんとしても何らかの概念をどうしても使わねばならない。ところが、すべて学問的な思惟にとって自己固有の諸概念を批判的に充分検討することへの要求が、従って、根柢の探究への要請が、それもそれらの概念に固有の、責任の持てる学問性の興味に於いて、生ずるのである。≪自分の使う諸概念を批判的に想い起こそうとする者は神学的仕事であれ、物理学的仕事であれ、まったく同じ様に、哲学に接近し、哲学的仕事を利用するのである。≫(Gogarten,Entmythologisierung und Kiche,1 aifl.,Stuttgart 1953,s.72.)

 神学が≪学問的≫思惟の何らかの最も普遍的な概念や前提をとりいれるということではなくて、むしろ神学が自己固有の諸概念と最も固有の諸前提を批判的に検討し、それぞれを詳しく調べて、出来る限り判明に意識するということに、神学の学問性はあるのである。

 こうして、神学と哲学との間の出会いは二つの理由で不可避である。第一に、神学がそれ自身可能的に哲学的な思惟内容になっているからである。第二に、神学が、自己固有の特別な根柢の探究をやり遂げる中で、哲学的問題設定の分野に赴くからである。

 これに応じて、神学と哲学の二つの出会い方が姿を現す。それらは決してお互いから鋭く分離されるべきではない。そしてこのことは、よく理解され度いが、第三の思惟可能性、つまり、神学が自然神学theologia naturalisと言う形態に於いて自身ひとつの哲学的下部構造Unterbauを有するということを拒んだ上でのことである。われわれが、カール・バルト弁証法神学の発端に一致して、この可能性を拒むということを、ここでは突っ込んで基礎付けようとはしない。というのは、いずれこの研究全体を通して併せて詳論する筈の、信仰と啓示の本質からして、おのずと充分に明らかになるであろうからである。

 二つの出会いかたというのは、一方は、形式的な面に於ける出会いである。これは、神学者と哲学者が、その都度その都度考えねばならぬことを考えるために、道具として両方が同じ様に使っている一定の概念の共通性によって媒介せられているものである。他方は、これに対して、実質的な面に於ける出会いである。これは、一定の問題、例えば実存の問題が神学と哲学に等しく提示されていることによるものである。

 神学と哲学の間の出会いに於いて、対話を引き裂かせまいとする神学の努力に於いて、神学の表現へのいのちがけの関心が二つの線上に現れる。それは、教会的宣教の、同時にまた宣教の反省的機能にほかならない神学自身の、わかりやすさ(Verstaendlichkeit)ききとり可能性Vernehmbarkeitへの関心なのである。

 宣教はききとり可能でなければならない。そうでなければ、それは宣教ではない。しかしながら、こうしたききとり可能性はただうわっ面だけ知的なわかりやすさではない。単に、宣教と神学が、世習上ポピュラーであったり、従ってまたわかりやすく見える概念や単語を使って語ることが肝要なのではない。宣教のききとり可能性というものは、宣教によって人間がリアルに話し掛けられると言うことの中に在るのである。そしてそれに応じて、神学のききとり可能性は、神学によって人間の現存在に対して啓発的なことが語られ、或は、より正しくは、人間の現存在に対してききとり可能な宣教をよびかけとしていつも含んでいる啓発的な立言が神学によってなされるということのなかにあるのである。

 こうして、つねに絶え間なく新しく神学に対して人間の現存在の問題と現存在に属するものとしての世界の問題が立ち現れたのであった。自己と世界の現実を理解しようとする人間の努力が哲学に於いて常に具体化した、いつも必ず具体化したという、正にこのことによって、哲学との出会いは必然的となるのである。

 神学がそれ自身人間存在と世界存在の問題の前に立っていることに依って、神学はもはや理解の試みとしての哲学を通り過して思惟することは決して出来ない。神学の哲学との連関性に於いて神学固有の現実連関性及びそれと共に神学のわかりやすさが確証せられることとなろう。神学の単語(コトバ)が単に空虚な単語(コトバ)でなく、その提題が単に空虚な主張でないということ、むしろ、現実的諸問題とその解決を申し出るところの思惟可能の、広さと深さを意識した上で発言せられているのだということ、そのことがここで確証せられることとなろう。

 神学は原則的には、哲学と同一の問題の前に立っている。つまり、真理問題の前に。人間の現存在と世界の存在の問題の前に。勿論、真理はひとつしか存在しない。そこでこの共通性のなかでも、神学は問題設定の徹底性(ラディカリテート),解答の深さと首尾一貫性では哲学を凌駕するかも知れない。しかし、だからといって神学は哲学の背後に決して取り残されていていいのではない。さもなくば、神学は不誠実で親しみ難いものとなろう。

 無論、神学と哲学とでは考え方や話し方(Denk-und Redenstil)が随分とちがう。そしてそのことによって、あたかも神学的思惟が共通の諸問題を照明することの強度にかけては哲学的思惟に取り残されているかのような印象が時折するかもしれない。というのは、哲学が慎重な識別力でもって厳密に方法論的に前進し得るに反して、神学はその告白的性格と実践的=教会的課題、つまり説教の監督と指導、とによって、吟味がまだ≪完結≫していないところに於いても、完結的定式化をなし、従って、図式化をおこなうことをしばしば強いられるからである。神学は、哲学と同一の仕方で、時(Zeit)をもっているのではない。神学はつねに態度決定をしなければならない。いつも新たに、本質的問いに責任ある解答をしなければならない。教義学を書く者は、一定の完全さで信仰について弁明しなければならない。彼は問いをそのままにしておくことは出来ない。暫定的にでも解答を敢えて試みなければならない。ここに神学の、旅人の神学theologia viatorumとしての、本質的に暫定的な性格が由来する。にもかかわらず、より教義学に於いては、二様のものが感じられるのでなければならない。つまり、一方、まったく暫定的でありながらも厳密な方法論という根本傾向が、そして他方、それと関連しながら、そのテーマが神学的なものであれ哲学的なものであれ、より強度の照明への開放性、非=完結性が、である。神学は、誤れる≪正統主義≫にこりかたまることなしに、告白的でなければならない。この要素がみたされるならば、そのとき神学は、その不可避的な暫定性にもかかわらず、実際には決して哲学の背後に取り残されるものではないと、言うことが出来る。

 神学の真面目(しんめんもく)、現実関連性、ききとり可能性が哲学との出会いに於いて確証されねばならぬように、また歴史(Historie)との連関性に於いても確証されねばならぬ。これは神学のもうひとつの偉大な話し相手、信仰についての学問的な弁明をなすべきもうひとつの偉大な分野である。神学は、哲学との乃至は哲学の平面に於いての討論を避け得ないと同じく、歴史との乃至は歴史の平面に於いての討論をも避けることが出来ぬ。そして、神学が哲学の平面に於いて独立している、つまりどんな哲学的諸前提にも束縛されないのと同じように、歴史的な討論の分野に於いても、何等かの歴史的≪結果≫に単純にいわば投鍿していい筈はない。そのことは、しかしながら、他方では、神学から、哲学に対すると同様に、歴史に対しても、限界が不明瞭なものになるということでる。神学者は、哲学者たちとの留保なしの対決折衝をするなかで≪自分自身哲学者≫であるそのように、歴史家たちとの留保なしの対決折衝にあって≪自分自身歴史家≫である。もし彼が歴史家や哲学者によって提出された問題に取り組まないならば、不誠実であろう。
                              (次号につづく)


編集後記: Postscript
雄鹿第7号です。原紙を全部切り終えるころ、ペンだこは一皮むけていました。
これは個人雑誌でありますが、しかしぼくとしては、いろんな方のさまざまの励ましと影響なしには決して出来なかったことを知っています。病床にあられて、これを歓んでくださる方に、ぼくはどれほど力づけられていることでしょう。みなさんにお役に立ちますなら、これにすぐるよろこびはありません。ドマムート先生、先生のさまざまの友情ある御支援なしにはこれは生まれなかったでしょう。感謝いたします。それから共同生活者である母の忍耐に対して、さらにさまざまの方の御好意に対して感謝いたします。
「受肉の神学」は今回休みました。12月第1日曜より神学教室を開きます、再び。2〜4時。テーマは「キリスト論」です。

   1965年11月24日           延原時行


 (原文には多くの個所に重要な傍点・ゴチが付されていますが、このブログではすべて除いています。著作に仕上げる折には原文に戻します。)

2014-11-10

延原時行著作集ブログ公開第20巻目『雄鹿再来・第七巻・2014年11月6日』(第4回)

           雄鹿再来:第七巻、2014年11月6日


                 雄鹿再来の歌

        何故に我善き師とぞ汝言ふや神ひとり他善きは無きなり
         (備考:マルコ福音書10章18節参照)

        これはぞやイエス御言葉「善き父に」向かふ方こそ主なる御子とぞ

        向ふ方我妻絶後笑み増しつ岸辺立つ主とまみへ往きたり

        向ふ方在りてこそなり天父への永久の命ぞ妻招きたり

        青年や一切所有に晦ませる主と共にぞや天父往く道

        人にはぞ笑みて「往く方」ありてこそ絶後驚愕妻物とせず
        (備考:「往く方」=往くべき方向、であると同時に、天父へ往く方[ヨハネ
        福音書1章1節第二項「神と共なる(pros ton theon)ロゴス」]、の意)


雄鹿:第七号、1965年11月24日
Deer, Vol. VII, November 24, 1965
  
                   
f:id:keiyousan:20141107113654j:image:medium

目 次:Table of Contents

機ヾ頭メッセージ:The Lead Message(第1回)
 友達づくり:Friends―Making

供\盒:Sermons
1.永遠の生命:Eternal Life(第1回)
2.恥と力:Shame and Power(第1回)
3.一日の苦労:The Day’s Own Truoble(第2回)
4.真理と歓びについて:On Truth and Joy(第2回)

掘,椶の詩たち:My Poems(第2回)
1.≪ああ ある日≫:Ah, One Day  2.≪コトバ≫:Words
3.≪ヒト≫:Humans         4.≪課題≫:Something to Do
5.≪そこから≫:From There     6.≪このごろ≫:These Days
7.≪ワン公≫:Dear Dog       8.≪私≫:Myself
9.≪心よ≫:My Dear Soul     
10.≪エジプト人画家ラガイ・ワニスさんのギャラリで≫:At the Egyptian Painter
Mr. Ragai Wanis’s Gallery
11.≪寸言≫:A Few Sayings      12.≪忘れない≫:I never forget it
13.≪嫌悪する≫:What I dislike   14.≪誘惑≫: Temptation      
15.≪ひとりの人≫: A man
16.≪いいな≫: It’s nice      17.≪かれ≫: He
18.≪車窓より≫: From the window of a train 19.≪畏友≫: My respected friend


検.┘奪札─ 礇ぅ瓠璽犬砲弔い討粒仆顱: (第3回)
Essay: A Memorandum on Images

后]席検バルト神学に於ける祈祷理解(第4回)
Thesis: The Understanding of Prayer in the Theology of Karl Barth
序文
第一章 発端
(一)バルトの祈祷批判
(二)祈祷の弁証法
第二章 祈祷のキリスト論
(一)北森氏のバルト批判
(二)バルト神学からの北森批判
(三)バルトの神観―神の子の従順
(四)祈祷が従順である
(五)聴聞者としての父―永遠の祈祷者としての子 
        

此,曚鵑笋 ハインリッヒ・オット著
Translation: Heinrich Ott
「思惟と存在」:Denken und Sein 
マルティン・ハイデッガーの道と神学の道
 まえがき 第一章 緒言

編集後記: Postscript



     V 論文: Thesis

     バルト神学に於ける祈祷理解:
    The Understanding of Prayer in the Theology of Karl Barth

(注 これは私の修士論文である。「祈祷」というテーマは信仰・神学の中心的なものでなければならない、またそれ以前に「祈祷」は信仰・神学の態度そのものである、というのが私の年来の深い確信であった。これを、日本では神学に於ける客観主義の典型のように解せられているバルト神学に於いて明らかにしようとしたのが、この論文である。そうする時、バルト神学に対する一般の誤解も解け、さらに取組むべき新しい問題領域があらわになるだろうと考えたのである。そして確かにそうであった。今私は「祈祷」が「コトバ」の問題への通路をなし、また他宗教ことに禅宗の「悟り」への窓であることを感じている。それだけではない。ここから今日日本のなかから独自に提出されている滝沢克己氏や小田切信男氏によるクリストロギー<キリスト論>をめぐっての神学的提言に、接近することができるのである。第二章の「祈祷のキリスト論」がその萌芽である。そこでは、北森神学をバルト神学にからませながら論をすすめた。しかし、あれからもう四年の歳月が経過した。書き改めるべき点も多々あると思うのであるが、しかし、これはこれとして一つの里程標としてここに置いてみよう。皆さまの信仰・思想に資するところあるならば、これにまさる歓びはないのであるから。1965年11月12日記)


     序 言

 一人の人間の思想の確率は、他者との対決折衝(Auseinandersetzung)を通じてなされるものである。自分の生まれ、育ち、成人して来た思想的環境に在って、学び尽くせるものを学び、然る後にやむにやまれぬ疑念が生じる時、そしてその疑念を苦しみ悶えつつも、幾度も幾度も既成の環境に打付け、打付ければ打付ける程、自己の疑念を益々拡大強化されて、その世界の真只中に孤独な自己を見出す時、彼は初めて独創性(オリジナリティ)を獲得し、改革者たるを自覚しない訳には行かぬのである。

 われわれの今日考究しようと欲するバルト自身、其の「19世紀に於けるプロテスタント教神学(注1)」の第一章で次の如く語っている。「一般に、何かがわれわれに対してまたわれわれの為に起こる、多分またわれわれに抗して起こる時にのみ、そのことに於いてのみ、一つの出来事が襲って来る、それもわれわれがその出来事に参与しているという風に襲って来る時、そのことに於いてのみ、われわれは歴史を認識する。純粋の観察・確認或いはまた純粋の吟味などという歴史認識は自己矛盾である。人間の行為を認識するとは――歴史に於いてはこれが問題になる――確かに観察し、確認し、吟味することでもあるが、しかしその全ては〔現実から〕遊離した理論に於いてではなく、この際歴史に対して唯一の可能な理論である、実践の理論(Theorie der Praxis)に於いてなのである。それは、その際にわれわれ自身が一定の運動の中に(in bestimmter Bewegung)捉えられ、異なれる行為(fremdes Handeln)に何らかの仕方で出会いつつ一致しつつ、あるいはまた反抗しつつある独自な行為(eigenes Handeln)の中に捉えられているが如き観察・確認・吟味である。一つの異なれる行為が何らかの仕方で問いとなり、それに対してわれわれの独自な行為が何らかの仕方で答えを与えねばならぬ時、われわれは歴史を認識する(注2)」

 われわれは此処に「バルト神学に於ける祈祷理解」を考察するに当たり、次の如く云わざるを得ない。第一に、この論考自体が彼の神学との対決折衝であり、彼の為す異なれる行為に応ずる独自な行為でなければならぬということである。然らずば単なる観察・確認・吟味に終わるであろう。われわれはこの対決折衝(それは出会いとも会話とも呼び得よう)を時に「祈祷理解」という焦点に確認の光を集中することにより行ない度い。孰れの研究も焦点が明確でないならば、容易に対決折衝が間違いに終わるからである。

 しかし、この焦点は、同時にバルト神学の全貌を出来る限り鳥瞰し把握する跳躍台たらんと志すものであって、決して「祈祷」という主題のみを排他的且つ近視眼的に追及しようとは思わぬ。少なくとも、バルト神学に関する限り、斯かる態度をもって接近することは誤りであり、また不可能と思われる。何故なら、何人も、彼の神学に於いて祈祷が如何に中心的位置を占めているかに、更に厳密には、祈祷することが彼の神学することに於いて如何に本質必然的であるかに、驚かざるを得ないからである。之を要するに、われわれの意図は、バルト神学に於ける祈祷理解を内包的に考察・追求することにより、如何にそれが彼の神学的思惟の全体性と外延的に関連し合っているかを問うことにある、と云えよう。一つの主題がこのように思想家の思惟の全体性との連関に於いて問われる時、これを組織的研究と呼び得よう。斯かる意味に於いて私自身この小論に於いて「祈祷」の組織神学的研究を特に「バルト神学に於ける祈祷理解」としたのである。第二に、われわれの研究の対象たるバルト神学について云うならば、それ自体が一つの対決折衝の産物或いは神学的戦場と看做さねならぬということである。バルト神学は既にその出生の時から優れて論争的であって来た。では、それは何と論争・対決したのか。之を理解するために、バルト神学が当時の神学界そして広く思想界に対して口火を切った宣戦布告の書とも云い得る「ロマ書」(注3)第一版の序言を引用するのが適当と思われる。「パウロはその時代の子としてその時代の人々に語った。けれどもこの事実より遥かに(viel)重要な事柄はいま一つの事実、即ち彼は神の国の予言者ならびに使徒として全ゆる人々に語っている、ということである。昔と今、彼処と此処、という差別はあくまで顧慮しなければならない。けれどもそれを顧慮するのは、専らこのような差別が何ら本質的な意味をもたないと云うことを認識するためでなければならない(注4)」。これは専ら聖書解釈について語られたものであるが、バルトの神学的思惟の在り方を知る上にも有益かと思う。それは以上の含蓄に於いてである。(1)神学者バルトも時代の子である以上、彼の時代、その時代の神学的思惟と対決せざるを得なかった。その意味で「歴史を理解するとは、昨日の智慧と今日の知恵とが率直で突っ込んだ会話を不断に取り交わすことであり、この二つの知恵は同じ一つのものである(注5)」と云われる。(2)しかしながら、それは同時に「私は専ら歴史的なものの裏に永遠なる聖書の精神を洞察(hindurch zu sehen)しようと心がけた(注6)」に見られるように、永遠との、神との対決が決定的に彼の主題なのであって、之を彼は聖書を通して追求する。(1)の時代の神学思想との対決会話と、(2)の聖書を通しての神御自身との対決対話の相即を貫徹することに於いて、彼は自己の神学的労作を続けて来たと云い得るであろう。第一に、彼自身も時代の子であるという事実に於いて彼の神学も当然相対的なのだから、それを絶対視するのは誤りである。このことをよく知り常に自己を改革して行くのがバルトの偉大さである(注7)。しかし、それだからといってバルトは時代思想とのみ対決しようなどと心掛けたことは一度もない。蓋しそれならば議論の為の議論に過ぎないであろう。神学が議論の為の議論になり易きことこそ神学者にとって最大の誘惑である。これを免れ脱するには、第二の契機、即ち神の言を聞くことがなければならぬ。バルトに於いてはこの後者の永遠に対する垂直的関心が当初より貫徹されて来たこと、このことを寸時なりとも忘れるならば、彼の神学を正しく理解え得ないであろう。この第二の契機は「死人の甦り(注8)」の中の次の文章に最もよく表現されている。「パウロは恐らく例の「神より」(pro tou thou)(注9)を用いて自分の神学を打ち建てたり、それを他人から守ろうとは考えないで、むしろ彼は燃えた剣が他人に向けられると同様に、彼自身及び彼と共に進む人たちに対して向けられているのを見るのである。神と人との間の「不和」の執成し、啓示と呼ばれているものへの主体と客体との前代未聞の転換についての発見は、彼にとっては現代の有名な著作に於ける如き事やあの事の批判ではなくして、却って最上の神学さえも、彼自身の神学さえも含めて、全ゆる神学の危機を意味するのである(注10)」。



1  Karl Barth,Die protestantische Theologie in 19.Jahrhundert.1974.
2 ibid.,S.1.
3 Karl Barth,Der Roemerbrief.1918.
4 ibid.,Vorwort zur ersten Auflage.S.V.
5 idem
6 idem
7 このことについては、Paul Tillich,Systematic Theology.p.5 “Barth’s greatness is that he corrects himself again and again in the kight of the Situation and that he strenuously tries not to become his own follower.” 参照。
8 Karl Barth,Die Aufestehung der Toten,1953.
9 バルトはこの語(ドイツ語ではdes von Gott her)をパウロの、それ故にまた自己の神学のkey wordと考えているもののようである。
10 ibid.,S.23.


     第一章 発 端

 われわれは先ず、斯る意味での、バルトの為した対決会話を、彼の、神学界また広く一般思想界への、最初の挑戦的著書「ロマ書」を通して見ることとする。われわれの此処に於ける課題は、彼が如何に同時代の神学思想に対して、聖書の永遠の使信を聞き、それと対決することにより、「祈祷」と云う主題に集中して考察することである。最初に彼がこの主題に関して為している批判を窺わねばならぬ。その際如何なる根拠に立って批判が為されているかを認識するのが肝要である。

     (1)バルトの祈祷批判

 祈祷に対する最初の批判は2章3〜5節の釈義に見出される。

 「彼らは全くのところ自分たちの不虔や不逞に驚愕した。彼らはわれわれが神と呼ぶそののもが神であると思っていた夢を揺り覚まされた。宗教的な靄と神の怒りの雲のヴェールは裂けた。そしてそこに彼らが見たのは――神の「否」!であった。そこに彼らが感じたのは――われわれの存在の障壁であり、その審判であり、その背理であった。彼らは苦悩と希望とに満ちつつ人間の生の中心問題の何たるかを予感したのであった。彼らは恐れおののきつつ正気に帰り、畏敬を抱き、『理性的に見る』ようになった。彼らはほかならぬ神の前に停止せざるを得なかった(注1)」。ここにバルトは神の怒りの認識につき語っているのであるが、彼によれば、それは「特別な素質と指導とを享けた人々に許された神秘主義や直観や入神(Ekstase)や奇跡的業(Wunderwerk)(2)」ではない。「清い魂が得たところの体験(注3)」でもない。「賢明な頭脳が得たところの発見(注4)」でもない。「強固な意志が得たところの獲物(注5)」でもない。これは、人間の宗教性が批判されているのである。この線上に於いて、神の怒りの認識は「熱誠な祈祷の得たところの結果(注6)」でもないとして、祈祷批判が行われている。斯かる認識(それをバルトは信仰とも呼ぶのであるが)は、彼によれば「純然たる絶対的な垂直の奇蹟(注7)」なのであるから、それを熱誠なる祈祷の結果と看做すことは、「神から与えられたものを人間の可能性や現実状態に転化する(注8)」ことなのである。第3章9~18節の釈義に於いては、歴史は「偉大な真理の証人たちの静謐な敬虔や熱烈な神探究の感動的な姿、即ちたとえば「祈祷」というようなものを教示するか。否、反対に『神を求むるものなし』を教示するのである(注9)」と語られているのであるが、神探究の努力としての祈祷と看做すことが拒絶され、批判されているのである。また第3章21~26節の釈義に於いて、イエスに於ける啓示は「直接的な見方によっては(durch direkte Einsichtnahmen)理解することが出来ない。無意識的なものを闡明しても、神秘的な祈祷に沈潜しても、隠れた精神的能力を発展させても、それを理解することは出来ない(注10)」と述べられる時、啓示認識に関する直接性の立場としての祈祷が批判されているといえよう。斯かる祈祷批判は第8章26節の釈義に於いて更に決定的な形に於いて遂行される。『というのは、われわれは何を祈って然るべきなのか、それを知らない(注11)』をバルトは、パウロが正しく祈ったことの証示と見、「これよりも深くて大胆で無欲な祈りがあろうか。パウロがこれらの言葉を書いたということは、彼が自分は祈って然るべきなのかを知らないということを知っていることを示す!(注12)」と 評価し、然る後に「何故彼はそれを知らないのか」とその理由を問いつつ、その理由の中に祈祷批判を見出す。即ち「祈りも『敬虔な者の魂の中で日ごとに行われる奇蹟』では決してないからであり、『自分自身の生を確実に強化し向上させようとする努力があらゆる祈りの動機』であったり、その本質が『敬虔な者が人格的に考えられ且つ現在するものとして体験された神と交わるところにある』(フリードリヒ・ハイラー)のでは決してないからである(注13)」。ここでは直接に、かの有名な「祈祷」なる大著を著したハイラーに於いては祈祷は宗教の中枢的現象(注15)なのであるから、祈祷が批判されるとは、宗教がその根底から批判されることを意味する。それこそバルトの意図である。このことは先の箇所に続くバルトの言葉に明白である。「蓋し如何に深く以下に英雄的に如何に強力な祈りも(クソーザ・カフェル族やケクヒ・インディアンの巫術は言うに及ばず、予言者や使徒や宗教改革者の祈りも)ただ一つのことを明らかにし得るだけである。それは祈る人間も考えられ体験された自分自身のものを越え出ることがないということ、彼も、と云うよりも彼こそは徹頭徹尾人間であって、それ以外の何ものでもないということ、いわゆる「敬虔」(Froemmigkeit)が行う如何に大胆な飛躍や架橋もこの世界の内部で行われ、考えられたり体験されたりした神ではない生きた神と人間の交わりとはそれ自身何の関係もない。然り、全く何の関係もないということである。そして祈りも、というより祈りこそは、これを対象的に考察して讚美する時は、フォイエルバッハが宗教一般に対して浴びせた非難――人間的に見れば至極もっともなあの非難を認証するものでしかない(注16)」。ここにかつてシュライエルマッヘルがその代表者であった自由主義神学に於いて、宗教またその優れた特殊態たる基督教の本質と考えられていた「敬虔」そしてその最もリアルな現実態なる「祈祷」が、フォイエルバッハの宗教論そのままに(即ち、宗教に於ける神は人間の願望を理想化し且つ実在化したものに過ぎず、神学の秘密は人間学である、と云う非難によって)完膚無きまでに批判されたのである。しかし、このことはバルト神学に於いて「祈祷」が全く場所を失い、主体性や実存の問題が捨象されたことを意味しない。確かに彼は神を神学の終わり(finis theologiae)、基督教の終わり(finis christianismi)、教会の終わり(finis ecclesiae)、そしてわれわれの問題の関連かで云うならば、祈祷の終わり(finis orationis)と解するのであるが、「パウロが歴史的終局や時間的終局について語るときは、彼はただ歴史の終わりや時間の終わりについて語っているに過ぎないのであるが、しかし、もう一度それの終わりについて、従って全ゆる出来事や俗事に根本的に超越している実在について、斯く根本的に、斯く明白に理解されるならば、歴史の有限性や時間の有限性について語るときに、彼はまた同時に全ゆる時間や全ゆる出来事が基礎づけ(begruenden)られているものについても語っているのである。彼にとっては、歴史の終わりは原歴史(Urgeschite)と同意義であり、彼が語っている時間の限界は、全ゆる時間の限界であって、従って必然的に時間の根源(Ursprung)であらねばならない(注17)」と云う叙述に表されている彼の歴史理解に従うならば、真の終わり(Ende)は実は真の始め(Anfang)であり、根源(Ursprung)なのであるから、祈祷の終わり(finis orationis)は祈祷の始め(principium orationis)でなければならぬ。それゆえにこそバルトは先に引用した釈義の次に「この『われわれは・・・ない』の彼岸に人間の神との交通の実在性がある(注18)」と云い得たのである。そうであるならば、われわれは祈祷批判から更に進んで、この、人間と神との交通の実在性を問題にしなければなるまい。

      (二) 祈祷の弁証法

 人間と神との交通の実在性を闡明するとは、一度廃棄せられた祈祷をその根源(Ursprung)に於いて考察することが再び回復せしめられたことであるから、われわれはそれを「祈祷の弁証法」と呼ぼう。これを考察する為には、先に引用した箇所に続く26節「御霊みずから無言の嘆息をもってわれわれの為に極めて有力な執成しを行い給う(注19)」の釈義を見なければならぬ。「われわれが高い高い段階の祈りに到達するということは重要ではない。何故ならこの梯子も、天の梯子と思われている全てのものと同様、神ならぬ神、即ち、この世界の神の領域の中にある。けれどもある他者が、即ち永遠なる者、『天から来た第二の人間』(コリント前15・47)がわれわれの代わりに素晴らしい力をもって神の前に立ってくれるということ――それがわれわれの祈祷の義認(die Rrechtfertigung unsres Betens)、われわれと神との交わりの実在性(die Realitaet unsrer Gemeinschft mit Gott)なのである」(注20)。それ故バルトは祈祷の新しい基礎づけ、義認を唯イエス・キリストに見出している。このことは次の文章に明確に表現されている。「われわれは全くの一人ぼっちで自分自身の上に立っている。それ故にわれわれは滅んだ者である。けれども御霊は神の方式によってわれわれの為に執成し給う。それ故にわれわれはすくわれている。われわれは罪人である。そしてこの御霊の『執成し』(Eintreten)がなければ何時までも罪人である。けれども神はわれわれを聖徒と呼び給う。神は過去、現在、未来に亘るわれわれの無価値さからわれわれを聖徒に作りなし給う。即ちあの執成しによって御自分の聖徒、御自分の選民、御自分の道具に作りなし給う。そしてそのようにわれわれの為に執成す者は、御霊であり、真理であり、希望であり、イエス・キリストである(注21)」。ここにわれわれはそのものとしては罪人であるが、御霊の執成し(das Entreten des Geistes)によって神の聖徒・選民・道具に創造(schaffen)されるという弁証法的移行が語られている。御霊が真理・希望そしてイエス・キリスト御自身と同一視されていることは、執成しが甦りしイエス・キリストの現在的な行為と解せられていることを示すものと考えて誤りはなかろう。斯く考察して来る時、バルト神学は(その最も初期のロマ書講解も)徒らに危機や否定のみをそのモティーフとするのではなく、明らかに福音の内容(それはイエス・キリストの執成しである)をもって既に登場しているのを見る。正にこの福音の内容よりして祈祷論も基礎づけられているのを、知らねばならない。人間の祈祷にイニシアティヴを僭奪しようとした時、バルトは痛烈にそれを批判したのである(注22)が、神の恩寵のイニシアティヴである執成しより出発する時、却って祈祷は基礎づけられているのである。ここに於いてわれわれは、バルト神学が「危機神学(注23)」(theology of crisis)とか、第一次大戦中また後の西欧の意気消沈ムードに期限を有し、云わば、シュペングラーが「西欧の没落」に於いて開陳した歴史的文化的悲観主義の神学的表現であるような、また時代の破局的事件によって惹起された絶望的な人間状況の露呈(expose)に過ぎぬと考えられるような、「一種の絶望の神学」(a sort of desperation-theology)とか呼ばれる時、ベルクーウァーの言うようにバルトは全く誤解されていると言わねばならぬ(注24)。少なくともわれわれがバルト自身に当たり、最も論争的なロマ書講解そのものを既述の如く検討する時、そこにむしろ異なったモティーフを聞くのである。フォーゲルも云っているように「バルトの神学的発展の最初の局面に於いては審判に於ける恩寵に強調点が置かれていたが、その後の発展は、彼が審判に於ける恩寵を明白ならしめることにより関心していることを示している(注25)」とも云えようが、それとて本質的修正(the central modification)を意味しようとしてはならぬ(注26)。むしろ「バルト神学に於ける中心的モティーフ(the central motifs)を形成しているのは、距離や審判ではなく恩寵の宣教なのであって、その恩寵たるや、距離と審判を帯び、審判が当然の審判として(as a merited judgment)承認されることに於いてのみ、理解され得るが如きものなのである(注27)」。さて、この恩寵(それがわれわれの祈祷を義認し、われわれを神との交わりに実在性を与えるのであるが)は、われわれの課題である祈祷に関係して云うならば、生けるキリストの「執成し」であって、これは和解の内容であり、現実である。ここより必然的にして当然にわれわれは祈祷の内容的考察に向かわざるを得ない。内容的とはこの際、「キリストに於いて」と云うことである。従って、次に、われわれは祈祷がどのようにキリスト御自身の行為・存在・活動に於いて成立しているかを、Kirchliche Dogmatik /1,Die Lehre von der Versoehnung ,vierzehntes Kapital;Jesus Christus,Der Herr als Knecht, 59 Der Gehorsam des Sohnes Gottesに於いて見るであろう。



1  Roemerbrief,S.34.
2  idem
3  idem
4  idem
5  idem
6  idem
7  ibid.,S.35.,”das reine absolute vertikale Wunder
8  ibid.,S.33ff.
9  ibid.,S.60.
10  ibid.,S.72.
11  これはバルト訳。ドイツ語原文は次の如し。”Dem was wir beten sollen nach Gebuehr ,wissen wir nicht” ibid.,S.300.
12  Ibid.,S.300.
13  Idem
14  Friedlich Heiler,Das Gebet.Eng.tr.available.
15  Heiler の同書の序の第一章の表題が(英訳本で)Prayer as the Central Phenomenon of Religionである。
16  Idem
17  Die Auferstehung der Toten,S.59.
18  Roemerbrief,S.300,”Jenseits von diesem” Wir nicht “liegt die Realitaet des Umgangs des Menschen mit Gott.”
19  バルトの私訳。ドイツ語原文は以下の通り。”Der Gaist selbst tritt Uebermaechtig fuer uns ein mit unausgesprochenen Seufzen.”
20  ibid.,S.301.
21  idem
22  これはRoemerbrief,S.300.に於けるハイラー批判に最も如実に現れている。
23  Karl Barth,”Polemisches Nachwort,”Zw.d.Zeiten,1927,S.38参照。そこに於いてBarthはW.Bruhn による自分の神学の解釈に鋭い批判を向けている。Bruhn はそのVom Gott und Mensch に於いてバルト批判をしている。P.Althaus もそのTheologie und Geschichte .Zur Auseinandesetzung mit der dialektischen Theologie,in Zeitschrift fuer systematische Theologie Vol 1,1923.で”Nein!”をBarthの特徴を見る。
24  G.C.Berkouwer,TheTriumph of Grace in the Theology of Karl Barth,1956,p.23.
25  Heinrich Vogel ,Verkuendigung und Forschung,1951,S.122.
26  Berkouwer,ibid,.p.49.
27  Idem


      第二章 祈祷のキリスト論

 さて、われわれが『教会教義学』第4巻第1分冊14章59節を通してバルト神学に於ける「祈祷のキリスト論」を闡明するに当たり、先ず最初に次のことを銘記し度い。即ち、われわれはここで決して膨大な和解論の枝葉末節にいたるまで詳細に考察しようとは思わぬと云うことである。むしろわれわれはそこに於いて彼の和解論を構成し支えている神学的核とも云うべきもの、或いは神学的根本認識とも云うべきものを剔出し、それに考慮を凝らし度いと云うことである。蓋し理解とは選択を意味し、判断力とは本質的なものを非本質的なものから峻別する能力を云うからである。もしわれわれがバルトの和解論(注1)の中より神学的核を選択剔出できず、神学的根本認識をそうでないものから峻別出来ないとすれば、それを正しく理解し判断し、認識したことにはなるまい。さて、私のバルトの和解論への理解が正しければ、その神学的核はイエス・キリストの祈祷なのである。如何なる意味で斯かる理解が妥当するか、それをわれわれは以下のテキストそのものに当たって実証しなければなるまい。とはいえこの際この実証の作業も、単に文献によって私見を裏書すると云う意味での歴史学的実証であってはならぬ。苟もそれが組織神学的研究たらんとするなら、論理的整合、更に意味連関に於ける、実証でなければならぬ。斯かる意味に於ける組織神学的実証を試みる際、一つの事柄の意味連関の解明の為に(われわれの場合、バルトの和解論に於いてはイエス・キリストの祈祷こそがその神学的認識の核であるという意味連環が問題なのであるが)他の意味連関をもって触発し、この触発を契機または媒介として前者の意味連関を更に闡明してみてはどうか。全ての認識、殊に歴史認識は、主体と対象との対決折衝・出会い・会話に於いて生起するとはわれわれが序言で確認した真理なのであるが、われわれが今バルトの和解論を充分に認識し、その神学的中核に迫ろうとするならば、彼の和解論に対決折衝し、出会い会話している他の神学的体系をここに対照に持ち来たり、この触発的媒体を用いて、更に深く鋭くバルトの和解論そのものの特質、その独自性を際立たせ、もってその神学的核を発見するは、賢明ではなかろうか。斯かる認識より発して。私は、日本で生み出された最初の独自な神学的体系である、北森嘉蔵の「神の痛みの神学(注2)」をバルトの和解論の闡明の為の媒体として用い度い。斯くして両者の対決折衝を通して、バルトの和解論に於ける神学的核を剔出し得んが為である。

     (一)北森氏のバルト批判

 北森氏のバルト批判は「神の痛みの神学」に於ける次の言葉の中に遺憾なく発揮されている。「およそ神学の性格を決定するものはそのモティーフ即ち本音としての意図である。対立・排他性・質的相異・否定・第一誡――これらの表現において倦むことなく主張されるモティーフが、包み給う神としての福音のモティーフと別のものであることは明白である。今や、われわれはこの神学から次の如き言葉を聞いてももはや驚かないであろう。――神は「裂け目や痛みのない一つの全体(注3)」である、と。包むことをしない神が痛みなき神であることは当然である。――われわれはパウロと共に、「されど我らは十字架につけられ給ひしキリストを宣べ伝ふ(注4)と応えなければならぬ(注5)」。北森氏がバルト神学のモティーフを対立・排他性・質的相異・第一誡と看做すのは多くの批評家がバルト神学をtheolgy of crisisと看做すことに同調するものであって、何ら氏自身の独自な批判ではない。また斯かる批判の妥当せぬことについては、われわれが第一章「発端」に於いてベルクーアーの『カール・バルトの神学に於ける恩寵の勝利』なる書物を引用しつつ、またロマ書自体の中に在る内容的発言を指摘しつつ、述べた通りである。北森氏自身の独自なバルト批判は、むしろ、神は「裂け目や痛みのない一つの全体」であると云うバルト的認識への批判に顕れていると思われる。そしてこの批判の背後には氏の独自な受肉理解が控えていることが見逃されてはならぬ。「痛みにおける神は、御自身の痛みをもって我々人間の痛みを解決し給う神である。イエス・キリストは、御自身の傷をもって我々人間の傷を癒し給う主である(ペテロ前書2・24)(注6)」。ここに主張されているのは「神の痛み」である。しかし、それも神の業として「神の痛み」が主張されているだけではなく、それと同時に、更に進んで「神の痛み」と云う神観が主張されているのであり、ここに北森神学の独自性が存し、それ故にバルト神学への独自の批判が成り立っている、と云えよう。従って北森氏のバルト批判はバルトの神観批判なのであり、両者の対立折衝は神観に於けるそれなのである。これは実に重大なことと云わねばならぬ。北森氏も云うように「神学は究極においては神観である。神観に関して何らか決定的なものを寄与することのない神学は、最後的な発言を控えねばならぬであろう(注7)」からである。かくて神観に於ける対立は根本的対立である。さて、では、それをもって北森氏がバルトの神観を否定している、神の痛みの神観とは如何なるものであろうか。「この神の怒は絶対に頑固な現実である。キリスト教的にいえば、神の怒の認識が智慧の始まりである。――神の痛みは、この神の怒の対象を愛せんとし給う神の御心である。テオドシュウス・ハルナックは、十字架においては神の怒と神の愛という二つのものから第三のもの(tertium)が生じたと云っている(注8)。この「第三のもの」こそ神の痛みである。ルターによれば、ゴルゴダにおいては「神が神と闘った」(da streyded Gott mit Gott)のである(注9)。この神が別の神でなくして同一の神であり給うという事実こそ、神の痛みである(注10a)」。之を要するに、それが仮令人間への愛故だとは云え、神の内部に戦闘対立が存すると見られ、それが痛みであると主張されているのである。即ち「神の本質としての痛み」が主張されているのである。このことを北森氏はヘブル書2・10「それ多くの子を栄光に導くに、その救の君を苦難によりて全うし給うは、万の物の帰するところ、万の物を造り給ふ所の者に相応しき事なり(注10a)」の、eprepen を手掛りとして聴取ったと云う。「『相応しくある』とは本質必然的であるということである。痛みは神の本質にまではいり込んでる! 驚きとはこのことにほかならぬ。(注11)」という訳なのである。このような神の本質への理解は当然に贖罪の業の理解に決定的な結果を及ぼす。即ち「『基督の死は或る意味に於いて神の死であると解せざれば、パウロの論理徹底することが出来ぬ(注12)』。神が死に給うた! この音ずれに驚かないならば、一たい何に驚くというのであるか。教会はこの驚きをもつづけねばならぬ(注13)」と語られる。それ故北森氏はイエス・キリストの死に給うた「三日間」、「父なる神は独り子を神無き所へ棄てたもうたのであります。『独り子と共にある』という父なる神の永遠なる在り方が、この三日間は『独り子と共にない』という在り方となったのであります。この三日間における神の在り方は、永遠における神の在り方を破ったのであります(注14)」とさえ語り得た。そしてこのことは彼にとっては「永遠なる在り方を破る三日間の在り方こそ、私たち罪人の救いのために神が払いたもうた犠牲の深さを示す(注15)」からこそ重要なのである。以上見て来たことを要約するに、神の内部に本質として痛み(=分裂)が存し(これが神観である)、そのことが神の子の死(=神無き所へ棄てられること、虚無化)に於いて現実化した(これが贖罪論である)のであり、これが神の犠牲の深さとしてわれわれの救済の確かさに直結している、ということになろう。ここに於いてわれわれは、このような神学からは、神は「裂け目や痛みのない一つの全体」であるというバルトの神観が真向から批判され、且つ「対立・排他性・質的相異・否定・第一誡としてバルトが神の業を解していると前提された上で、それが北森氏のいう「犠牲の深さ」を欠如している故に、包み給う神の業がバルト神学にはないと批判される、その理由を容易に了解する。しかし、了解と承認とはおもずから別の事柄なのであって、この北森氏のバルト批判を当たっていると承認するかどうかということは、バルト神学そのものをして語らしめることによって決定されよう。また決定されねばならぬ。

      (二)バルト神学からの北森批判

 バルトは勿論北森神学を公に批判したことは一度もない故、彼が北森神学を如何に評価しているか、われわれは直接これを知り得ない(注16)。従ってわれわれとしては、北森氏が批判してやまないバルト神学そのものの中に、却って北森批判が内在していることを、神学的に考察発見しようと思う。そしてわれわれの意図するところは、斯くすることによりバルト神学の独自性、その神学的核ともいうべきものに逢着することなのである。さて、バルトによれば受肉が具体的に包含しているものは、イエス・キリストの苦難の従順(Leidensgehorsam)、即ち、(1)父に対する御子の従順であり、そしてそのことは、(2)その死によって十字架で為し遂げられた自己卑下に於いて、異郷(Fremde)に赴き給うその道に於いて確証されたことである(注17)。そして「彼が真の神であり従って真に神的本性を持ち給うという秘儀は、これら二つの契機の中に、またこれら二つの契機の連関にの中に、含まれている(注18)」。われわれは、バルト自身が為しているように、先ず第二の契機から考察することを始めよう。ここではイエス・キリストの業(Werk)という局面が取り扱われる。さて、北森氏はバルト神学のモティーフを対立・排他性・質的相異・否定・第一誡に見たのであるが、バルトがここで述べているのは、「異郷に赴く神の子の道(注19)」であり、「謙り(注20a)」であって、およそ斯かるモティーフとは反対のものである。そうして、罪ある破滅した人間の和解が、何よりも神の謙りという性格を持っているということ。また、それが異郷に赴く神の子の道の上に於いて生起するということ。それは「イスラエルという一つの選ばれた民の中からその民の選びの確証として現れ給うた人間イエスの特殊性によって、既に決定されたことである(注20b)」と語られることによって、新約聖書旧約聖書が結び付けられ、かくして神と人との間の救済史の出来事を地上の一地点に、世界史の中に置くことによって、全ゆる仮現説(Doketismus)に対して門が閉ざされている事実を見る時、そしてバルトが以上のような意味から「和解の前提としての契約(注21)」を承認し、この契約に違反する背反者(Uebertreter)(注22)に対して神が「国民的ヌーメン」(ein Nationalnumen)として支配し給うた故、旧約の時から「神は、不信実な民に対してその信実を示しまた信実を変え給わないという意味で、既に(schon)異郷に赴く途上に立ち給うた(注23)」と語る時、そしてまた和解の業を「イエスは、むしろ、昔から示され顕されたその恩寵の連続性の中に於いて行い給う(注24)」。「天から来たり給うた人の子は収税人・罪人の仲間となり、二人の強盗の間で死ぬことが必然であった(muste)。神が既に昔から(von jeher)その敵を愛する神であり、『罪人らのこのような反抗を耐え忍んだ方』(ヘブル書12・3)である限り、そのことが必然であった(muste)(注25)」とバルトが語るのを聞く時、この神学のモティーフを対立・排他性・質的相異・否定・第一誡とは呼び得ず、それ故北森氏の如く「包み給う神としての福音のモティーフと別のもの」と断定することは出来ないのである。斯かる北森氏のバルト批判は、(一)に見たように、「されど我らは十字架につけられ給ひしキリストを宣べ伝ふ」という決心、「痛み」を神学的公理とすることに由来しているのは明白なのであるが、バルトも「神が神であり神的本性を持ち給う方であるということを認識し得る、またそのことが認識される鏡は他ならぬ神の受肉であり、肉体に於ける神の存在である(注26)」と、受肉と神認識の認識根拠(Erkentnisgrund)としているのであって、この点に於いて両者は一致するものと思われる。それ故問題はむしろ北森氏が「痛み」と呼び、バルトがここで受肉という語で表している事態に関する神学的理解の相違にあると思われる。われわれはそれを明晰にしなければならぬ。さて、バルトも、「救済史は本質的に受難史(Passionsgeschichite)(注27)」であると洞察し、イエス・キリストを「必然的に、云わば本質的に苦しむ方として(注28)」記述していることに於いて、キリストの受難(Leiden)を凝視するに吝かでない。北森氏は、われわれが既に見たように、ヘブル書2・10のeprepenなる語を手掛かりとして同様の理解に到達しているのであるが、唯氏の場合、受難とは別の「痛み」なる概念を新たに導入し、「痛みが神の本質である」と断定したのである。その際氏にとって重要なことは、「ゴルゴダにおいて神が神と闘った」こと(しかもそれは同一の神である)である。これに反して、バルトにとって重要なことは、受難は実はイエス・キリストの「謙遜」(Demut)であるということであって、これは先に多く引用した諸箇所に明白なる如く、創造者と和解者の一致、創造への和解の連続性などの思想を示すものの如くである(注29)。この相違は両者の「イエスの死」に対する理解に於いて更に顕著である。北森氏が、「父なる神は独り子を神無き所へ棄て給うた」即ち「『独り子と共にある』という父なる神の永遠なる在り方が、この三日間は『独り子と共にいない』という在り方となった」。「この三日間は永遠を向こうにまわしてこれと対抗するほどの意味を持つ(注30)」そして斯かることを神の犠牲の深さを示すものと解するに反して、バルトは、「神が、この人間イエスとの一致に於いて死に給う時、死が神に対して力を得るのでは決してない(注32)」と解するのである。このことは1935年に第1版の出た「我信ず(注32)」に於いて既に明確な言葉で語られている。「『葬ラレ』(sepultus est)は神の一つの行為、しかも、人間の存在と運命への神の自己投与(Selbstgabe Gottes an das Sein und Schicksal des Menschen)について語っているのであって、それは、それに於いて彼が決して神であることをやめ給うのではなく(er wohl nichit aufhoert Gott zu sein)、ほかの者全ての目には、彼の神性(Gottsein)が彼固有のものとしては絶対的に不可避的に(unsichtbar)なる程、それほど自分のものとし給う、という如き自己投与(Selbsthingabe)なのである(注33)」。この文章の直ぐ次に彼はカルヴァンの言葉を引用して自説の拠としている。即ち「彼ハ暫ラクノ間彼ノ神性ヲ隠サレタガ、ソレハ御自身ノ力ヲ失ワレタノデハナイ(注34)」がそれである。之を要するに、バルトに於いては死はキリストの主権的な(神の子としての)行為として述べられているに反して、北森氏に於いては死は事実的に神の子としてのキリストの神性に於ける死なのであり、この際前者は死に於けるキリストの行為を旧約との連続として捉えるに反して、後者はそれを永遠の在り方に反抗するものと捉えるのである。ここに於いてわれわれは両者の相違の決定的極面を見るのであり、斯くして同時にバルト神学に於ける受肉理解の独自性をも闡明し得たものと思って差支えなかろう。しかし、われわれの任務はここに終わらない。否、問題自体が神学的問題であるという事柄の性質上、批判的とならざるを得ないのである。神学は、バルトのいうように、「教会の自己検討(注35)」(Selbstprufung)であれば、当然、怪しい神学に対して批判的になるのは、その任務に属する。それ故、われわれは次に、更に進んで、バルト神学の独自性が北森神学に対して痛烈に打付ける批判を照察し、もってこの節に於けるわれわれの課題を果たし度い。

 バルトの批判は、言の受肉に於いてわれわれは「神の存在及び本質と神によって創られた世界の和解者としてのその行為及び働きとの間の、神御自身に於ける裂け目と割れ目と深淵の事実(注36)」に面するという理解に向けられている。ここに、計らずも、最初に北森氏自身がバルト神学の最大の欠陥として批判し続けて来た思想、即ち、神は「裂け目や痛みのない一つの全体」であるという神観が、受肉というわれわれの主題の連関に於いて、却って転じて彼自身への最も強力な批判とはなるのである。「彼の才能が判る者は、必ず彼を羨む、彼を憎んでひどい迫害を加える者は必ず彼が羨ましいため(注37)」と、かつてゲーテは名言を吐いたが、羨望者、迫害者の鋭い勘で、北森氏はバルト神学の核を見抜いたのであったが、(それは誠に驚異に値する)、それは今や彼自身を攻撃するのである。バルトの批判するように、創造者と和解者が対立矛盾するのが神の本質だとすれば(実はこれこそ神の痛みの神観なのであるが)、「その場合には何の権能によって(Quo iure ?)ということ、神が肉体となり人となり給うた可能性――それはこのような「神に反しての神」であろうとする神の決心の中にある、ということになるであろう(注38)」。「わが神、わが神何ぞ我を見捨て給ひし!」(マルコ15・34)に於いて(北森氏のように!)「御自身に対する人間の反対に対して神が自己譲渡し給うたということ(注39)」を見、「御自身の中で起こる反対と反抗という考え方(注40)」に近づき、しかもそれを神の憐れみの秘儀と看做すことは、誘惑(Versuchung)なのである(注41)。この時にこそ(バルトは強調するのだが)「そのような一見この上もない神讃美が、実際はこの上もない神冒涜に変ずる危険が起こる(注42)」のである。実は「神が被造物となり人間となり給う時、神は御自身を捧げ(hingeben)給いはするが、決して手離し(weggeben)したり、断念(aufgeben)したりはなさらない(注43)」のである。北森氏は右の危険を察してか「神の痛みの神学」の第5版への序で「神の痛みの神学は、『実体』としての神に痛みがあるなどというのではない、神の痛みは『実体概念』ではなくして、「関係概念」である。すなわち『神の愛』の性格である」と断っているのであるが、それにしても「神の愛」の啓示である和解の業の神的可能根拠(Quo iure dues hom? とバルトはそれを呼ぶ)は、「同一の神が闘わざるを得ない」という「痛み」としての愛、斯かる神の御心(Entschlossenheit Gottes)、斯かる神と神との関係(しかも反抗的関係)に帰着するのである故、いずれにせよキリストの神性はその死に於いて虚無化され、彼が神であることをやめ、自己譲渡し給うたと考えられていることに変わりはない。であれば、「神がわれわれの神となり給うことによって、神性が御自身にとっていわば彼岸の存在となるのであれば、その神性がわれわれにとって何の助けになるであろうか(注43)」というバルトの反駁は正しいのではないか。受肉に於ける神の主体喪失は人間を救い得ず、(敢えて北森氏の語を用うれば)包み得ない。何故なら、斯かる受肉理解は受肉の主体である神を虚無化することにより受肉そのものを不可能たらしめ、否定しているかたである(注44)。これに反して、バルトは彼の根本的理解を開陳していう。「神の存在と行為は、御自身との全き一致に於ける存在と行為である。御自身との全き一致に於いては神はキリストの内にも在すのであり、キリストの内にこそ在すのであり、何よりもキリストの内に在すのである(注45)」。斯く神が「キリストの内に在すことによってその神的愛の自由さ(Freiheit)を示し、そこにあって彼が神として自由であり給うところの愛(Liebe)を示し給うた。従って、その神的本性に相応しいこと(Entsprechende)を為しまた示し給うた(注46)」のである。では、受肉=「僕ノ形」(forma servi)相応しい神的本性とは何か。それは北森氏がヘブル書2・10に見たという「神の本質としての痛み」か。バルトによれば、それは御子の従順(Gehorsam des Sohnes Gottes)なのである。そしてこれこそ受肉の包含している第一の契機なのであって、これこそバルトの独自な神観として次に考察されなければならぬものである。それに取り掛かる前に、われわれはここでヘブル書2・10の北森氏の釈義の誤りを指摘し、もって「神の痛みの神観」に成立し得ぬことを明示し、北森神学へのバルトからの批判の最終的言葉とし度い。北森氏はかのeprepenを(内容的に考えてのことではあろうが(注47))dia pasematon (苦難によりて)に懸けているが、これは文法的には(従ってまた内容的にも)tereiosai (全うし給う)(注48)に当然懸かるものである。「苦難」は dia pasematon と録されている如く、全うされた際の forma に過ぎぬのである(注49)。eprepen が tereiosai に懸かるということは、御子を御子として全うすることが神の本質に属するということを、意味する。tereiou はヘブル語の訳語であることからも判るように、道徳的完全性ではなく、他者への関係の全体性を意味するもののようで、英語では integrate が最も近い意味を有する。要するに、これは実態概念ではなく関係概念である。では、御子の如何なる態度が、父との関係を(苦難という forma に在り続けながら)integrate したのか。われわれはピりピ書が受肉を歌うあの有名なキリスト讃歌に於いて「しかも十字架の死に至るまで従順であられた」(ピりピ2・8)と頌していることに、注目しつつ tereiosai の内容は genomenos upekos (注50)であるといい度い。ここでもバルトの神観が是認される他ないのである。

       (三)バルトの神観――神の子の従順(注51)

われわれは、(二)に於いて、「受難」は「謙遜」(Demut)であるというバルト神学の重大な発言を、それは「痛み」であると主張する北森神学と外延的に対照させながら、明晰ならしめたのであった。われわれは更にここで「謙遜」の内容を内包的に判明ならしめるべきである。斯く外延的且つ内包的に考察することによって、初めて事柄はその真相をわれわれの眼前に開示するだろうからである。さて、われわれは先ずバルトの次の如き発言を考察することからこの作業に取り掛かり度い。「神がイエス・キリストの中に住みまた働き給うその謙遜は、神にとって異質的なものではなく、固有のものである(注52)」。彼によれば、この神の謙遜はわれわれ人間にとっては「新シイ秘儀」(novum mysterium)なのであるが、神にとっては決して新しくはない。神は永遠の昔から(von Ewigkeit her)斯かる方である。そして正に「われわれの和解の真理と現実は、神がそのような方であって別の方でないという事実に懸かっている(注53)」。そうであれば、「キリストの謙遜というものは、決して単にナザレの人間イエスの一つの態度(etwa nu rein Verhalten des Menschen von Nazareth)ではなく、彼に於いて成し遂げられた和解の出来事によれば(彼に於ける神性の啓示によれば)、神の本質に基礎を持った謙遜というものがあるのであるから、それは人間イエスの態度そのもの(das Verhalten dieses Menschen)なのである(注54)」。ここからバルトは更に、今一つ別のもの、それも神の本質にその基礎を有するものとして「従順」(Gehorsam)を挙げ、謙遜は実は従順の行為であった、と述べるのである(注55)。従って、それは卑賎、苦難、死の任意的な選択ではなく、それ故ティリッヒの表現を借りれば、自律(Autonomy)ではなく、また運命や自然による偶然の出来事(Zufallgeschehen)でもなく、それ故他律(Heteronomy)でもなく、「自由な選択ではあったが、しかも彼御自身に適用された秩序を承認することによって行われたことであり、彼御自身を拘束する一つの決意を実行することによって行われたことであり、彼御自身に対して命令を発し服従を求める一つの意志を遂行することによって行われたことである(注56)」。換言すれば、言葉の真正の意味に於ける神律(Theonomy)なのである。即ち、この出来事に於いて見られるものは、「神の委託であり、また神によるその遂行(注57)、「神の命令と神の従順(注58)」、「神の決定の神による実現(注59)」であり、それが「神の自由の内的必然性に於いて」(in der inneren Notwendigkeit der Freiheit Gottes)(注60)起こるという意味での神律なのである。以上の如く神律と呼び得るこの「従順」は、「上方と下方、先と後、優位のものと下位のものを包含している(注61)」。それ故、それは神的本質の統一性(Einheit)と均等性(Gleichheit)を破ると思われるかも知れない。そのように考え、従ってキリストの神性を一段低い神性の第二の神的存在、換言すれば、或る天的な被造物と解するのが「聖子従属説(Subordinationismus)である。これに反して、従順は神的本質の統一性と均等性を破るとは考えないが、それ故卑賎・謙遜・従順に於けるキリストの真の神性を容認・承認しはするが、しかし、従順は、神の本来的な経綸的な(oekonomisch)存在に於いてだけの話であるとし、それ故それはただ神的存在の一種の前方地帯(eine Art Vorfelt des goettlichen Seins)、本来的神性の単なる現象の様態、啓示の様態、活動の様態として(als einen blosen Erscheinungs-,Offenbarungs-,und Wirkensmodus)いわば方便として解されるとするのが「様態論」(Modalismus)なのである。バルトは両者とも(前者は従順なキリストを神とは違った天的存在或いは地的存在と解釈し、後者は唯一の神の単なる現象形態と解釈することにより)イエス・キリストの十字架、即ち唯一の真の神御自身の卑賎・謙遜・従順の真理を回避し、破壊し、欺き、隠すことによって解消してしまっていると非難する。彼によれば(a)和解の主体(イエス・キリスト)であること、(b)和解の出来事はこの世の中で(in der Welt)起こったこと、(c)以上二つのことは、卑賎・謙遜・従順なナザレのイエスの現実存在と一致、否、同一であるという仕方に於いて、であること、の三つがこの問題を語る際の不可避的前提なのである。ここから出発する時、「従順」は神の存在にとって本質的なことを認識されるのである(注62)。即ち「唯一の神は、御自身の中で、一方では(Einer)従順を捧げられる方であり、他方では従順を捧げる方でもあるということを、その統一性によって妨げ給わない。むしろ、そのような事実こそ、その神的な統一性なのである(注63)」。ここに、父なる神と子なる神との関係が述べられたことになる。ところで、バルトは更に聖霊なる神につき次の如く語る。「神は、何の分裂もなく、何の相違もなく、完全な統一と均等において、前者でも後者でもあり給う。なぜかといえば、神は、これまた同じく完全な統一と均等に於いて、第三の方でもあり給うからである。即ち、その唯一の同じ神性を、正にあの二つの存在の仕方によって(それら二つの存在の仕方から、またそれに於いて)肯定し給う神――甲としてまた乙として、その御自身との交わりを強めまた確認し給う神である。従って、神は、このような第三の存在の仕方によって、あの最初の存在の仕方の中に分裂や矛盾なしに存在し給う(注64)」。ここにわれわれは、イエス・キリストの「従順」(Gehorsam)の考察から三位一体論が具体的に基礎づけられ、確証されているのを見るのである(注65)。斯くて神はその各々に於いて完全な神(der ganze Gott)であるが、同時に彼は、他方との関連(Beziehung)の歴史(Geschichte)に於ける神であり給うのである。それ故にバルトは「抽象的一神論(der abstrakte Monotheismus)を幻想に過ぎぬと看做し得る。さて、以上のようなバルトの神観からするならば、「創造」(Schoepfung)は神御自身の内部生活の像(Bild)の写し(Abbildung)、似姿(Gleichnis)であり、「和解」(Versoehnung) は、神の内部に於ける連関が、神と被造物の一つである人間の間の全く異種的な関連と同一(identisch)となることなのである。その場合、根拠はひたすら神の本質に存することが注意さるべきである(注66)。それ故、(これは北森神学とは正に正反対の結論なのであるが)「そこで神が神で在り給うあの歴史の驚くほど首尾一貫した究極的な連続の中で、和解の業を行い給う(注67)」といい得るのである。さて、このようにしてわれわれはバルトの神観を窺って来たのであるが、彼のいう「従順」が具体的には如何なるものであったのかと、更に問いを発し度い。このことを知り得んが為には、われわれは和解の業を具体的に見なければならぬ。

      (四)「祈祷」が「従順」である

 バルトは昔の「キリストの業についての教説」を、「われわれに代わって審かれ給うた者としての審判者(注68)」という表題の下に扱い、ここでは「何ユエ神ハ人トナッタカ」(Cur dues homo?)、即ち、受肉の神的意図・目的・意義を問う。彼によるならば、「主はその高さと深さを持った神性の内的豊かさの全体を、外に向かって実証し啓示するために(zur aeuseren Betaetigung und Offenbarung des ganzen inneren Reichtum seiner Gottheit in ihrer Hoehe und Tiefe)、そのようなことを欲し、また行い給うのである。ことに、御自身によって創られたこの世が、父の似姿としての御子に於いて、自分自身の原型を、その中心に於いて所有し、認識するために(dazu das die von ihm geschaffene Welt im Sohn als dem Ebenbild des Vaters ihr eigenes Urbild in ihrer Mitte habe und erkenne)、主はそのようなことを欲し、また行い給うのである。従って主がそのようなことを欲し、また行い給うのは、この世に於ける御自身の栄光のためであり(um seiner eigenen Ehre in der Welt willen)、この世なしには存在せず、孤独な神であろうとし給わない御自身の意志を、実証し知らせるためである(zur Bestaetigung und Kundgabe seines Willens)(注69)」のである。それ故、バルトに於いて重要なのは、この神の業が何よりも先にそれ自身で目的に適ったもの(in sich selbst zweckvolles)、有意義なるもの(bedeutssames)であることであって、他の全てはこの神の自己目的現実化(die Realisierung dieses goettlichen Selbstzwerks)の枠の中で理解され得るのである(注70)。勿論、その際実際には神はこの世の助け(Hilfe)に赴きそれを引き受け(annehmen)給うことによってこれを行い給うたのであるが、従って「ワレラ人間タチノタメニ、且ツワレラノ救イノタメニ」(propter nos hominess et propter nostrum salute)なし給うたという救済論的観点が考慮されねばならぬのではあるが、しかし、それはそうすることが神に必要(beduerfen)なのではなく、破滅した人間にこそ必要であったのであって、神の側からするならば専ら「主権的な憐憫の意志」(souveraene Wille Seiner Barmherzigkeit)による事柄なのである。それ故(これはブルトマン批判なのであるが)如何にしてもこの業の「有意義性」(Bedeutsamkeit)が先行的に主張されてもいいということにはならない(注71)。むしろこの業は、最初に引用した処に明白なる如く、それ自身で有意義的構造を有するというべきである。この意味でバルトイエス・キリストの出来事を「有意義なること」(Das Bedeutsame)と呼ぶ。そして「有意義性」(Bedeutsamkeit)は「有意義なること(Das Bedeutsame)に依拠するのである。「有意義なることが存在せず、またそれが有意義なることとして認識されない処では、有意義性も存在せず、有意義性の認識も存在しない(注72)」のである。この観点よりする時、われわれは、最近本学の土居真俊教授の提唱されている「意味の神学」が神学的に妥当することを認めざるを得ない(注73)。さて、しかし、われわれは更に進んでこの「有意義的構造」の具体面を闡明する仕事に取り掛からねばならぬ。それをわれわれは、バルトが「わが神、わが神、何ぞ我を見捨て給ひし」(マルコ15・34)というイエスの叫びを註解している処に、見出し得たと思う。「『ワレワレノタメノ神』(dues pro nobis)ということは、第一には単純に<神はこの世を――即ち、その状況の無限の困窮の中にある人間を、一人ぼっちのままにせずまさにその困窮を、御自身の困窮として担おうとし、身に引き受け、正にそのような困窮の中に於いて、人間と共に叫び給う>ということである(注74)」。即ち、十字架上のイエス・キリストの「叫び」(Schreien)、換言すれば「祈祷」(Gebet)がその具体相なのである。この「叫び」の中に内包されているものは、彼が四つに分けて展開しているように、(一)イエス・キリストは審判者としてわれわれの代わりとなり給うた、(二)彼は審かれ給うた方(Gerichteter)としてわれわれの代わりとなり給うた、(三)彼はわれわれに代わって、審かれ給うた(wurde gerichtet)、(四)彼はわれわれに代わって正しいこと(das Rechte)を行い給うた、の四者であるが、前三者は、和解の姿が単に否定的であるのは、ただ外見上にことに過ぎぬことを、確定するためである(注75)。従って、この三者は「叫び」の否定的・外見的側面と呼び得よう。これの積極的内容的側面、即ち第四者「正しきこと」が見落とされてはならないのであるが、これは「従順」のことであるとバルトによって語られる(注76)。斯かる、叫び=祈祷の否定的契機と積極的契機とは、バルトゲッセマネの祈りの箇所を釈義する時、最も鮮明且つ鋭利に叙述される。彼によれば、イエスが「もし出来ることなら、この時を過ぎ去らせて下さるように」(マルコ14・35)と祈り給うた時、単に地上だけで、時間の中だけで、また単に「悲しみのあまり死ぬほど」(マタイ26・38)であったイエスの心の中だけではなく、それと同時に、「いわば天上でも、神御自身の内部ででも、父と子の関係に於いても、一つの停止と遅滞が起きる(注77)」のである。その際この停止(Aufhalten)と遅滞(Zoegern)は、この世が「本質的ニ」(per definitionen)その勢力圏であり、イエスがその勢力圏に在る「罪人達」(amaptoroi)の手中に陥り給うたところの、サタンの意志・業・言葉に神のそれが一致するという暗黒の前に於けるものである。この時(われわれは事柄の否定的契機を取り扱うのであるが)人間は、使徒たちの群も、教団も、基督教世界も、教会も眠り、関知せず、神に対するあの語りかけ(Anrede)に参与せず、誰もその重荷をイエスと共に担おうとせず、従ってイエス・キリストに於ける神の行為が信仰者の現実存在の中に、全く何の対応物も持たぬことに於いて、主イエスは恐るべき孤独に在り給い、それ故最も厳密な意味に於いて「代理」(an ihrer Stelle)であり給うたのである(注78)。しかし、同時にこの時(われわれは今度は積極的契機を闡明するのであるが)、サタンの要求が拒否せられ、この世の悪しき経過・人間の悪しき行動にも限界が与えられるようにと、イエスが「御自分の意志として」(als sein Wille)「懇願」(Bitte)を神の真の意志に対置し給うことに於いて、それも「要求し給う」(fordern)のではなく、徹底して「懇願し」(bitten)「祈り」(beten)「叫び給う」(schreien)ことに於いて、そして「どうか御心が行われますように」との言葉でもってこれまで決して見棄てたのではない道の上を、十分その理由のある停止の後に、これまでよりも一層決然とした足取りで進み行き給うことに於いて、神の真の意志への輝かしい「然り」は語られ、「積極的な懇願」(positive Bitte)が為され、断念ではなく、最高の獲得(hoechter Gewinn)が為され、神が人間から期待し、この一人の方が全ての人間に代わって捧げ給う「最高にして唯一の賛美の発現」(die Aussage des hoechsten,des einen “Lobes”)が実行されたのである。バルトによれば、あの祈りでもってイエスは、事実が語るこのような言葉、即ち悪しきものの支配による神の御支配の陰蔽(Verdeckung der Herrschaft Gottes)、即ち摂理の意志によって決定された彼に反対する方向転換を決定、に対して単に神御自身の判決として「然り」といい給うだけでなく、この判決を自ら語り(aussprechen)、自ら実行し(vollziehen)給い、しかも誰にも助けられず執成されず、却って彼が執成し(Fuerbitte)を実行し給うたのである。それ故、この祈りの力によってイエスは御業を完成し、神の審きに自ら服することによってそれを遂行し、この世の罪を身に担うことによってそれを罰し、それを御自身の身に於いてまたその死に於いてこの世から取除くというその自由(Freheit)を受取り、即ち刷新し(erneuerte)確認し(bestaetigte)実証し給うた(betaetigte)のである(注79)。こうして、サタン自身が、イエスの苦しみと死に於いて遂行される神の意志に用いられることにより、この一人の方に対する力の行使により、ただ神がその栄光のためにまた全ての者の救いの為に決意し給うたことしか為し得ぬことにより、サタンの支配には一つの限界が置かれ、その支配の終わりが既に現れたのである。この際人間は自己の不信仰な決断によってイエスの敵・告発者・審判者・死刑執行人として積極的に(aktiv)この出来事に参与する(beteilitgt warden)のであるが、もはや悪しき者の道具としてではなく、既に、その悪の中にありつつ、非本意ながら、神の道具として! である。斯く考察して来た後、バルトは「御心が行われますように」の祈りに於いて「イエスの苦しみと死の積極的内容の総体を見ることが出来る(注80)」と発言する。これは実に重大な発言である。受肉の積極的内容の全てがあのイエスの祈りに収斂しているといっても過言ではあるまい。ところで、イエスの苦しみと死の積極的内容の総体とは(彼は先の言葉に続けて語るのであるが)、「一人の人の『義なる行為』(dikaioma)と「従順」(hyupotage)(その力によって、いのちの約束としての全ての人間の宣義(dikaiosis eis zoen)が為し遂げられ、またその力によって、終わりの日の審きのときに、多くの人々が『義人』(sikaion)として神とその御使の前に立ち、全世界の前に立つ)である」のである。従って、「従順」(Gehorsam)の総体がイエスのあの「祈祷」(Gabet)に見られ、「従順」は「祈祷」に収斂しているのである。であれば、われわれは、ここで更に神観の問題にまで進み、バルトイエス・キリストをder Gehorsamと呼んだのを、更に具体的且つ厳密にder Beter(より厳密にはder Bittende)と呼び度い。「祈祷」は神の内部に於ける本質的な関係。歴史。運動・対話なのであって、子なる神が「祈祷者」であれば、父なる神は「聴聞者(ききとどけるかた)」(der Erhoerer)であり給うといえよう。これが「祈祷のキリスト論」なのである。この事実をわれわれは次に、3.Das Urteil des Vaters(注81)に於いて更に闡明し、裏付け度い。

      (五)「聴聞者」(der Erhoerer)としての父 「永遠の祈祷者」
          (der ewiglich Betende)としての子

 バルトは、3.Das Urteil des Vaters に於いて和解の認識の可能性を問うている。これは、数十年来ヴィルヘルム・ヘルマンによって「信仰と歴史」の問題として提起されたのを契機として神学の世界で論議され、ブルトマンによって新しく「非神話化」(Entmythologisierung,Demythologization)という解釈学の分野で研究の対象とされているものである。それはかつてレッシングの考察した「偶然的歴史的真理」と「必然的理性的真理」との関係を問う根本問題とも本質的には同一である。この問題が、時間的局面を(また神秘主義に於いても、さらにカルヴァンに於いても示されているような「空間的局面」をも)持っていることは確かである。しかしながら、バルトによれば「へだたりの問題」(Distanzproblem)は近代プロテスタント主義の領域では専ら技術的問題として副次的に、典型的に方法論的に問われるだけで、決して宗教的問題・本来的に神学的な問題として取り扱われなかったという点に於いて、正当に考察されなかった。彼は、「主よ、私から離れて下さい。私は罪深い者です」(ルカ5・8)やイザヤの言葉(イザヤ6・5)などを挙げて、そこで衝突し互いに排除し合っているのは、「二つ相対立する本質構造」(zeei entgegengesetzten Wesensstrukturen)(注82)即ち神と人間であるという。従って、「時間の問題」に於けるように、事柄の外面だけが問題なのではなくして、事柄そのものが問題になるのであって、「審きと死と終焉とは、イエス・キリストの身に於いて、彼と共に最後決定的にわれわれの身に遭遇したのであるが、このような遭遇の彼岸(Jenseit)があるか(注83)」という問につながるのである。これに対してバルトは肯定的に答え、その彼岸とは、十字架につけられた死に給うたキリストの甦らし(Erweckung)乃至甦り(Auferstehung)であるというのである。この際、第一に復活は(ブルトマンを批判しつつバルトは語るのであるが)「イエス・キリストを証明する不可思議な出来事ではなく、イエス。キリストに於ける啓示そのもの(注84)」であり、その意味に於いて徹底的に主権的な神の業(Tat Gottes)であって、編年史的性格(eine historischer Chrakter)は有しない(注85)。それ故にこそ「誤りのない認識の仲介(注86)」なのである。第二に(これもブルトマンとは反対に)復活は「十字架の出来事の認識上の裏面」の如きものではなく、十字架の出来事に対して「独立的な、新しい特別な神の業」(selbstaendige,neue und besondere Tat Gottes)(注87)である。従ってteologia crucis がtheologia resurrectionis を吸収してしまうことはない。復活は、むしろ、キリストの確証(Bestaetigung)であり、彼の死への神の答え(Antwort)また告白(Bekenntnis)、要するに父の判決(das Urteil des Vaters)なのである。バルトによれば、復活によって「神はマルコとマタイに記された死ぬべき人間の最後の言葉であった筈のあの問い(注88)に対する答えを與え給うた(注89)」のである。以上の二点より明確にされたのは、イエス・キリストが従順者(der Gehorsamer)として十字架上で徹底的に懇願する祈祷者(der Beter)として立ち給うたのに対して、父なる神は御子を甦らしめるという判決執行を通して、贈与者(der Geber)また御子の祈祷に答えられた聴聞者(der Erhoerer)として自己を啓示し給うた、という事実である。バルトによると、御子は御自身の力によって甦ったのではなく、神の自由な純粋な恩寵の行為、即ち自由に御子の祈祷を聴く行為に於いて、甦えらされ給うたのである。このことはわれわれの研究テーマにとって殊に重大である。前節でわれわれは、十字架は内容的には御子の従順、より具体的より厳密には御子の祈祷であると包括表示した。これに対応してバルトによれば復活は父の判決と語られるのであるが、われわれは更に進んで、その内容を具体的にはあの祈祷の聴聞と包括表示し得るものと確信する。そしてこれは神の内的本質に関する包括表示であることを志すのである。以上のことは、第三に、イエス・キリストの死と甦りとの積極的連関を問う時、更に明確化される。この場合連関とは、十字架と甦りは同一のイエス・キリストの歴史であり、両方に於いて代理されているのはわれわれの事柄である、ということである。ここからして初めてバルトは先の「時間の問題」への答えを得る。「死人の中からの甦りによってイエス・キリストは神と人との間の唯一の仲保者der eine Mittler(テモ2・5)であり給う。彼は聖金曜日の出来事に於いて仲保者であり給うたが、永遠に仲保者であり給う(ist)・・・彼の歴史Geschiteは編年史Historieとはならなかった。それは彼の時に於ける彼の歴史であったが、正にそのようなものでありながら永遠の歴史ewige Geschichiteとなった。全ての時代の人間と共に在す神の歴史そのものdie Geschichte Gottesであり、あの時起こったと同じように今日ここでも起こる神の歴史そのものである(注90)」。十字界につけられた方として「永遠に生きて統治し給う」とルターが語る時、このことを意味している。これは、バルトによれば、更に具体的には「彼は、いつも(pantote)生きていて、彼らのために執成しておられる」(ヘブル7・25)(注91)という「キリストノ執成シ」(intercession Christi)(注92)なのである。従って「イエス・キリストが一切を為し遂げ給うた審判者・大祭司でないというような瞬間は、一つもない。この完了形が現在形でないというような瞬間はひとつもない。彼があの時あの所で苦しみ・死に・われわれを弁護し給うわれわれの代理者として神の前に立ち給わないような瞬間は、一つもない。われわれが神によって神の子のこのような「代理」(repraesentatio)と「奉献」(oblation)の光によって見られるのとは違った仕方で見られ扱われるような瞬間は、一つもない(注93)」。それ故、想起・伝達・告知等の人間的プラグマテイズムはこれを二次的・間接的・従属的に証言するものとして尊重されるのである。かくて、intercessio Christiはわれわれの義と希望また神学的認識の永続的な現実根拠(Realgrund)でありまたその不断の危機(Krisis)でもある、という二重の意味でわれわれに対する唯一の真に「同時的」な神的行為(die eine,wahrhaft<gleichzeitge>goettlicheTat an uns)(注94)、和解の「今日!」(das Heute,Heute! Der Versoehnung)(注95)なのである。それをキリストの神的存在を考察する観点から表現するならば、フォーサイスのいったように「彼の全存在は祈祷である。彼はわれわれのために全くpros ton theon で在し給う」ということになろう(注96)。かくしてキリストがロゴスとして神と共に(向かってgegenueber)在す彼の本質存在は祈祷、しかもわれわれのためのintercessio なのであって、これが祈祷のキリスト論の「真相」である。



1  この論文で和解論と呼んでいるのは、断らない限り、和解論でも59のDer Gehorsam des Sohnes Gottesであって、言葉をかえれば、受肉理解のことである。
2  北森嘉蔵『神の痛みの神学』1946年第1版、47年2版、51年3版、54年4版。
3  “ein Ganzes ohne Risse und Schmerzen” 北森氏自身がK.Barth,Kirch.Dogm.,,S.69.からこの原文を引用し、原語を日本訳の後に記している。この事実よりわれわれはここに両者の対決折衝の場を見出すのである。何故なら、如何に北森氏がバルトとの相違を感じたかを示しているユニークな箇所がここであることを顕しているからである。
4  コリント1章23節。尚、北森氏が文語訳聖書を用いるのは彼の神学的立場による。このことについては『神の痛みの神学』第5版への序参照。
5  北森氏、前掲書、24頁。尚、ゴチは北森氏。
6  北森氏、前掲書、19頁。
7  北森氏、同書、62頁。
8  Theodosius Harnack,Luthers Theologie,I,N,A.,S.338.北森氏自身が典拠を示す。
9  WA,45,370.北森氏自身が典拠を示す。
10a   北森氏、前掲書21頁。
10b   文語訳。
11 北森氏、前掲書、60頁。
12  植村全集、第4巻、403頁。北森氏、典拠。
13  北森氏、前掲書、58頁。
14  北森氏、『日本基督教団信仰告白解説』72頁。
15  同書、同頁。
16  この論文を書いてから後、バルトと北森氏との対決折衝が公然と行われ始めている。雑誌『福音と世界』1963年10月号所載、「神の痛みの神学」をめぐって――小川圭治・北森嘉蔵、雑誌「神学」所載(24)の北森氏の論文、「日本の神学ということ」参照のこと。バルトは、その最終講義「福音主義神学入門」の日本版の序文で、「神の痛みの神学」に「真剣な疑問符」を付し度い、と述べている。それに答えようとしたのが前記の北森氏の論文である。
17  Karl Barth,Kirchl.Dogm./1,S.193.(1)den Gehorsam des Sohnes gegen den Vater,bewaehrt.(2)in der in seinem Tod am Kreuz vollzogen Selbsterniederung,in seinem Weg in die Fremde.
18  idem
19  Der Weg des Sohnes des Gottes in die Fremde.
20a  Herablassung ,Kondeszendenz
20b  Karl Barth,ibid.,S.184.
21   Der Bund als Vorausaetzung der Versoehnung.これは§57 Das Werk gottes des versoehners の第二章の標題であって、ibid.,S.22-70 に論じられている。
22  Baruto1は罪を契約違反と見るのであって、アウグスティヌスのように「善の欠如」(Conf.,7,12/,15,24/,12,18 und 16,22)とか、シュライエルマッヘルのように「まだ神の自覚への傾向がわれわれの中に現れていない時の力と行為」(Christliche Glaube,zw,Auf.1,S.378)とか、リッチュルのように「下位にあるものを追い求める自己追求(Rechtfertigung u.versoehnung,4 Auf..S.317)とは考えない。
23  ibid,S.186.
24  in kontinuitaet mit seiner von jeher erwiesenen und offenbarten Gnade,ibid.,S.188.
25  idem
26  Barth,ibid.,S.193.
27  ibid.,S.180.”Die Heilsgeschichte ist wesentlich Passionsgeschichte”
28  ibid.,S.180.”als notwendig,als gewisger masen wesentlich Leidenden”
29  ここでバルトが既に59.1の最初に於いて語っている決定的基礎的な思想を窺うことは、有益であろう。即ち「神の恵みはそのような犠牲を払うことを欲し、また払い得給うのであるが――即ち、神は、そのように謙虚となり、そのような過多な業を行い、そのような異郷への道を歩むことが出来、またそのことを欲し、またその用意を持ち給うのであるが――神はそのような事実に於いてこそ偉大であり、また真の神der wahre Gottはそのような事実に於いてこそ真の神として現れ給うのだ」(ibid.,S.173)がその思想である。
30  北森氏、信仰告白解説、72頁。
31  Barth,ibid.,S.202..”indem er in seiner Einheit mit diesem Menschen stirbt,kann ja der Tod keine Gewalt ueber ihn geeinnen.”
32  Barth,Credo,1935.これは1935年2月から3月にかけてユトレヒト大学に於いて使徒信条に関連して開陳された教義学の主要問題に関する16の講義を印刷出版したものである。
33  Barth,ibid.,S.78.
34  idem.”Paulisper interea deliscebat eius divinitatis,hoc est vim suam non exerebat”
35  Barth,Kirchl.Dogm./1.S.201.
36   Barth,Kirchl.,Dogm./1,S.2”Selbstpruefung der Kirche
37  “Sein Talent kann niemand sehen ,der ihn nicht neidet,niemand ihn beneiden,der ihn nicht hast und bitter verfolgt.”
38  Barth,ibid.,S.201.”eben in dieser Entschlossenheit Gottes:≪Gott wider Gott ≫zu sein”
39  “die Selbstauslieferung Gottes an den Widerspruch des Menschen gegen ihn.”
40  “die Vorstellung von einem in Gott stattfindenWiderspruch und Widerstreit.”
41  ibid.,S.202.
42  idem”die hoechste Gotteslaesterung”
43  idem
44  仮令それが「犠牲の深さ」(北森氏)と語られても、犠牲が自己譲渡という意味なら、その深さとは無意味の深刻さに他ならない。
45  Barth,ibid.,S.203.
46   ibid.,S.204.
47  ということは、彼の場合、痛みというモティーフから探求して、という意味である。
48  「全うし給う」(文語訳)より「全うされた」(口語訳)の方が正しい。
49  勿論、このforma以外のどんなformaに於いても全うされたのではないが。
50  Evangelische Haupt-Gibelgeselschaft zu Berlin,1955版のDie Biber nach der deutschen Uebersetzung D.Martin Luthersの訳では、”ward gehorsam”とある。この方が口語訳より原意に近い。従順は、静的な状態ではなく、動的な生成なのである。
51  “Der Gehorsam des Sohnes Gottes” §59の表題である。K.Barth,ibid.,S.171.参照。
52  ibid,S.210.
53  ibid.,S.211.
54  idem
55  idem参照。
56  ibid.,S.212.
57  ibi

2014-11-09

延原時行著作集ブログ公開第20巻目『雄鹿再来・第七巻・2014年11月6日』(第3回)

           雄鹿再来:第七巻、2014年11月6日


                 雄鹿再来の歌

        何故に我善き師とぞ汝言ふや神ひとり他善きは無きなり
         (備考:マルコ福音書10章18節参照)

        これはぞやイエス御言葉「善き父に」向かふ方こそ主なる御子とぞ

        向ふ方我妻絶後笑み増しつ岸辺立つ主とまみへ往きたり

        向ふ方在りてこそなり天父への永久の命ぞ妻招きたり

        青年や一切所有に晦ませる主と共にぞや天父往く道

        人にはぞ笑みて「往く方」ありてこそ絶後驚愕妻物とせず
        (備考:「往く方」=往くべき方向、であると同時に、天父へ往く方[ヨハネ
        福音書1章1節第二項「神と共なる(pros ton theon)ロゴス」]、の意)


雄鹿:第七号、1965年11月24日
Deer, Vol. VII, November 24, 1965
  
                   
f:id:keiyousan:20141107113654j:image:medium

目 次:Table of Contents

機ヾ頭メッセージ:The Lead Message(第1回)
 友達づくり:Friends―Making

供\盒:Sermons
1.永遠の生命:Eternal Life(第1回)
2.恥と力:Shame and Power(第1回)
3.一日の苦労:The Day’s Own Truoble(第2回)
4.真理と歓びについて:On Truth and Joy(第2回)

掘,椶の詩たち:My Poems(第2回)
1.≪ああ ある日≫:Ah, One Day  2.≪コトバ≫:Words
3.≪ヒト≫:Humans         4.≪課題≫:Something to Do
5.≪そこから≫:From There     6.≪このごろ≫:These Days
7.≪ワン公≫:Dear Dog       8.≪私≫:Myself
9.≪心よ≫:My Dear Soul     
10.≪エジプト人画家ラガイ・ワニスさんのギャラリで≫:At the Egyptian Painter
Mr. Ragai Wanis’s Gallery
11.≪寸言≫:A Few Sayings      12.≪忘れない≫:I never forget it
13.≪嫌悪する≫:What I dislike   14.≪誘惑≫: Temptation      
15.≪ひとりの人≫: A man
16.≪いいな≫: It’s nice      17.≪かれ≫: He
18.≪車窓より≫: From the window of a train 19.≪畏友≫: My respected friend


検.┘奪札─ 礇ぅ瓠璽犬砲弔い討粒仆顱: (第3回)
Essay: A Memorandum on Images

后]席検バルト神学に於ける祈祷理解
Thesis: The Understanding of Prayer in the Theology of Karl Barth
序文
第一章 発端
(一)バルトの祈祷批判
(二)祈祷の弁証法
第二章 祈祷のキリスト論
(一)北森氏のバルト批判
(二)バルト神学からの北森批判
(三)バルトの神観―神の子の従順
(四)祈祷が従順である
(五)聴聞者としての父―永遠の祈祷者としての子 
        

此,曚鵑笋 ハインリッヒ・オット著
Translation: Heinrich Ott
「思惟と存在」:Denken und Sein 
マルティン・ハイデッガーの道と神学の道
 まえがき 第一章 緒言

編集後記: Postscript


     IV  エッセエ:Essay

     イメージについての覚書:
     A Memorandum on Images
      −−計量的イメージと体験的イメージ――


 人間の思想などというものは、いつも自己固有の触角による手探りではないだろうか。内からこみあげてくるイデーを押え、むしろひとつの理論としようと骨折るとき、魂がにがりきってしまっているのに気付く。それはやめ度い。

 これは覚書に過ぎない。断片である。

      (一)

 人間の思惟の源流にさかのぼるとき、二つの泉があることに気が付く。思惟の泉はイメージである。一は計量的イメージ、他は体験的イメージである。

      (二)

 現今、人々は計量的イメージへの過信のなかに過ごしている。それが実在そのものだと想っている。これは迷信である。すぐれて現代的な迷信である。迷信であると共に悲劇である。これがますます人間を実在から疎外しているからである。

 計量的イメージすなわち、世界に対する場合にそれをひとつの計量できる単位に換算し、客観できる「像」として表象する。世界は世界「像」となる。

 「世界像とは、本質的に解すれば、世界についてのひとつの像を意味するものではなくて、世界が像として捉えられていることをいうのです」(ハイデッガーDie Zeit des Weltbildes)。これが近代科学(精神科学も含めて)の正体である。

 「それ(研究Forschung)は、認識Erkennenすることが道案内Voe-gehenとして、自然であれ歴史であれ、存在するものの領域内で身構えるところに成り立つのです。道案内とは、ここでは単に方法Methodeや手続きVerfahrenを言うのではありません。なぜなら道案内はすべて、みずからがそのなかで動く或る開けた区域Bezirkを、予め必要とするからです。しかし、ちょうどそのような区域を開くことが、研究の基礎工程Grundvorgangなのです。これは、存在するものの或る領域Bereich、たとえば自然に於いて、自然現象の一定の見取図が描かれることによって、おこなわれます。いったいどんな仕方で認識する道案内が、開かれた区域に結びつくべきか、ということを予め描くのが企画Entwurtです。この結びつき方は、研究の厳密Strengeです。見取図の企画と厳密さの規定とによって、道案内は存在領域内に於いて、その対象区域を確保します」(同書)。

 このイメージで捉えられるのは「時間―空間的運動量」である。

 「数学自然科学の厳密さは、精密Eksaktheitです。すべての出来事は、それらがおよそ自然現象として表象される時には、そのさい予め時間―空間的な運動量として規定されねばなりません。そのような規定は数Zahlと計算の助けをかりる測定Messungに於いて行われます」(同書)。

 このイメージの欠陥は、動的なイキモノとして世界が捉えられないことである。

 「すべての精神科学さらに生活体についての諸科学も、まさしく厳密であろうとすれば、必然的に精密さを欠くことになるのです。つまり生物を或る時間―空間的な運動量として捉えることはできても、そのときにはもはや生物よして捉えられてはいないのです」(同書)。

 このような近代科学Wissenschaftの性格をハイデッガーはVor-stellen(前に立てる・表象する)という単語によって示した。

     (三) A

 ところで、ここに問題がある。人はこのような、世界「像」として表象Vorstellenする計量的イメージで生きてきたのか、また生きられるのか、ということである。それに対するわたしの答えは「否」である。

 計量的イメージは、人間が死ぬか生きるかという瀬戸際の境涯では機能するものではない。「人全世界をもうくとも己が生命を損せば如何?」(マルコ8・36)to be or not to be(生きるか死ぬか、ハムレットの言葉)の「時」には計量的イメージはもはや役に立たない。それが働くのは、ただ、「所有の時」に於いてだけなのである。言うなれば、これは「所有」に関するイメージ、所有物を客観しているイメージである。

 ところで、もうひとつ問題がある。人間はto be or not to beにつねに立つ者なのであるのに、どうしてこのような計量的イメージが生まれたのか。どこからこれは生まれてきたのか、ということである。この問題は「実存の我」、人間が「ああ、わたしはどうすればいいのだろう」「わたしを助けて!」と叫ぶ時の「実存の我」が物を「所有」する観点に立った時の「我」、「自我(エゴ)」に変質していることと関係しているように思われる。

 例えば、デカルトの「自我」である。Cogito,ergo sum(我思う故に我在り)のコギト(我思う)は、自然の中で自然を所有しようとする、或は既に観念の中で所有しようとする観点に立つ「自我」の働きである。この「自我」は、ひろがり存在(res extensa)に相対して考え存在(res cogitans)と呼ばれた。

 思うに、考え存在は、「助けてくれえ!」と呻いたり叫んだりしている「実存」する人間ではなく、存在物(res)をひろがり(eztensa)と「観」ていることの中に居る自我なのである。この「観ること」から計量的イメージは誕生しているもののようである。ここに、「実存」している筈の人間がそれと全く矛盾するような計量的イメージを描くようになったのは、「我」が「助けて!」と「叫ぶ」我から「観る」自我に堕落したことに求められるのである。

 しかし、またどうして「観」る自我に我は堕落したのか? わたしの思うには、人間には徹底的に泣いてしまう勇気が欠けていたからである。怯懦が原因なのだ。徹底的に妥当され、徹底的に助けを叫ぶには、余りにも臆病過ぎたのである。そこで考え出した逃げの一手が、この「観ること」ではなかったのか。ここで彼は「主観(体)」となれた。大いに自尊心を満足させ得た訳だ。だが、実は、これは臆病な「主観」エゴが自分の実体を「つきはなして見ること」の眼鏡を通して抽象化しているにほかならない。これ、いわゆるdetachment(つき放して見る・ディタッチメント)である。このようなことぐらいで一体人間は助かっているのであろうか。否である。われわれは(五)で、現代の歴史の破局的な姿の中に「観ること」の徹底的な破滅のさまを見るであろう。

      (三) B

 「観ること」によってコトバは行為でなくなった。コトバは「観ること」に後れる。コトバは「観ること」の報告となった。ここにコトバの堕落が起こった。遂にコトバは「観ること」のための記号にまで身を落とすのである――広告。それと共に、かつてコトバが行為であったその場所に様々の外見的力が入って来た。彼らはコトバの場所を占拠し、行為を僭称している。曰く、核兵器、曰く兵力、曰く人員。しかし、彼らが行為だろうか? 力だろうか?

     (四)

 只今現象しつつあるのは、これ皆「観る」世界の没落である。このに「呻き叫び呼び語る」コトバの世界が再来する以外に救いはない。コトバの世界の再来は、しかし、同二に「観ること」をも変えるであろう。人格的相手を呼び掛けつつみるのであるから。此処に新しいイメージが生まれる。人格的他者のイメージが! この人格的他者はたんに見られるのではない。客体ではない。それもひとりの主体としてわたしに「現れる」のである。

 新約聖書に見られる「現れた」の概念。「いやはてには月足らぬ者のごとき我にも現れ給へり」(コリント前15・8)。「パウロに夜、幻現れたるに、一人のマケドニヤ人あり、立ちて己を招き『マケドニヤに渡りて我らを助けよ』と言ふ」(使徒行伝16・9)の場合。そこでは、わたしは彼が見える――のである。二人の主体、二つの主語。相互主体性。新しい世界。

 堕落の楽園(創世記3章)−−(ヤハウェに)聴くことを恐れ、(おのれを)観ることを好んだ。コトバは責任転嫁として存在した。すなわち、「口実」「遁辞」として→人間のコトバの普遍的堕落態→イデオロギー化(それを見抜いたマルクスの智慧は称賛すべきである)。いずれにせよ、コトバは行為ではなく、悪しき行為(行為ならざる行為)の「逃げ口上」「言い訳」だったのである。

 これに対して、救済は、「コトバは肉体となれり」(ヨハネ1・14)であった。コトバと行為との結婚。それが受肉。行為がコトバであり、コトバが行為であった。これがイエスの一生の意味。

 パウロはしばしば「わが絶えず祈りのうちに汝らを覚え」(ロマ1・9、エペ1・16、ピリ1・3〜4、コロ4・12、テサ毅院Γ押▲謄皚僑院Γ魁▲團譯粥砲噺世辰拭H爐魯灰肇个涼罎妊灰肇个閥Δ法峺た」のである。これこそ原始キリスト教のヴァイタリティの根源であった。やがてパウロは「マケドニヤに渡りて我らを助けよ」と呼ぶマケドニヤ人の幻(イメージ)が見えたとき、ギリシャ世界に向かった。ここにキリスト教が爛熟し堕落しつつあったヨーロッパに足を踏み入れたのである。世界史的大事件。このとき、歴史の変革、再創造は「体験的イメージ」によってうながされていた。

 このことだけは書いておかねばならぬ。計量的イメージを以てしては人間と人間とは決して理解し得ないということ、これを。人間の人間性は、わたしの理解に従うならば、他者に対する自己の内面の発表である。より正確には「語りかけ」なのである。これは、自己から他社に向かっての絶えざる精神・コトバ・行為の運動なのである。そしてその際、「発表」にはその質的度合いに応じて「自己意識」が消えて行くこと、それも彼の努力ではなくて、「発表」する人格は当然また自然に「自己意識」する自我を質的に止揚しているという意味で、消えて行くことが特徴的なのである。

 このような「自己意識」なしの「発表」の行為を、教義学では、actus directus(直接的行為)と呼んで来たのである。

 ここで、actus directus(直接的行為)が本来どのような性格のものであるか、念のため、すぐれて直接的行為である「信仰」についての次のコトバを参照して置くのがよい。

 「かいつまんで言えば、信仰者の認識の中には、全く反省というものはない。信仰の可能性の問題は、ただ信仰の現実によってのみ答えられる。しかし、この現実は存在者によって証明されないから、どのような反省も役立たない。信仰は自己自身を見ないで、キリストのみを見るのである。信仰が信仰であるかは確かめられず、信ぜられもせず、信ずる信仰が信仰なのである。」(ボンヘッファー「行為と存在」新教出版社、162頁)。

 Actus directus(直接的行為)のなかで人は見る。Imago Dei(神の像)を。いや、Imago Dei(神の像)を見る故に、actus directus(直接的行為)なのである。

 「光ったと思ったのが先か、どーんという腹の底に響くような轟音が先だったのか。瞬間、私はどこかにひどくたたきつけられたように地に伏せていた。それと同時に、頭へも方へもバラバラと何か降って来る。目の前が真っ暗に何にも見えない。私は平素から覚悟していた時が今やって来たと思った。
 その時、急に私は田舎に疎開して行った3人の子がはっきりと目に浮かんだ。不意に私は、そういsてはいられない衝動ではげしくからだを起こしはじめていた。木片や瓦が、手で払っても払っても頭の上にかぶさって来て、なかなかからだが自由にならない。<死んではならないのだ。子供たちをどうするのだ。夫も死んでいるかも知れない。逃げられるだけは逃げなければ――>私は無我夢中で這い出した」(広島市原爆体験記刊行会編『原爆体験記』朝日新聞社版)。

 ここでこそ、人間が人間として「見られた」のだ。即ちImago Dei(神の像)として。むろん彼ら<子供たち>は神ではない。しかし、彼らは、「御子は見えない神の像(かたち)であって」(頃・15)と言われているあの十字架にかけられた方の具体的イメージとして私に迫る。「我が兄弟なるこれらのいと小さき者の一人になしたるは、即ち、我になしたるなり」(マタイ25・40)なのであるから。「いと小さき者の一人」のイメージは、私にとって、Imago dei(神の像)なのである。

 「いと小さき兄弟の一人」のイメージが私に訴える。ここでは、<子供たち>が。それは絶大な迫真力をもつ。私に猶予を許さない。弟子たちがすぐに網をおいて従わざるを得なかったあのイエスの声のように(マルコ1・18)。ここにactus directus(直接的行為)が呼応した。発動された。−−「私は無我夢中で這い出した」! 生きたのである!

 これをわたしは「体験的イメージ」と呼ぶのである。

 体験的イメージは、計量的イメージのように、自分のために世界を「観」ていない。それは他者のために他者を見て,忘我である。だから、actus directusが発動されるのである。そして、実は、ここにこそ「健康」「生命」「幸福」が約束せられている。この逆説は、前号で「仕事性についてのノート」で少しく明らかにした。次の文章も参照せられて有益である。

 「人間の自由にかかわらず、また種々の文化が示すそれぞれの教育原理やしたがって人間行動を規制する価値観の多様性にもかかわらず、人間が拘束され、つかえなければならぬ生命の根本法則が存在するのである。この根本法則によれば、すべての生命は、自己のうちに存在するあらゆる可能性を最高度に展開させようと努めるものである。自然科学者たちは、従来いつも保存本能をあらゆる生物の最上級の本能としてとりあげ、発展の法則がその上位にあることをみのがしてる。動物界においても、個体は各自に相応した発展が妨げられると滅亡するということが証明されている。すなわち生命というものは、いつも、またいかなることがあっても、じっと生を支えるように努力しているわけではけっしてないのである」(アルトゥール・ヨーレス「医者の発言」)。「人間は幸福を求める。しかし遺憾ながら財産と幸福が同一視されている。実際は、この二つはあまり共通点がないのである。人間が幸福なのは、いつでも人間がこの世で果たすべき使命と一致し、自己実現を示す仕事を行うときだけである。しかしまた、人間は他人を助けてその生命を充実させる場合にも幸せだと感じる。愛の邂逅や新しい生命を作り出すことのうちに幸福と感じる。しまいには、自分の小さな自我を克服し、自然や世界の創造主と一体であると感ずる場合、幸福のなかにひたりきる」(同書)。

 げに「己が生命を救はんと思ふ者は、これを失ひ、我がために、また福音のために己が生命をうしなう者は、之を救はん」(マルコ8・35)なのである。

     (五)

 核時代――「戦争が始まったら、これこれの都市の、これこれの階層の人間が犠牲になるというようなことは計算に入っている。最後まで生き残り、祖国の再建に従事してもらう人々はこれこれである」(豊田利幸著「核戦略批判」岩波新書、38頁)。−−という「計量的イメージ。何のための計量? 文明の残存のためにか? 相も変わらない「戦争」の論理。

 だが、計量された目的以外の結果の集積が歴史ではなかった。

 アインシュタインはかつてファシズム打倒の方便として原爆製造をルーズヴェルト大統領に進言した。しかし、結果は次の如くであった。「ヒロシマナガサキの2発の原爆が、日本の降伏時期を多少早めたことは事実であるが、これが日本を降伏に導いた主因であるとは、少しでも歴史を知っている人なら、誰も考えない。ヒロシマナガサキへの原爆投下は、すでに和平交渉を始めていた日本に対し、戦後処理の主導権争いのため、本来の戦争目的以外の目的であったことは周知の事実で」ある(前掲書、187頁)。

 これは戦争終結のための手段(そうアインシュタインは考えた)が自己目的化せられ、思わない(計量されなかった)結果、つまり、核時代の開幕を促したのである。

 手段の自己目的化――これは歴史に普遍の悪魔的現象である。それが歴史である。

 人間はユートピアを憧れる。そのために様々の手段を講ずる。しかし、人間はユートピアには達しないで、そのための手段に縛られて行く。「仕事の背後への人間の落伍」(マルティン・ブーバー)である。

 教化のための教会が教会のための教化を欲し、革命のための前衛が前衛のための革命を志向する。

 人間のための科学技術・社会機構が科学技術・社会機構のために人間を「使用」するに至る。

 日本の近代史を考えてみる。

 「抑、欧州二於テハ憲法政治ノ萌セル事千余年、独リ人民ノ此制度二習熟セルノミナラス、又宗教ナル者アリテ之カ機軸ヲ為シ、深ク人心二浸潤シテ、人心此ニ帰一セリ。然ル二我国二在テハ宗教ナル者其力微弱ニシテ、一モ国家ノ機軸タルヘキモノナシ。仏教ハ一タヒ隆盛ノ勢ヲ張リ、上下ノ人心ヲ繋キタルモ、今日二至テハ己ニ衰替二傾キタリ。神道ハ視宗ノ遺訓二基キ之ヲ祖述スト雖、宗教トシテ人心ヲ帰向セシムルノ力ニ乏シ」という考えから、伊藤博文は、「故二今憲法ノ制定セラルルニ方テハ先ツ我国ノ機軸ヲ求メ、我国ノ機軸ハ何ナリヤト云フ事ヲ確定セラルへカラス。基軸ナクシテ政治ヲ人民ノ妄議二任ス時ハ、政其統紀ヲ失ヒ、国家亦タ随テ廃亡ス」(清水伸『帝国憲法制定会議』88頁――丸山真男著「日本の思想」からの二重引用)とした。ここから彼は「我国二在テ機軸トスヘキハ、独リ皇室アルノミ」と断じたのである。

 つまり、「国体」は近代化・西欧化のための機軸的手段として作製されたものであったのである。しかし、この手段は自己目的化せられた。近代国家になるよりは「天皇制」のために人民大衆の自由も権利も奪われ、ここに現れたウルトラナショナリズム(これは普通超国家主義と訳されているがウルトラは超ではなく過度という意味であるから、「過剰国家主義」と訳すべきであろう。これは鈴木大拙氏の意見。同氏の「日本の霊性化」法蔵館、19頁参照)は破滅へと直走したのである。  

 手段の目的化で一番恐ろしいことは、人間が手段として選んだ観点なり立場なりが、その観点なり立場なりのゆえに自分自身を本当には見させないということである。これは精神の「盲斑現象」である。

 「網膜の根源的箇所、すなわち視神経が網膜に入りこみその個所に『盲斑』があるのと同じように、精神もそれが自分自身の根源を有しているまさにその場所において、すべての自己観察、すべての自己反省に関して盲目になる。精神が完全に根源的であり、完全に『自己自身』であるその場所において、精神は自己自身に関して無意識なのである。そしてこのような精神に関してこそ、古代インドの聖典ヴェーダに述べられている次のような言葉がそっくりそのままあてはまるのである。『見るものは見られず、聞くものは聞かれず、考えるものは考えられない』」(フランクル「識られざる神」みすず書房)。

 それゆえ、奇妙なことが現象した。「天皇制」というひとつの理論的構成体=モデルの只中にあっては、ほとんどの日本人が「天皇制」が何であるかを知らなかったのである。ひとつの観点はその観点自身を批判できぬため、認識もできないのである。

 だから、こう言える。人間はひとつの手段を選ぶことによって、それによって目的に達するよりは、かえって手段を自己目的化しており、しかも自己目的化しているその手段そのものを本当には知らないのである、と。人間は完全に「手段」の中に盲目のまま閉じ込められているのである。手段を用い、何らかの目的を達成しようと念ずるが果たさない。人間は常に手段と共にいずかたへ行くとも知れず漂うだけである。−−これを「付託」と言う。

 「第一次世界大戦において、人々が、しかも両陣営の人々が次第に深い驚きの念をもって経験したのは、自分たちがある不可解な力に付託されてしまっているということであった。この力は人間の意志に依存しているように見えながら、しかも繰り返し繰り返しその束縛を破り、人間によって設定されたすべての目標をふみにじり、遂には、敵味方のすべての人々に壊滅をもたらしたのであった。かくて、人間は、自分がデーモンの生みの親でありながら、しかもその支配者となることができないという恐るべき事実に直面した」(マルティン・ブーバー

 これらすべてのことは何であるのか?

 「神を心にとむるを善とせざれば、神もその邪曲なる心の髄にすさまじきことをするに任せ給へり」(ロマ1・28)。人間はユートピアを造出して神になろうとしたが、事実は自分の心の髄にまかされて手段に閉じ込められているだけで神になれない。これは歴史を通じての審きである。

 ここで、イエスが十字架の上で「父よ、彼らをお赦し下さい。彼らは何をしているのか知らないのです」(ルカ23・34)と祈られたとき、このような人間の認識の盲目、このような手段の自己目的化、このような「付託」、付託に於ける罪――のために祈られたのであることを、覚えておこう。

     (六)

 手段と目的が一致しなければならない。あるいは、目的も手段も消えなければならない。端的にあることが肝要となる。

 「目的論は、時間、相対性、因果関係、道徳等々の世界に属する言葉であるが、禅は、かかる制約を一切越えたところに生きる。野の百合、空の鳥が、聖なる生命の栄光を証するためにだけ生きるかぎり、彼らは目的を持たぬ生を生きている。人間とても同じことである。おのれの身長に一尺を加えようとせずに生きる時、何を食わんと明日のことを思いわずらわずに生きる時、何を着、何を食わんと明日のことを思いわずらわせずに生きる時、そして一日の苦労はその日一日で足れりとする時、このような生は、空の鳥や野の百合のそれと同じように、栄光に満ちたものでゃなかろうか。すなわち、一切の目的論的思いわずらいや、人間の分別による複雑さから解き放たれた生である。時間と目的論とは、たがいに交錯している。禅は時間を超越し、したがって目的論をも超越する」(鈴木大拙『禅』筑摩書房)。

 これが「タタター」(tathata)=如である。「このまま」(suchness)である。

 ただここにいるこの人間、それをわたしはハイデッガーの”Dasein”(そこ存在=現存在)に対して”Hiersein”(ここ存在)と言おう。Daseinはdas Mann(無性格的なヒト)としていつも”Besorge”(思い煩い)にひき廻されているのである。それというのもサルトルの言うように他人の「目」に恐怖するからである。これに対して”Hiersein”は「タタター」として「このまま」に充実している。「このまま」で充分なのである。全ての時が充分で充実しているのである。

 しかし、それは簡単なことではない。「このまま」(タタター)をわたしはここでは「立場」の問題として考えてみよう。

 「立場」――人間のコトバは、それがあると思っているから出て来ている。どんな些細な発言といえどもその奥に「立場」を前提としているであろう。普通、人間は「このまま」で「立場」があると素朴に想っている。それが第一の「このまま」である。

 ところが、人間は本当に「立場」を持っているのであろうか。人間の立言の根拠を究極的に訊ねられるとき、一人でも無キズでおられようか。例えば、姦淫の現場をとりおさえられた女を「モーセの掟にある如く、石で打つべきでしょうか、打たざるべきでしょうか」と宗教家たちが詰め寄ったとき、イエスは一言、「汝らのうち罪なき者先ず投げ打て」と答えられたあの一瞬、人々は一人さり二人去り、遂に女はイエスだけがそこに残っておられるのを発見したのであるが、人間の「立場」が「汝らのうち罪なき者」というところまでつきつめられると崩れるのである(ヨハネ8章参照)。思うに、人間の「立場」或は「人間の存在の根拠」はその一番底に於いて割れているのである。割れたままになっているのである。これが第二の「このまま」なのである。この「割目」はさきほど(五)のところで見たように、今日歴史的に露呈されているのである。今日は巨大な「割目」開示の時代である。

 しかし、それだけであるならば、人間は破滅してしまう。わたしは信ずる。割れているわたしの存在の底に、実は、新しい根拠が来て下さっていることを。それをinstitia passiva「受身の義」(ルター)と言う。わたしの割れた存在がそれを新しい義・根拠として受けるからである。罪ある者が赦されるのである。「父よ、彼らを赦し給え。彼らはそのなすところを知らざればなり」(ルカ23・34)と祈られる彼により「このまま」赦されるのである。

 「我は福音を恥とせず、この福音はユダヤ人を始めギリシャ人にも、凡て信ずる者に救いを得さする神の力たればなり。神の義はその福音のうちに顕われ、信仰より出でて信仰に進ましむ。録して『義人は信仰によりて生くべし』とある如し」(ロマ1・16〜7)。

 これが第三の「このまま」である。

 だから、こう言ってもよい。「“シューニャタ”(=空、先程の私の言葉では「存在の割目」)を体験する前は、山は山であり、川は川である。だが体験してのちは、山は山でなく、川は川ではない。しかし、体験が深まるとき、ふたたび山は山であり、川は川である」(鈴木大拙、前掲書、179頁参照)。

 私の存在はその奥底で割れている。歴史も割れている。しかし、その最奥底に於いて、あがなわれているのである。真に「タタター」と言う時、このことなのである。

 つい数か月前なくなられた原爆歌人正田篠枝さんは、「苦しんでいるのではなく、苦しませていただいているのです」と新聞記者に語られていた。これは「最奥底」の方から「割れた存在」が歓びのうちに体験させられていたのである。苦しみの中で「タタター」であられたのである。

 この「タタター」からactus directus(直接的行為)は出て来るのである。しかし、この際注しなければならないのは、「タタター」は時々刻々の現在に於いてなのであって、従ってactus directusは常に突如発動される決断である。決して本質的につねに「どのような」歴史的行為にも「先んずる」先験的な行為ではない。「我々は、actus directusの本質は、無時間性のなかにあるのではなく、神によって自由に与えられたものであるから、繰り返すことの出来ないキリストへの志向性の中にあることを主張する。すなわち、その本質は実存――それはまさに歴史的・時間的実存の全体性であるが――に接触する仕方で表現されることを主張する」ボンヘッファー「行為と存在」111頁)。

 actus directusの「場」は時間、それも現在、「志向」はキリストへ、なのである。

 現在的「場」は≪このいと小さき者≫に求められねばならぬ。そしてそこに於いて「汝自身を汝自身に於いてでなく、キリストに於いてのみ求めよ。そのとき汝はキリストに於いて永遠に汝自身を見出すであろう」(ルター)なのである。こうして、≪このいと小さき者≫にImago Dei(神のイメージ)を見るのである。
 
 以上が、「体験的イメージ」の神学的断片的思索である。

 このイメージに対する約束は次の如くである。

 「今われらは鏡をもて見るごとく見るところ朧なり。然れども、かの時には顔と顔とを対せて相見ん。今わが知るところ全からず、然れど、かの時には我が知られる如く全く知るべし」(コリント前書13・12)。


 (次回につづく――原文には多くの個所に重要な傍点が付されていますが、このブログではすべて除いています。著作に仕上げる折には原文に戻します。)

2014-11-08

延原時行著作集ブログ公開第20巻『雄鹿再来・第七巻・2014年11月6日』(第2回)

          雄鹿再来:第七巻、2014年11月6日


                 雄鹿再来の歌

        何故に我善き師とぞ汝言ふや神ひとり他善きは無きなり
         (備考:マルコ福音書10章18節参照)

        これはぞやイエス御言葉「善き父に」向かふ方こそ主なる御子とぞ

        向ふ方我妻絶後笑み増しつ岸辺立つ主とまみへ往きたり

        向ふ方在りてこそなり天父への永久の命ぞ妻招きたり

        青年や一切所有に晦ませる主と共にぞや天父往く道

        人にはぞ笑みて「往く方」ありてこそ絶後驚愕妻物とせず
        (備考:「往く方」=往くべき方向、であると同時に、天父へ往く方[ヨハネ
        福音書1章1節第二項「神と共なる(pros ton theon)ロゴス」]、の意)


雄鹿:第七号、1965年11月24日
Deer, Vol. VII, November 24, 1965
  
                   
f:id:keiyousan:20141107113654j:image:medium

目 次:Table of Contents

機ヾ頭メッセージ:The Lead Message(第1回)
 友達づくり:Friends―Making

供\盒:Sermons
1.永遠の生命:Eternal Life(第1回)
2.恥と力:Shame and Power(第1回)
3.一日の苦労:The Day’s Own Truoble(第2回)
4.真理と歓びについて:On Truth and Joy(第2回)

掘,椶の詩たち:My Poems(第2回)
1.≪ああ ある日≫:Ah, One Day  2.≪コトバ≫:Words
3.≪ヒト≫:Humans         4.≪課題≫:Something to Do
5.≪そこから≫:From There     6.≪このごろ≫:These Days
7.≪ワン公≫:Dear Dog       8.≪私≫:Myself
9.≪心よ≫:My Dear Soul     
10.≪エジプト人画家ラガイ・ワニスさんのギャラリで≫:At the Egyptian Painter
Mr. Ragai Wanis’s Gallery
11.≪寸言≫:A Few Sayings      12.≪忘れない≫:I never forget it
13.≪嫌悪する≫:What I dislike   14.≪誘惑≫: Temptation      
15.≪ひとりの人≫: A man
16.≪いいな≫: It’s nice      17.≪かれ≫: He
18.≪車窓より≫: From the window of a train 19.≪畏友≫: My respected friend


検.┘奪札─ 礇ぅ瓠璽犬砲弔い討粒仆顱:
Essay: A Memorandum on Images

后]席検バルト神学に於ける祈祷理解
Thesis: The Understanding of Prayer in the Theology of Karl Barth
序文
第一章 発端
(一)バルトの祈祷批判
(二)祈祷の弁証法
第二章 祈祷のキリスト論
(一)北森氏のバルト批判
(二)バルト神学からの北森批判
(三)バルトの神観―神の子の従順
(四)祈祷が従順である
(五)聴聞者としての父―永遠の祈祷者としての子 
        

此,曚鵑笋 ハインリッヒ・オット著
Translation: Heinrich Ott
「思惟と存在」:Denken und Sein 
マルティン・ハイデッガーの道と神学の道
 まえがき 第一章 緒言

編集後記: Postscript


       供\盒:Sermons


     3.一日の苦労:The Day’s Own Trouble
             マタイ5・1〜7・29

     (一)

 山上の垂訓でありますが、今日はひとつ6章13・4節を熟考したいと思います。

 「だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である」。

 一日の苦労はその日一日で十分である。どういうことでしょうか。

 最近、といってももう夏のことですが、高校野球で教えられたことがあります。準決勝戦の三池対報徳の試合です。9回の表まで報徳が勝っていました。2対1でしたか。報徳の谷村投手はあと1回投げかてば、優勝戦に進むことが出来るのです。ぼくは面白くなって、かたずをのんでテレビを観ています。何かしら面白くて仕方がなかったのです。

 谷村は9回裏を逃げ切ろうとしたのですね。ところがそこに思わぬワナがあったのでした。彼の時間との関係の仕方が後ろ向きでした。過去を守ろうとしていたのですね。これに反して、三池のナインは現在にへばりついていました。初球攻撃をつづける。塁に出ると走る。バントの構えはしてみせる。何でも力いっぱいやっているのです。遂に3塁走者がゴーゴーと出て、打者がバントの構えをしたとき、なんのはずみか谷村投手は球をポロリと落とし、ボークになってしまいました。当然3塁走者はホームイン。2対2で延長戦。10回の裏、追い上げる三池はとうとう勝ってしまいました。

 ここでぼくは人間の時間との関係ということの面白さに目をみはりました。どんなにピンチになっても、現在にへばりついて進む者が勝者なのです。そしてこう思いました。誰でも自分特有の時間(との関係)をもちながら生きているんだな、と。

      (二)

 一日の苦労、それは9回裏のピンチではありませんか。それは抜き差しならぬものであり、かけがえのないものであります。生きるとは、この抜き差しならぬ、かけがえのない今日の苦労に体当たりすることです。

 或る人は「地獄に在りては地獄を見よ」と言われて、悟ったといいます。あるものを見るのです。目を離そうとする時に、あらゆる生命活動の停滞が始まるのです。

 こう考えてぼくは非常に愉快になりました。ぼくは野球から山上の垂訓の最上に註解を与えられる思いでした。

 どんなところにも聖書の註解はあるのです。躍っているのです。人生そのものが聖書註解です。人生によって聖書が読み返され、聖書によって人生の味が出るのです。聖書と人生は、だから、一つです。

      (三)

 現在の苦労に直面すること、さまざまのイマジネーションで過去や未来に逃げないこと、このようななかで人生は、わたしに素晴らしく語りかけるのです。そうです。古きよき昔に想いをはせる時、感傷の中にわたしはヴァイタリティを失っていきます。過去の美しさ(実はわたしの妄想が美化したのですが)のゆえにわたしは現在と不仲になります。また妄想されたユートピアに、アンビションをかきたてる時、わたしは哀れな立身主義者という道化師を演じているのです。ただ、現在の中でだけ、現実の苦労にぶつかろうとする姿勢のなかにだけ、人生は実に素晴らしく語りかけます。

 ぼくは、キエルケゴールが「歓びとは自己自身に現在的になることだ」と言ったことが忘れられません。本当の歓びは、実際、客観的に言ってある苦労と直面しているわたしに、わたしが主体的に参加することのなかにあるのです。

 ぼくは、ところで、人に歓びを与えないものはどんなものでも真理ではない。歓びを与えるものは真理なのだ、という頑固な確信をいだいている者です。

 こう考えますと、真理は現在に於いてしか姿を見せないことはもはや明らかです。

     (四)

 現在の苦労のなかで、ことばをかえるならば、現在の矛盾のなかで、それに直面し、へばりつく人にだけ、真理は歓びとして姿を見せるのです。これがぼくが「人生がわたしに素晴らしく語りかける」といった意味です。

 このようでありますから、33節の「まず神の国と神の義とを求めよ」を、ぼくは今日の苦労と離して考えるわけには行きません。

 この抜き差しならぬ、かけがえのない苦労の現在に於いてなのです。神の国(支配)と神の義(赦し)がやってくるのは。だから、ありもしない絶頂(人気の?)を考えあぐんではならないのです。いつも「今」です。時間は「今」で出来ているのです。たぶん死ぬ時も「今」としてあるでしょう。その時「地獄に在りては地獄を見よ」です。その時、真理は歓びとしてわたしに迫るでしょう。
  (大阪TMCA邦語聖書研究ノート『山上の垂訓』より。1965年8月23日付)



    4. 真理と歓びについて:On Truth and Joy
               ピリピ4章8節


 先日、川口さんから「真珠」9月号(阿武山赤十字病院バイブル・クラスの会誌)と御手紙をいただき、何か原稿を書くようにとのことでした。で、何か書いてみようと思います。

 この頃わたしはますますピリピ書4章8節のパウロの勧めに惹かれています。

 「最後に、兄弟たちよ、すべて真実なこと、すべて高邁なこと、すべて義しく純粋なこと、すべて愛すべく優美なこと、そして何事でもすぐれており、称賛すべきことがあれば、これを心に満たしなさい。」

 これはわたしは今日聴聞すべき重要なコトバだと思います。わたしたちに聖書のちがった面を差し出しているからです。ちがった面といいますのは、ふつう聖書は何と言いますか、キリスト教の専有物のように受け取られ、ひとつの党派性のための聖典とされてしまっているからです。ところが、ここでは彼パウロはすべての「いいこと」に活眼せよと言う事によって、聖書の精神が「真理」のための聖典たるところにあることを示しています。

 彼はすべての「いいもの」は心にとめよと言います。これは面白いことです。「いいもの」と言いますのは、これは、いつでも教会や国家や党やその他もろもろの上部団体が指示してくれるものではありませんし、また指示できるものでもありません。「いいもの」というものは、わたしの心がこれを感じるのです。これが面白いのです。

 心の感覚なしには真理に近づけないということでしょう。だから、わたしは思います。自分の心の感覚を大切にしようと。分からないものは分からないのですし、愉快なものは愉快です。わたしたちの心は毎日いろんなことを感受しています。働いています。これを窒息させるような仕方で真理が語られるとき、それがどんな真理であれ、つまりナニナニ教であれ、ナニナニ主義であれ、ナニナニ学会であれ、それはウソだ、というのがわたしの深い確信です。それは真理を部分化し、私有化し、党派性に閉じ込めようとする精神です。わたしはそれにいつも大反対です。心の底から憤ります。何故なら、真理はもっと広くて、誰もその全体をつかみきることは永久にはないからです。真理の広さは多分宇宙の広さがあるのではないでしょうか。

 ところで、心の感覚――いいものはいいものと認める感覚は、わたしの思いますには、つきつめて行けば、歓びの感覚にいたることがわかります。何かしらいいもの、換言すれば、真理の陰を落としているものは、何故かわたしを歓ばせるのです。これはわたしの経験です。だからわたしは深く確信しているのですが、歓びを与えるものが真理なのだ、真理は歓びとしてわたしに迫る、という訳です。

 ところで、この「歓び」ということなのですが、わたしはキェルケゴールという、デンマークの真理探究者が言ったコトバを忘れられません。彼は言いました。「歓びとは自己自身に対して現在的であることだ」と。これは実に深いコトバだと思います。

 つまり、現在の自分(その自分がどんな状態にあろうとも)を離れて、それ以外のどこにも歓びはないのですね。今の、そのままの自分、これが歓びの「場」なのですね。抜き差しならない、かけがえのない現在のわたし、そのわたしの存在、それにわたし自身が「現在的」になる。つまり、過去を想ってやるせなくなったり、未来を想って身をよじったりしないで、何の変哲もない自分と今ひとつになる、一致する、自分になり切るのですね。そこに歓びはある。そして歓びがそこにあるとき、実はそのことに於いて真理がわたしのところまで来ているということなのです。

 わたしは、今『耳鳴り』という歌集を遺して逝かれた原爆歌人正田篠枝さんが、その病床で、新聞記者に言われたというコトバを想い出しました。「苦しんでいるのではなく、苦しませていただいているのです」。

 遂にこの人は苦しみのなかで自己自身に現在的になられていたのでしょう。そのゆえにこのコトバだと思います。

 歓びのうちに逝かれたそうです。つい、数か月前のことです。

             (阿武山バイブルクラス会報「真珠」No40,10/7より)



         掘.椒の詩たち:My Poems


    1. ≪ああ、ある日≫:Ah, One Day

ああ、ある日 ぼくは重い心で
歩いていた 夜道を

職域伝道委員会の帰りだ
教団の宣教基本方策の解説とかで
「新しい教会づくり」なんていう
イヤな名前のついた小冊子を
テキストにしてのちょっとした
研究会であったわけだ 事務ののちに

号令をかけるのはいつも学者専門運動家だ
無責任に外国の「モデル」を振り回す
またまた「近代化」「産業化」などという
エセ社会科学の「モデル」を用いて
かよわき教会の悩み多き牧師たちを
攻めたてる自称神学者
いるかと思えば 牧師たちは
毎日の生活に追われる信者たちを
この「モデル」を用いて号令者に
自分もなることを欲するのか

すり抜けて行く ヒダを
生活のヒダを ヒダの生活
すべての「モデル」は、パターンは
タイポロジーは 通り過ぎる

戦後 キリスト教は得ようとした
大勢の人をである ブームの中でだ
敗戦に打ちのめされた日本の民衆
われらであるかれらに 教会は
アメリカのペンキで塗っただけの
看板で近づいたのだ 隠して
自分こそがこの戦争のなかで
日本人として キリスト者として
打ちのめされた人間であることをだ
そう、呻く心のかわりにアメリカ
安っぽいペンキで塗った救世主
教会――その底にはニヒリズムがあった

駄目である 今またはげたペンキ
にかえて新生中国に劣等感して
いささか社会づいてみてもだ
キリスト教ブームの戦後看板
にかえてコスモポリタンの誠に
卑屈な学者たちが 欧米から
再びしいれた「急激な社会的変革」
にアダプトせよとの金切声
講演ののちに あるいはまた
これも「近代科学的思惟」の
「実存的な」現代人にむけての
ブルトマン亜流の実存論的神学
の空疎な議論ののちに あるいはまた
文化的な平和運動派という
左派リーダーの文化的抗議
の華やかな舞台の陰に ただ
呻きの心だけでたたかいと
敗北の連続へと取りのこされたのは
日常をはたらき日常で生きる
庶民 労働者であった それも
正直に矛盾をみつめ ウソを
マコトと言って幸福になることの
できなかった人たちこそが

論壇におけると同様に ここ
キリスト教界においても 彼ら
講演者に書けるのは「モデル」
だけではないか 結局
しかし われらは忘るまい
彼らの「モデル」は つまりは
モデル代を稼いで そこに
虚構の生活を築くためである
という極めて実利的な別の
計算によって成り立っていたことを
わたしは だから 言おう
要らない! われらは要らない!
このような大勢の無為徒食の
神学教師たちとその議論は
断じて要らない と

このような言うなれば教会の
修養会や講演会や協議会という名の
自慰のための 講演者予備軍は
断じて軍縮すべきである と
見よ 年年歳歳何と多量の
愚にもつかぬキリスト教学や
キリスト教教育学についての
欧米的「モデル」を無料給付されて
同胞を助けるのではなく ダシ
にするために ミッションスクール
という骨抜かれ学校への就職
だけをあてにして 帰国
して来る講演者予備軍のあることか!
すべてこれらの者達の行列の名は
ステータス・シーカー(地位追求者)
これなのである 実際

われらはもうふざけるのは
いい加減にしないと大変
な事になる時に来ているようだ
そうだ ぼくは日雇の生活
から学んだのだ これだけは
恥だけが外からはわからない
恥辱だけは「モデル」では断じて
とらえられるものではないことを
ぼくがこの日本で 生きる
とするならば キリストの
弟子として 生きるとする
ならば どうして ああ
車道の片わきで 恥辱
のため泥酔してイビキかく
人々の「像」を冷たい観察
の鏡に写して統計とし
その統計的虚像に向かって
欧米的「モデル」をブッテ歩く
幸福な演説家となれよう?

結局 神学教師には牧師
生活が 牧師には信徒
生活が 信徒には同胞労働者
生活が 本工には臨時工
生活が 臨時工にはドカタ
生活が ドカタにはニコヨンの
ニコヨンには アンコの
ああ アンコにさえ
一緒にぼくもはたらいた
あの部落の青年
あの朝鮮人の老人
の苦しみがわからないのだ
とぼくは感じていた
ましてや イエスの苦しみを
われらすべてはわかるだろうか?
ここに厳然として ひとつの
現実逃避体系が いわゆる
キリスト教として 成立
しているのに――

で ぼくは何を選んだ
のであろうか ぼくは
一人の「自立」的な教師に
過ぎない 塾の 私塾の
学ぶということを この
生きるということと共に
し度いだけの友達に この
小なる人生において 出会
えるならば それをしも
望外のさいわいと歓び
度いだけの ニンゲン
学問が ああ そうだ信仰
が人々に「対して」高価
な衣裳のファッション嬢
のように「通り過ぎる」
のではなくて 断じて!
流行の衣裳なくして ただ
自分のハートで信じ 自分
の頭で考え度いだけの
ヒトリ の ニンゲン
生きの身が恥辱
ならば そこから考え この
生が追いつめられた矛盾
ならば そこから信じる
ニンゲン キリストと
日雇の日々から学
びおおせた智慧がこの
私にあるとすれば ただ
恥辱は蔽わないで 裸
のまんまで 本当
のいのちがあるという
このよろこばしい確信
があるだけ それだけ

ああ 恥よ 呻きよ
民衆の隠れた宝よ 今日
もぼくはヒトリの友
から 裁判にかけられ
恥辱のなかに 資本家
と警察と判事によって
暴力沙汰という名
の判決をくだされた労組
の苦闘と共にほうり
こまれている 同胞
のことを知らされた
生活の恥辱 恥辱
の ああ そう 恥辱
生活だ だからイデオロギー
でたやすく言うな もっと
胸を張れと これが
そう これが 本当
に 胸を張ることなんだ!

解決はない われら
二〇世紀の住人の世界
と同じだけ それだけ
解決はない やはり
そのままで この地球
は廻るのである だが
このなかに生の根源
が隠されながら

ああ ある日 ぼくは重い心で
歩いていた 夜道を



     2.≪コトバ≫:Words
 

存在の地底が割れている
勇み込んで登場するコトバが
つぎつぎに
深淵にのみこまれて行く



     3. ≪ヒト≫:Humans

だれも
明日を知らない
しかし
だれも
明日を欲する



     4. ≪課題≫:Something to Do

おお わが胸は わが胸は何故に?!

人間はこの世に
ひとつの課題を果たすために
つかわされたものであるようだ

朝っぱらから
胸の底から
何かふつふつと
たぎるものがある

さまざまの現実は
このたぎるものを
触発して行く

だから
ぼくの課題を
いやでも目の前に
つきつけられているのだ



    5. ≪そこから≫:From There

同胞よ そこから 動き出すのだ
身の周りから

知らぬ間に作らされている
鉄砲から
心をびくびくさせながら
生活のためにしがみついている
ナパーム弾から
手を引くのだ

では どうして食うのだ?
それこそ腹の底から 同胞よ
あなたはきき返すだろう
そうだ ぼくもききかえそう
そうだ どうして食ったらいいのか?
どうして?
隣人に猛火を輸出することなしに
人殺しに協力することなしに
美しく力を合わせて自信をもって
どうして食ったらいいのか?

そこに われら日本人の
通過しなければならぬ
道がある
戦後も避けて通らなかった
道がある
食うことか いさぎよい人生か?

そうだ いさぎよい人生!
これをわれらは見失った
       回避した
       軽蔑した
およそおめでたい理想だとして

このひねくれた子供 日本人
あわれぐれた 不良
いさぎよい人生を
あくまでも
食って行けるものとして
打建てる努力をおこたった
われら

戦争の痕跡のなかで
さらに深くおのれを掘り
はやりはがみする心を
じっとこらえ
焼野原におのれの正体を
泣くことから
何故 始めなかったのか

そしてまた
取返しのつかぬことへか?

いや いけない!
同胞よ
そこからだ
身の周りから
人を傷つけずに
人を助けながら
生きて行けるように
そこからだ

運動はやさしい
議論は簡単だ
イデオロギーは自尊心によい
だが それらは
われらをおだてるが
かえない
生活は そこに
残っている
旧態依然としてブザマにも――

それだ!
そこからだ!
かえるべきは!

おのれを打ち
おのれを泣け
おのれを逃れるものは
すべて
バベルの塔をたてる
そして その底に
ニヒリズムがひそむ

そこからだ 友よ
そこから
おのれをつき破り
くつがえし
悪いことは
泣きながら拒み
あらわれた傷を
おたがいに
包帯するのだ



    6. ≪このごろ≫:These Days 

私は このごろ
実に悲しい思いがしている
日本も 世界も
滅びるのではないかと
感じられてしかたがない
心が毎日
重くてしかたがない

だが 言えることはこうだ
永遠へとつき抜けよ と
呻きながらつき抜けよ と
政治至上主義の時代の中で



     7.≪ワン公≫:Dear Little Dog

お前はチビだ
白いから白チビだ

白チビはなく
毎晩 なく
いつないても
お前だとわかるんだ

お前は肢体不自由児だ
両足をだらんとして
小道のわきに泣いていた
家へつれてかえって
ミルクを飲ませながら
ゴクゴク飲んだ
二階へあがって
本を読んでいたら
キャンキャンないて
そのあと玄関まで
はいあがってきたまま
お前は寝ていた
離れて待っていると
足をブラブラ動かして
背骨はグラッと曲がったまま
一生懸命やってきた

そんなある日
俺が聖書講義に
出ているあいだに
白チビは
みんなによってたかって
連行された
喧しいからだそうだ

あくる朝から
白チビは
近所の獣医さんの
庭先に
黒や茶色の
先輩たちにまざって
しごく健在であった

で お前は
また今晩も
泣いている
犬は
犬族と居れ
俺は声だけを
聞いていやる



     8. ≪私≫:Myself

私には
私が
ほんとうは
見えないのだ

私を
見よう
とする
私は
腐っている

腐っている
私は
泣くほか
ない

私の中に
私という
傲慢が
嘔吐として
あることを
私は
泣くほか
ないのだ



    9. ≪心よ≫:Oh, My Soul

心よ
お前の
なかで
おおくの
ひとを
笑顔を
もって
おむかえ
しなさい



    10. ≪エジプト人画家ラガイ・ワニスさんのギャラリーで≫
At The Egyptian Painter Mr. Ragai Wanis’s Gallery

それは なにか 青いイメージで あった
遠くから 祭りの
しかし なにか 物悲しい
でも しっかりと 底のある
青い ひびきで
それは あった

鳥が落ちる 鳥が!
しかし 光が来る 光が!
ああ オシリス
なにかが ここに なければならない

この 青の 世界の なかで
呻きながら
しかし 澄んだ 声で
歌って いた

ひげずらの 君は
静かに 立っていた
のだが――


At the Exhibition of Egyptian Artist,
RAGAI WANIS

Yes, it was a blue image
In the distance was a sound of the festival,
Why, so sorrowful yet deep;
It was vibrating blue.

Birds are falling. Oh, birds!
But lights are coming. Lo, lights!
Ah, Osiris. Here should be something!

In this blue world something
Was groaning weightily
But with a voice clear and sweet
Was it just singing?

Though you with black beard
Were standing silent there.

On the 16th of November,1965, In Kyoto.



 11. ≪寸言≫: A few sayings

人生は活動のなかにある
活動とは他者との出会いである
それへの意欲的自己解放である



     12. ≪忘れない≫: I don’t forget

私は忘れない
Oh, God, what is to live in the world?
と叫びながら
いま労働を終えたからだを
自転車にのせて
雨のなかを
つっぱしったことを

私は疑問者だ
私は探究者だ
疑問が心をつきあげるのだ
探求が心を熱くするのだ



     13. ≪嫌悪する≫: I don’t like

私は嫌悪する
自分の生活を守るために
呻吟する人へと
自分を開かぬ人を

生活の苦しいのは
だれしもだ
それには言うことはない
だが、そのことの故をもって
より深く呻吟する人への
行動をとりやめてしまう
そんな理由はどこにもないのだ



     14. ≪誘惑≫: Temptation

思ってはならない
これが人生だと
お前は いましがた
世界を鳥瞰しようと
したではないか



    15. ≪ひとりの人≫: A man

ひとりの人は
歩かれました
重い重い
十字架を背負って
長い長い
坂道
トボトボと
疲れに疲れて
歩かれました

ひとりの人は
歩かれました
差すような眼
嘲るような口
ざわめいている身体
のまえを
トボトボと
うつむいて
歩かれました

うつむいて
うつむいて



     16. ≪いいな≫: It’s nice

子供はいいな
さっきけんかして
泣いてかえった
と思ったら
もういっしょに
あそんでいる

うらみが深く
のこりはしない
ねたみがひとを
つけねらいはしない

泣くのもよい
歌うのもよい
そしてけんかも
またよいのである

附近に小犬が
木々には小鳥が
たわむれている

あそぶということは
ほんとうにいいな



     17. ≪かれ≫: He

ほんとうにそうだ
かれは
ぼくの中
ではなく
ぼくたちの
間に
住んで
おられるのだ

ぼくの底は
ぼくの中では
ないのだ
ぼくたちの
間であるのだ

ぼくたち
一人一人の
底は
一人一人に
一つだ
イエス
底で
一つなのだ
彼において

底である
彼は
ぼくたちの
間で
あられるからだ



     18. ≪車窓より≫: From the window of a train

祭日の朝(あした) 恥ずかしげに
稲こぐ人びと 何時の日にぞ
かくなりし

文明の歯車の せわしげに廻りて
生命の糧 育て穫るしごと
うしろめたきや

見ゆる山やま 越ゆる川がわ
すべてこれ すみわたり
家いえのはざまにて

ハイキングに 山登りに
足取りもかろく
若人ら行けり 落葉の
待てるありて

かしこもまた 団地にするや
いと赤き山肌 あられもなく
看板の立てるあり

されど見よ 谷川のあおき
されど聴け 小川のせせらぎ

若人よ 見よ 聴け

もみじ色美わし なれの告ぐる
秋の深まり けぶり消すとも
こころ慰む

童連れ 妹背の座りて
せがまれて答ふ 今は武田尾
行くは三田病院

われも行く 畏友床にふせりて
秋深き宿替 手伝はんと
トラックにのりて

紅き 紅き、緑(あお)き 緑き
もみじ葉と松 ふと田園の広がりて
三田駅につけり



    19.≪畏友≫:My respected friend

病床に君の 笑顔ありたり
胸に湧く 夢を告げんと
われをしも待てり

ああ 楽しきかな
語り合ふは
ああ うれしきかな
友のあるは
幻のうかびきたりて

疑はじ我 君の再び
いざ共に立ちつ 荒ぶる世に
つくす日の近きを



     (次回につづく)