「吉田源治郎牧師から見えてくるラクーア伝道」(資料4)



     吉田源治郎牧師から見えてくるラクーア伝道(資料4)


      (2012年10月1日・神戸栄光教会)


     吉田源治郎先生召天25周年記念集会用資料


      (2011年1月30日・於・甲子園二葉教会)
       

           吉田源治郎・幸ご夫妻


    KAGAWA GALAXY
       吉田源治郎の世界を訪ねる


 インターネットの「賀川豊彦献身100年記念事業オフィシャルサイト」
 http://k100.yorozubp.com/ で「KAGAWAGALAXY 吉田源治郎・幸の世界」を、2010年に第149回の連載を致しました。パソコンで検索してくだされば閲覧可能です。なお「賀川ミュージアム」でも可能です。


 故郷伊勢・県立第四中学から明治学院、そして京都伏見東教会就任・結婚まで
             連載1回〜17回


明治24年10月2日 三重県伊勢宇治山田に生れる。明治40年 宇治山田教会にてヘレフォード宣教師より受洗。三重県立第四中学から明治学院神学部へ。在学中内村鑑三の主催する「柏木教友会」に所属 。同郷で日曜学校の生徒でもあった間所幸は、賀川ハルと横浜共立女子神学校の同期で寄宿舎も同じであった。
御茶ノ水高等師範学校で学んでいた妹なつゑ急逝。在学中宗教教育への関心から日曜世界社の西阪保治との出会いあり処女出版『児童説教』を刊行。
 大正7年 京都伏見東教会牧師となり、間所幸と結婚。賀川ハルの紋付と西阪のフロックコートを借りて挙式。直ぐ賀川の働く神戸の「葺合新川」訪問が始まる。


     賀川夫妻と源治郎夫妻の間に深い交流が始まる 敗戦まで 
             連載18回〜85回


 京都伏見東教会での生活は米国留学までの約4年間。天文学者・山本一清との交流もあり「星の研究」にも打ち込む。主著『肉眼に見える星の研究』出版。
大正9年 日曜世界社編集部に協力して賀川豊彦の『イエス伝の教へ方』を完成。翌10年 賀川の名著『イエスの宗教とその真理』の講義記録を仕上げる。同年「イエスの友会」創立に加わり名付け親となる。翌大正11年も賀川の講義録『聖書社会学の研究』『人間として見たる使徒パウロ』など完成させ、米国オーボルン神学校へ留学。
 大正13年 オーボルン神学校卒業後ユニオン神学校・コロンビア大学などで学び、「労働者伝道」の志を抱き賀川と共に欧州視察旅行を試みる。
帰国後すぐ甲子園近くの久寿川に住み、大阪「四貫島セツルメント」の開拓的な活動を開始。その後、西宮今津の小泉澄(きよし)邸の隣に居を定める。
 留学中シュヴァイツァーの著作と活動に感銘を受け、大正14年 版権を得てシュヴァイツァーの名著『宗教科学より見たる基督教』翻訳出版。「イエスの友大阪支部」や間所兼次らの「共益社」と呼応しつつ「四貫島セツルメント」活動を本格化させる。
 大正15年 賀川豊彦は西宮の瓦木村に拠点を構え、昭和2年 ここを拠点に杉山元治郎と吉田源治郎らで「日本農民福音学校」を開校(15年間継続)。同年「四貫島セツルメント」に「大阪イエス団教会」(大阪四貫島教会)誕生。
賀川は昭和4年 再び松沢に戻り西宮を離れるが、昭和6年 小説『一粒の麦』の印税などで武庫郡瓦木村高木に農民福音学校寮「一麦寮」完成。昭和7年 年頭より「一麦寮」で「イエスの友冬期福音学校」開催(昭和42年まで)。「一麦寮」東隣に「ヤへ・シバ館」出来「一麦保育園」発足(主事・吉田源治郎)。埴生操らの「自然を友とする一麦の保育」を積み重ねる。こうして「四貫島セツルメント」並びに「一麦寮」を拠点とし、開拓的な保育事業や公衆衛生訪問婦活動との連携など強め、併せて旺盛な学術的執筆活動を展開。イエスの友会の指導的役割も担い続ける。
 一方、妻の吉田幸は、今津二葉幼稚園の小泉澄(きよし)園長の求めに応え、大正15年 幼稚園の主任教諭となり、以後幼稚園教育一筋の道を歩む。昭和9年 幼稚園児らと大阪放送局(JOBK)「幼児の時間」に出演、「話のおばさん」として全国放送で親しまれる。昭和12年 今津二葉幼稚園はイエス団に移管され、吉田幸は2代目の園長に就任。幼稚園では日曜礼拝も開始され、小泉功のメイスン・ハムリン社製のリード・オルガンの演奏など諸集会が続けられる。
昭和14年 「日本基督今津二葉伝道教会」が吉田源治郎を主任牧師として誕生。
 昭和20年3月 四貫島セツルメントの全ての建物が大阪空襲により焼失、8月の西宮空襲では今津二葉幼稚園も吉田源治郎の居宅も灰塵に帰す。源治郎は危うくも助かるが母ゆきは8月8日召天。吉田源治郎一家は、戦災を免れた「一麦寮」に避難し敗戦を迎える。吉田源治郎この時、54歳。


   戦後「西宮一麦教会」創立・「今津二葉教会」再建など、賀川召天まで
            連載86回〜104回


 四貫島セツルメントの再建は小川三男・敬子(源治郎の長女)夫妻に託し、今津二葉教会と幼稚園の再建を期しつつ「農村伝道の研究」を続け、昭和21年 3度の「阿波伝道」を試みる。昭和22年 「西宮一麦教会」の創立を果たし奈良の「馬見労祷教会」も設立する。「一麦寮」を会場にした正月3日間の関西冬期福音学校や関西夏期聖修会も軌道に乗せる。昭和23年 「豊島農民福音学校」などに足を運ぶ。
 昭和24年 「神戸イエス団教会」再建落成、老朽した「ヤへ・シバ館」を建て替え「一麦保育園新築園舎」完成、「四貫島教会・友隣館・保育園」再建落成、「馬見労祷教会・保育園・農村センター」完成。
 昭和25年 「イエスの友青年夏期学校」開始。秋にはヴォーリズ設計による「今津二葉教会・今津二葉幼稚園」の再建落成を果たす。家族と共に今津での生活を再開させる。以後今津二葉教会を中心に西宮一麦教会と馬見労祷教会の3教会の礼拝説教を引き受け、教会青年会などの諸活動も活発化。
昭和26年 正月3日間の一麦保育園における恒例の冬期福音学校も300名を越える盛会となり「冬天の星の観察」を講じ「ノルウエーの信徒伝道者ハウゲ」への関心を深める。比叡山での関西夏期聖修会も継続し、奈良伊奈佐村への出張伝道を足場に「伊奈佐労祷伝道所」開設、主任牧師を引き受ける。
 昭和27年 一麦保育園での冬期福音学校は「信徒伝道推進開拓伝道総決起」を企画。比叡山での夏期聖修会で「伝道40年物語」を講じる。兵庫教区農村伝道部長としての職務も担う。この年 「聖書少年文庫」企画の1冊『勇ましい士師達』刊行。四貫島セツルメントは教会と共に小川秀一・まさ子夫妻が引継ぎ、その後大きな展開を進める。
 昭和28年 一麦保育園での冬期福音学校では「労働者伝道の体験」を、豊島農民福音学校では「イエス伝・兄弟愛史・天文学」を、東山荘での全国大会では「イエスの友30年」を講じる。この年から「ラクーア伝道」に協力。
 昭和29年 「四貫島セツルメント開設30周年記念」を期して「四貫島友隣館」再建に取り掛かり昭和30年 献堂式。昭和31年 全国社会福祉事業大会で表彰。昭和32年 吉田源治郎の提唱で阪神地区諸教会の「イースター早天礼拝」始まる。昭和33年 「自然観察保育セミナー」を紀南労祷学園で開催、「星の観察・フレーベルの自然愛」を講じる。昭和34年 一麦保育園での冬期福音学校に賀川豊彦の講演があり賀川の講演はこれが最後となる。源治郎はこの年「開拓伝道(職域伝道・教育及び社会福祉など)の活発な推進」を提言。昭和35年4月23日 賀川豊彦召天。密葬式で吉田源治郎式辞。


        吉田源治郎と幸夫妻の祝福された最晩年          
           連載105回〜134回


 昭和36年 「イエス団関係者」(西宮・四貫島・神戸・和歌山・四国ほか)の「研修会」が賀川ハル・吉田源治郎・武内勝らを中心に開催。昭和38年 「著者ローガン博士を紹介する」源治郎の一文が収められたローガン著『詩篇霊歌抄』刊行。昭和39年 神戸に新築された賀川記念館で「関西新春聖修会」開催。7月 「琉球伝道旅行」。この年、町名変更に伴い「今津二葉幼稚園」は「甲子園二葉幼稚園」に名称変更。
 昭和40年 西宮一麦教会で関西新春聖修会。四貫島友隣館・大阪四貫島教会・天使保育園創設40周年記念集会で「40年たった時」と題する説教。「北米・加州伝道旅行(パロマ天文台再訪)」。吉田幸、西宮市より教育功労者の表彰。翌41年 文部大臣より教育功労者の表彰を受ける。
 昭和42年 「一麦寮」を解体、翌43年 一麦保育園の増改築落成式。一麦保育園園長を退任し、埴生操が園長就任。社会福祉法人エス団常務理事に就任。吉田幸、再び西宮市より教育功労者の表彰を受ける。
 昭和44年 関西新春聖修会(大阪クリスチャンセンター)で「石叫ぶべし」と題する説教。吉田幸、勲五等瑞宝章叙勲。昭和45年 「イエスの友創立50周年・賀川召天10周年記念集会」を奈良多武峯で開催。昭和46年 西宮一麦教会牧師館増改築完成。
 昭和47年 西宮一麦教会創立25周年記念礼拝で「生ける神を慕う」と題する説教。「ナザレ会報」(兵庫栄養専門学校聖書研究部)発行。昭和48年 西宮一麦教会『創立25周年を記念して』を、甲子園二葉教会『創立五十周年記念誌』を刊行。『五つのパンと五千人―サモネットの花籠』を宣教献身60年を記念して刊行。
昭和49年 入院療養。昭和50年・60年と西宮一麦教会で新春聖集会開催。昭和52年 『一麦保育園創立45周年記念誌:子供と自然を友として』(埴生操編著)発行。日本キリスト教文化協会よりキリスト教功労者の表彰。西宮一麦教会の主任牧師を退任し名誉牧師就任、森彬牧師が主任牧師就任。
 昭和54年 西宮一麦教会主催「吉田源治郎先生・米寿祝賀会」開催。祝賀会で高山徳太「紙芝居:吉田先生の足あと」、後に『昨日も今日もいつ迄も変る事がない吉田先生』制作。『吉田先生と私―米寿記念文集』発行。この年、甲子園二葉幼稚園は「学校法人イエス団」となる。
 昭和55年 朝日新聞大阪厚生事業団より社会事業に貢献した先輩に感謝する会で「感謝状」、またイエスの友創立60周年記念大会でも「感謝状」を受ける。西宮一麦教会における最後の説教「待ち望む」、翌昭和56年 今津二葉教会「吉田源治郎牧師引退感謝礼拝」で「神は愛なり」と題する説教。
 昭和57年 「一麦保育園創立50周年記念祝典」開催。『一麦のあゆみ―一麦保育園創立50周年記念誌』発行。「日本基督教団引退牧師」に。賀川ハル召天。この年、今津二葉教会は甲子園二葉教会に名称変更。
 昭和58年10月 紅山荘(香川県飯山町)で療養に入る。昭和59年1月8日、92歳の生涯を終える。1月9日、紅山荘での密葬の後、1月14日 甲子園二葉教会で告別式。2月12日 西宮一麦教会で追悼会。『追悼―吉田源治郎先生(1891・10・2〜1984・1・8)』発行。9月30日、西宮一麦教会の墓地(三田市)で納骨式。
 昭和60年 「故吉田源治郎先生召天1周年記念集会」(大阪クリスチャンセンター)開催。「吉田幸先生米寿記念・二葉幼稚園同窓会」大阪ガスビル食堂で開催。この年、埴生操召天。翌61年 吉田幸、甲子園二葉幼稚園園長を退任し名誉園長、吉田洋子園長就任。昭和63年 「賀川豊彦生誕百年記念」の年、西宮一麦教会『四十年の歩み』刊行。
 平成元年 「甲子園二葉教会創立50周年記念礼拝」。吉田幸を囲んで「今津二葉幼稚園同窓会」阪急百貨店特別食堂で開催。
 平成3年11月21日、吉田幸召天、94歳。22日告別式。甲子園二葉教会『創立五十周年記念誌―1939〜1989』発行。平成4年 「吉田幸先生記念会」開催。平成6年2月20日、甲子園二葉教会で「吉田牧師召天10周年記念会」開催。
 平成15年 『甲子園二葉幼稚園:八十年史』刊行。


 付録:著書・翻訳・賀川の講演筆記著作・共同で仕上げた賀川講演筆記著作
主な論文・説教・参考資料


 著書


『又逢ふ日迄―故吉田なつゑの思い出』(自家製冊子、大正6年、40頁:内村鑑三の吉田なつゑ追悼説教も収める)
『児童説教』(日曜世界社、大正7年、195頁)
『肉眼に見える星の研究』(警醒社書店、大正11年、380頁余)大正13年に改版増補され「米国天文台の印象」が新たに入る。また昭和24年には書名は同じであるが、山本一清と共著のかたちで補正を加えて恒星社より刊行。さらに昭和34年には、同じく恒星社より『肉眼天文学―星座とその伝説』と改めて、吉田源治郎著として刊行されている。
『新約外典の話』(聖書物語文庫24巻)(昭陽堂書店、昭和3年、165頁)
『心の成長と宗教教育の研究』(日曜世界社、昭和6年、222頁)(コピー)
『勇ましい士師達』(聖書少年文庫6)(新教出版社、昭和32年、159頁)
『五つのパンと五千人―サモネットの花籠』(コイノニヤ社、1975年、113頁)
ほか


 翻訳


アルベルト・シュワイチェル著『宗教科学より見たる基督教』(警醒社書店版、大正14年、137頁)(付録として吉田源治郎の「シュワイチェルの「原生林の片隅にて」を読む」という40頁に及ぶ論文が収められている)

 
 賀川の講演筆記著書


『イエス伝の教へ方・附少年宗教心理』(日曜世界社、大正9年、201頁)
『イエスの宗教とその真理』(警醒社書店、大正10年、264頁)
『聖書社会学の研究』(日曜世界社、大正11年、309頁) 
『人間として見たる使徒パウロ』(警醒社書店、大正11年、254頁)
『神による解放』(警醒社書店、大正15年、221頁)
『キリスト一代記の話』(日曜世界社、昭和2年、115頁)ほか


 共同で仕上げた賀川の講演筆記著書


『イエスと人類愛の内容』(警醒社書店、大正12年、285頁)
『イエスと自然の黙示』(警醒社書店、大正12年、247頁)
『残されたる刺―逆境への福音』(日曜世界社、大正15年、102頁)
『暗中隻語』(春秋社、大正15年、411頁)
『人類への宣言』(警醒社書店、昭和3年、511頁)
『殉教の血を承継(うけつ)ぐもの』(日曜世界社、昭和4年、172頁)
ほか


 主な論文


三重県立第四中学の時の論文「音楽と人生」「熊野物語」「精神的飛躍」「我心高原にあり」『雲の柱』などに寄稿した主な論文「シュワイチェルの文明哲学」(5回)「アルベルト・シュワイチェル素描」「旧約聖書の社会理想」「旧約聖書に於ける兄弟愛の研究」「キリスト愛の浸潤」「教会博愛事業の歩み」「英国労働党の宗教的背景」「ロンドンに於ける貧民窟破壊運動」「キリスト教社会愛史」「近代基督者の友愛と互助」「産業革命以後の伝道戦術」「信仰復興の史的考察」「神の国運動の組織神学」「『愛餐』の研究」「エリイの基督教社会学素描」「アポクリファに於ける愛の輪郭」「ラウシェンブッシュの基督教社会学素描」「神の国研究」(6回)「基督教社会運動の足跡」「都市伝道研究断片」「キリストと社会」(4回)「セツルメントに於ける指導者並びに共働者の問題」「それは建物ではない―隣保事業と教会運動への一考察」「間所兼次と消費生活協同組合運動」「『教会の仕女』ディアコニス運動の実際」「母性教育についての一考察―成人教育の一面としての」「嬰児教育について―新しき教育学位の創設」「嬰児教育のプログラム―ナースリー・スクールに於ける教育」「将来社会事業としての精神衛生社会事業の任務」「工場地帯を教区として―四貫島セツルメント覚書」「誰が宗教教育をするのか」「ミス・クックのころ」「保育に於ける自然の研究」「ナアセリー・スクール運動を語る」「隣保事業の立場から見て」


 説教


「前進する教会」「命の木はまだ残されている」「幸福への招待」「生ける神を慕う」(以上は西宮一麦教会)、「祈りはいかにあるべきか」(甲子園二葉教会)


 参考資料


岡本栄一「吉田源治郎先生を中心とした四貫島友隣館の年表」   
  同 「吉田源治郎―妻幸、賀川豊彦との出会い、そして人となりなど」
  同 「四貫島セツルメントの基礎を築く―吉田源治郎の人となりと福祉思想」
尾西康充「みえの文学誌:吉田源治郎」(新聞掲載)